山口 正司
1997年1月1日 水 晴 元旦の初詣
穏やかな晴れた気持ちの良い日だ。正月も迎えるまでは大変な気もするがいざ元旦になると、かつての楽しい思い出や今年の抱負ですがすがしい気持ちになれる。
朝一番に年賀状を見るのも楽しいことだ。チャコちゃんと二人であれやこれや言いながら何回も見る。今年は航平の出産でチャコちゃんの友達からの賀状が増えた。
子供の写真が入っている年賀状は多い。うちもそうだが子供が出来ると躁状態になるのだろうか。変化が躁状態を招くのだろうか。誕生自体が嬉しい事柄なのだろうか。
ゆっくり見た後、賀状を何枚か書いて近くの駒留八幡神社にバギーを押して初詣に出かけてみた。小さい神社だがまずまずの人手で近所の人に挨拶を交わす姿があちこちで見られた。
少し行列していざ詣る時に航平の帽子のゴムが目にひっかかって泣き出してしまった。回りは今年の願いをこめているさなかで恥ずかしい。
チャコちゃんに早く出ようと袖を引っ張ったがチャコちゃんは目を閉じて願っていて動かない。正月の願いくらいゆっくりさせてくれ、とたしなめられた。
私は子供の頃から神様に祈ってうまくいった試しはないのでどうも拝むのは苦手だ。疑っているかもしれない。
それでも何となくいい気持ちにもなって、おみくじは末吉だった。年の瀬にチャコちゃんか私が、鍵が入った小銭入れをなくしたが、失せものは出がたしだった。
住所は小銭入れからは分からないけれど、チャコちゃんは不安だと言って玄関のドアに一輪車を立てかけている。どろぼうが入ってきても倒れて音がして直ぐに分かるからだそうだ。私自身は何でもないのに倒れてびっくりすることが心配だ。
帰りに昼食をデニーズで取ってマルエツに見学がてらに寄ってみた。レジは行列が出来る程に賑わっている。書店も子供たちの他大人も随分多かった。
今年も家族みんなが幸せでありますように。
この日記を書こうとして、今マックを立ち上げると、「新年明けましておめでとう」と画面に出て来た。マックを使う人には正月のお馴染みの出来事だが私は何故かそれを見ると涙が出てくるようだ。
何年か前に初めてマックを手にした秋に、世の中にこんなに進んだOSがあることにあらためてびっくりしていた。
言葉で話せば陳腐なことばかりで一つ一つを説明出来ないことが残念だがその素晴らしさは誰もが良く知っているとおりだ。
その年の正月は辛いことが多くて自分も参っていた。何もすることがなくて一人、暗い部屋にテレビとコンピューターとに向かうぐらいだった。
そんな正月にマックを立ち上げると新年あけましておめでとうと突然画面に表示された。その瞬間のはっとした嬉しさが今立ち上げた瞬間の表示からよみがえってくる。
コンピューターを使って一つ一つ仕事をしているとコンピューター自体が擬人化されて一つの人格を感じてくる。昔使ったオフィス用のコンピューターからポケットコンピューターまでのそれぞれが血が通ったように見えるが、マックは良く気が付くやつだなあと思ってしまう。
新年で親戚みんなでひいおばあちゃんの所に集まった。いとこやおじさんおばさんと大勢が集って、賑やかな一日だった。
航平はみんなに盛んにかわいがられた。少しだけ年上の美香ちゃんと二人で今まで見たこともないほどによく笑っていた。
親戚のみんなは良くしゃべる。私はコンピューターで書くことはできるがここの所大勢の人と会話していない。話そうとしても入れなかったり、まざろうとして
「あわわわわわ。」
となった。帰ってからチャコちゃんは
「漫才のだいすけ、はなこのだいすけみたいだった。」
と指摘していた。
天気のいい暖かな中、家族で銀座に出た。前に来たときに銀座は子供に優しいように感じた。
ファミリアに立ち寄って初売りの様子を見たり、木村屋のあんぱんを買ったが車の数と人の数は恐ろしく多くて、着物姿は少ないように見受けた。門松はとがっているタイプよりも丸いタイプが多いように感じた。
すえひろの本店に行くとビルは随分綺麗になっていた。聞くと改装だったそうだ。新築したとばかり思っていたから改装技術の進歩に驚いた。新築以上に改装は困難なこともあるだろうが盛んに改装なんですと話す姿にはやはり誇らしいことなのだろうと感じる。
入るとかつての庶民的な風情とは違って、値段こそそのままだが、雰囲気は美しく変わっていた。航平は私のズボンからはずされたベルトで子供用の椅子にくくり付けられてお子さまランチを八分程平らげた。
チャコちゃんのお父さんの所に新年の挨拶に家族で出かけた。中原街道から元住吉の関東労災病院を通って行くが三年ぶりのことで所々に随分と新しい建物が建っている。
尻手黒川線をしばらく走ると小倉という所にお義父さんの家はある。遠くには大きいマンションやビルディングが幾つか建って中野あたりから新宿の高層ビル群を見渡す光景にも似ている。
寺に行って亡くなったお義母さんの所に初めてお線香を手向けた。家の近くに着くと浩子さんは表に出ていて待ちかねたようにお義父さんも出てきた。駿ちゃんやミーちゃんは元気で近所の子供と家の前の道路で遊んでいた。この家には15年も前から来るが玄関のサルスベリの木などの様子は何時も変わらない。
昨年暮れに改装工事を済ませたので、家の回りで変わった所をお義父さんが案内して見せてくれた。航平が遊ぶのに駿ちゃんのおもちゃを出してくれるが電池が無くて遊べない。お義父さんが出かけて行って買って来たが違う電池ばかりだった。再び買いに出かけて昔のおもちゃを鳴らして遊んでいた。帰りには秋田のだと言って箱に入れた大粒の米を持たせてくれた。
天気の良い仕事始めの日だ。雪になるかと案じていた。初仕事の日から雪だと着物を着る人は大変だろう。長靴での出勤は億劫だ。
東京に住んでいると毎日天気が良いのが当たり前のようになっているが、これは感謝しなければならない。暖かいやわらかな日差しが差し込む東京の冬は過ごし易いことこの上ないと思うべきだ。
しかしどうも住宅が寒さに対して十分ではないので家の中の所々が寒い。風呂に入る時やこの日記を書こうとして階下に降りる時など、寒い所に出たり入ったりする度に心臓がきゅっとする。
この位のことで嫌がっているようではだめで修行僧の様子を見習わなければならないと思う人も中にはいる。修行僧は健康そうにも見える。
私は子供の頃喘息で入院すると病院でよく乾布摩擦を冬空の下で裸でやらされた。病気で入っている者を掴まえて冬の外に追い出して入院費用を取るなんて全くけしからん医者だ。
今から思えば本当に私はお利口さんに従っていた。だから今は反動ですぐには社会に従えない気質になっている。
おとそ気分も次第に抜けて社会が少しずついつものリズムを取り戻している。商店やスーパーにも初荷の品が並び、郵便局や配達、集金に近所の人との挨拶もだんだん普通になってくる。そして嫌いな正月も過ぎてみると楽しかったように思える。
行事や季節の祝いは人の暮らしのアクセントなのだろうか。過ぎた頃にはせっかくの楽しい季節だからもっと積極的に楽しむ努力をすれば良かったなどと去年も思ったような気がする。
学生の頃OB会という行事があって、在学生とOBとの集いが毎年あった。200人位の催しだが私は毎年あるこの会が厭だった。
それで先生に
「私は先生の話しも伺いたいし、OBの皆さんとも会いたいのだがどうしても出席するのに厭な気持ちになってしまうのです。」と何気なく話してみた。
すると民法を研究する先生は、
「厭な気持ちを少しだけ抑えて出席すると終わったときに気持ちがいいものですよ。」と答えた。確かにその通り毎年楽しい会合でその時も遅くまで遊んで帰ってきた。今も少し厭なことがあると、終わった後楽しいかどうか、その時の言葉を思い出す。
多くの子供は今日が始業式だろうか。私は小学生の頃、始業式の日は決まってお腹を壊していた。なぜだかお腹が痛くなってくる。校長先生だかの話しが始まるともうトイレに行きたくてたまらなくなってしまう。小学生って何でトイレに行かないのだろう。
この間相模原のPCバイキングマック館に家族で出かけたときにトイレに入ると中から声が聞こえてきた。
「お母さん、うんちって幼稚園でしてもいいの?」
「いいんだよ、しないとつまっちゃうよ。」
子供って残酷で、大人は許されることが幾つも許されない。秋葉原に出かけてTZONEミナミから末広町に帰る途中のソフマップの店頭で、30万年に一秒しか狂わない時計が山のようになって販売されていた。少し前までは高級品で私も今は持っているからこの時計が良いのは知っている。
使っていても単三電池があるかぎり一秒たりとも狂わない。時刻あわせの必要がないから針を動かすリューズすらない。するとその時計を手に取って買おうとする人が居る。さすがにこの人は良い物を買うなと思ったらそのあと不自由な足を引きずりながらよたよたとお金を払わずに商品を持って行ってしまった。
店員に
「あの人この時計持って行きましたよ。」
と行ったら店員は走っていってまた戻って
「あの人ですか。」
と聞きなおしてまた追いかけていった。遠くで見ていると二人で怒鳴りあい、もみ合いになったあと店の奥に彼は連れて行かれた。その後どうなったかは分からないが、あそこで耳打ちして良かったのかどうか帰りの電車の中でしばらく考えてしまった。
別に店頭の店員が損をするわけでもないし、大店舗だから一定の損失は折り込み済みかも知れない。彼は捕まったが盗難は人が貨幣経済を始めてから存在する出来事だ。猿ならこんなことがよくある。
追いかけていってつかまえて取り戻す様子は猿のようでお互いに大変な思いをする。やはり貨幣経済の下一定のルールに従って清々と報酬のやり取りをする方がお互いにずっと楽だ。富の分配の平等と貧困の克服があれば互いにより一層楽になれる。
夕方家族で買い物に行くと家具売場でチャコちゃんがちょっと肩ごしにごめんなさいと言いながらすれ違った人は田代まさしだった。私は直ぐには気が付かなかったがチャコちゃんは直ぐに気が付いた。
そしてその向こうにどうぞこちらで住所をと言われながらカウンターに居る人はくさか武だった。私とチャコちゃんは劇団四季が好きでくさか武の出る演劇も数多く見た。
「私はここで芸能人二人とすれ違ったなんて明日児童館で話さないでよね。女性どおしの会話と言うのは何かとミーハーなことに終始する。芸能人を見かけたなんて何の価値もなくて聞く人は全然面白くないんだ。」と、私は言った。
「え、でも、よくそういう話しで結構盛り上がってるから明日言っちゃう。」
結局すれ違ったから何だと言うわけではなくて、すれ違ったことで自分がどれ程ときめいたかを友達に伝えたいらしい。テレビでよく見る人とすれ違った嬉しさはやはり何とも言えない。インターネットでも毎日自分が見ているその人と簡易に意見が交換出来たり実際に会えたりすることは誰にとっても大きなときめきだ。
今年最初の一週間が終わった。何事もなく、無事に終わった。困難な時や忙しい時には何もない静かな日を求めるがそんな静かな日を過ごす時にはそれが幸せだとは思わない。子供の成長も毎日が何でもないことの繰り返しだ。改めてこれは幸せなことだとはなかなか分からない。
航平が歯ぎしりしているよと公園で言われて来て、チャコちゃんと一緒に見てみるとぎりぎりと音がする。でもよく見ても歯は下には二本生えているが上にはまだ生えていない。聞いてみると外から見えなくても歯茎の下にもう歯はあって、その見えない歯がこすれているらしい。大人がするようにぎりぎりと大きい音を面白がってたてている。
くちびるをぶるぶると震わせてつばをとばすしぐさも多い。天使のようだった笑顔はいたずらっ子の表情が見えている。テレビやビデオをさわろうとするときには私の方をちらちらと見ながらこそこそとさわり始める。新聞をくしゃくしゃにしている時の表情は天使というより小悪魔の表情になっている。悪いことだがやりたいといった面持ちだ。
小悪魔のようにも見えるときにはこれからの育て方にも思いがいく。どんな風に育てたいかなんて今までは思いつかなかった。でも小悪魔が小悪魔のまま成長していくのは躾の行き届かない犬の飼い主でもあるようだ。なんらかの躾や教育をする責任を負っているのだろうか。
自分自身が躾も教育も不十分なのに子供に躾と言える自信があるはずはない。やはりその場その場で互いに人と人として自然に付き合っていくのだろう。相手が自分の自由にはならないことはお互いに分かっていくだろう。何らかの芽があって引き出せればそれは幸いだ。
先月から古いパソコンが置き場もなく自分の部屋に出たままになっている。先週秋葉原に行ったときにそれと同じ型式のものが売りに出ていた。看板にあなたのパソコン高価買入と出ていたので値段を聞いてみた。
NEC PC9801DS 386SX 3.5*2 3000円
モニターNEC PCKD882 500円
I-Oデータメモリーボード4M 300円
ハードディスク130メガ 500円
ドットプリンターNEC PCPR201GS 300円
モデムアイワPVPF24 100円
値段だけ見ると安いが最低限ここで引き取って貰えると思えば有り難い。買うのだから再利用の方策を考えているのだろう。
秋葉原まで持っていく手間は大変だ。この値段で売るのだったら新しいプリンターケーブル1200円で買わなきゃよかった。置き場所があればゲームやおもちゃにしたいがこれといった場所がない。
しばらく部屋の隅に置きっぱなしになるのかな。
五反田の赤ちゃん本舗に家族で出かけるが、着いてもまだ航平は寝ている。起こすのが少し可哀想なのでチャコちゃんが楽しみにしていたランズエンドのバーゲンに有楽町まで行った。有楽町に着いてもまだ航平は寝ている。
チャコちゃんだけ一人でバーゲンを見に行って、何も買わずに帰ってきた。まだ、航平は寝ている。
有楽町の旧都庁舎は国際フォーラム会場になっていて、中をのぞいた。銀座の街なかによくもこれ程大規模な建築物を豪勢に作ったものだ。天井まで突き抜ける船の形の吹き抜けはノアの箱船のようだ。
再びとって返して赤ちゃん本舗に着く頃航平は起きた。東京の街はすいている日曜日は小さく感じる。五反田銀座間は約7キロでゆっくり走っても15分位で着いてしまう。山の手線の直径は概算約10キロだから歩いて東京を回るのも可能だ。平日は自動車が多いので五反田銀座間に一時間かかったとしても不思議ではない。
東京都で自動車の総量規制を検討するらしいが山手線の中がバスとタクシーだけならいつでもすいすい走るだろう。旧東ドイツの街のようになってしまうかな。
航平は10カ月検診と三種混合予防注射で近所の医院に出かけた。頭位と身長はやや大きめで体重は標準だった。今夜は風呂がないから少し楽だ。
昨日の帰り道に駒沢公園の近所に「華屋与兵衛」というファミリーレストランが新しく出来たので寄ってみた。いつも行く花屋の向かいにある。
航平の行きつけの店はガストなどだが、この「華屋与兵衛」も綺麗でメニューの中にうどんもある。広い和室に通されて、ここもひいきの店として十分に資格がある。
ところが広い和室で嬉しくなったのか、あちらこちらに縦横無尽に出かけては目についた物をつかむ。つかんで新品の座卓にごんごんぶつける。あわてて取り上げるから怒って騒ぐ。
ひっそり食事をしていた雰囲気もはじめは「あの子かわいいわね」から「元気ね」となり「騒々しくて無視」に変わっていくように感じた。マグカップをゴンと座卓にたたきつける瞬間に支配人はこちらを見て「大丈夫でしょうか。」と言った面持ちに見える。
しかし一番不思議だったのは結構そんな状況でも平然としていられる自分自身だ。航平の泣き声がうるさく感じない。明らかにずうずうしくなっている。そんなことにかまってられるかという不遜な態度だ。
子供が出来ると母も強くなるが父も結構鍛えられている。しかし帰るとぐったりとした。チャコちゃんと二人で「疲れたよー」と言って相当昔に買って、まだ飲んだこともない太田胃酸を一緒に飲んでみた。あいつ小さいくせにパワーあるなあ。私は大人だぞ。
そして今日になってから、 その出来事が楽しく書かれている ヒラリーマン日記を読んだ。
昨年の6月3日の日記に書いたカメラが再び同じように壊れた。電話すると同じようにもって来て下さいと言われた。それで銀座サービスルームにカメラを持って出かけた。
今回は直ぐには出来ず預かるらしい。良い機械を買うと修理の手間も費用もかからないが、悪い機械にあたると手間と費用が双方にかかる。デザインがコンパクトに納められている分故障するのだろうか。
昨年訪れたときには無かったデジタルカメラも展示されて、ビルは改装されて綺麗になっていた。修理費用がかかるかどうかは聞かなかったが無料であるような雰囲気だった。同じ故障が二回続くと事情を説明するのに自分でもがっかりする。
漏れると言ったら送ってくれた新しいピジョンのカップは同じように漏れる。せっかく新しいものを送ってくれたから漏りながらも有り難く使っている。
その後その話しをすると、6年前に同じカップを使った義妹も同じように漏ったという。何人かに話すとみんな漏っているという。みんなが文句を言ったらピジョンも可哀想だと思うしずうずうしいと思われそうだから、新しい商品が送られてきた事は話さなかった。しかし、ピジョンは少なくとも6年前から同じ不具合のある商品を未だに販売している。
そして漏ると言うと同じ漏る商品を送ってくれる。永年にわたって親切心の続く会社だ。電話で漏る旨を話した時の担当者の驚きようはなかなか上手だった。人生は演劇のようでもある。赤ちゃんのように扱われている。
1月15日と16日は世田谷ぼろ市の日だ。12月と今回の年に二回催される。社会人になってから習いに行った英会話の先生に
「あなたの住んでいる所は何処ですか。」と聞かれて
「世田谷です。」と答えると、
「ぼろ市は?」と尋ねられた。
「行ったことが無い。」と言うと、
「何であんないいのに行かない?」と薦められた。学生の身分で出かけても買う物は余りなかった。臼だの、着物だの、囲炉裏だのとんでもない変なものが沢山出ている。今から思えば先生は米国から訪れて聞き伝えられた日本に初めてここで出会ったのかなあと思い出す。
ここ最近はたくあんとか、花を買うために出かけた。ついたお餅も立ち寄って食べる。朝10時に待っていると、ぼろ市がはじまるぞーと言う花火がなった。
でもやはり今回も行く気持ちにはなれなかった。混んでいて航平をベビーカーに乗せるのに気を遣いすぎるからだ。
それで家族で駒沢公園に梅を見に行った。紅白の梅が満開だ。日本人の最も好む木は桜だが、梅は中国人が最も好む木だ。満開の梅の前で成人式を終えた娘の写真を両親が撮っていた。競技場ではユースサッカーが催されている。
しばらく散歩して、魚貞という鮨屋に行った。ここはチャコちゃんと一緒にスーパーに買い物に行った後買い物袋を下げて二人でよく立ち寄って食べた店だ。鮨は最高に美味しい気もしないが日替わりで出される定食が好きだ。私が独身の頃から一人で時々食べに来ていた。定食はメニューの中で一番安くて注文するのは定食ばかりだから、今日みたいに客が居ない時分に食べに来る。新鮮で美味しい。
航平が生まれる直前にチャコちゃんは切迫早産で入院したからもう一年も来ていない。入院しているときに私が一人で訪れてうなぎの骨の焼いたのをおみやげに買った。チャコちゃんはベッドで点滴を打ち続け、寝ながら骨をかじっていた。板前に
「この子の体の一部はここのウナギですよ。」と話した。
体の一部はうなぎです
一太郎Ver7のアップグレード版が届いた。11月に購入した時点で既にT-zoneから直接Ver7を貰っている。アップグレード版は請求したものの期限も過ぎていたので、送ってはこないと思っていた。
開封してみるとVer7.R2だった。Ver7より幾分速いと聞いている。さっそくインストールしてみた。一太郎のインストールというのは上手に出来ている。インストール時の問い合わせは件数が多いだろうから、一太郎程に出荷本数が多ければインストールの簡便性は重要だろう。
CDを入れてセットアップボタンを押すと簡単にVer7からVer7.R2にアップグレードされた。気になるスピードだが、立ち上がりに一太郎の赤いロゴが出なくなった分だけ速い。それだけの改変にしか自分には分からなかった。赤いロゴが出ないので速い、ただそれだけだ。だから立ち上がると編集画面になる。何千円かでアップグレードできるそうだが個人で使う場合には価値はないと思った。
ところで一太郎のロゴだが私はあの文字は社長が書いた物に違いないと勝手に思っていた。何故なら文字が下手でデザインが余りにちぐはぐだからだ。そしたらT-Zoneのマック売場で進藤洋子ロゴ集というソフトが出ていてこの人の書だった。見ると書ばかりを集めたクリップアート集で全部があの一太郎のロゴの字体の書だ。
つまり小学生風で、特徴があって私から見ると下手に見える字ばかりだ。その箱をとって私は感心してしまった。私には下手に見えても一太郎のロゴというだけで後光が差している。良いような気もする。
時代は変わったなあと思った。沢山の人に注目されて価値が生じている。才能がなくとも運で道が開けたようにも見える。
この言葉、真面目に真摯に努力することを否定して、自分のふがいなさの言い訳のようにも見えるがやはり何らかの努力は誰もがしているはずだ。
ところで今日年賀状の当選発表も終わって何にも価値はありませんが、もし、ご希望の方があればクラリスワークスであなたの宛先住所を印刷したわが家の家族の写真年賀状をお送りします。申し込んでいただければ幸いです。近所はもとより全世界からお待ちします。私の字もどうぞご覧下さい。
年賀状が出来上がるまでのいきさつ
先週の土曜日に注文した航平の印鑑が出来上がるので家族で夕方玉川高島屋に行った。正月にいただいたお年玉を郵便局に預けるために作った。家にある三文判でいいと私は思ったがチャコちゃんは少しこだわった。
子供の立場から見れば嬉しいに違いない。小さくても法人格としては親の下でいっぱしに主体になれる。誕生でのささやかな両親からのプレゼントだ。名前だけで航平という文字が篆書体で彫られている。美しく気品高く仕上がっていた。
ところで昨日の日記の中でわが家のつたない年賀状をご希望いただき、皆様有り難うございます。さっそく本日お送りいたしました。
家族でお台場海浜公園に出かけた。今までも何回か行った臨海副都心だ。お台場の潮風が吹く海の近くに行ってみたくなった。
お台場は江戸時代ペリー来航に備えて大砲の台がここに据え付けらたのが由来らしい。
海水は汚いらしいが、見た所は美しい。フジテレビの新社屋がすっかりと出来ている。途方もなく立派なビルディングだ。
チャコちゃんは
「小さい頃に描いた未来の都市の絵とこの風景は同じだ。」
と言う。立ち並ぶ高層の住宅ビル群、砂浜でウィンドサーフィンを楽しむ姿。地上を滑るように移動するモノレール、空中に回廊のように張り巡らされた意匠豊かな新建造物。遠くに見える東京タワーとそこに向かって光輝くレインボーブリッジ。それらが砂浜で波とたわむれながら眼前に開けている。デッキをイメージしたショッピングビルに入るとそこはアメリカだ。世界中から輸入された品々と美しい目新しいディスプレーとで商品が埋め尽くされている。
砂浜の近くの芝生に腰掛けて航平は潮風に吹かれて離乳食を口に入れている。波の寄せる方向が気になって、しきりに波を見つめている。
もどりレインボーブリッジを渡ると5分程で新橋、田町に出る。札の辻がレインボーブリッジに向かう入口になる。
帰りに大森駅前にある鴻文堂(大森北1-7-3)という印鑑屋で航平の印鑑ケースを買う。鴻文堂は間口が一間程しかない昔風の印鑑屋だ。
昔職場がこの近くだったので三文判を通りすがりに作ったことがある。買ったのはその一回だけだが今でもその日話したことを思い出す。自分に適した印鑑を持つことが大事でそれは安い物で十分だという主旨だ。
鴻文堂のその日の語り口は10年以上経っても全然変わっていなかった。
私と同じ位の年頃の夫婦で商っているが二人は似た語り口で親切に正しく商品を案内する。自分が気がつかない程に自分に適した商品を案内する。10年ぶりの二三分での買い物だったが、店を出るときには思わず自分から有り難うと言ってしまった。その時の三文判は今も大切に使っている。仕事は鴻文堂のようにしたら楽しいだろうと思い出す。
昨日の帰り際自動車の警告ランプの全部が点灯した。自動車は異常なく走った。家につく頃警告ランプは消えた。
おむつが無くなったので荏田のフィットケアデポに行くことにした。遠いが安い。安いと言っても一月分のおむつを買うのにはそれほどの金額の差にはならない。しかし、出かけたいのは、たくさん買ってたくさん使いたいのと、私も余計なものもいろいろ買いたいからだ。チャコちゃんを誘って航平と共に発進した。
車の異常警告灯は全部点いている。しかしエンジン音は異常がない。そもそも今まで警告灯が点灯するときには警告灯が故障している ケースが多い。
店の駐車場に着く頃にはバッテリー電圧は低くなっていた。エンジンを止めれば再始動は恐らく出来ない。このままエンジンをかけっぱなしにしようかと思ったが止めてみたい衝動に駆られてエンジンを切った。やはりエンジンはかからなかった。警告灯は正しかった。
とりあえずチャコちゃんはおむつを三つと角に付ける安全用クッション材などの買い物をして私はJAFに連絡した。JAFの依頼は久しぶりのことだ。しばらくすると青いJAFの車が到着した。
オルタネーターが壊れていて電源が供給されていないらしい。エンジンは直ぐに始動したが電源が供給されていないからバッテリーが切れればそれでエンジンは止まる。もう暗くなっているからライトを点ければ直ぐにも止まる。
しかしおむつ三個を持って航平を連れて川崎から家に帰るのは大変だ。
「無理かもしれないが帰ってみる。」と言うとそれでは県境まで後ろを伴走してくれる、と言う。
ほとんど日も落ちたが無灯火で走り始めた。どんどんと暗くなってくる。やはり危険なので途中の日産プリンスに車を入れた。
JAFの人もほっとした様子でその場で別れた。営業所の人に宮崎台の駅まで送ってもらい駅前でひと休みして電車で帰った。降りる時に、電車とホームの間にバギーの車輪をはさんで抜けなくなったりもした。
秋葉原に出かけた。ラオックスのマック館に入る。
秋葉原に来てラオックスのマック館に立ち寄らないことはない。マック教の総本山のようなものだ。
まるでお百度参りを踏むように入る。この中に入ると御利益があるような気になる。昔の神社もそんなものだったのだろうか。私は持っていないが携帯電話やポケベルはお守りにも見える。
実際には自分がする労働の対価や行動が価値を生むのにマック館に出かけて何か商品を求めた所でその商品から得られる価値は少なくて得た幸せも線香花火のように直ぐになくなってしまう。
インターネットと半導体生産技術の進歩で昨年はマック館に入る度に驚かされた。あんな値段だったものが半額になった。というがそれはとりも直さず自分の持ち物も半分の価値になっていったことを意味する。
ある程度完成された家電商品に比べてパソコン関連商品はほとんどご本家には劣る。ファックスはファックス機が使いやすいし留守番電話も売っている電話機にはかなわない。
インターネットのような革命的な進歩は何年に一度の革新でいつもいつもそんな発展があるものではない。この所秋葉原に出かけても昨年のような著しい発展の見える商品にはなかなか出会わない。
地に足を付けて本当に必要な商品を求め、人が幸せになれるための労働をしたいと思った。
チャコちゃんと航平は午前中児童館の母親トークの集いに行って来た。普段良く顔を合わせる人たちと一緒に保健婦と共に話しをしてきたらしい。
航平がころんだ時にチャコちゃんがあっと大きな声を上げると友達が驚いて泣くから黙っていた方がいいと話していたそうだ。 なんか、黙っているとこの親は冷たいやつだと悲しみに暮れてしまいそうでついついかまってしまう。あまり大きい声でこっちが驚くと驚いた声で泣いてしまうことはよくある。むやみに驚かせるのは可哀想だという意味だろう。
子育ては十人十色で育児書にも情報が出ている。何が正しいのかさっぱり分からないからあまり読んでもいない。仕方なく一緒に楽しく過ごせるように腹が立たないように努力するぐらいだ。相手もこちらも腹をたてれば互いに詰まらない。ゆっくりやれれば幸せだ。
自分の思いを正しく表現できなかったり、正しく表現したようでも相手に伝わらないのは不幸なことだ。そんな事が昼間あった。
その後夕方になって修理が出来上がった自動車を家族で取りに出掛けた。電車で20分程乗って降りてからしばらく暗い道を歩いた先に日曜日に乗り捨てた日産プリンス宮崎台営業所がある。
昼間の出来事で疲れたような顔をしていたのでチャコちゃんが
「航平を連れて一緒に行ってもいいよ。」
と言って付いてきた。
面倒だしそんな遠い所に赤ん坊を連れて行くのも少し気恥ずかしかったが準備して出かけた。今日の寒さは今年一番で道は凍っていた。田園都市線宮崎台駅に着いてバギーを押して少し歩き出すと航平は眠ってしまった。
「何だせっかくここまで連れて来てやったのに歩き出したら寝てしまった。」と私が不平を言うと
チャコちゃんは
「ちがうよ、航平はこんな道を一人歩くのが可愛そうだから 着いてきたのよ。」
と言う。そうだ、すっかり忘れていた。はじめは私のためにと言って来たのだった。自分が面倒を見て連れてきた気分になっていた。
営業所では無事に修理も済んで航平も一緒に来たおみやげに時計付き懐中電灯も貰ってしまった。走り心地は満点で新車に戻った気分だった。帰りに三軒茶屋のキャロットタワーの最上階展望レストランで食事をした。ロビーで航平はピカピカの絨毯の上を靴も履かずに右に左にはいはいしてつかまり立ちをしては世田谷の夜景を眺めていた。
夕方家族揃って自動車で買い物に出掛けた。スーパーの駐車場は毎週木曜日には高級外車が並んで混雑している。理由はわからないがチャコちゃんが推測するのは木曜日は医院が休みだからだろうと言う。店舗の中はがらがらで客は少ない。木曜日は全体に客足の途絶える日だろう。
明日は金曜日で今週もおしまいだ。週休二日制は休みが一日増えると同時に働く日も一日減るのは随分楽だ。
夕方から久しぶりのおしめりの雨だった。今年になって初めてではないだろうか。
日経パソコンという雑誌の中で読んだパソコンジョーク集というのが面白かった。
その中の幾つかを。
ネットサーフィンを自慢する人はテレビに同じ情報が流れているのに気づかない。
昨年インターネットに熱を上げた人は今年興味を他に移している。
パソコンに買い換えが必要なのはアメリカ人が作ったからだ。配偶者も仕事場も変える。
買い換え前は能率が悪いから仕事をしない。買い換え後は慣れないから仕事をしない。
バージョンアップはパソコンを買い換える口実になる。
自分で年賀状を出さない人に限ってパソコン年賀状に味がないと言う。
カラープリンターは年賀状の唯一の用途だ。
マック派は不満を語って幸せでありウィン派は不満が分からず幸せだ。
マック派は消滅におびえ、ウィン派は優勢に気がつかない。
マック派のマックは何故か壊れない。ウィン派は使わないから壊れない。
1KBの手紙を書くのにOSとソフトで10MB必要だ。
○○が出来るを実現するには無限の資力と無限の努力を要する。
インターネットを良く使う人はお金を払っていない。
ノートパソコンは行動を制約する。動くのが億劫になる。もう一つ制約する。コンセントから離れられない。
パソコンの高性能化でOSが肥大化し、OSの肥大化でパソコンが高性能化する。
以上一部抜粋
午後ボランティアセンターという所に電話して知り合いで障碍がある人が参加出来るサークルの情報を知りたいので伺いたいと尋ねたところ、少し感じが悪いような気がした。
今までボランティアをする立場で電話したり接したりして来た時は何でも受け入れてくれる親切な場所だった。
逆のボランティアを受ける立場で接したからか同一の場所なのに感じが幾分違う。何故かレストランの厨房を裏で覗いたようだった。銀行の預ける時と借りる時の違いのようだ。
パソコンジョーク集もそうだが裏と表とが渾然とするのが世の中だなあと感じる。
動詞「切らす」なら「切らしてしまった」動詞「切る」+助動詞「せる」なら「切らせてしまった」。
動詞「切らせる」なら、やはり「切らせてしまった」。
切らしてしまった。切らせてしまった。ATOK8でも切らしてしまった。切らせてしまった。ことえりでも変換される。母国語も時々これでいいのかなと思い始めると両方口ずさむのだが話している内に両方が変に聞こえてくる。
在日外国人に日本語を教えるボランティアというのをかつてしたことがある。その時、横書きの教科書は逆向きにしても読めるが縦書きの文章は逆向きでは読めない。米国人は横書きの方が合理的だと推測していた。単に縦書きだと焦点が ずれるので目が疲れたのだ。
相手の日本語の文章を元に添削すると日本語が一時不明になってしまう。かといって全く違った文章にするのもせっかく作った日本文を尊重していない。あんまり考えていると生徒からこの人日本語本当に知っているのなんて思われてしまう。
言語ってもともと保守的だと言われるが実態はどろどろと流れていくように変化している。日本に来て母国で習った日本語が役にたたないとよく言われた。俗語と外来語が多すぎて理解できないらしい。日本人さえ理解出来ないのだから無理はない。
最近不思議だなと感じるのは助詞の「わ」と「は」「お」と「を」が意図的に変わること。キーボードで打つのに苦労しないのかなと思うのだが読んでいると結構斬新で楽しい様子とはねっかえる若々しさを感じる。
母国語を大切にと言うが美しい言葉は日本人より外国語として習得した人の方が正統派の言葉遣いをしていて感心することもある。授業が終わった後、授業と同じように話すと普段の話し方で結構ですよなどと言われた。感性や考え方が異なるので教わることが多いのは楽しいことだ。
昨日は家族で銀座の博品館へビニールのボールを買いに出た。帰りは松屋で弁当を手に入れる。
その後伊東屋で今年の手帳を買う。昔ながらの鉛筆が入っていて薄くて小さい手帳はもう伊東屋まで来ないとなかなか見つけられなくなってしまった。近所には無かった。
二三年前までは銀行で配っていたが最近は配らなくなった。一昨年前初めて配らなくなった時に今年はもう配らないのかと本店に問い合わせたら特別に送ったくれた。尋ねるのも面倒で気恥ずかしいので去年から同じタイプのものを買っている。300円だったが今年はそれが見あたらない。買ったのは600円だったが厚ぼったくてかさばるのが不本意だが仕方がない。手帳と言っても最近はシステム手帳と言う名前のバインダー式ノートブックばかりだ。ポケットに入る程小さい昔ながらの手帳は少ない。単価が低くて商売にならないのだろう。
手帳をポケットから取り出してはこちょこちょと書いている。癖になっているからそれがないと不便だ。紙を折って自分で作ろうかとも考えた。どうしてこんな時代になったのだろう。私の手帳は時代遅れの化石だ。
最近取得した子育てノウハウ。風呂に入って頭をすすぐときにおしゃぶりをくわえさせて上からシャワーをかけると泣く前に終わる。おしゃぶりをしないと口から水を飲んでいた。仰向けにするといやがる。
スプーンと同型のマッシャー(押しつぶす道具180円)はうどんや野菜をつぶすのなかなか使い易い。
最近の航平の動向。航平くーんと呼ぶと手を上げる時がある。機嫌がよい時に限る。ゆっくりと上げるが親がそれを見て喜んで大声を上げるので驚いている。
航平が興味あるもの。テレビのリモコン、新聞、ティッシュボックス、角に頭をぶつけないように貼り付けたクッション材。窓の開閉、階段から落ちないように取り付けられた、あまり強く押すと倒れてしまう仕切り。本棚の本。台所の中。
航平の興味がないもの。おもちゃ全般。一応は遊んでいるがおもちゃだけでは終わらない。最近少しいたずらっぽい顔立ちになっている。
夜になってNHK番組で子供用シートベルトについて放送。直ぐに付けよう。何故法制化しないのかの問いにまだ普及率が低いからと言うのが日本での理由。先進16カ国中日本以外の国ではすべてが法制化されているらしい。法律から教育されることもある。
昨日久が原の知人の所に家族で伺った。新婚さんいらっしゃいを見てから家を出た。この番組は永く楽しませてくれているがその楽しさの秘密の一つはゲストが使う言葉だ。アットホームな家で使う言葉がそのまま出てくるのが新婚の雰囲気を良くかもし出している。
久が原は田園調布と並ぶ高級住宅街だ。その家並みは古くから変わらずに今も残っている。「陽の当たる坂道」と言うのはこんなところではないだろうかと思いを馳せる。石原裕次郎の「太陽の季節」でのアメリカ製のオープンカーが今でもそこから出てきそうだ。良く言えば哀愁があるが悪く言えば少し寂しい。
アメリカのおばけって陽気だが広大な大地に広い家が建ち並びそれでなくても寂しいからお化け位は陽気にしたのかなあと思う。日本は暑苦しくて人と人との距離が狭いし互いへの気遣いも強い。だからお化けぐらいは離れたくなるように冷たく出来上がったのかなと思う。久が原はアメリカのお化けが似合うような場所だ。
チャイルドシートをさっそく取り付けて夕方家族で航平を乗せて買い物に出た。シートにのせる時にはばたばたあばれたが乗ってからは快適な様子で大人しく外を見てしばらくすると座ったまま寝てしまった。
帰りも乗せるときは大泣きで大暴れだったが走りだすと直ぐに静かになって外の景色を眺めていた。懸案だったが、チャイルドシートは思った以上にがっちりと付けられた。万が一の事故の時には恐らく航平だけは大丈夫な気がする。安心感がある。
食卓テーブルの電球が切れたので昨日電球を購入したが、あらためて今日省エネ用の電灯色の蛍光ランプを購入した。
五年程前に街灯用に取り付けた省エネランプが切れたので先日購入した。それまでは六カ月に一度程取り替えていたがだいぶ長い間切れなかったのは街灯用だけに随分と楽だった。
クリントン大統領が全米でこのランプを使用すれば地球温暖化の歯止めになると推奨していたがそれにしても今の所価格が高い。今の三分の一位の値段になれば全部をこのタイプに替えるのに抵抗はない。
ついでに風呂水給水ポンプを購入した。毎日風呂に入って洗濯の回数も多いが面倒そうで購入をためらっていた。どんなものか試して見るのが目的だ。洗濯機は風呂水給水バルブが付いているが水がたまるまでそこで見張るのと終わった後のポンプの始末が面倒そうだ。
NHKクローズアップ現代でイントラネットの番組を見る。富士通で中間管理職が不要になること、伊藤忠で本音と建て前の中間を行く新たな企業文化が形成されること、トヨタ自動車で新車開発が4年から16カ月に短縮できることなどを放送していた。
心臓が止まりそうで生きてはいけない世界に見えた。大体ファックスでさえも郵便の方がずっと楽だとしばしば思う。ファックスでと請求されれば直ぐに送ってやりたいと思う。
電子メールは互いに自分の時間を保つのがその効果だが管理と生産性の向上に当てれば人の心のやりどころに困らないだろうか。良い車がいち早く出来るのは頼もしいがトヨタのシェアが四割を切って落ちているのは逆にこれが原因なのではと想像してしまった。本田はRVでシェアを上げたが、わいがや方式(わいわいがやがや楽しく論議する仕方)の方が楽しい車が出来そうに見える。何れにしてもインターネットの波を受けてイントラネットは今年爆発的に普及しそうに見えた。
夕方ポストに封書を出した。帰りにブロックバスタービデオでディズニーのビデオ、トイストーリーを借りて家族で見た。
美女と野獣もそうだがディズニーのこのシリーズは何故か涙がふっと出てくる。けんかするもの同士に愛情と誤解があってそれは誰もが経験するシーンだ。
主人公のウッデイは少年アンデイのおもちゃだが新作のおもちゃバズとけんかするうちにアンディと離れてしまう。元の家に戻るために冒険を重ねる内に次第に仲直りしていく。
アカデミー作品賞を受賞している他の作品と同様に見た人の誰もがきっと感動するだろう。
アメリカ映画は善悪の区別がきっぱりとついているのがやや、気になる。米国が戦線布告するときには相手を映画の悪人と同様にとらえないだろうか。
日本映画はよしもあしきもおおむね誰もが善人に描かれることが多いように感じる。
映画産業は戦略経営が最も進んだ分野だ。収益から作品製作を割り出していく。戦略の読み違いはすなわち製作会社オーナーの交代と新資本の流入を意味する。
それにしてもコンピューターを使ったとは思えない程におもちゃの世界に入り込んでしまった。
自分の子供が可愛いと言うけれども子供を持つ前は想像が出来なかった。自分のこともままならないのに子育ては面倒で、多少、可愛くても折り合いは付かないと思っていた。世間で見るように自分の子供というのはきっと可愛いのだろうと想像もしていた。
実際に子育てをしてみると、自分の子供が可愛いという瞬間というのは、一日の時間の中でほんの少しだ。例えば短い手を顔の横に置いて寝ている姿を見るときや、朝起きるとにこっと笑ってはいはいしてくる時は可愛いと思う。しかし大半の時間は呼びかけても知らんぷりで無視していたり、ごはんを口に持っていっても食べなかったりして憎らしいことも随分多い。
子育ての可愛いって結局喜怒哀楽の振幅を大きくしてくれることじゃないかと思う。自分の子供で身近にいるから、「あっ大変だ」と思うし「こらっ」と怒るし「ほっ」とする。それが一日のうちに何度も繰り返される。大体手をいきなり口の中に入れてくる人は他にいない。感情を振り回される瞬間の連続だ。
ここには効率優先の社会はないし、強者の論理はないし常識も礼儀もくつがえってしまう。凝り固まった頭の中をぐずぐずにほぐしてくれる快感のことを指して子供が可愛いと言うのだろうか。
昨日のトイストーリーの余韻がまだ残っている。
航平はおしゃぶりが好きだ。公園に来る赤ん坊友達の中で航平以外には一人しか愛用者はいないらしい。
おしゃぶりをくわえる習慣にはさせたくはないと思っていた。しかし、しくしく、めえめえと泣くような時、むずかる時におしゃぶりをくわえさせるとほっとした様子で静かになる。夜寝るときもおしゃぶりがあるとすぐに寝つく。夜中に目覚める時におしゃぶりを口に入れると直ぐにまた寝てしまう。どう見ても安心感の拠り所にしている節がある。
今日は公園で落ちていたラケットを拾ってずっと永い間それをひっくり返したり眺めて遊んでいたらしい。家に帰ってから永い間クッションを裏にしたり表にしたりして遊んでいるのを見ながらチャコちゃんが話した。
興味を移さずにずっと陶酔して自分の世界に入って遊んでいるのはおしゃぶりも一因だとチャコちゃんは推測している。
おしゃぶりが良いか悪いかはわからないが、おしゃぶりを付けている時にはよく何かに執着している。出来ればおしゃぶりはやめて欲しいが、今の所頼りにしているし特別に間違っていることでもないらしい。
おしゃぶりをして大きいつぶらな瞳に涙がこぼれそうで帽子をかぶって好奇心旺盛に同じ遊びを続けている。それが公園での航平のイメージらしい。
お気に入りの防寒着を着た航平とチャコちゃんが作ったさいころ