山口 正司
1998年 3月 5日 木 雪 4 入院航平が生まれた二年前のできごとを今振り返って書いています。
1996年2月19日 晴 4 入院
いつもの通り、朝、起きて、大きな声で、
「行ってきます。」
といいながら、病院に出掛けた。病院までは、歩いて15分程だが、待つ時間が長いから、いつも帰りはお昼頃になる。それでも行かない訳にはいかない。12時頃電話が鳴った。出ると
「早産の恐れがあるから今直ぐにも入院しなければならないんだって。準備するものがあるから家に一旦戻るけれど、歩いてもいけないって。」さっきまで、普段どおりにしていたのに、入院するなんて、信じられなかった。診察で分かったから良かったと思った方がいいのだろうか。昼ご飯をうちに戻って食べたあと、支度を整えて、出掛けた。夕方、再び、病室に出掛けると、ベッドから動いてはいけないらしい。点滴を続けて、トイレはベッドで済ませるらしい。
医師が来て、診察後に、
「子宮口が開いていましたから、入院して貰います。」
と、ひとこと、すれ違いざまに、話して行った。どれくらい点滴を続けるのだろう。胎児への影響はないのだろうか。本当に入院する程の状態なのだろうか。分からないことはたくさんあるが、看護婦は大丈夫ですからとしか話さない。
真っ暗な家に、一人になった。
1998年 3月 6日 金 晴 5 見舞い
1996年2月20日 晴 5 見舞い
夕方、病院に出掛ける(東京国立第二病院)。神妙な顔をしてベッドに寝ていたチャコちゃんは私の顔を見ると目が微笑んでいる。じっと寝たきりの生活は辛いらしい。
「今週中は点滴をしなければならないの?」
と、問うと、
「噂だと、予定日近くまであと一月ずっとこのままらしいよ。」
と話す。出産は体力が必要だろうと想像するけれど、このまま、寝たきりでは、体力がある人でも歩けなくなってしまう。こんな医療が行われているなんて、初めて知った。チャコちゃんには普通の出産は出来なかったのだろうか。自然な成りゆきにまかせる訳にはいかなかったのだろうか。
1998年 3月 7日 土 晴 6 ホームページ
1996年2月21日 晴 6 ホームページ
一人になると、自分の時間が増える。インターネットに接続してホームページを見ることが自然に多くなった。ホームページを作成する方法は理解したけれども、ホームページを載せる申し込む先は高額なところばかりで、個人を対象にするところは見つからない。ホームページを載せている人は、研究所や大学のコンピューターを利用している人ばかりだ。
こんな心境や、出産に至る事実を載せてみたい。
唯一IBMに勤める平尾さんという方はアメリカと契約することで誰でもホームページを持てる方法について案内している。アメリカの企業と契約すれば自分もホームページを持てるかもしれない。全部をダウンロードして印刷してみた。
1998年 3月 8日 日 晴 7 法事
1996年2月22日 晴 7 法事
法事を来月開くらしい。一年忌の時に三回忌は行わないので、よろしくと言われたのに、住職から薦められて、急に決まったらしい。
私はチャコちゃんが入院していることを話したい気持ちにならなかった。懐妊していることも話していないし、無駄に気を遣わせたくはないと感じていた。
話しするにも何から話して良いか分からない。日常の話しすら、していない。
「行きたいのもやまやまだが、こちらも今たて込んでいてなかなか出掛けられないので、よろしく。」
と返答すると、理由が分からないから、不快そうな様子で、電話を切ったが、結局怒らせてしまった。1998年 3月 9日 月 晴 8 病室
1996年2月23日 晴 8 病室
チャコちゃんは寝たきりの入院生活にはちっとも慣れないようで、何より動いてはいけないのが辛いらしい。痛いのも苦しいのも大変だが、動かないでじっとしているのも相当なストレスになるようだ。
向かいのベッドに寝ているIさんも全く同じ治療を継続していて、話しも合うので、双方、見舞いの人が居ない間は話し尽くしているらしい。Iさんはこの病院の看護婦で、病院スタッフがひっきりなしに励ましに訪れる。明るい笑顔をチャコちゃんも分けて貰って、どれだけ助けられているか分からない。心地良い病室で、幸いだ。
Iさんは二年後の今もチャコちゃんにとって大切な友達になっている。
1998年 3月12日 木 雨 9 ホームページの登録
1996年2月24日 晴 9 ホームページの登録
夜になると何もすることもなく、インターネットに接続してはホームページを閲覧している。どのホームページも内容がない。画面がどれだけ綺麗か、作成技術がどれだけ高いかを競っているように見える。自分が発信する情報って何だろう。
一つ韓国駐在中の記録をまとめたあけんさんのホームページは内容もボリュームもあって、引き込まれるように楽しく読んだ。見ると所属プロバイダーのホームページ掲載費用は無料なので、そのまま申し込んだ。一週間後には自分もホームページを持てる。
何人かのホームページの作者に感想のメールを出してみた。どの作者も短時間の内に返事が来る。新聞や雑誌と違って反応が直接、本人から得られるメディアだ。
一人一人の考え方や行動の仕方はそれぞれに違うのから、自然な毎日のできごとをそのまま綴っても、それぞれに違う。きっと、ありのままの毎日も百人百様で何らかの価値はあるかもしれない。
日記のリンク集で日記リンクスというところに登録できる(注:その後変遷して今は日記猿人)。どのホームページも会社名や研究所での肩書が書いてある。自分の肩書をどう記入しよう。何で日記に肩書が必要なのだろう。出産や子育てに関する記述はほとんど、見あたらない。ここは男性中心社会なのだろうか。
川島さんは毎日の食事の献立を淡々と記入している。上田さんはアメリカから書いている。
自分は場違いなホームページを作るのだろうか。
1998年 3月13日 金 曇 10 安定
1996年2月25日 10 安定
一人になって辛いと感じたことも慣れてきた。毎日のリズムが出来ている。苦しいことも大変なこともしばらくすれば嵐が過ぎていくように楽になっていく。状況は一向に変わらないけれど、変わらないことが自分を別の意味で楽にする。
苦しいことも、辛く変化した時、事情が理解出来ない時は一番大変だ。このままじっと待っていれば、無事に出産されるに違いないと信じよう。昨日と同じ今日を過ごせば、きっと幸せがやってくる。
1998年 3月14日 土 晴 11 初めて作ったホームページ
1996年3月 2日 11 初めて作ったホームページ
ホームページ契約を申し込んでから一週間経ったが何も連絡がない。問い合わせると申し込みの中で苗字と名前の間のスペースが半角でなかったから受け付けられていないらしい。初めから再び申し込んで、更に一週間待つらしい。
1996年3月 9日
ホームページが出来上がった。
1998年 3月18日 水 晴 次の一年も
航平の誕生日も過ぎて、お祝いや、メッセージを戴いたり、ケーキを食べたりと、華やかな気持ちを家族で楽しんだ。こうして、無事に何事もなく二才を迎えられたことは航平のみならず、私にとってもチャコちゃんにとっても心から嬉しい。何事もない幸せ、穏やかな幸せは、また次の一年も続いていきますように。
1998年 3月20日 金 強い風 一概に言えません
強い風が吹いている。春一番というよりは台風に近い。交通ダイヤもくるっている。こんな風の日は外に出ない方がいいとは思うものの、出てみると、ひどい交通渋滞になっている。環七通りを大森方向に向かうが、幾ら待っても動かない。目黒通りまで行ったところで引き返した。ラジオを聞くと平和島で事故があったと伝えている。
気圧の変動にともなって自分の体調は少しばかり不調になってくる。航平が産まれて以降自分の健康は随分と良くなっている。花粉症も発症が少なくなっている。いつも、健康になったと言ったり、書いたりすると体調を崩すから、健康になったなどと言わずに、黙って、一人でにやにやするに限る。それとも不調になっているから書いているのかもしれない。
コンピューターショップ三社はかつての新興宗教団体が経営していて、55億円の売り上げがあると新聞に書いてある。その三社を新聞社に問い合わせると社名は明かせないと担当者は答えた。いつ、どこで、だれがの誰を明らかにしない理由はなんだと問うと、
「明らかにするだけの価値がないと判断しました。」
と答える。これじゃ禅問答だ。聞いた内容と同じことを返答しているだけだ。「誰」を明らかにしない理由はなんだと言う意味と同じ意味を別の言葉で言い換えている。週刊誌も買わせようという魂胆かもしれない。
三社の社名をどうしても知りたいのではない。明らかにしない理由を知りたいだけだ。明らかにしない理由って何なのだろうと勘ぐってしまう。最近、新聞紙上にコンピューターの直販広告が増えている。広告主ではないかと想像するし、他の真っ当に営業している業者も困惑するに違いない。それを越えても明かさない理由はどこにあるかを知りたいだけだ。
似たような言い方で、政治家や企業家が、
「・・と言うことは一概に言えません。」
とよくいう。「経済のファンダメンタルズがリセッションにあると断ずることは一概にもうしあげることはできません。」
などと答える。そう言われるとその通りだなと納得するのは自分が凡人だからだ。
「公定歩合を引き上げる時期にあるかどうかを今ここで申し上げることが妥当であるかどうかは皆さんで御議論いただかなくてはなりません。」
これも偉そうで納得してしまう。なんでもかんでも簡単なことを難しく言われるとよくそこまで難しく話せたなと、言い替えの妙に対して、勝手に感謝している。
結局、言葉に意味はない。集合のベン図を書いてみれば、一目瞭然だ。
「何にもないは何にもない。」
と話しているに過ぎない。一概に申し上げることがないというのは黙っているのと同じことだ。御議論いただくのは、自分の意見は述べないのと同じだ。私が一番腹がたつのは、こんな言葉で納得して、やりとりし続けて、それを偉いと思って、その場にたっても何にも言えなくなってしまうかもしれない、自分の心だ。
蔭でホームページに、こんなにふざけるなと書けても、いざ私だって、新聞社に勤めれば、同じように返答するかもしれない。
航平と話す方がよっぽど真っ当で、すっきりしている。前向きな言葉しか彼には、通じない。
1998年 3月21日 土 曇 二歳の誕生日に
写真二歳の誕生日に
こんな写真をとったり、こうしてご覧に差し上げたりするのが今の私たち家族の唯一の楽しみかもしれない。1998年 3月22日 日 雨 オッケー
最近、航平はよく話すようになっている。今までは見て可愛かったが、今は積極的に笑わせてくれる。今日のように重苦しい天気の時に、側にすり寄ってきて、
「ヘリコプタいっちゃったね。」
なんて言われるとつい笑ってしまう。大体人の体に遠慮もなしに、もたれ掛かってきて、顔をさわられたり、頭を押しつけられる体験は子供の頃以来だ。チャコちゃんがもたれ掛かってくるのとはちょっと違う。もたれては勝手に離れていって、また、来てはもたれていく。そして、ちょっと一言ずつ話していく。
「さあ行こうか。」
なんて私が話して、
「オッケー。」(au形式 10K)
なんて答えられると、重たい腰も軽くなってくる。1998年 3月23日 月 晴 スナップショット
土曜日から風邪をひいていて、動けない状態が続いている。横にもなれず、夜になってもなかなか、寝付けない。眠っていても何度となく目が覚めてしまう。ヨードでうがいをするのだけれど、お湯で割ってうがいをすることもできない。湯気でむせてしまう。
具合が悪い時にこうして具合が悪いと書くのは気が引ける。同情されたくないからだ。健康で元気でいると話していたい。
私ははじめにコンピューターにこうして日記を書こうと思った時に、死ぬ直前まで、書いていたいな、と漠然と感じていた。でも動物が亡くなる前にはひっそりとした場所を選ぶように、自分も具合が悪いことを素直に打ち明けられないと発見する。具合の悪いことは隠しておきがちになってしまう。それは決して、自分にとってマイナスになるから話さないのではなくて、読み手にとってプラスにならないと感じるからだ。
体調が悪いときには、人を憎らしいと感じることもある。そのまま、人を憎らしいとぶちまけても、何らの価値もないと考えるからだ。体調が悪ければ、こうすべきである行為も出来ないし、こうした方がいいこともできない。出来ないことを言い訳もしたくない。そんな時には憎まれ口をきいて人を追いやってしまう。人を追いやる方が言い訳するよりはずっと互いにとって得だと、何故だか、感じている。
こんなに具合が悪い時にはしばらく前のことを思い出す。なんでもないことだ。いつだったか、私の写真の中心に人物が来ない方がいいのではないでしょうかとアドバイスを戴いたことがあった。自分は全然そんなことを知らなかった。しかし、言われて見ると、テレビのアナウンサーが映る画面も、広告写真もみな人物は真ん中に来ていなかった。
スナップショットは射撃に見立てたからそう、呼ばれるのだろうか。自分は必ず、ファインダーの真ん中に映し出したい、取り込みたいものを持ってきていた。だからどんな写真も私は興味を引くものが写真の真ん中にある。それで、私はその後、写真を見て、その時の思いを甦らせる気持ちになっている。人に見せたい気持ちは少なかったかもしれない。
確かに、被写体がきっちりと写真の枠に入っていると見る者にとってはすっきりと目に入る。すっきりして、美しいと思う。しかし、私は綺麗に納まった写真に感動しない自分も発見する。私がその時感じたのは被写体を自分に取り込む行為だったからだ。スナップ、そう、射撃のように取り込む行為だ。私はシャッターを押す瞬間に私が見る映像と幸福を固定する作業を続けているかもしれない。
メールでアドバイスしていただいた事は今でも感謝している。写真に対してこれだけ気付かせてくれたからだ。それではこれからどう撮るか、時々は見られる側に立った写真を撮るかもしれない。
具合が悪いと、過去のできごとを思い出す。私は感謝しています。