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98年 4月

山口 正司             


1998年 4月 3日 金 曇      言うことをきかなくなった 1998年 4月 8日 水 曇      一番可愛い 1998年 4月 9日 木 雨      言うことを聞かないとどうして可愛いの

1998年 4月 3日 金 曇      言うことをきかなくなった

 航平は自己主張が激しくなっている。言うことを聞かない。大人の社会なら、通用することなのに、航平との関係では通じない。今まで、航平を一人の立派な大人であるように尊重して接してきたが、このままだと、航平は家の中で、最も尊大な王様で、私とチャコちゃんはかしづく家来のようになってしまう。だからと言って、家来のように扱うこともできない。教育というか、しつけというか、何らか互いに楽になるような方策を練らなければならない。作戦を練らなければならないのだろうか。

 戦いになる局面はこんな時だ。

 外に遊びに行く支度が出来た。航平はおもちゃで遊んでいる。すっかり準備が整ったから出掛けたい。おもちゃをかたずけなさいと言う。航平は自分のしている遊びを続けたい。中止させられて、泣く。決して動かない。

 争いになった原因は航平は外にでる楽しさを遊びに夢中で理解していない。私達は航平の遊びを理解していない。

 外に出ると楽しいと理解するために、飛行機のかっこをして気を引いたりしている。

 チャコちゃんも私も外に出ていって、一人で取り残されるよりも外に一緒に出た方が楽しいと想像させたりする。

 ところが、どんなに、考えても、結局全然作戦通りにいかない。そもそも、誰だって戦争や、戦略は嫌いだ。

 チャコちゃんを見ると、結局、戦争より平和路線を踏襲している。普段からのコミュニケーション重視、対話路線だ。楽しく行こう、楽しく居よう。自分が楽しんでいる。

 結局、航平とぶつかるのは大人である自分のありようだ。9時になったら寝かせつけるのは自分が時間に縛られているからだ。自分で作ったきまりをそのまま航平に押しつけても、ハイハイとは聞かない。

 自分は航平が言うことを聞かないから腹を立てる。言うことを聞かない航平を他人が見て、自分のしつけが行き届いていないと思われることも、怖いかもしれない。

 結局互いにぶつかったり、泣いたり、怒ったりして絆が作られていく。なるべく辛い思いは互いに避けたい。あんまり躾が行き届いて良い子になる必要はないと思うと多少は楽になれる。

1998年 4月 8日 水 曇      一番可愛い

 言うことを聞かなくなった航平だが、今の航平は可愛くて溜まらない。なんでもはいはいと言うことを聞くよりも自分を主張して、互いに歩みよって、にこっとされる瞬間はなんとも言えない。

 五日の日曜日に家族で銀座に出掛けた。八丁目の博品館トイパークにおもちゃを探した後、四丁目方向に歩く途中にウエンディズがある。私達はそこで休息をとりたい。なのに、航平はどんどん一人で先を歩いて行ってしまう。

 歩行者天国だから、道路の真ん中の白線の上を綱渡りのようにしながら、
「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
と話しているのは、さっき通った新橋のガード上にたまたま、山の手線と新幹線が走って行ったのを見つけて、興奮が、まだ、覚めていないからだ。

「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
と話しながら、どんどん先に行ってしまう。こちらはウエンディーズでどうしたって三時の休息をとりたい。航平と一緒だと、四丁目まで行ったって他に食べるものなんてありはしない。

「おーい、航平。」
と銀座通りの真ん中で大声で呼ぶけれど、相変わらず航平は
「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
と話しながらとぼとぼと先に向かって歩いている。

 恥ずかしいのに、何度となくチャコちゃんと二人で
「航平。」
と呼ぶとさっきから聞こえているに違いないのに、初めて聞こえた様子で、さっとこちらを振り向いた。

 それはちょうどラインの白線がとぎれたところだ。つまり呼んだから振り返ったのではなくて、呼ばれたが、白線の先端まで到着したから、初めて振り返っている。 そして、にやっと笑っている。
「なんだあ。早く来いよ。」
と大きな声で呼ぶと、再び
「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
と話しながら戻ってくる。

 その時の得意そうな顔はなんとも言えず、満足そうだ。やっとこれで休息がとれると思い待ち受けるとまたこちらの白線の端で立ち止まって回転して逆方向にに向かって
「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
と話しながら再び出掛けて行ってしまった。

 するとまたこちらに向かって、にやにやしながらやってきた。

 観念したように、ポテトを食べて、少し休息した後、デパートをめぐる間、航平は随分と大人しく私たちの後を歩いて付いてきた。そして、バギーに乗ったまま、七時ころに寝入って、夕食抜きのままで風呂にも入らずそのまま休んでしまった。

 私たちだけで、夕食を八時ころとって、夜ベッドに入ると、食事もとらずに、眠ってしまった航平と、おやつだよと怒鳴っても遊びに夢中になって振り向いてにこっと笑った航平の顔を思い出す。可愛い瞬間は言うことを聞かないこととセットになっている。

1998年 4月 9日 木 雨      言うことを聞かないとどうして可愛いの

 どうして言うことを聞かないと可愛いのだろう。結局その後に和解が必ずあるからではないだろうか。怒ったままで、おしまいならば、憎らしい子供にしか過ぎないけれど、その後必ず笑顔に戻る。他人の子供よりも自分の子供が可愛いのは喧嘩と和解のやりとりの積み重ねの数が同数だからだと思う。他人ならば、喧嘩すれば、それっきりになってしまうし、喧嘩をしなければ、思ったことも充分にぶつけられない。充分感情をぶつけなければ、親しくもなれない。親子の絆は感情の絆なのだと思う。だから、いつでも思ったまま、航平と喧嘩したり、笑ったりしていたい。

 航平にとって銀座通りの白線を最後まで歩いていく経験は、生まれて初めての体験だったのだろう。例えばグランドキャニオンを降りてコロラド川の直前に差し掛かったところで、自分が後ろから呼び止められたとしても、直ぐには戻れないし戻りたくもない。それほど貴重な思いで、
「山の手線、新幹線、山の手線、新幹線、山の手線、新幹線」
としゃべっていたのかもしれない。互いは互いの理由があって怒鳴りあったり、泣いたりする。

 どんなに泣いても、航平の才能で、最高に良いところは、直ぐに、すっかり過去のことを水に流して仲良くなれる技術だ。生きていく力、たくましさは、前に向かって前進することだろう。たくましさを私とチャコちゃんは航平から分けて貰えるからこそ、なんとかやっていける。育てられているのは両親も同じだ。







自分を見つけた、最近の航平





誕生日の飾り付け





 チャコちゃんは人の居ない綺麗な桜の木の下で森を見ながら、三輪車で遊べる場所に行きたいと希望した。偶然見つけたそんな場所。

 飛んできたシャボン玉に誘われて、航平はそこで初めて出会った一つ年上の友達と遊んだ。一時間程、楽しく遊んで、さようならと言ったら、二人は泣き出した。嬉しすぎて悲しかった一期一会。


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