山口 正司
1997年12月 1日 月 雨 肥料雨が降る月曜日。ただでさえ、月曜日は憂鬱なのに雨が降りしきる。それでも休日を家族で平和に生活しているから落ち着いて迎えられる。チャコちゃんも友人と少しばかり間をおいて会ったから、なんとなく気持ちが晴れているように見える。
購入してきた花の液肥を撒くのに説明を見ると、キャップ10ccに対して10リットルの水に溶かすと書いてある。チャコちゃんに、
「それじゃ、じょうろにキャップ一杯入れればいいのかな。」
と話してみるが、どんなに見ても10リットルには見えない。牛乳パックに水を入れて計ってみると1.5リットルしかない。キャップ一杯の十分の一なんてどうやって入れるんだろう。それを一週間に一度ずつ撒くらしい。肥料って本当に少しでいいんだ。大体私は肥料をやりすぎて駄目にするタイプだ。金魚の餌もやりすぎる。自分はずっとやせぎすで太れなかったが、かつては今よりもずっと食べていた。今の食事は随分少ない。少なくて美味しいくらいがちょうど良いと知ったのは最近のことだ。それまでは栄養も量も十二分以上にとっていた。とりすぎが原因で痩せていたのかもしれない。
航平の育て方もチャコちゃんなしではとても自信がない。自分ではかまいすぎてしまうかもしれない。自分はライオンや猫のように相手を振り回すタイプかもしれない。猫がネズミを右に左に追って弱らしていくように、相手を右に左にふっては参らせてしまうことがある。
チャコちゃんと私の相性がいいのはチャコちゃんが決して私に振り回されないことだ。私がどれほどにインターネットが楽しいと説いても、チャコちゃんは決して乗らない。私がどれほど何と言おうと動じないし、どれほど、文句を言おうと、動かない。
私は文句を言い続けるうち、次第に、もしかすると自分が間違っているかもしれないと思い直すことも多々ある。動じないことで、無言で、教えて貰ったことは数え切れない。
もしも、チャコちゃんが従順で私の言うことを何でも聞くタイプだったら、とっくのとうに、こんな、口うるさい人には付いて行けないと思って、離れて行くかもしれない。
私が何と言おうとも、我が道を行くところは、私がチャコちゃんを好きなところでもあるし、気に食わなくて喧嘩の発端になることもある。
ケーキを渋谷で買って帰った。チョコレート色のと白いのとを一つずつ。
「どちらでも好きな方をとっていいよ。」
とすすめるとチャコちゃんはチョコレートの方をとった。風呂に入って、航平にうがいを覚えて貰うために、カップを持たせた。
湯船につかりながら、水をカップに入れて、私が口に含み、ぐるぐるとすすいでぱっと吐き出す。見ては、けらけらと笑っている。
航平の口にカップをあてると美味しそうに水を飲んでしまう。再び、私にカップを戻してうがいをせかす。
湯船につかったまま、うがいをして、浴槽の外に再び、水を吐きだす。口から水を吐き出すのを見るのは、初めてなのだろうか。おかしくてたまらない様子だ。
水を吐き出せとカップを私に押しつける。ぱっと水を口から出すと、さらに笑う。
「やってみなさい。」と私がカップを渡すとまた水を飲んでいる。
航平は沢山水を飲んでは笑っている。私は何度もうがいをし続けた。
チャコちゃんは浴室の外で
「うがいするの覚えた?」
と尋ねている。うがいを教えたいのはチャコちゃんだ。カップには猿の絵が書かれて、航平はしきりと猿を指し示す。私は、
「それは猿だよ。」
と答える。うがいを教えると言ったって、どうやれば、この人、真似するのだろう。時がくれば覚えると思う。航平を洗い終えてから、一つ残ったカップを片づけた。
寝不足の日は何となく怒りっぽかったり、気持ちが落ち込んだり、悲観的な気持ちになるが、楽しかったり、嬉しかったりする気持ちも大きくなる。感情の振幅が大きくなる。
書いていて、意味がとれない。睡眠不足の仕事はこんなことだ。早めに休む方がいい。
電話が置かれている台はガラス扉になって、中にカメラと、長さが10センチ程のミニ三脚が置かれている。薬も入っているので航平にはなるべく扉を触らせないようにしている。
いったんおもちゃをつかむとなかなか手離さない。しばらく握りしめてどこに行くにも三脚を持っている。カメラに付ける方はとがったネジになって危険もあるから一緒に付いてしばらく遊んだ。
カーテンの後ろにも無い。テーブルの上にもないし、台所にもないし、幾ら探してもどこにもない。しばらくするとどこかから出てくるよと言ってあきらめた。しかし、不思議だ。
午後も三時頃になって一日が煮詰まりそうになって外出した。航平の昼寝が一時から三時くらいだが、三時になっても昼寝をしない。昼寝をさせたいと思うので丁度日が高い時間に昼寝に付き合うことになる。
昼寝をしないからこのままでは、天気の良い一日閉じこもりになってしまう。年賀状用に撮ろうと話していた家族三人の写真はまだ撮れないし明日も雨だ。
暮れはなんとなく気ぜわしい。しなければならないことがあるからだ。でもしなければならないことって何だろう。
年賀状を書く。大掃除をする。クリスマスの飾りつけをする。床屋に行く。正月の支度をする。おせちを作る。などだろうか。一年のクライマックスでそれこそ第九のような月だ。
追われてばかりいたから嫌だった季節行事も最近ではなんとか楽しむ工夫か、あるいは、力の抜き所を身につけたい。何も私を苦しめるためにクリスマスがあるわけではない。
誰も煮て食いはしないはずだ。クルシミマスと言う人もいるが、子供たちだけに暮れと正月の楽しみを独占されないようにしよう。
結局三時頃になって外に出ると、もう街は暮れの景色で彩られている。クリスマスリースに電飾ツリーがあちらこちらに立って、赤と緑と白と金のクリスマスカラーが溢れている。
何にもしなくてもいいからとにかく出ようと、ぶらぶらするうちに、銀座に出たが、人の並はいつもの何倍もある。デパートに入ると航平は大きな声でダイエー、ダイエーと叫び続けている。
先日のサッカーの対イラン戦での相手フォワード選手のダエイを大声で呼ぶうちに覚えてそれ以来、時々ダイエー漬けになってしまうが、ここはデパートだ。
街を眺めただけだが、眺めるだけで、家族の機嫌が直る。家族一緒で良かったと感じるのは今日のようにだらだらとしていても、何らか楽しめる日だ。
暮れになるとあちらこちらを掃除したい気持ちになる。冷蔵庫の後ろがほこりだらけだとチャコちゃんが話すので、移動して綺麗にした。
電気代金は予想どおりがくっと減った。新しいものは一月分が1000円くらいにしかならない。
東京電力や、メータ、計測機械メーカーに問い合わせると、どこにも無いと言う。 それでチャコちゃんに話して考えた。どこにもないなら自分で作って販売しようと。
私はその時点で、結局メータを製品にするのはあきらめた。自分が先に出願していたら、そんなメータが今頃どこかの街角で売られていたかもしれない。
人権思想っていうのは赤ん坊の仕草が尊重される社会の仕組みなんだろうか。自分ではしたいことをせずに、しなければならないことをどれだけ出来るかが、大切だと学んだ気がする。
世間に怖いと感じることはなかった。どんな社会、どんな人、どんな環境でも、自分は入って行けると信じていたかもしれない。それが今は怖くてたまらない自分に変化している。
自分の体と自分が自分だけで処しきれない自分に変化している。分別とは臆病を言うのだろうか。何らか理想の主張は自分を守る手段だろうか。
自分は本来の美しい、純粋な人としての感性が失われつつあるのだろうか。失われるとすれば、果たして取り戻せるだろうか。
革命や戦士に家族はいらない。理想に家族はいらない。仕事と家庭との峻別といった言葉や社会が、理想と自分の狭間で自分を悩ませ、苦しめる。普通でいい、自分が自分でありさえすれば、と、家族は私に伝える。
年賀状用に撮影しようと試みても延び延びになっていたが、先週撮った中から三人写っているものを選んで一昨日依頼した。三人同時によく写っているなんてなかなか撮れない。
考えていても仕方がないので、一つ選んだ。ところが昨日たまたま店に行くと、忙しいので出来上がりが29日になってしまうらしい。電話してネガを今日返して貰った。
それで、別の店に依頼したが、その間、自分で同じような写真年賀状を試みた。プリンターはインクジェットの旧世代のもので、写真も印刷することが可能というたぐいだから、期待はしなかった。
官製年賀状だが、コート紙タイプで、ワープロ用に作られている紙に印刷したところ、結構綺麗に出来た。これなら、使えると思う。手作りの良さはあるものの、コストと手間の面で外注品にかなわない。
ボツになるのは、残念だけれど、仕方ない。簡単に印刷されているように見える年賀状もそれと決まるまでには色々と曲折がある。
途中動物園のぶたを見せると、「こわぃ、こわぃ」と言って泣き出して、そのまま、バギーに乗って、眠ってしまった。
もうクリスマスなんだねえと言いながら、忘年会でも、チャコちゃんとデートでも、よく訪れた場所なのに、航平と一緒に来るのははじめてだ。
チャコちゃんは昼、児童館のクリスマスパーティに出掛けて、カレーを作って食べてきた。じゃがいも一つとにんじん一本とごはんを茶碗に一杯分持っていって、航平が全部平らげて自分は食べられなかったそうだ。
他の人と同じように沢山ごはんを持っていけば良かったが、航平一人でそれほどに食べるとは思わなかったらしい。家に帰ってから私と二人で冷凍になったカレーを温め直して食べた。
手短に言えば回線をISDNに変更した結果、繋がるのに時間を要さないので、モルモットが餌を頻繁に食べるように、接続しがちになっている。
だからチャコちゃんが選ぶ洋服もおもちゃも靴も花もある程度似通ったセンスになっている。安心感があるし、何より飽きがこないでよく使っている。私は何かを選ぶ時には良い物が良いと考えてしまいがちだった。
花の中からその時々豊富にあるものの中から、チャコちゃんにとって、一番好きな花を選んでくる。他の誰が何と言っても好きなものは好きなのであって、譲れないようだ。
手に入れば楽しい自分を想像しながら、自分の欲しい物を手に入れる喜びはお金で買ってもお金では得られない。いったん手にすると愛着を持てるし、飽きもこない。決断も想像力が大切らしい。
電鉄会社の東急が反対方向の旅客を増やすために無償で譲り渡した敷地だそうだが、その恩恵で今の私達家族があるかもしれない。
写真 正面から航平を抱っこして歩いてくるチャコちゃん。自由が丘ロータリーまで迎えに
午前十時頃から、下痢、嘔吐、腹痛で家族全員ダウン。午後に小児科医に行くと、はやりの風邪の診断。揃って早く休む。
風邪は大分回復して体は動くようになった。食事はおかゆと消化のよいものを少しずつ戴く。航平にはりんごをすりおろして与える。夕食はおかゆ。熱は下がる。
建ってからそれほど経たないビルが壊されてほとんど更地になっている。ビルはまだ使えても壊すのを止めることは出来ない。個人の頭では捨てられなくとも、利益にかなわなければ、廃材としてトラックに詰まれる。
会社は商業地に建つが、通路部分は住居専用地域になっている。住居専用地域が専用に使用できなかった不自由だろう。住居専用という当たり前のことが、当たり前に執行されなかった。
新しい土地はマンションが建つらしい。どんな風に変わるのだろう。
年賀状を休み休み書いていて、まだ、これから、チャコちゃんと一緒にコメントを楽しみに綴る。明日出せるかどうか。
クリスマスイブの日。チャコちゃんはケーキを作って、ワインを開けて、乾杯。風邪も治ったし、すっかり元気になって、一つ一つ、訪れる行事を楽しまなくっちゃ。
御用納めの日。夕方に床屋で髪を刈る。普段ほとんど待たないのに、この日ばかりは一時間近く待った。待ってもいつもと同様にきちんと刈ってくれるから終わるとさっぱりする。
チャコちゃんに言わせると来週一週間は一年で一番忙しい日らしい。28日から1月4日までだが、普段なら何でもなく通り過ぎる7日間なのにこと正月と言うだけで、変わってしまう。
学生時代の期末試験のように、すべきことが、期日限定で押し寄せる一週間だ。楽しいのだろうか。楽しいかどうかは分からないが、行事の流れに抵抗するのが苦しいことは想像が付く。
元旦から車にワックスをかけて、障子の張り替えをすれば、この国では迫害を受けるかもしれない。すると、やはり、自分は無宗教なようであっても、なんらか、強固な、思想に繰られているらしい。
夕方うちに戻っても自転車で買い物に出た。やつがしらに肉、お茶に魚を篭につめて戻った。
少しばかりは材料も高級な素材でいいよねと私もチャコちゃんも互いに話すが、実際に手に入れた食材は普通でありふれたものだ。
黒豆を煮ている間、テレビドラマを録画して、夜12時頃からチャコちゃんと一緒についつい最後まで見てしまった。
「校長がかわれば学校が変わる」、主演の加藤剛は出身高校(小石川高校)の同窓なんだとチャコちゃんに話しながら、見始めたものの、現実の高校の困難の有りようと愛情に包まれた感動的なドラマだった。
午後一時頃甥の智君から電話があって、男の子が無事に誕生したという報告を受けた。智君によると夜中の一時だったそうだ。年は大分離れているけれど、どんな兄弟になるか楽しみだ。