Index  

98年 1月

山口 正司             


1998年 1月 4日 日 雨      お正月 1998年 1月 5日 月 晴      性格占い 1998年 1月 6日 火 晴      ジャンク品 1998年 1月 7日 水 晴      占い 1998年 1月 8日 木 大雪     二年ぶりの雪 1998年 1月 9日 金 雪解け    豆腐 1998年 1月10日 土 雪解け    同情 1998年 1月11日 日 曇      プール 1998年 1月13日 火 快晴     ビタミン剤 1998年 1月15日 木 大雪     ルール 1998年 1月21日 水 晴      子どもの城 1998年 1月22日 木 晴      すべてか無か 1998年 1月23日 金 晴      回数券 1998年 1月24日 土 晴      絵本のお話会 1998年 1月26日 月 晴      自然な発露 1998年 1月27日 火 晴      薄利多売 1998年 1月28日 水 晴      ハードディスク 1998年 1月29日 木 晴      そのまま使う 1998年 1月30日 金 晴      法の下の平等 1998年 1月31日 土 晴      うま公園

1998年 1月 4日 日 雨      お正月

 正月三が日も過ぎて、ほっと一息。年賀状を貰って、出して、お雑煮、おせちを食べた。人がするようにして、人が休むように休んだ。明日からはまたいつも通りの様子に戻っていくだろう。

 幸い家族揃って新年を何の不自由もなく迎えられた。楽しさも中位かもしれない。ひっそりとした静けさと淋しさから正月の豊かな気持ちは得られるのかもしれない。

 年末の写真集97.12

 今年の年賀状  
 
 
 

1998年 1月 5日 月 晴      性格占い

 チャコちゃんは午前中に、川崎の実家に航平と出掛けて行った。新年の挨拶とお年玉を上げたり、貰ったりして、夕方、いつものように私は自由が丘まで迎えに出た。航平は遊びすぎて、昼寝をしないでいたからか、電車のなかから、家に付いてもずっと眠っていた。

 夕方はカレーライスを作って食べる。きのう食べようと思ったが、一日ずれる。食材を販売する棚もそんな考えの人が多いのか、たくさんカレー素材が並んでいる。

 新年で、どんな一年を過ごすのか、自分も今年の方針を年頭に置きたい。私は頭で考えることだけはしてもなかなか実行できない。もっと積極的に、行動的になれれば嬉しいとは思う。

 インターネット上で教わって、自分の性格を占ってもらった。結果はこんな風だったが、機械のくせになんでこんなに人の性格を分かったような口を訊くんだろう。結構当たっているようにも見える。   
 
 
 

1998年 1月 6日 火 晴      ジャンク品

 私のパソコンはマッキントッシュのPerforma588という形のもので、アップル社が初心者向けに生産した廉価版で、シンガポール製と書いてある。68系と言われるCPUで今より一世代前のものだ。新しいソフトウエアの一部は対応しないこともあるし、スピードも遅い。購入価格は78000円で、新品だった。このホームページの全部はこの機械一つで作られたし、毎日、充分に使った。再インストールも一回しかない。

 マックOSは新しくなったし、新製品が欲しいと始終思う。Performa6420という映像も扱える製品がつい先日までの半額になっている。気になってアップル社に聞いた。すると新OSに移行すると添付されるソフトウェアの全部は基本的に使用できないそうだ。つまりサポートしないし、附属ソフトは旧OS上のCDに入っていて、正規の方式では新OS上にインストール出来ないという返事だった。

 アップルの一般サポートはフリーダイアルではなくなった。繋がりにくいし、忙しそうだ。混乱している様子がわかる。

 新OSは不安定な要素が多いと風評で聞くから、ある程度安定してから、購入するのが望ましいかもしれない。しかし、いつまで、このマシンで、待てるだろうか。

 PCデポという店が近くの馬込に出来た。他のどんな店より高い場合は、その値段まで下げますと広告に出ている。メモリーの16メガの値段を電話で聞いてみた。今は大体3200円は、私の欲しいノンパリSIMM16メガの相場だ。聞くと、7600円らしい。それでは値段を下げるかと聞くと、同じメーカーでなければ駄目だという。メモリーに同じも違うもあるか。

 コンピューターの常識はとんでもないことばかりで、想像をはるかに越えている。「ジャンク品、動作保証せず、返品不可」そんなもの売るな。  
 
 
 

1998年 1月 7日 水 晴      占い

 一昨日の性格占いだが、四人の人は同じ結果が出たらしい。少ない設問で占っても、確率的にそんなに同じ結果が出るのは結果評価数が少ないのかもしれない。

 占いに私は無関心だけれど、問い自体に自分の性格を左右する設問が重なっているから、多少は性格を設問から判断して、設問と違う言葉で話しかけてくれる実用的なプログラムは可能ではないかと期待している。

 元旦に駒留神社に初詣に出掛けたとき、横で子どもがおみくじを引いていた。お母さんが、読んでいる声が聞こえる。
「売り上げ乏しく、利益少なし。得なく、損害多く、繁盛せず」
不景気が反映されている。

 おみくじや星占い、など、夢を売る商品で、夢を楽しむ人は多い。

 人生の指針を占いや神のお告げに託しても、あくまでも、実行するのは本人だ。神のお告げがきっかけとなって、成功した人がいるなら、占いの評価と当たりはずれのは否定できない。

 血液型占い、星座占い、年回り占いなど、ある一つの性格に着目しつづけると誰しも信じがちになるのは想像は出来る。私自身は信じるに足る資料で納得しないと自分を投じることはできない。

 信ずるに足る資料がないと言って、信じて気持ちの上でも救われる人が現実に存在する以上、信じた結果、幸福感にひたる事実を自分は否定できない。信ずるものは救われるはずで、一つの信ずる自由を自分は侵害できない。私のように信じない自由もまた尊重されるはずだ。



1998年 1月 8日 木 大雪     二年ぶりの雪

 昼過ぎから大雪にかわる。昨年は雪が全く降らなかったから、はじめて航平は雪を見る。氷は好きで毎日歯磨きしたあと、こお、こおと言いながらがりがりかじって、布団に入るのに、雪をお盆に載せて見せると、怖がってさわらない。

 少し触ると熱く感じるのかすぐに手を引っ込めてしまう。チャコちゃんが雪だるまを作って見せるうちに段々興味が湧いたのか、あっちからこっちから雪の固まりを眺める。

 外は雷もなり窓から見る景色は一面に銀世界になっている。外の喧騒も聞こえず、時折、チェーンを巻く車の音が聞こえてくる。

 外の景色は幾ら見ても航平は飽きないのか、窓を閉めると、泣いて開けるように懇願する。ガスの排気が白くたなびく先を、降る雪をつかもうと懸命に手を伸ばしている。

 髪を切りに出掛けたのは午前中だったから、生活に何の差し障りもなかった。外に出ると、自動車は横滑りしながら走っている。

 61年に東京に大雪が降って、その時を思い出すように激しく降り続いている。音羽に総理大臣だった鳩山一郎の邸宅があって、門から玄関までが、ゆるやかな坂になっている。

 広すぎる程の邸宅で、近隣の人も通り抜ける、鳩山邸の坂にスキー板を持って、滑り遊んだ。講談社の近くのスキーを楽しんだ坂は今もある。その前年まで長野県の真田城のお堀の坂で竹スキーで遊んだ楽しさが東京でもかなうことが夢のようだった。

 チャコちゃんは雪が沢山つもるのを取って固めては、こんなにあるよと話すが、もっとつもる雪は固まらない。久しぶりの雪は幻想的で美しい。




 写真
雪だるまのはじっこ、なめたら氷と同じだった
 
 




1998年 1月 9日 金 雪解け    豆腐

 朝方、雪かきをする。雪の中は空気が済んで、気持ちがいい。私は子どもの頃小児喘息だったから、出来るスポーツは限られていた。スキーは空気が良くて、得意だった。そんな気持ちを思い出しながら、雪を掻いた。

 終える頃、幾分か経つと、呼吸が苦しい。しばらくすると徐々に苦しくなる。ふっと見ると、雪かき棒の手元の部分にはびっしりとカビが生えている。手を見るとカビが付いている。手を洗ってゆっくりとしていたが、どんどん具合が悪い。

 チャコちゃんに話すと、シャワーを浴びたらと言う。呼吸が苦しいからシャワーなんて、気付いたこともない。今までも、苦しいときに風呂には入らないし、入れない。でもカビなのだから、シャワーを使ったら、15分程するうちにすうっと普段どおりに目の前が明るくなった。

 航平は昼少し前にプールに出掛けた。ヘルメットをかぶって、一時半過ぎに帰ってきた。雪だから、二人しかいなかったらしい。二人の子どもに二人と親と三人のコーチの集いだったらしい。今月から毎週金曜日しか行かないから、休みは逆に少なくなりそうだ。一週間に二回にした12月以前は結局ほとんど休んでしまった。

 雪はとけるのも早くて、スーパーマーケットに行くと、普段よりも沢山の男性で、賑わっていた。ごみ収集がなく、豆腐は棚にならんでなかった。



1998年 1月10日 土 雪解け    同情

 昼頃、チャコちゃんのお父さんが来訪。私の妹が無事に出産したので、お祝いと、新年の挨拶をする。

 春にはじめての海外旅行を中国に向けてするので楽しそう。永い努めも退職になるようだ。

 航平は先週お父さんのところで遊んできたばかりだから、
「じいじいぃ〜」
とにこにこしながらなついている。好きらしい。航平は少し話すようになっているから、大人もかまうには面白い時期だ。芸もするし、しぐさは奇妙だ。

 一昨日、NHKで相撲取り蔵間の人生を放送していた。蔵間は軍人だった父に厳しく育てられて、最期なくなる時まで、
「同情されたくないから。」
と、誰にも骨随性白血病について語らなかった。亡くなる直前まで、笑顔を振りまいて、周囲に気を遣わせなかった。

 誰も蔵間は好きだし、若くして亡くなって悲しい。NHKの報道で
「亡くなるまで、自分の病気を人に話さずに、一人でじっと耐えた」
と賛美したのは悲しかった。

 蔵間は話して欲しかった。厳しい軍人の父に育てられて、寡黙に、耐える力を持って、優秀な成績を力士として残したとしても、同情されたとしても、話して欲しかった。

 「同情されるのは一番嫌いだ。同情されたくない。だから、病気のことは一切話さない。」

 病気になると分かるが、それは誰も同じだ。自分の病気が真実に辛いとき、人には話せない。他人に悟られないのはむしろ、幸せだ。障碍が外部にあれば、嫌でも、同情される。

 同情は集団では、足手まといになる。足手まといの言葉は悲しくて、手足まといと話した人はいた。不健康で差別される恐怖はある。健康を振る舞って一緒に楽しく気持ちを分かち会いたい。

 蔵間は骨随性白血病を心のありのままを話したら、骨髄バンクの設立は更に早かっただろう。ドナーは増えただろう。もしや、蔵間自身も命を回復する可能性はなかったのだろうか。

 ごく親しい友人、掛布とトミーズ雅に打ち明けたと言うが、友人や妻は嫌がる蔵間にどうして説得出来なかったのだろう。同情されるのが嫌だから話さない。同情されない社会は理解する優しい社会だ。



1998年 1月11日 日 曇      プール

 雪の後で、まだ道路は滑る場所もある。公園は雪で遊ぶ場所がない。天気は悪くなるらしい。こんな日に行く場所は少ない。

 出掛けられるのはここくらいかなあ、と話しながら、航平が毎週通っているプールに家族三人で出掛けた。日曜日は航平とチャコちゃんは自由に泳いでよいことになっている。いつもどんな風に泳いでいるのか見たかった。

 プールに入ると、以前よりはずっと慣れていて、シャワーを一人でじっと黙って浴びているのを見ると小さいのにけなげだなあと思う。下を向いてうつむいたままで、微動だにしないで後ろ向きになって直立している。

 プールに入ると、笑っているか、泣いているか、分からない半べそ笑いでばたばた足も動かしている。よく学校でいじめられている子どもがふざけていると思っていたと報道されるけれど、怖い時に子どもって笑うのだろうか。

 笑っていても、目は不安と恐怖におののいて見える。それでも拒絶しなくなったのは進歩だ。

 私が抱くと直ぐに泣いてしまう。プールから上がるとよっぽど嬉しそうだから、きっと相当に無理しているようにも見える。終わるとサウナまで、入って、にこにこしている。こんな赤ん坊がサウナなんて。微笑んでいるのは不思議でならない。やはり、プールが怖かったのだろうか。

 外に出ると、元気はつらつになっている。少しだが、私も500メートルくらい泳いだかもしれない。体がリフレッシュされた。

 航平をプールに通わせている目的って、私の中では、何なんだろう。泳力のアップではない。体の鍛錬でもない。おそらく精一杯に遊ばせたいことが目的かもしれない。公園でも家でもなかなか、息切らせて、遊ぶ時間を得られない。

 プールで泳ぐ時間は航平も精一杯に生きる様子が見てとれる。力を出し切る遊びを親と共有出来る場所として、チャコちゃんも私もプールを求めたのかもしれない。



1998年 1月13日 火 快晴     ビタミン剤

 目の疲れと口内炎もあって、午後、内科医に出掛けて、ビタミン剤の処方箋を貰う。思えば初めてインターネット上にこの日記を書いた頃はこうして航平を風呂に入れる直前、お湯を張る時間に、毎日書いて、出していた。

 時間にすれば、一日およそ10分にも満たないインターネットとの付き合いだった。今は楽しさもあってどんどんと魅力に引き込まれている。目も疲れるはずだ。

 昨日は眼科医で目薬を貰う。目薬を指し、ビタミン剤を飲み、口内炎の軟膏を口を開けて付けたあと、食事中にご飯つぶを落としたのも知らないでいるとチャコちゃんは航平と顔を見合わせて笑っている。

 今日は短めに、この後風呂に入って、そのまま航平と一緒に休もう。



1998年 1月15日 木 大雪     ルール

 成人の日も朝から大雪で首都圏の電車、交通は混乱している。幸いどこにも出掛ける用事はないから、家族で家の中にこもっている。チャコちゃんと航平は外で雪だるまを作っている。炭で目と口を描いた昔と同じ雪だるまだ。雪だるまの目を炭で作れなくなってからもう相当の月日が流れる。雪もないし、炭もなかった。

 夕方、気分転換に外に出る。雪の景色は道路が遠近法で描かれているように狭く感じる。スーパーマーケットの中で大声で怒っている人がいる。最近、店で怒る人は少ないが、私もこのミスターミニットと言う鍵屋には何回か悔しい思いをした。それはこの店独自のルールだ。

 出来上がりを見ながら、その場で待たなければならない。前に客が居れば、前の客が出来上がるのも見て居なければ、合い鍵作成を依頼できない。知っていれば、何ていうことはないが、何度無駄に、この鍵屋を往復したか分からない。理解すれば合理性はある。雪で少しいらいらしているに違いない。

 インターネットの空間でこの文章を読む方は膨大な量の不可思議な、不愉快にも感じるルールを越えてたどってきた人かもしれない。だから、私自身が多少誤解を与えかねない発言をしても、本旨をとらえて、柔軟に解釈して貰えるのかもしれない。

 インターネットが普及し、誰もがアクセス出来れば、今の空間は単に、街中で話すのと似通っていくだろうか。

 インターネットの場でテレビを話したときに、離れた場所に居て、番組を見られない人にとっては、不愉快ではないかと想像した。すると、危惧することはなかったらしい。むしろ、雪の話題一色になることが悲しいと聞いた。はるかに予想もしなかった答えはすぐに理解できた。場所と立場、性別と年齢と、思想を越えて、通じる理解が嬉しくて、私は何らか書くのかもしれない。

1998年 1月21日 水 晴      子どもの城

 向こう隣りの会社の移転で取り壊しをしていて、朝から一日中地震がおきるように揺れている。コンピューターのハードディスクが壊れはしないかと思う程だ。会社からは工事日程について連絡はない。

 チャコちゃんと航平は青山にある、「子どもの城」という施設に出掛けたが、開館するのは昼過ぎ12時半からなので、入館できず、東京都児童会館で遊んで帰ってきた。昼過ぎは昼寝する時間なので、何故午前中開館していないのか電話で聞いてみた。子どもの城は厚生省が建設し、児童手当育成協会が運営している。

 答えは、以前は午前中も開館していたが、誰もこないので、午後からにした。光熱費、アルバイト料などのコストは一時間当たり600万円になるので、10名以上の予約者だけを受け付けている。

 午前中でも午後でも平日は遊んでいる子どもはほとんどいないらしい。役人にしてはコスト感覚が優れている。無駄は省いた方がいい。たまたま、そうとは知らずに、子どもが来れば、隣りの東京都児童会館に案内するらしい。「子どもの城」で採算を無視して、子どもが遊ぶなど、無駄なことで、一時間600万円など、とても支出できない、ということらしい。

 先週から、コンピューターに接続する作業が苦しくなっている。一時の疲れで、直ぐに回復すると思うが、こんな時には、書いていても、悔しいことや、怒りばかりになってしまう。少し休むのがよい。

 地図を見たり、目的地までの経路を調べるのに、なかなか、便利なホームページ。 私はこんな街に住んでいます。



1998年 1月22日 木 晴      すべてか無か

 仕事がコンピューターに関わることで、始終、ディスプレイに向かっていると、思考も次第にデジタル化してしまう。よく、チャコちゃんから指摘されているし、自分でも指摘されて引き戻されることも多い。

 コンピューターでのデジタルな思考では0と1との組み合わせで作業が進んでいくが、その内のどこか一カ所でもとぎれると全体が壊れてしまう場合が多い。だから、思考も「する」か、「止める」か、イエスかノーかの一辺倒になりがちになってしまう。

 しかし、現実の社会ではもっとどろどろとしていて、したいが、出来なかったり、中途半端にしていたり、ずっとあいまいだ。本当はすべきなのだろうが、しなかったりする。後から、考慮すれば、確かに自分がしないと望んだことは正しかった、などと、あいまいが重なり合いながら、毎日を送っている。

 ところが、こと、デジタルな世界に居ると、しない、辞めたと、コンピューター上のファイルを削除すると、その途端に、すべてが消え去ってしまう。
「すべてか無か、それが問題だ。」
というようにどちらに決めなくとも良い物を、どちらかに決めてしまいがちになる。

 今は疲れているから少し休む方向に行くのに、全部を取りやめる必要は全くない。少し、休むのは、少し接続時間が少なくなることだろう。疲れるからと、全部を、その日から、今までしてきた行為を、ばっさりと削除し、否定する必要はない。

 コンピューターはデジタルであっても、私たちは生きている人だ。今まで、慣れ親しんで来た人との関係はこれから先もずっと継続して繋がっていたいし、出来れば、いつまでも継続していたい。だからこそ、疲れているので、休息する時間も持ちたい。私は疲れると言って、その日からホームページを削除することは決してしない。

 あくまで、接続にかかる時間が減少するだけだ。今までどおり、私は皆さんを思いながら、追い続けるし、私も忘れずにいただければ幸いなことだと思っている。



1998年 1月23日 金 晴      回数券

 11時半頃、いつもの通り、チャコちゃんは航平と一緒にプールに出掛けた。帰って来ると、このところ毎週日曜日に、私もプールに連れていった成果か(二回だけだが)、水の中で楽しく過ごせたらしい。

 プールを楽しみの一つにしていて、一番の懸念は健康を害さないだろうかということだ。チャコちゃんに言わせるとそんな風に考えること自体がもう既に神経質になりすぎているらしい。健康のためにプールに出掛けるはずなのに、どうも、赤ん坊にプールは、体に無理があるような気がしてならない。まだ抵抗力が乏しいと感じる。あんまり考えても仕方がないから、楽しい範囲で続ければいいと思っている。

 かたや、自分にとって、水泳というスポーツは、健康のために最も好ましいと感じる。今回のネット病でもいち早く救ってくれたのは水泳だったし、多少具合が悪いときも泳げばすっきりとしてくる。

 スポーツはおおむねなんでも嫌いではないけれど、とりかかる前に、上手な人がどれ程美しいかに、魅力の度合いがかかっている。どんなスポーツも、はじめるとうまい人は美しい。しかし、はじめる前から、水泳が上手な人は他のどのスポーツよりも健康的で、美しく見えた。

 贅肉がとれて、引き締まった体と、老年者の張りのある笑顔がなんといっても魅力的で、このスポーツは生涯楽しめるに違いないと、つなややかな声は伝えてきた。

 航平が入れるプールが会員制スポーツクラブしかないから、私自身もはじめて利用した。今までは公共施設でしか、泳いだことがなかった。

 公共プールで、冬の寒い日に泳いで帰ってくる気持ちはいつも映画のロッキーの主人公になったような気持ちだった。寂しさと気持ちの良さとが同居していた。私は会員制のスポーツクラブの価値など認めなかった。充分だったからだ。

 しかし、スポーツクラブのちょっとした笑顔や、会話はストレスが多い社会では価値があるかもしれない。回数券を購入したので、再び、少し、航平と一緒に楽しんでみよう。



1998年 1月24日 土 晴      絵本のお話会

 毎月絵本のお話の会が開かれて、チャコちゃんは予約して、楽しみに出掛けている。今回は私も一緒に行った。11時から始まった会には15組程の親子が絵本を囲んで、話しを聞く。2才から6才までが対象で、それぞれが思い思いにうなずきながら、話しを聞き入っていた。30分の短い時間なのに、充実して終わった。絵本ショップなので、チャコちゃんは気に入ったものを一つ購入していた。

 私にとっては子どもたちが揃って話しを聞いている中で、航平が一緒に、ちょこりんと座っているのが、なんとも言えず、不思議だった。遠いところから見ていたが、話しの内容も、航平には全部を理解出来ないだろうに、他の年長の子どもと一緒に、分かった様な顔をして座っていると、きっと、順調に成長するだろうという安心感が、理由もないのに、自然と、感じられた。

 奥を見ると、マックの最新システムが揃っている。見せて貰うと、中には、美しいイラストが出来上がっていた。コンピューターの操作は自分も出来るが、それほどに、目を引くイラストは、とても、出来ない。美しさに、感動した。(大田区南久が原2-16-16、ティール・グリーン、03-5482-7871)

 午後、産まれたばかりの甥を訪ねた。ハンサムな顔立ちで、すやすやとやすんでいた。つい、この間まで、航平がたどった寝姿だ。見ている航平の様子は、もしも兄になるなら、これから見せる様子だろうか。産まれたばかりはこんなに小さかった。



1998年 1月26日 月 晴      自然な発露

 先日、ちょっとした記述をネット上で目にした瞬間に、気分が悪くなり、心臓の動悸が早くなり、不安感におそわれることがあった。書かれた内容は自然な発露からくる、合理的な記述で、悪意がある訳ではない。敢えて詳しくは記せないが、文章に原因がある訳ではない。

 自分自身で、原因を突き詰めて考える程に自分が自分で居られなくなるような状況に陥ってしまった。

 結局、落ち着いて、分かったのはインターネットに過剰に依存したのが原因だったと思った。

 夫婦間であっても互いに依存しすぎれば、重荷になる。互いは見つめあうのでなく、同じ方向をながめていないと、苦しくなる。

 インターネットでの情報の受発信は、してみて分かったが、エキサイティングで、興奮はさめやらないばかりか、引き込まれていきがちになる。

 引き込まれる程に依存しすぎて、体全体が反発したのだろう。少し離れて、振り返ることが出来る。  



1998年 1月27日 火 晴      薄利多売

 私は自分で商品を企画して、自分で発注し、自分で販売し、自分で利益を得る。その過程で、いつでも、考えてしまうことがある。それは、利益を得すぎてはいけないのではないかということだ。

 なんか変なことを話しているようだが、いつでも頭をよぎる。利益を確保することが悪いことであるように思えて仕方がない。商売はどろぼうのはじまりと言うが、どうも利潤を得ることが、悪いことだと感じてしまう。利潤が上がるということはどこかで、誰かから利益を奪っているのではないかと感じてしまう。

 利益が上がるなら、売価を下げて、もっと安く販売して消費者の利益を確保しなければならない。更に利益が上がるなら、もっと、発注価格を上げて、外注先の利益を確保するべきだ。自分の利益が上がることは消費者や発注者の利益を私がかすめとっているのではないだろうかと感じてしまう。

 商売繁盛している人はそんな風に考えないことはよく知っている。確かに、薄利多売で沢山働き、お客も自分も喜ぶ中に利潤が産まれると考えるべきだ。

 しかし、自分は利益を得てはいけないように、心の底の部分で思っているのかもしれない。だから、貧しい、最低の利益で何とかやっていけることが、自分にとっては最も心地よい毎日になるような気持ちがある。私は最低の利潤で、最小限のライフスタイルで毎日が幸せなら、無駄に資源を使うことも少ないし、誰からも文句は言われない。ただ、しいて言えば、消費者が求める商品がなかなか出てこないかもしれない。しかし、大切な資源を無駄に使うこともないし、他の人とも、仕事を分かちあう方が、よっぽど、それぞれ、互いに楽しいと、感じてしまう。

 いや、勿論、大多数の人の考えは沢山稼いで、どっさり使うのが好みなことも良く分かっている。自分だって湯水のごとく浪費をしてみたい。してみたいなあ。

 私が消費について貧しいのは怠け者の言い訳だが、心の底に利潤を拒絶する考えがある。お金は悪いことをした成果の結晶であるように深いところで感じてしまう。お金自体を嫌っていては利潤の追求はできない。



1998年 1月28日 水 晴      ハードディスク

 郵便局から貰える新郵便番号テキストファイルから、クラリスワークスを使用して郵便番号データベースを作ってみた。クラリスワークスは簡単にデータベースが作成出来るのが重宝だ。

 オフィス用ではないからか、3万件以上になると読み込めなくなってしまうので、全国6ブロック別になってしまったが、地名データベースとしては便利に出来上がった。ウィンドウズ用にはATOK用に辞書ファイルをダウンロードして使用している。

 古いノートパソコンで、NECのPC9801NS/Rというのがあって、チャコちゃんはこれでメールの文章を一太郎で書いている。チャコちゃんは一太郎4.3だけは使用できるので、ほとんど、チャコちゃんの専用機になっている。

 居間に置いてあるので、新郵便番号データベースをMSDOSでも作成しようとすると、突然、ハードディスクがガリガリ言うばかりで動かなくなってしまった。リセットしても、閉じてもオフにならずに動き続けている。ハードディスクがこわれてしまった。

 もう、随分使ったから、寿命だろうと思ったが、ハードディスクを出して、たたいて見ると、治ってしまった。しばらくすると再び壊れた。たたくとまた治った。それからは壊れていない。

 チャコちゃんはこの機械が無くなると、今までの自分のパソコンで積み上げた知識がゼロになってしまうと言う。しかし、いつ壊れるとも限らないパソコンというのも不安だから、ハードディスクを購入しようと電話で問い合わせてみた。120メガのハードディスクだけれど、それ以上あっても勿論かまわない。

 店に詳しく聞くと、中古部品をあたるか、新品はNECにしかないらしい。私が直接NECに聞いてみると、女性は

「ございます。120メガですとお値段は15万円になります。」

「但し、この商品の場合、保障とお取り付けはいたしません。お客様が取り付けの上、作動しない場合でも、お取り替え、無償修理はできません。」

 私は「但し」という言葉の使い方は違うように感じた。

 ソフマップの買い取りセンターに問い合わせると、全部買い取りの場合、2万円で引き取るそうだ。中古ハードディスクは8千円で販売している。

 今なら、全部が異常なく動いているが、買い取って貰うのは、不正義だろうか。不正義を考えると中古のハードディスクの購入はためらう。

 しばらくこのまま使用して、壊れたら、フロッピーだけで、使用するか、その時点で中古部品の購入を検討するか、もしもあなたならどんな選択をしますか。教えていただければ幸いです。



1998年 1月29日 木 晴      そのまま使う

 昨日は壊れたハードディスクで皆さんの意見を伺えてありがとうございました。それから、メールでも貴重なアドバイスを戴きました。

 内訳は

 売却して、ディズニーランドに行く   3人
           そのまま使う   1人
       売却して、買い換える   6人
          売却して、待つ   0人
      売却しないで買い換える   7人
       事情を話して売却する   0人
              その他   1人

 でした。

 チャコちゃんに話してみると、ディズニーランドは売却しなくても、行かなければダメよと話してました。具体的に売却金を携えてディズニーランドに家族で出掛ける姿を想像しました。楽しいような、そんな風に生活出来れば、きっと平和そうだなあと感じました。

 ところで、回答を見てみると、皆さんの普段から知りうる様子と整合性があって、やっぱりそう答えるだろうなあと思いました。

 意外だったのは売却しないで買い換えるが最も多かったことです。私が想像していたのは売却して買い換えるでした。売却しないで買い換えるのは楽で両者の利をとったところで、実際的な考えだと思います。売却は結構な面倒な仕事です。大事に使った機械をじろじろ見られて、現実に期待どおりにいく保障もありません。

 メールで戴いた他の意見としては、中野さんは、私と全く同じ経験をされて、そのまま使うことを薦めました。山口佳彦さんは中古ハードディスクもそれほど悪くはないし、他にも貴重なアドバイスを戴きました。遠藤泰広さんからはジップを購入という発想の転換と、各種アドバイスを戴きました。なるほどと驚きました。

 さて、それで、私はどうするのだろうとチャコちゃんと夕食前に話してました。生活していくとこんな意思決定を左右する問題が数多くあります。不思議だったのは、初めに、ハードディスクが壊れた時には、がっかりしたのが、こうして、皆さんからアドバイスを戴いたり、チャコちゃんと話していくうちに、段々と気持ちが変化したことです。

 最初にがっかりとした思いが変化しました。売却を少なくとも義務だと、初めに、私はとらえていたことにも気づきました。変な考えですが、使わないものを使わないままにしておくことは機械に対して申し訳ないと考えていました。そんなにぎくしゃく考える必要はありませんでした。

 何らか、問題があると時間も結構解決してくれることにも気づきました。問題が発生した時にはどうすべきか、どうしなければならないかで、頭が一杯でした。しばらくすると心の中の本当の自分が求める方向に自然と向きました。

 今は新しい機械が必要なら買おう。古い機械は、不要なら売却も出来る。ハードディスクの売却価格は千円でした。ハードディスクを外して売却すれば、迷惑にはならないようです。

 と、考えていると、私が実際に決めた方策はしばらく「そのまま使う」で、その後、「売却して、買い換える」か、「売却しないで、買い換える」の何れかを、購入したい時に選択するのでしょう。購入するときのオプションになります。売却は購入の前後にこだわる必要はありませんでした。  こうして考えてみると、経験者の中野さんと同じでしたし、見方を変えれば、他の大多数の方とも同じでした。

 意見が分かれているように見えても実際には皆さん同じことを話しているように感じました。

 他の方の意見を伺って、その方の意見と一致しない行動を自分が採った時であっても、決める上で、とても参考になります。

 だから他人に対しても、自分ならこうする、ああすると、逆に、ちょっかいを出してしまうこともあります。



1998年 1月30日 金 晴      法の下の平等

 大蔵官僚が接待を受けたとして、検察庁から摘発され、次官、大臣の辞任に発展している。私達庶民から見ると、あきれた話しだが、どうも不思議な点も多い。

 官僚が接待を受けるのは昔からの話しで、赤坂を夜歩けば、誰もが分かる公然としてきた事柄だ。

 官僚を多数輩出している大学出身の友人に、昔
「あれは贈賄ではないか。」
と話すと、
「日本は世界でも数少ない平等社会を築き上げている。あの官僚達が、競争社会の米国のような体制の元で個人の利潤を追求した場合の不平等を想像すれば、夕食位の接待を受けたところで問題はない。」
 と話した。変な理屈だが、私は妙に納得した。官僚の日本的な手法であって、それで、経済は発展し、人々も豊かになれば、良い。身近に見ても、官僚は夜遅くまで、薄給でよく仕事をしている。確かに天下るが、全体として見ると、不平等感よりも、許せる心情もなくはない。

 そんな当たり前に公然としてきた接待が、突然に、大問題になって、騒がれる。今回大問題なのは、どうして、検察庁が、ここにきて、接待を厳しく取り締まることにしたのかだ。

 何故取り締まろうと決めたのだろう。

 日本での法律の執行は不思議で、悪いと決めて、目の前で違反が行われても直ぐには取り締まらない。身近な例では駐車違反だ。全然取り締まらない。

 ところが、時として、取り締まる。取り締まる時には法律を盾にして、決して引かない。今回の長野オリンピックの滑走コースの問題もそうだった。法律がそうだからと、引かない時には決して引かない。

 憲法には、私達は法の下に平等であることが定められている。現実上、生活の格差と言う点では世界でもまれにみる程の平等社会が築かれているものの、法律の執行と言う点では全く平等に執行されていない。

 よく、駐車違反で捕まると、
「あっちでも停まっているのに、何故自分の車だけが。」
と主張しても、警察は
「人のことはいいの、あなたが駐車したかどうかです。」
と、言われれば、それ以上の抗弁はなかなか出来ない。

 私ははっきりと主張したいのは、検察と警察は、法律執行の上で法の下の平等に違反し続けている。つまり、不作為によって、憲法違反を放置し続けている。

 個別の法規では確かに「人のことはいいの」と軽くやり過ごされてしまうけれど、警察、検察の現在の手法は誰が見ても法の下の不平等を放置し続けている。

 あんまり、堅苦しく杓子定規に法律、法律と取り締まっていたら、大変だから、この位の方がいいだろうと思うのは、全く間違いだ。法の下の平等に反すれば、検察、警察の権力が一層強くなる。

 今回の大蔵官僚逮捕で国の金融行政は変わるだろう。そのきっかけを検察が作ったとすれば、今まで、取り締まらないことで、検察庁の権力を保持したからだ。つまり今回、際だったのは、検察権力の強さだ。

 勿論、接待はあるまじき、行為だ。それ以上に、憲法上保障された法の下の平等に支えられた社会に私は生活したい。杓子定規が明文化されている社会の方が生活するには楽だ。



1998年 1月31日 土 晴      うま公園

 昼から駒沢公園の中にある「うま公園」に家族で出掛けて遊んだ。小さい塀の上を端から端まで平均台を伝うようにして歩いて遊ぶのが航平は大好きだ。

 駒沢公園には「ぶた公園」、「りす公園」と「うま公園」がある。他も全部が公園だからどこで遊んでも良いが、三つの中ではぶた公園が一番人気があるように見える。人がたくさん遊んでいるように見える。

 前は駒沢公園に出掛ける時にはぶた公園でよく遊んだ。たくさんの子どもの中に居ると友人とも出会ったり、楽しい思いでが一杯詰まっている。ぶた公園ばかりに出掛けていた頃にはうま公園は人が少なくて暗い感じに見えた。

 公園にも方角があって、鬼門のようになんとなくうま公園は方角が悪くて、じめじめしているような感じがした。チャコちゃんの心の中にもそんな感じがあった。

 ぶた公園は陽がさんさんと照って明るくて、誰にも好かれる公園に見えた。

 最近、航平がうま公園の塀つたい歩き遊びに興味を持ってからは、以前よりもうま公園で楽しい時を過ごしている。楽しい気分をうま公園に居ると、暗いイメージは静かな落ち着いた雰囲気に見える。かつて華やいで見えたぶた公園は喧騒な雰囲気にも感じる。

 人にはそれぞれ好き嫌いがあるが、立場が変わると自分の考えも変化する。頭が柔らかい子どもの助けがあった。


Index