山口 正司
1998年 2月 1日 日 晴 道端休日。何もしない日。一軒隣りのビルディングが壊されたので、バス停やスーパーマーケットから家が見通せるようになった。買い物に行く途中洗濯物をとりこんでいるチャコちゃんに大きく手を振ったら、偶然チャコちゃんも分かって、手を振った。
家に戻ると、
「道端であんなに大きく手を振って恥ずかしくないの?」
と尋ねられた。
1998年 2月 2日 月 晴 癖と嗜好航平の癖と嗜好
転落防止用の柵を自分で閉めてから階段を降りる。
湯桶に溜まったお湯を捨てて風呂から上がる。
怒って泣くときに、逆襲すると、笑いだす。←拷問だからチャコちゃんは止めてと言っている。
どちらかと言えば左利きだ。
読んでいる新聞は叩いてみる。
ボタン、スィッチは好きだ。
後片づけは嫌いではない。
闘争的ではない。
絵本を読んで貰うのは好きだ。
ビデオから目を離さない。
好きなビデオは「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」だ。
トトロが出ると、「くわい(怖い)」と言って椅子の間から見る。
「トイストーリー」と「美女と野獣」はそれほど好きではない。
国会開催中は見る番組がない。
数字の幾つかは時々読む。
救急車が通ると寝る寸前にも「キュッキュッチャ」と言う。
パワーショベルを見つけると気が動転する。
街で時計を見つけるのは得意だ。
新幹線は好きだ。
ヘリコプターが飛んでいると空を指さす。
耳掃除と鼻掃除をして貰うとうっとりとした顔になる。
風呂桶の端、椅子の背もたれに立つのは好きだ
犬と猫は気になって仕方がない。
自転車に乗るときにヘルメットを被るのは嫌いではない。
自動車に乗るときにシートベルトを付けるのは嫌いではない。
ポテトチップは好きだ。
チーズは好きだ。
かぼちゃは食べない。
お母さんは好きだ。
お腹が一杯になったら、お父さんと、遊んであげる。
1998年 2月 3日 火 晴 節分
節分で作った鬼のお面。一才だから一粒だけ食べました。その後、二三粒食べた。
写真
取り壊されて、バス通りから見通せるように。正面は東京タワーの方向。
1998年 2月 4日 水 晴 暖めるナイフで人を傷付ける事件が続いている。
冷めた言い方しか出来ない。驚くことだし、残念なことだけれど、人は残酷なことをしかねないのかもしれない。
ルワンダの内戦は、ごく普通に生活している人が、同じ土地に住む市民を全土にわたって、殺戮しつづけた。10万人の人がそれぞれの隣人を80万人、クワやなたで、あがめてしまった。
原因は人気ディスクジョッキーによる繰り返し流されたラジオの放送だったらしい。
人はある意見や、ある思想に感化されると、想像以上の行動を誰もがとってしまう性癖を持っているのかもしれない。
怖いことだと思う。
そうならないためにどうしたらいいのだろう。きっと誰にも分からない。分からないから、どこの地域、どんな世代にも偶発的に事件がおこってきたし、おこっている。
怖いことだと思う。だから子供もナイフを持つ。
平和で、お互いが幸せなら、誰もナイフを持つ必要はない。ナイフを持つ手を暖めてあげることはできないのだろうか。
1998年 2月 5日 木 晴 ネットスケープコミュニケータ4最近、ネットスケープコミュニケータ4で作成されたホームページが増えてきた。ところが、これが同じ私のネットスケープナビゲータ2で見ることができない。一時的な不具合だろうから、きっと直ぐに治るだろうと思うが、どんどんと増えてきている。そして、別の問題だが、アップルのホームページまで読み出せなくなってしまっている。バージョンアップした方がいいとは思いつつも、そのままにしていた。
ネットスケープコミュニケータで作成したホームページについてはソースコードが
META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html; charset=Shift_JIS"
となっている部分を
META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html"
にして貰うと読み出せる。そうこうしている内に、ネットスケープコミュニケータなど一連のブラウザソフトが1月22日から無料で頒布されることになった。マイクロソフトとの競争のためだそうだが、ソースコードの全容まで開示されている。
私はマックが使いやすいと感じるけれども、価格が下がったのは、マイクロソフトとの競争だった。製品はほとんど使用していないが、恩恵は受けている。
ダウンロードして使ってみた。昼間で、約20分かかった。終了すると自動的に解凍されて、インストール後、そのまま使える。ほとんどの設定は自動的に済んでいて、そのまま、新しい画面で閲覧できる。沢山の機能が盛り込まれて、見えなかったホームページも見られるようになった。ホームページ作成ソフトもそのまま使える。メールの扱い方や、セキュリティ面で、使い憎い部分も少しある。例えば「読んだよボタン」を押すたびに警告メッセージが出る。少し使ってみよう。
1998年 2月 6日 金 晴 水泳教室
チャコちゃんが航平と行く水泳教室に私が替わりに連れて行った。チャコちゃんも心配して付いてきたが、何とか無事に済んだ。
話しだけ聞いていた水泳教室での様子が自分も体験してみて、事情が飲み込めた。家でよく遊んでいる、三丁目のウルトラマンも、大きなたいこがどーんどんも、水泳でしていたことだった。
水の中の台から、ざぶんとひとりで飛び込む姿も初めて見た。飛び込む前の神妙な顔つきは悲しそうにも見えた。
時折、全体が何をしているのか航平は理解出来ずにいたし、楽しそうな笑顔も今一つ作り笑いをしているようにも見えた。
私はと言えば、快適だった。「大きなたいこ」を歌ったり、泳ぎながら抱っこしたり、水中で航平と目と目を見合わせるのは、心が繋がるようだ。チャコちゃんも続けたいと話す訳が理解できた。先生は親切だし、航平とサウナで遊んでいると、一週間の他の日が多少辛くても我慢できるかもしれない。
1998年 2月 7日 土 晴 長野オリンピック
午前11時になるのを楽しみにしながらテレビを見ていた。長野オリンピックの開会式が始まる時間だ。チャコちゃんも航平もテレビの前に座って、ビデオもセットした。
正直言ってオリンピックは、今まで、それほど興味が湧かなかった。長野県には少年時代に二年間過ごしたけれど、オリンピックのような大事業は決して開けないような気がしていた。いや、長野県の人が悪いと言うわけではない。長野は山の人が住む場所だ。山を大切にする人は昨日と同じ日を明日も守ろうとする気風を強く感じたし、古い伝統を大切に守る。大きなスタジアム建設や、道路事業、鉄道建設を押し進めながら世界の人にアピールし、招き入れることが出来るだろうかと案じていた。
鐘の音で始まり、御柱の立ちあげ、土俵入りと続く、日本人でも忘れかけていた日本の伝統文化と、平和を願う子供たちの姿が出てくるにつれて、何故か感動して涙が出てきた。日本の文化を大切にしてこなかった悔やみと美しい文化の中に住む誇りが心の中にこみ上げてくる。
「ねえ、開会式、いいんじゃない?」 とチャコちゃんに尋ねると、横でやっぱり泣いている。なんでこんなに感動するんだろう。
寺院の鐘で始まれば、今までなら、誰かが、宗教の自由の侵害を訴えた。相撲の土俵入りを披露すれば、国技を侮辱すると非難する人もいた。
鐘の音も土俵入りも陛下の入場も挨拶も何かどこかが違った。一つ一つは、融合しながら、平和を愛して私のためと世界のために、披露してくれるように見えた。
自分だけがこんなに感動したのだろうか。自分が子供を持ったから、私が変わったのだろうか。それとも誰もが良かったのだろうか。
1998年 2月 9日 月 晴 集計結果
一昨日に皆さんにお伺いした、長野オリンピックの開会式をご覧になっての感想、集計結果です。
1.やはり、同じように、感動しました 12人
2.それほどは感動しなかった 1人
3.ゆっくり見る時間はありませんでした 15人
となりました。
こんなに見なかった人が多かったのかと、思いましたが、開会式を見た後、自動車で郵便局まで出掛けると、国道は大渋滞になっていて、みんな見てないのかなあと、やはり、その日ふっと思いました。自分自身でもオリンピックの開会式をテレビで見るのは詰まらないと感じた時期もかつてはありました。
視聴率は過去最高だった札幌オリンピック開会式の24.8%を越えて、オリンピック開会式では最高の35.8%だったそうです。大半の人は見なかったと言うのもうなづけます。
正直な気持ち、見なかった人と感動を共有できないのは残念でした。それほど、思い返しても、感動しました。過去のオリンピックのどの開会式よりも感銘しました。
ご覧になったほとんどの方は感動したと答えていました。「あなたの伝言板」でも多く語られています。よろしかったら、どうぞご覧になってください。
1998年 2月11日 水 晴 気分を変えて
あっ、昨日は更新しないで、ごめんなさい。実はメールを書いていました。ほら、私、先日疲れてしまったと書いて、少し休みますと宣言したでしょう。その通り、インターネットへの接続を閉じて、一時、休んでいました。
やはり、ネットへの依存症のような状態になっていました。一種、精神病みたいな状態ではないでしょうか。どうしてもコンピュータの前に行かなければならないような気持ちになってしまいました。
それで、強制的に接続しないと心に決めて休みました。その原因は誰にあるのでもなくて、事故のようなもので、恐らく、誰にも遭遇するように推論しています。
コンピューターから得られる情報って一面的で、ごくわずかな便りをたどって、推論を重ねると、分からないことや、不可解なことから、頭が離れなくなってしまうんです。
だから、誰に原因がある訳でもなく、自分に原因があるんです。早めに気付いて良かったと思っています。今日の文章の書き方、ちょっと違うから、あれ?まだおかしいんじゃないか?本当におかしくなったんじゃないか?なんてあなたも推論しないで下さい。
私はいつもの通りです。今日はちょっと気分を変えて、毎日、この文章を読んでいただいているあなたに話してみたいとふと思いました。
実は最近、日記、家族のできごとと言っても、ほとんど、プライバシーに関することは書けなくなっていました。もともとプライバシーなんてあなたも聞きたくは無いとは言いながら、プライバシーを外して家族のできごとを書くってちょっと大変なんです。
何故、プライバシーを書けないかって言うと、やはり、自分はともかく、書かれる立場に立つと、自分のプライバシーは守りたいって心境があるってことを充分に私も理解してきたからです。
私は誰に、自分のプライバシーを話しても気にはならないけれど、この私だって人が私のプライバシーを話しているのを横で見ている訳には行かないっていう、簡単なことに気付いたんです。
だから、題名も新たにしたいんですけれど、今のところは面倒なので、このままで行こうかなって思っています。いや、チャコちゃんから無理やりそんなことを言われたんじゃないんです。
疲れたとき、休んでいながら、いろいろと頭の中で考えたりしてました。
読んでいるあなたはこうしてあなたに話しかけられた方が分かりやすくありませんか。私はそんな気持ちもします。いや、ちょっと楽しんでもみたいなと思っているだけかもしれません。
あなたも私にふりまわされないでください。そう、もしかすると毎日読まない方がいいかもしれませんよね。毎日、読んでいると、とても、存在が大きくなってきませんか?私はそうでした。毎日読んでいると身近にいるようで、とても気になってしまいました。だから、今は時々まとめて読むようにする時もあります。
でも、気分しだいで、変わっていくので、これからどうなるのかは、分かりません。私のこの文章を読んで、あなたがネット依存症になっても私は責任をとりませんよ。気を付けて下さいね。
そう、ここであなたと書いているのは読んでいるあなたですが、あなたでもないんです。文章って、充分に表現出来なくて、もどかしくて、苦労です。
プライバシーを書かないなんて、言いましたけれど、少し。やっぱり書きたいんだなあ。
昼から近くの羽根木公園に行ってきました。梅の木が綺麗で人も多くて、琴の音色と共に、華やいでいました。梅にしても桜にしても、季節を花が表現すると、ああ、生きているって感じませんか。
私は気持ちがふっとしてきます。うん。でも実を言うと、そんな折りでもまだコンピューターから頭が離れていなかったのが事実です。これは少しまずいなあと思いました。そう、本当にまずいんです。だから、うん、少し休ませてくださいってこの間から書いています。そんなに思うのもこうして読んでいただくことがうれしくてならないからです。やっぱりおかしいかな。
1998年 2月12日 木 晴時々雨 文体の変化
昨夜の文章、少し変な文章でした。皆さんの投票の結果をお知らせします。
明日もこの文体でやってみたら 13人
いつもの方がいいな 9人
でした。
両方押した方は1人でした。上一票に下三票もありました。
いつもの方がいいと言う人の中には絶対にいつもがいいと言う気持ちが感じられる方もありました。上手に意見が二分したなという感じですが、やはり、それぞれの方がそう感じるだろうなという意見で自分自身も納得しました。
それで、私はどうするんだといいますと、やはり、気付くと多数派と同じようになっています。これはお読みになっているあなたの内の半分を私は失っていく質問を続けているような気持ちにもなりました。
ごめんなさい、意見と違ったあなたも、少しだけ、つきあっていただければ幸いです。これが私です。多かったからという訳ではなくて、やはり、あなたに話しかけるのは楽です。
今の疲れた私にはこの位のタッチがあっているのかもしれません。大体いつもの私は真面目過ぎますし、重すぎます。私が私であるのはこんなところかもしれません。アンネの日記も話しかけていましたね。
疲れていると言っても、アクセスはしていますし、投票もしていますし、あなたを読んでいますし、やはりあなたを気にしています。少し、自分の行動が変わることがあなたを傷つけたくはないと要望しています。
はじめにインターネットのホームページを作ろうと思ったときに、私は自分のために文章を書こうと決心しました。読んでいるあなたのためではなくて、自分のためです。
ですから、たまたま読んで頂ければ、それで充分だったし、読まれなくても良いと、はなから決めていました。ところが、実際には違いました。やはり書く以上は読まれたい、書く以上は伝えたいという気持ちが自分に出てきたかもしれません。
あなたが私の前にいることで、強く私を拘束するようになってきました。私は次第に何を書いたらいいか考えるようになってしまいましたし、何か自分の身を切っても、充分に書かなければならないと、思うようになっていました。
辛い作業になっていきましたが、出来上がれば、やはり、それも自分のためだと感じましたし、充実もしました。やはり読んで戴くのに、全く詰まらないことを連ねる訳にはいかないと感じたんです。
何もそこまで私に期待なんて最初からしてないのにね。私だけの空回りで、互いの誤解です。何らかの欲におぼれた姿だと感じます。
ご存じの方も多いのですが、この日記は投票されるようになっています。投票も私はいつも、勝つと思うな、思えば負けるなんて、唱えながら、いいところだけを得るように、気を付けたつもりです。
ところが、オリンピックではないのですが、やはり、得票が低下していく様子は見るにしのびない自分が確かにいるんです。くやしいなあと、そして、上にいる人から見下されてるような感じ。情けない。
下に甘んじているのが情けないのではなくて、下にいて情けないと感じる自分がとんでもなく情けないんです。気にしないと思うと気にはなる。それで、ぐれてやるう。って無断欠席もしましたし、ちゃらんぽらん。成績も見ないし、上を尊敬もしなければ、下で遊んでました。
そんな自分も情けなくて、疲れたかもしれません。競争っていうのは楽しいと同時に、疲れることです。
ああ、ごめんなさい。変なことばかり書いている。こうして書いていると今読んでいる、あなたからまた叱られるのではないかと、読んでいるあなたに失礼ではないかと感じます。何にも書けない。
これでこの書き方やめます。初心に戻って、一から出直します。また明日からいつもの文章を書きます。ご静聴ありがとうございました。
1998年 2月13日 金 晴 週末
普通の文体に戻りますと昨夜終えたのですが、なんだか心地よくて、まだ戻れません。昨日はそう話したのに、今日は、その約束を守らない。全然話していることがちゃらんぽらんで、信用の置けないやつっていうことが、この文体だとお見通しになってしまいますね。
心の中ではいったりきたりしているんですね、いつも。どうしようか、こうしようかと。いつもの文章はそんな結末だけを書くので、いかにも堅そうで、強そうで、誠実そうで、真面目そうでがんこに見えるのかもしれません。
ところが、こうして、考える過程を書くと、やはり、揺れているんです。迷っているし、さまよっているのはあなたと同じです。
最初は、八時頃から航平を風呂に入れるために、お湯を落とす15分程で書いて、あなたの元に届けられていました。ところが、最近は10時半ころから、12時くらいまでもコンピューターの前に向かっていることもあります。
家族のできごとを書くのに、家族を遠くに置いて、コンピューターに向かっているなんて、変なことなんです。段々、家族のことも書かなくなりましたし、私は自分の家族と同じように、あなたの家族やあなた自身のことが頭に浮かんでくるようになっています。
だから、家族のできごとはあなたの家族へのできごとになっていました。だから、どうしても、縮小しなければならないんです。楽しいことにも終わりがある。いや、永く続けるために、縮小するっていうことです。横で見ているチャコちゃんはよく辛抱して応援してくれました。ありがとう。
夕方は知人のお通夜に行ってきました。私はここに不幸をなるべく書かないようにしてきました。心には残ることでも、一年を通して多すぎるんです。不幸なできごとを書いてもあなたには、なかなか私の気持ちが届かないだろうと感じるからです。
一人で帰ってくるときに、つい、このあいだも「おおい、まさじくん。元気かあって。」話す声が響いてくるようでした。
13日の金曜日、私はキリスト教徒でないから、良かったと思いつつ、航平を風呂に入れようと私の足を入れると、お湯は熱湯でした。9時から11時まで、氷水に入れて冷やしていたところでした。なんとか、大丈夫だと思うけれど、まだ、足は冷えてます。ですから、今夜は簡単にこれで。それでは、楽しい週末をお迎えください。
1998年 2月14日 土 晴 バレンタインディだけど
暖かい日でした。なんでも五月の気温だそうで、昼から駒沢公園に家族で行ったのですが、半袖姿の人もいた程でした。
公園に行く途中と公園の中と、チャコちゃんの公園の友達と偶然すれ違って、声を交わしました。ちょっとした挨拶と近況を話すだけですが、お互いに、少しの会話がなんとも言えない息抜きになります。
子供がいると、楽しい反面、やはり子育ての時期は大変です。ある人が
「休日に子供をほおって、夫が一人で外出すると、とても腹が立つ。」
と話したところ、それを聞いた、もう一人が
「休日に夫がずっと家にいると、食事を作るのが面倒でとても腹が立つ。」
と答えていたよ、とチャコちゃんが話していました。どちらにしても、腹が立つのは夫にとって不幸なことです。結局、今の時期ってゆとりが乏しくて何かにつけて、困難は多いかもしれません。
はたから見ると、子供が増えて、華やかで、賑やかに見えるでしょうか。ところが、毎日、今まで経験しないことが続くのはやはり大変です。
ちょっとしたことでも、どうしたらいいか考えてしまうことは結構あります。大抵は核家族に由来することです。
チャコちゃんが医院に出掛ける時に航平はどうするか。美容院で髪を切る時に航平はどうするか。もしも、二人目が出来た時にはどうするのだろう。雨の日の買い物にどうやって、出掛けようか。自転車に乗せた方がいいか。バギーにビニールの覆いをかけた方がいいか。
それぞれは初めての経験の連続になります。
大きい困難の時には、それなりに自分たちも全精力を投入して立ち向かわなければなりません。小さい困難でも毎日、朝から晩まで、少しづつえんえんと出てくると、幾ら穏やかで、健康な人でも、腹がたってきます。ですから私達のような未熟者ならもっとです。
それでもほっとした瞬間に、座っている私の横にすりよって、体を押しつけて、にこっとされると、そんな苦労が消えてしまう。そんな毎日を送っています。
1998年 2月15日 日 晴 家の中での休日
雪が降って、昨日との温度差は20度にもなったそうです。さすがに、窓から見える景色は寒そうでした。こんな日は外にも出られず、オリンピックを見たり、コンピューターをいじったりして、過ごしました。
チャコちゃんは昼過ぎから航平と布団でごろごろして、私も夕方から横になって、航平と一緒に休みました。航平と起き上がるともう夜八時近くにもなっていました。それからおむつを買いに近くのスーパーまで、出掛けて、帰ってから食事をしました。
だらだらとした一日を過ごしました。航平は外に出ないと昼寝の時間が遅くなります。私も夜になってから目が冴えてしまいます。夜眠れないのは、こんな日かもしれません。昼は少し活発に活動をした方がいいんだなあと思います。
そうそう、話しは変わりますが、このところ電話サービスが、がらりと変わりました。でも先日からISDN回線にしているので、全然その恩恵を受けられないのが少し残念です。
文体を少し変更していることで、少なからず、あなたにも心配させたりしています。私自身は変わっていません。変わったとすれば、文体は統一すべきだと言う規範がゆるんだのかもしれません。規範がついゆるみがちなのが私で、その総体がホームページを通して反映されているのかもしれません。いつもの通りのありのままです。心配していただいて皆さんに少し申し訳なく、心から感謝をしています。
1998年 2月16日 月 晴 スキージャンブ
オリンピックゲームが毎日続いている。どのゲームでも、全力を尽くす姿は美しい。ジャンプは伝統的に日本人が強い種目かもしれない。今回も三つのメダルを既に取った。取った二人の姿は新旧入り交じり、飛ぶ姿も性格も異なりながら、感動を与えてくれた。
原田はゲームが始まる前に
「強い選手が長野で活躍したと記憶に残って貰えるようなジャンプをしたい。」
と語っていた。自分とジャンプと観客との三者が頭にあるように見えた。観客の感動が飛ぶ以前から原田の頭にあれば、集中力を欠いたとしても、仕方がない。集中力を欠いたジャンプの無惨さはよく分かる。
観客からの目を気にしないほうが結果が良いのかもしれない。しかし、原田自身は、今までの過程で、見られることで、伸び続けてきたのだろう。見られることで、自分を発奮させ、自分の力にしてきたように見える。本番で切り放すことはできない。そう、それでやってきたものは迷うことはない。
日本人、日本のメダルの枠をのり越えて、これから先、スポーツの世界で活躍する選手が身近に多く出てきて欲しい。スポーツが活発なことは何より頼もしい。
1998年 2月17日 火 晴 自我の芽生え
オリンピック団体のジャンプが始まる午前中、私は皮膚科医院に出掛けることにしていた。チャコちゃんと航平は疲れているから、毎週出掛ける、児童館には行かないと話していた。疲れていても、行けば気分が違うからと、自動車で児童館に二人を乗せて送り、私は診察後に、戻って、児童館に立ち寄った。
30人ほどの航平と同じ学齢の親子と一緒に体操をして、腰に付けたひもを奪い合う遊技をして、雛人形を作った。大勢の中で遊ぶ航平は家の中の様子とは違って静かで大人しい。いつもならおもちゃは奪い取ろうとしても決して離さないのに、友達には、あっさりと手渡している。
私が読む新聞はひったくっていくのに、友達が遊ぶボールは横でみるばかりで、おろおろしている。全く私の子だ。自分も幼児の頃はそんなだったような気がする。遊びも遊具も譲っている。他の友達と、とったり、とられたりするまではいかない。けんかにもならないようだ。
優しいようだが、欲を言えば、遊びに集中してないようにも見える。航平はどちらかと言えば一人で遊ぶのが好きなように見える。
最近はよく、見えないところに行って、一人でふとんをかぶったり、でんぐりがえしをしながら遊んでいる。姿が見えないからどこに行ったかと思うと、たった一人で、できっこない逆立ちをしようと頑張っている。
子供のうちから孤独が好きなんだろうか。よっぽど、一日中、親が付いていて、安心しているのか、うっとうしくなっているのかは分からない。静かな部屋にこもりに行ってしまうのは私もチャコちゃんも中で何をしているのか興味はある。
見に行くと、あっちに行けと怒鳴る時もあるし、目があって笑うときもある。赤ん坊も自分の城を持ちたいのか、あるいは、自我が芽生えているのだろうか。
お昼は近くのレストランで食事をとって、帰ると、金メダルを取ったと言うニュース。夜のショートトラックはメダルにあと一歩及ばず惜しかった。オリンピックも始まると興奮を与えている。
1998年 2月18日 水 晴 利益の付け替え
新井将敬代議士が証券会社から借名口座を得て、不当に利益の付け替えを要求したとされ、逮捕請求が国会に提出されている。新井氏は選挙区が近いこともあって、身近に選挙活動に遭遇する機会が多かった。
初めて出馬した時には落選したが、二度目から当選を重ねている。大蔵省からの転身で、経歴に劣るところはない。競争相手に石原慎太郎、上田哲など、有力代議士が連なる激戦区だった。
選挙が始まった時の印象ははっきりと覚えている。揃いの赤いティーシャツに白いミニスカートをはいた数多くの人を横に真一文字に並べた真ん中に立ち、派手な衣装に身をまとい、歌とパフォーマンスとで選挙民を圧倒した。見せる選挙活動だった。
派手な揃いの衣装の人の数はひときわ目を引いた。ずらっと横に並ぶ人を見ると、この選挙がいかに派手で、お金がかかっているか、一目ではっきりと見て取れた。今まで、官僚でありながら、どうして、これだけの選挙活動を賄う財力があったのだろうと言うのが第一印象だった。
派手な選挙戦だったが、やはり激戦で、その回は落選した。次ぎの選挙までの期間中は街中の至るところに顔写真入りのポスターが張られていた。通常の政治活動にどうして選挙類似のポスターを半年先の講演会のため、過ぎた講演会のために張っておけるのだろう。
名前を売るに充分な選挙活動を続け、電信柱にポスターを張り続けたのが、彼の浪人生活での印象だった。二度目の選挙も果たして一目で金のかかるように見える選挙手法は同じだった。落ち続ける不安は決してない強い闘争的な顔立ちが印象的だった。
見事に当選し、議員活動もまた闘争的だった。どんな時も強い印象はあったが、この国には、クリーンな選挙では決して勝てないことを体で実証してくれた人に私には見えた。そんな彼の政治活動の一部日興からの利益供与として新聞に案内されると、それくらいの額で、彼の政治活動を賄いきれるのだろうかと、憂える気分にもなる。
1998年 2月19日 木 晴 続、利益の付け替え
新井将敬代議士が亡くなったとテレビが伝えている。パシフィックホテル室内で、自ら命を絶ったらしい。
彼が選挙に当選してアピールしたのは、政治浄化だった。その時に話したのは、
「選挙に当選するため、政治活動を行うために、現在の政治システムでは経済的に不可能だ。従って、どんな政治家も違法な行為をせざるを得ないシステムを抜本的に改革しなければならない。」
という内容だった。一年生議員のグループでは、収支の内訳を率先して公表し、議員歳費だけではとても政治活動が出来ないことを私たちに示した。勇気をもって、自分達の過ちを認めたことに、選挙民はエールを送った。
不正とも言える経済活動なしには、誰も活動出来ないと、本人は述べた。不正な経済活動はあるだろうと私達も推測してきた。今の政治献金システム自体、合法的ではあっても、利益供与に限りなく近く、到底、正しいとは感じ得ない。
誰も、過ちを犯す。相手の過ちを、どこまでも、追求するのは、相手に力があり、尊敬されるべき対象だからだ。力の無い者、存在感の無い者、とるに足らない相手に対して、批判する者は無い。批判は期待と表裏にある。過ちを犯した者は過ちを認め、何故犯したかを述べて、私達は学ぶ。罪を犯しても、再出発は出来る。犯した罪を越えて、新たな社会に向かう筈だ。
どんなに苦しい時もどんなに辛い時も決して命を絶ってはならない。
1998年 2月20日 金 雨 プール
航平とプールに出掛ける。チャコちゃんも一緒に付いて見ている。ベビースィミング教室で航平とのひとときはなんとも言えない息抜きになっている。チャコちゃんが出掛けるのを横で見ていた時は、こんな小さいうちから、泳ぎを習う必要はないと正直なところ感じていた。
オリンピック選手に育てたい訳ではなく、筋肉隆々、肉体頑健にさせたい訳でもない。近所の公園に行ったり、しばらくすれば、プールだって一人で行けると思っていた。
頭で考えるのと、行動するのは違った。私もこのところネット依存症候群のようになっていたし、疲労したかもしれない。航平のプールでどれほど助けられているか分からない。
プールがいいのは、航平と身近に遊べることだ。公園も勿論楽しいが、互いの距離は結構離れているし、子供の動きになかなか一緒に付いてはいけない。プールなら、身近にいても、運動量はそれほど変わらない。そばから逃げて行かないし、一緒に遊んでいて、くたびれない。終わった後は互いに運動しているから、自分にも壮快感がある。
事故や感染症などの危険は漠然と不安だったけれど、全くの取り越し苦労だった。銭湯に入るようなもので、なんのことはない。
雨が降っていて、行くまではちょっと億劫だった。サウナに入ってぽかぽかしながら、黄色いレインコートに長靴を履いて、水たまりをびしゃびしゃ蹴飛ばしながら、チャコちゃんも一緒に帰ってきた。
1998年 2月22日 日 晴 長野オリンピック閉幕
長野オリンピックが無事閉幕した。メダル数を見ればよく健闘したと言うべきだろう。勿論一人一人にもドラマがあって、メダルには表れない成果もあっただろう。
閉会式の始まるのを楽しみにして、テレビの前に座って、チャコちゃんと航平も一緒に見た。式は式であって、もともと人に見せるために製作される訳ではないのだろう。面白いも詰まらないも、出席して楽しんでいる選手や役員の方に対して失礼になるのだろうが、開会式と極めて似ていながら、非なるものを見た気持ちになった。
あれだけの数の花火が鳴って、音楽が鳴り響いて、歌い踊れば、式場にいた人はきっと楽しかったに違いないと想像できる。終わった後の選手の顔は興奮さめやらない様で、式としては成功だったのだろう。
救いだったのは、欽ちゃんのパーソナリティで、会場をまとめあげる力は24時間テレビの最後のシーンのようだった。
テレビを見ている私の気持ちは正直なところ、怠惰で、詰まらなかったし、チャコちゃんはまあ無事に終わって良かった、と言う風だった。失敗では無かっただろう。
「似て非なるもの」。極めて開会式と似ているけれど、全く別物だった。
伝統芸能、皇室。子供を中心にした踊りと歌。構成は同じで、両者とも楽しく仕上がったのに、閉会式は感動しない。
シェークスピアのベニスの商人は、当時、大衆演劇として、はやっていた作品をシェークスピアが模倣し、脚本、アレンジした作品だと伝えられている。両者をたまたま、同時に演じる機会がかつてあった。模倣された元の作品は「悪いことをすれば、とこんとん、懲らしめられるし、やっつけられ、いたぶられて、気持ちが清々とし、みんなは幸せだ」という内容だった。ベニスの商人が今日まで残った理由は、同じ、ストーリーでありながら、根底に愛情と涙がはぐくまれている。
渥美清の「男はつらいよ」は山田監督が助監督時代から全く同じスタッフと同じストーリーで別の監督が作成していた。しかし、今はほとんど、前監督の作品を知る人はいない。前監督作品では渥美清は居て貰っては困る性格の人間であって、その破廉恥は誰もがあきれるだけの楽しさにしか過ぎない。同じ俳優と同じストーリーでありながら、山田監督作品には愛情と涙がちりばめられている。
模倣されたベニスの商人も助監督時代の男はつらいよの前作品も、見た当事者はその時には楽しかっただろうし、見た夜は嬉しかったかもしれない。しかし、きっと、すぐに忘れてしまう。見た人はげらげらと笑うだけの楽しさにしか見えない。あげつらうような笑いで、はたで見ても何でそんなに楽しいのか理解が及ばない。
閉会式は、酒宴の笑いを、しらふの者が、冷静に横で見ているような楽しさ。ディスコ、「ジュリアナ東京」で踊って楽しいと叫んでいるのを、横で見ているような笑い。まあ、選手が楽しかったのならば、それ以上は求めるべきではないとはいいながらも、あまりに似て非なるものを見たなと感じた。あくまで、私自身の率直な感想だ。
1998年 2月23日 月 晴 食卓から
こんにちは。今、食卓で、ちゃこちゃんの横でこの文章を書いています。先日、ハードディスクが壊れかかった、古いノートパソコンを膝の上に載せて、オリンピックの総集編がテレビから流れ、食後のお茶を横に置いて書いています。書く場所、環境が変わると内容も変わるでしょうか。
頭の中は同じでも表現される文章はちがうのでしょうか。ふざけて書く文章に見えますか。あなたにたいして失礼にならなければ幸いです。
家族は昨日と変わらぬ今日を迎えています。昨日と変わらぬ今日が幸せなのかは、今この瞬間では理解できません。ただ、横にちゃこちゃんがいるところで、こうしてあなたに話しかけられることがなんとなく不思議な気持ちです。
壊れかけたノートパソコンも新たな楽しみを与えてくれます。
ホームページを作成するのに内容がないからとあきらめる人がいるときに、感じるその通りを文章にしたらどうですかと、薦めます。しかし、こうして、なにをあなたに伝えたいかが思い浮かばないときは困ります。私が生きていること、私自身の現在がこの文章であるとしか伝えられずにいます。
あなたが私の文章を読んでいただくことが私にとってはなんともいえない幸福なことになっています。
どうして、日記を書けるのかと問われて、私にはあなたが読んでくれるからとしか、答えられないでいます。読んでくださるから書ける。そんな体験が、よろこびだからこそ、こうして、書いています。
私自身、もしも、読まれなければ、書かなかったでしょう。書く喜びと楽しさは書いたから、理解しました。
勿論書くのがたいへんだと思うときもあります。それは誰とも話したくないとき、誰にも会いたくないようなときには書かずに休みたくなります。書かずに休むときに頭のどこかにあなたの顔を思いだします。私に対して怒りはしないか、嫌気がささないか、こんなくだらないことを知るために電話代使って見ているんじゃないぞなんて思いませんか。もしも逆の立場なら私は思うかもしれません。
あなたもそうかもしれませんが、私も自分に対して自信がなくなる時があります。そんな時には誰かに頼りたくもなります。自信が無いときも頼れない方が多いし、結局は人は孤独で自分自身でやりとげなければならないと確認することもあります。
私はこうして文章を書いているときに自分を理解します。それはあなたが読んでいただくことで書いているからです。結局私はこうして書きながらいつもあなたを頼りにする作業を継続しているんだと感じてます。いつもあなたに助けを乞う作業をたどるのかもしれません。
あなたへの頼り(便り)を欠いた時は私は自分だけで、もがいているのでしょう。ゆとりがないかもしれません。
横でちゃこちゃんはどうして私にそんな風に頼ってくれないのといった感じに見えます。ちゃこちゃんには、ちゃこちゃんに頼ります。その上にこうしてあなたにも頼るのかもしれません。
短いですが、このくらいにします。あなたの気持ちをたくさん引き留めるのも申し訳ないと感じます。自立しなければならないとする自分が自分を痛めます。
こうして書いた内容をこのまま、あなたにお見せしないで、削除したほうがよいかどうか、今、悩みます。こんな心の動揺や見苦しい文章をあなたに見せるのを恥ずかしく感じます。こんな文章を書く自分はまさに私自身です。
1998年 2月24日 火 雨 生まれた頃
二年前、航平が生まれた頃(1996.3.16)。航平へ、書きたい。
1996年2月13日 晴 1 お雛様お雛様を川崎のチャコちゃんの実家から持ってくる。チャコちゃんが子供のころから飾っていた。もう、40年も前から、チャコちゃんのお母さんがこの時期になると、丁寧に紙をほどき、飾っていたらしい。チャコちゃんのうちも何度か部屋の形が変わった。そのたびにお雛様は違う場所から三姉妹を見続けた。チャコちゃんがままごとで遊んだ三人官女のひしゃくは曲がったまま、今も人形の手に握られている。古い人形で、美しい。
桃の花と菜の花を飾って、後一月あまり。順調に来ているし、チャコちゃんは普通の中の普通の女の子だから、きっと無事に出産を迎えるに違いない。自分のことではないのに、不安な気持ちも大きい。どんなに危険がないと言っても、万が一の不安と、万が一の絶望と幸福とが、交差する瞬間が控えている。危険をチャコちゃんに対して話すことはできない。勿論、チャコちゃんが話しても、危険を、話さないようにしたい。チャコちゃんは不安な気持ちにはならないようだ。怖いのは私だけで、静かに楽しそうに平和に人形を飾り終えている。
ベビー用品をたくさん借りてきた。
1998年 2月26日 木 曇時々雨 2 お腹の張り
1996年2月14日 晴 2 お腹の張り
チャコちゃんはお腹が張りやすいと診察されていて、時々ウテメリンという飲み薬を処方されていた。お腹を触ると柔らかくてふわふわしている時と、堅くてぱんぱんになっている時がある。張っているとは言っても苦しい訳ではないようで、普通に生活している。張っている時には横になって休むように言われているが、元気だし、横になっているのもそれほど楽ではないらしい。
チャコちゃんのお腹に耳をあてると中でごーごーという音がする。私がチャコちゃんのお腹に口を当てて
「おおい、元気かあ」
と大きい声で呼ぶのが習慣になっている。呼ぶと、聞こえるかのようにごろごろと動きだす。よく動く。食事をしている時や、チャコちゃんが笑っているときにはぐるぐると動いて、チャコちゃんはそのたびに、奇声をあげてびっくりしている。お腹を見ると、手か足の形が出っぱって、お腹から飛びだしてくるように見える。活発で、動くたびに笑顔が私達の間に生まれる。半日以上も動かないときには、なんだか、不安になってしまう。順調な毎日だ。
年表示が正月から二ヶ月間、ずっと1997年のままでした。間違いを教えてくれた、おがわゆみこさんありがとうございます。
皆さん、気付いていました?