山口 正司
1996年11月1日 金 雨 Home Page Mill
こんにちは。今日はAdobeのPageMill Ver.2.0βで書いています。このソフトはダウンロードに15分程かかりました。ダウンロードしたソフトをスタフィトエクスパンダーにくっつけると解凍されて使用できました。使用期限は来年の1月までです。
皆さんはHome Page Millに興味はありますか。私はあります。なぜならAdobeの作るソフトはCoolだからです。
Toolが変わると文章がかわります。変わらなきゃも変わらなきゃ。私は今まで幾つかのホームページエディターを使いましたが(β版です)今まで使った中では一番使って面白いです。理由は色彩が綺麗だからです。このソフトを使うとエディターで書くよりリンクが楽です。欠点は遅くなることです。日記のうわさ話を書くには必要なソフトです。ばうわうさん、ホームページ直ったかな。直ったら使ってみてくれ。とかって書けちゃいます。私の場合エディターだとくだらんことでフォントの設定なぞしていられません。ちなみにこの背景はチャコちゃんが書きました。背景は見にくいし遅くなるから普通は使いません。航平はマウスをなめます。人間道具を使うと中身が欠けます。
しかし、明日以降、このソフトを使うかどうかは分かりません。理由は何だかごちゃごちゃしてどうなっていくか不安だからです。しかし面白いのは確かです。皆さんも試してみてください。買って使っているって。あっそうですか。
1996年11月2日 土 雨 欠如
週末というのに雨が降っている。家の中でごろごろと しているといえ中だんだん不機嫌になってくる。
雨の降った日は外出しにくい。バギー車が使えない。 航平は相当に重くなってだっこは短時間しかできない。 だから外出先は雨に濡れないで到達できる場所を考える が、それが結構どこにもない。
高島屋かダイクを思いつくくらいだ。ところでデパー トというのはバギー車をエスカレーターに載せることが できない。高島屋は混んでいるとエレベーターになかなか乗れない。ダイエーは近所で唯一エスカレーターにバ ギー車を載せることができる。
結局B型バギー車を出してダイクとダイエーに出かけた。 雨が降っている間はバギー車を持って中に入れば自由だ。 着いた頃はちょうど雨は上がった。
今日のはっとした言葉と出来事
さんまの会見。(某フランス人の言葉)
結婚するのは判断力の欠如
離婚するのは忍耐力の欠如
再婚するのは記憶力の欠如
斉藤投手が投げ、ピアッザが打ったライトフライをイチ ロウがキャッチしてチェンジになった瞬間にスタンドに投 げ入れられたボール(昨日)。
1996年11月3日 日 歯科
康子ちゃんが訪問する。明日はみえちゃんの結婚式だ。
このところ歯が少しむずがゆい。チャコちゃんが下に行って上がってくると、歯医者に電話して
「日曜は診察するが今日は祝日で休み。たまたま報酬事務で今いるのでいらっしゃい。」と言われて出来るらしい。今日は祝日だ。私は三週間前から痛いのだから特に今行きたくはない。是非行ったらと言われて康子ちゃんを家に置いて行って来た。
名医だったが痛かった。歯科医療というよりは外科手術だった。今年一月に治療したのは別の歯科医だが、直らないが一応治療するけれど半年以内に再発するでしょうという言葉どおりに再発した。今度再発したら抜きますよ。と言われていたから抜かれてしまうと思いつつ三週間がまんした。今日の歯科医は必ず直るから長くかかるが通いなさいと言う。必ず通うので直してほしい。
ロシア大使館で複製画展覧会をやっている。複製画に興味はないがロシア大使館を訪ねて見たかったので家族で出かけた。駒沢通りを抜けて麻布から六本木を行くと飯倉に出た。大使館を見ると300メートル程行列してい た。
複製画展を見る人がこんなに居るのに驚いたが、やはりロシアという国は異国情緒がある。混んでいるので立 ちよらずに通り過ぎた。
私が生まれてはじめておりた外国は19才の時のソ連だった。欧州に行くのにシベリア鉄道を利用するためにウラジオストックに船で着いた。地平線まで見える広い大地にレールが一つ敷かれて、その端は切れていた。その向こうに30両程もある長い列車が沈む夕陽に高く立っていた。
屋根もホームもなかった。強いロシアの景色だった。列車に乗り込むと豪華なディナーが運ばれた。客の大半は貧乏な日本人学生で合理的なフランス人の家族が唯一の異国人だった。その旅行に行くのにビザを取った大使 館だ。
そのまま、東京タワーを過ぎるとダイエーの本社ビルが見えた。コンピューターショップがオープンしたらしいので立ちよった。中はラオックスとほとんど同じ作りだった。ラオックスの元店長が引き抜かれたらしい。値段は碑文谷のダイエーとほぼ同じだ。町田にラオックスの三倍のスペースの新店が今月オープンしたらやはり行くのだろうか。
お弁当を買ってウエンディズのテラスで航平に食事をやりながら休憩した。見るとダイエーの社員はかなり出勤している。確かに店がオープンしていれば本社も休みという訳にはいかない。事務職で休日に休まないのは気が付かなかった。
浜離宮公園に行くが玉じゃりにバギー車が埋まるので、戻り竹芝桟橋に出た。ディナー船ヴァンティアン号が停泊して横のレストランでは結婚式が港の景色をバックに催されていた。
東京も海の景色はまんざらでもない。浜離宮の堀には小魚が群を作って見えた。クリスマスツリーが飾られてもう冬だ。
朝方航平の爪を切ろうとするととげがささっている。爪と指の間にささって爪の下に6ミリ位とげが見える。とげの頭は無くて爪の下で取りようがない。
近所の外科医に電話をしてチャコちゃんが連れていった。相当に年配で治療は後ろで指図をしながらほとんど看護婦がしたらしい。
子供の手当と駆逐艦での手術は揺れるから大変だ。と言いながら、まず爪を短く切り、縦方向に爪に切り込みを入れて無事にとげは出た。航平は押さえられて大泣きした。
帰ってきた時はしょんぼりチャコちゃんに抱きついたままで直ぐ寝てしまってしばらく起きて来なかった。夜にはすっかり直って何時も通り元気になった。明日消毒に通院する。
午後秋葉原に出かけた。夕方頃各社の新型パソコンがラオックスに搬入された。東芝、IBM、コンパックの新製品は驚くばかりのデザインで、ガウディ風だ。エイサーにも似ている。そして多機能だ。
画面近くに見なれぬボタンが幾つも付いている。ショップブランドやセルフメイドに対しての差別化が図られている。
NEC製品は値崩れしているように見えた。販売員は盛んにNECを奨めていた。相当に割安感がある。ウィンドウズ95のカスタマイズに多数の人員をアメリカに送ったと聞いたが、この先もカスタマイズしていくのだろうか。NECのサポートは最近格段に良くなった。
クラリスワークスVer.4のウィンドウズ版が辞典まで付いて5000円なのは実に買い得の商品だ。私はマックで随分世話になっている。
マックの良さはグループ全般のサポートの良さにある。クラリス社は一時混乱したが今のサポートは実に素晴らしい。使い方にもよるだろうが、私自身は何から何までこのソフトで大体用を足してきた。ウィンドウズ版の廉価販売での本格デビューでその良さが失われないか実に懸念だ。
航平は昨日のとげで外科医に行ったが、見ただけで治療はなかった。何事もなかったそうだ。
その後三種混合ワクチン接種でチャコちゃんは近所の児科医院に連れて行ったが臨時休診だった。この先生は信頼出来るが休みが多いと聞いている。チャコちゃんは風邪気味でワクチン接種を明日した方がいいのか決めかねている。ワクチン事故に関する不安感は漠然とだが大きい。
夜、子供に絵本を読むのがいいというテレビ番組を見る。抑揚を付けることがこつで効果は高いそうだ。
1996年11月9日 土 曇り後晴 ゲストブック
最近掲示板やゲストブック、チャットルームなどcgiを使ったページが増えてきた。私は 自分のプロバイダーがcgi、ssiを扱っていないので その内機会があれば位に思っていた。 しかし川島さんのページに書き込んだりとんちゃんのページに書いている内に、作り方だけでも知りたい気持ちになった。
そこでcup.comにcgiの申し込みをしてみた。
申し込むと30分後に使えるようになった。 ただ、cgiについては書籍も手元にないし、 資料がない。秋葉原に専門書があることは 知っていたが7日に渋谷の書店に 行っても詳しく書いてあるものはなかった。
そういえば日記猿人のことが何かの本にでていたなと思って幾つか本を見てみた。あまり硬い本では ないだろうなと思いながらXファイル禁断のインターネット (確かな題名ではない。オークラ出版)を見てみると 日記を見るにはここだ。という章もあって日記リンクスの630事件について 大森さんが書いている。
津田さんの名前はでているが、良く読むと名前こそ出ていないがばうわうさんの ことが書いてある。挿し絵のカットもかつてのアサヒネットだ。興味深く読んだが、 私の思いとは多少違った。 そんな見方もあるだろう がそれではばうわうさんの立場がないとも思った。
津田さんの名誉は確かに回復されてもしかるべきだ。 反乱者に対して意気投合する者というのは誰のことだろうとも思った。もしばうわうさんがその文章を読んだとしても 取り立てて騒ぐ必要はない。それはばうわうさんの良かれ悪しかれ力のあかしだ。
それからJ&Pのソフトのコーナーには森川さんの作ったグラフィックソフトが平積みで一番良いところに並んでいた。
インターネットの世界と現実の世界との間でそれぞれを 身近に感じた。NHKの仮想現実の番組を実体験したようだ。 それで掲示板だが結局適当な本が無くて買わずに帰った。
cgiを作った方のページを参考にして少し書いてみた。ところがcgiというのはUNIXの知識がないと なかなか出来ない。幾つかエラーを冒しながら使いなれないTelnetを使って テスト用のボードが出来た。簡単なものでも苦労して成功した時は嬉しい。
1996年11月11日 月 曇り後雨 盲導犬
風邪をひいて体調が悪い。渋谷の漢方医へ行って薬を貰ってくる。月曜日だというのに人が多い。道玄坂ではクリスマス用の点滅灯を街路樹につけていた。
街行く人の姿はコート着る人と薄いシャツの人とが混在する季節だ。駅で盲導犬の姿を見た。混んだ駅頭で、あるじを誘導する顔はのんびりとしている。盲導犬というのは賢いのだか賢くないのかが顔や姿では判然とは見えない。
しばらく見ていると真の賢さがふっと出てくる。動物としての本能を捨てている所に人間と共感する様を与えるのだろうか。夕方だから会社員も多く帰路に着く。会社員の少し疲れたうつろな目は目立ちはしないが盲導犬と似た美しさもある。
東京湾 竹芝桟橋で バックは佃島方向 大島連絡航路、東京湾ディナークルーズ、ホテルがある。
1996年11月15日 月 曇り後雨 過剰医療
風邪の具合は大分良くなってきた。薬はまだ飲み続けている。少しぼおっとした感じがする。航平の風邪も大分いい。鼻水はまだ止まらないが食欲はある。入浴は控えている。
私も航平も抗生物質と風邪薬を処方されている。きちんと飲んでいるが風邪位なら飲まずに直す方が良いらしい。医師の家族は薬を飲まないと聞くこともある。
しかし、病気が風邪かどうか不安で、医師の元に行くと薬は処方される。飲みませんとも言えない。医院に出かけた時点で医師の判断に委ねることになる。
健康保険制度の過剰医療の弊害の可能性はあるかもしれない。苦労なく薬が手に入り苦労なく医師の診察が受けられることは幸せかもしれない。
1996年11月16日 土 晴 インターネットフォン
今年一番の秋晴れだ。まだ風邪の症状は残っていて結局休息日になった。
午前中歯科医に行った。別の奥の歯が根の所で折れていて歯を切断した。80才まで20本というが、保つかが不安になる。航平の綺麗な歯を見ると実にうらやましい。
あけんさんの日記を見て私もインターネットフォンをダウンロードしてみた。ダウンロードボタンを押すと10分程でインストーラーが出て、押して再起動すると何の設定もいらず、そのまま使えた。β版で11月30日まで使えるが表示にあるような一分間の制限はなかった。私の機械でもやはり電話のようにはいかず、トランシーバーで話すようにとぎれとぎれになった。
サンディエゴ、キューバ、静岡、台湾の人と話してみた。ほとんど聞き取りにくいが北米からは綺麗に声が聞こえてきた。キューバの人とは十分会話になった。通じた瞬間は嬉しいものだ。
聞き取りにくいから簡単な会話で、道行く人と話したようなものだが、新しい手段でこれからが楽しみだ。
1996年11月17日 日 晴 緑地公園
この一週間ほとんどこもりっきりだったので体調を整えるために外出する。家族三人で用賀のマクドナルドに寄って昼食。マックの子供用の椅子は使いやすい。
チャコちゃんはトイストーリーのカレンダー欲しさに子供セットを注文してフランス製コーラよりもっと小さいコーラとSサイズのコーラの二つが割当たった。航平はスープポットに入った離乳食を食べる。
その後長津田の緑地公園に行った。ここは整備されていないので山の中にいるようだが子供にとってはかえって自由に遊べる。落ち葉も掃いていないからさくさくと靴が沈む。
青葉台は「Folling Love 恋に落ちて」の舞台になるような新興の美しい住宅地が立ち並ぶ。坂が多くてバギーを押すのは随分苦労する。長津田駅近くのマルエツで買い物をして帰りは「さと」で夕食を取った。
最近マッキントッシュのコマーシャルをテレビと新聞で見かける。マックのCMは少ないので久しぶりで新鮮だった。
私も含めてマックがいいか、ウィンドウズがいいかをよく議論する。私自身はマックに対して利害関係はないのにマックは良いよとつい話してしまう。心からそう思っているから口に出てしまう。マスメディアの表現がマックにとって公平に見えないことも原因かもしれない。
しかしマックとウィンドウズではその規模の相違は余りに違う。アップルジャパンは総勢260名の会社だ。
富士通は5万人、NECは4万人、松下は4万人、日立は8万人、東芝は7万人の社員をかかえる。もちろんそのすべてがパソコンを作っている訳ではないが、その取引先企業数もまた多い。
マックの売場にパンフレットが無かったり機械がフリーズしたままになっていてもそれは機械が悪いからではない。
会社や仕事でウィンドウズを使っても家庭でのマックは楽しい。いろんな種類があるがどれでも喜ばせてくれるだろう。
かやすがさんの日記を読んで私も性格分析をしてみた。ほとんど考えずに直感で回答していったら思わぬ結果になった。
冷たく意気込む無分別タイプ
「非難、中傷お手のもの」という感じで、あまり評判の良くないタイプです。他人の長所は見逃したり、見ないふりをしておきながら、人の粗探しが始まると、目が燗々と輝いてくるタイプです。まともな思慮分別らしきものは、探すのに骨が折れるくらい乏しくて、常に悪意を含んだドギツイ意志に振り回されてしまっているタイプなのです。それでも裏へ回って独りになると、言い過ぎたことや、やり過ぎたことの公開を時々はするのですが、また違う問題で誰かと向き合うと、前の失敗はケロリと忘れて、悪口雑言を吐き散らすようなことを繰り返します。これではだんだんと誰も寄りつかなくなって、行く末は住所不定無職などという芳しくないことが、待ち受けていそうな気もします。思いやりの精神と理性をみがいて、そういう哀れな結末になることを防ぐ努力が必要です。
もしかすると妹は私とけんかをすると私をこんな風だと言うような気がする。こんな風に見えるかも知れない。深層にこんな嫌な自分があるのかもしれない。しかし余りにも考えずに答えたのでもう一度考えながらやってみた。二回占いの禁じ手だ。すると次のような結果だった。
昔のお袋さんタイプ
現在の母親の多くは、とてもこんなシオラシイ生き方をしていませんが、何十年か前までの日本の母親像としては、こういうタイプをごく普通に見かけることができたはずです。日本も戦後50数年、今では激しい様変わりで、若い男性の一部が「ミツグ君」とか呼ばれて、これに非常に良く似たライフスタイルをしていることは、皆さんもよくご存じの通りです。優しくて世話好きだが、物事にルーズで自分にも他人にも甘く、どちらかというとネクラなほうで、とかくウジウジしたところの多いタイプなのです。万事にこれというほどの自己主張を持たず、優しさだけが唯一の取りえで、趣味や娯楽に感情をわき立たせることもないという、社会の脇役に徹したライフスタイルということができます。
うん、確かに私はこんな性格かもしれない。しかし、考えると上は私から見えた一つの父親の悪い所で下は母親の一つの面だ。結局私は上の二つの合間を行っているのかもしれない。あるいは、上は世界中の都会に住む人の共通の欠点かもしれない。
良く面接試験で性格について述べなさいと問われると自分の性格についてはなかなか把握していない。人の性格は量れるが自分のことは結構気が付かない。人はその時その時で違ってもくる。
けいこばちゃんから電話があってひいおばあちゃんが入院するらしい。少し疲れたので休養が目的だ。とんこばちゃんは一時体調を崩したが今は随分良くなったらしい。
航平は手を突いて座れるようになった。私がその手を支えるとつま先で立ち上がる。まだはいはいは出来ないがつかまり立ちは出来そうだ。母子手帳を見るとはいはいとつかまり立ちはほとんど同時期だ。
三軒茶屋のキャロットタワーと言う高層ビルが今日オープンしたのでりさこちゃんたちは見に行ったと言っておみやげにヘリウムガスが入ったふーせんを航平にくれた。
航平は糸とふうせんがつながっていることが分からない。ふうせんに目が行くが糸を差し出してもしらんぷりだ。さわって貰いたくないマウスや箸や新聞は必死に追い求めるのにつかませたいものはつかまない。彼のお気に入りは大人の道具だ。
朝食卓テーブルの子供用の椅子に座っていた航平が頭から転落した。しばらくわんわん泣いていたが幸いに何事もなかった。おでこの左上が赤くなってたんこぶがふくれてきた。薬局で熱さまシートを買ってはりつけた。
椅子といっても手すりがあって、落ちる場所から床までは1メートル位ある。頭から転落して何もなかったのは良かったと思いたい。昨日椅子から盛んに頭を出していたのでシートベルトを用意しなければと言っていた。一日中しくしく泣いているようにも見えて、今日ばかりは最高に甘やかされている。
1996年11月22日 金 晴 公務員のモラル
このところ公務員の不祥事が相次いでいる。公務員のモラルが低下している感があるが、バブル全盛時代の事柄もある。
自分はかつて公務員だったから公務員の頃の思いを書いてみよう。公務員は大半の人が真面目で私的には好感のもてる人が多い。職場の雰囲気も穏やかで精神的には潔白で業者から驕って貰おうという空気は無い。
新人研修の時に50人のクラスでこの中で定年までに懲戒解雇される人は一人だがその人は恐らく収賄だと言われた。収賄には必ず気を付けるようにと諭された。
初めは喫茶店でも昼を一緒にとれば夜も会ったりする。業者は必要以上に接近するので気を許せば懲戒解雇の行く末が来る、という授業だった。
収賄罪で解雇される人は実に可哀想に見えた。誰も自分から業者に金を迫る人は居ないと思った。
から出張はよくあった。今でもあるだろうと思う。全国の多くであるだろうと想像する。から出張を止めた所で研修と言う名の慰安旅行もある。から出張は労働組合の闘争の結果だった。
私自身はから出張をするのは嫌だったが拒否することは退職することだ。むら社会に近い日本の組織の中でから出張の拒否は出来ない。誰かが新聞に投書すれば大きく出るだろうとも思っていた。
から出張をするのは役所に報償のしくみがないからだ。国家の予算規模は60兆円になるが、その内人件費のしめる割合は高い。公務員の生産性は誰も分かっているが実に低い。公務員自身も民間企業に比べて低い生産性にうんざりしている。
から出張は際だって高い生産をした職場への報償だった。だから私はから出張をすることで市民に申し訳ないとは思わなかった。研修やから出張は低い予算で生産性を向上させることだった。
これをモラルが低いと言うのだが、定年まで多くの人が40年間勤める間の実に一年に一度、二年に一度あるかないかの一回1000円足らずのびくびくしながらのご褒美だっ た。
申し訳なかったのは大した仕事もせずに給料、ボーナスを手にするときだ。だからから出張をしない普通の公務員の普通の仕事風景が市民に対して申し訳ないことだった。
真面目にも見える毎日を改革することは出来ない。組合は強いし変える役人に変える動機がおきない。
もし公務員を志望するあなたの理由が安定ならそれは間違いだ。現状のままで継続が難しいことは誰も気づいている。
私たち市民は公務員の生産性の低さを追求するべきだ。公務員も市民の応援は強い味方になる。具体的に仕事をして貰うことだ。
1996年11月23日 土 晴 Happy birthday to us.
午後は駒沢公園に行く。ぶた公園は沢山の人がいる。駒沢公園でのひそかな楽しみは体育館での試合を見ることだ。全国高校バトミントン決勝が行われていた。アマチュアの高いレベルの試合が目の前で息づかいまでもが届いてくる。
バトミントンはかつて女子の服装をスコートに変更する案が出て結局否決された。確かに全員が着用している短パンは情けない。
バトミントンのスピードは高校生でも、早くて目にも止まらぬ様子に見える。試合が終わると高校三年間の成果が涙になっていくようだ。
よく野球やサッカーに目がいきがちだがどんなスポーツもドラマだ。ユニフォームの短パンはスコートに変更するより、自由にはできないのだろうか。
神戸屋でショートケーキを二つ買って夜誕生パーティをした。11月21日は私、26日はチャコちゃんの誕生日だ。23日に一緒に祝うことが多い。缶ビール一つを二人で半分ずつ分けて
Happy birthday to us.
横浜市営地下鉄中川駅近くに出かけた。ここは港北ニュータウンと言われている。前に一度この地下鉄に 乗った時はうっそうと繁る林が続く山だった。
久しぶりに通ると駅ビルが出来て中層コンドミニアムが立ち並んでいる。駅の回りはすっかりと変わって新しい住宅と新しい店舗が所々に出来ている。駅から歩く石畳の坂はケベックやスイスの街を歩くようだ。大通りの一ブロックは広くて歩きがいがある。
山崎公園で年賀状用に通りすがりの親子に家族の写真を撮って貰った。航平がなかなかカメラの方を向かない。こうちゃんと言ったら頼んだ人の7才位の娘が一緒にこうちゃんとあやした。その子が何度もこうちゃんと言う度に私もチャコちゃんもおかしくて笑った。
帰り道に三軒茶屋の高層ビルキャロットタワーに立ち寄った。この建物は三軒茶屋の街としては悲願の建物だ。三軒茶屋は自由が丘、下北沢と比較して似た地理環境だが人気がない。世田谷区は三軒茶屋を商圏としての中心に育てたい。その注目の建物だ。私もこの建物の計画の折りに市民として三軒茶屋の本つくりを楽しんだこともあって期待していた。
出かけてみてあぜんとした。ひどすぎるのだ。批判になってしまうがこの建物は東急と世田谷区と地域住民が施工主だ。東急は田園調布や田園都市線の街作りでも分かるが実に美しい都市開発が出来る会社だ。その東急がこんなひどい建物を作るはずはない。
入り口は狭い。エスカレーターを上がるとつたやがあって商品は密集して置かれ、狭い。下りる時にエレベータを利用したが4人乗れば一杯になる程に小さい。地下の東急ストアに行くのに急勾配の階段。エスカレーターはバギーも入らない程に狭い。駅までの通路は途中20メートル程だけ雨の日傘を指す。東急ストアから出るとき急階段6段程バギーを持ち上げる。高層ビルのエントランスの中央には昔あった三畳程の広さのタバコ屋が同じようにある。
歩けば歩くほど迷路のようで障害が多い。すべてに良い顔は作ったが一番大切なものがない。ビルを訪れる人の心地よさだ。
建物は竣工が第二のスタートだ。使う人の芽までを摘み取らないで欲しい。
午後から秋葉原に行った。いつものようにラオックスからT-zoneミナミに行く。T-zoneの三階のNECコーナーにはパッカードベルの新製品が並んでいる。
ついにNECも日本でDOS-V製品を店頭に並べた。パッカードベルはコンシューマーレポートで二度目に買いたくないパソコンの一位にアメリカでランクされたこともあってサポートが悪いと聞く。合弁によるNECブランドはパッカードにとっても価値があるかもしれない。
そしてその横を見るとNEC製品の安い値札があった。ペンティアム120,16,850,28.8モデム,15インチディスプレーとで10万円だった(Value Star V12 S5 RC)。
96年5月から11月までの製品で、新品らしい。ワードモデルもあったが、一太郎モデルを選んで購入した。昨年11月23日発売から一年遅れでやっとウィンドウズ95が手に入った。
7月の七夕の願いごとがかなった。今時NEC製品は時代遅れの感もある。選んだ理由は最近のサポートが良くなっていること。インターネットを通じて開発者向けに一部サポートが出来たこと。それと私のような未成熟な開発者にも技術資料を毎月送ってくれること。
私は日本語コーパスといって日本語の古典文学のデータベースを作成するのが仕事だ。NEC98アプリケーション情報にはそのソフトも掲載されていて、今もそれを見て購入される人がいる。未成熟な私に対してNECが与えてくれた恩恵は計りしれない。
アプリケーション情報には私のソフトがウインドウズ95対応となって掲載されている。エンドユーザーのお客様が購入された後私がはじめて購入できる有り難いパソコンだ。
午後妹がチャコちゃんの誕生祝いに訪問。相変わらずだったが、ホームページ上には家のことを書かないでくれという注文を受けて一部を削除した。
ホームページの作成については、はじめ技術上の事柄に対して難しいか否かを考える。しかし、少し書き始めてみると技術面についてはさほど困難はない。
難しいのは何を書くかだ。文章は書き慣れている人ならともかく普段書いていないと少し書いても自分の思いが忠実に表現されない。
会話や私信では許される内容も公開される場合は厳格に解釈される。だれも自分のプライバシーに関しては保護されるから勝手に書かれれば不快だ。
書いている途中でチャコちゃんからクレームが付くこともあって書かないこともある。自分の思いや出来事が表現出来ない。
販売されている週刊誌や新聞も最近は見方が少し変わった。前は読んで面白いか、ためになるか、つまらないかだった。今は自分だったらここまでは書けない。よくここまで書けるものだと感嘆してしまう。
人や店も固有名詞で良いかどうかを考えてしまう。そして自信をもって書いても反発や反論、不快感の表明を受けることもある。
ペンは強いからこそ反発されるのかもしれない。書いて良いことが何かを学ぶことが大切だ。最後は頭を空っぽにして書きたいことを書くのが今の楽しみだ。
ホームページを開設している人はどれくらいのメールを貰うだろうか。メールの返事がなかなか出せないが悪しからずといった内容が記されているページも多い。
人気があるページは相当にメールが来るのだろうか。私自身メールのやり取りは時々あるが、このページを読んでの感想、批判、助言を知らない方からメールをいただいた事は今年三月から三通だ。
その三通は嬉しいことだ。返事の方が喜んでいる。下の読んだよ投票のボタンは人気投票に一票が投下される他に私の所に空のメールが届く。空のメールが届くのは煩わしいかと思ったが設けてみるととても嬉しいことだ。バックアップを取って保管される。
よく押す方もいる。そんな方は親のように大切に感じる。意見が一致するにつけ相違するにつけ自分の思いが伝わったと空のメールが言う。
ホームページをもつ前は訪問ボタンを余り押さなかった。未知の事柄で漠然と不安だった。自分の情報は外に出したくなかった。自分は情報と価値を得ればよいのであって対価はプロバイダーに支払う料金だと考えていた。
情報の発信は自発的なもので読んだだけでも感謝されるべきだと思っていた。実に私は横柄だった。
月曜日に購入したウィンドウズマシーンがお昼頃到着した。セットアップの後インターネットにつないで見ると、私のホームページは哀れな姿だ。
時折他の機械も見るので知ってはいたし、多くの人も言うがやはり恥ずかしい。私が作っているのはそれで はない。
しかしいろいろと見るとほとんど同じように作っている人もいるし、もっと違う人もいる。ウィンドウズとマックの関係というのは異人種間の関係や国籍の違いにも似かよる。
人種間でどちらが優れているかを大雑把に主張することは出来ない。互いの違いを知って良いところを具体的に見つめてよりよいコンピューターが出来ればと思う。
導入の感想を幾つか
マックを買ってきた日は楽しくて興奮したのになあと思い出した。いらいらすることは多い。
一太郎6.3で保存して出来るバックアップファイルが同じ一太郎で読めない。毎回の起動の時に画面に閃光が二度走る。CDのアクセスランプが度々点灯する。問い合わせると異常ではないらしい。
NECのサポートはとても良くなった。ハードディスクのかりかり音が大きい。ウィンドウズ3.1用に作った私のソフトはウィンドウズ95では誤りが出る。
ウィンドウズマシンはインターネット接続からファックス送信テストを無事に終えた。インターネットのメール送信が出来ないので問い合わせるとコントロールパネルからプログラムを削除して再設定するように指示されたがやはり出来ない。
問い合わせるとコントロールパネルから通信設定を削除した場合、復活するにはシステムの全部を再インストールするそうだ。噂に聞く再インストールというのもやってみたいなと思いながらとりかかった。
私のマックの再インストールはボタン一つで10分程で完了する(7.5.1)。ウィンドウズの苦労が体験できるぞと思った。再インストールは順調に進んだ。ほとんど無事に経過した。終わって時計を見ると6時間かかった。大変な作業だ。
マニュアル90ページにわたって細かい設定のタイプ入力と再起動が続く。途中の記述は専門的だ。無事に終了してインターネット接続、ファックス送信、インターネットメールの設定をして幾つか試してみると無事全部出来るようになった。
エクスチェンジと言うソフトで全部が起動するようになっている。テストも終了してやれやれと思ってゲームを見ると入っていない。スクリーンセイバーもない。
再びゲームとスクリーンセーバーだけをインストールした。インストール後ゲームをして、インターネットに接続するとつながらない。ファックスもだめだ。再びはじめからやり直しだ。
私も人並みに苦労を共に出来る。この時代に生きた8割シェアの一体感を得たと思うより仕方がない。
一太郎7が届いてそのままインストールした。印刷イメージ画面に設定して編集すると気分はマックだ。