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96年12月

山口 正司             


1996年12月 1日 日 晴      メディアバレー 1996年12月 2日 月 晴      バックアップ 1996年12月 3日 火 晴      マック 1996年12月 4日 水 晴      書状 1996年12月 5日 木 冬の嵐    すっぽかし 1996年12月 6日 金 曇後晴後小雨 アップデートファイル 1996年12月 7日 土 晴      はいはい 1996年12月 8日 日 晴      鴨池公園 1996年12月 9日 月 晴      半角のスペース 1996年12月10日 火 晴      風邪 1996年12月11日 水 晴      38度9分 1996年12月12日 木 晴      ペーパーレス社会 1996年12月13日 金 晴      突発性発疹 1996年12月14日 土 晴      年賀状の印刷 1996年12月15日 日 晴      砧ファミリーパーク 1996年12月16日 月 晴      りんご 1996年12月17日 火 晴後雨    コンピューターは脆弱 1996年12月18日 水 雨時々曇り  ほっぽらかす 1996年12月19日 木 晴      会食 1996年12月20日 金 晴      ペルーでの人質事件 1996年12月21日 土 晴      抜糸 1996年12月22日 日 晴      秋葉原 1996年12月23日 月 晴      年賀状の宛名書き 1996年12月24日 火 晴      クリスマスイブ 1996年12月25日 水 晴      席を譲る 1996年12月26日 木 晴      正月用品の買い物 1996年12月27日 金 晴      仕事納め 1996年12月28日 土 晴      年末のスケジュール 1996年12月29日 日 晴      競争 1996年12月30日 月 晴      航平の為 1996年12月31日 火 晴      盆も正月も

1996年12月1日 日 晴  メディアバレー

 家族で町田にオープンしたダイエーメディアバレーに 出かけた。店舗面積がラオックスの三倍というが品揃え は三倍ではない。

 ゆったりとしているからバギーを押して座る所もある。 おむつを変える場所もある。コーヒーをサービスしていて 使う水はダイエーのセービング商品だった。

 秋葉原と比較して何処の店でも全般に感じるのはパソコ ンやプリンターなど高価な物の値段はそれ程変わらないが 売れ筋でないサプライ商品が高い。ちょっとしたものを買 うのにわざわざ秋葉原には行かない。パソコンなら出かけ る。そのあたりの心理が上手に読まれている。

 楽しかったが再びこの店に来ることはもう無いだろう。 本格的な秋葉原価格の店舗が郊外に出来たら相当に集客す るだろう。

 帰りに向かいの東急百貨店の中の銀座はげ天で食事を した。航平もだんだんに外食が進歩している。ところが この店混んでいて後ろで客が怒りだしてしまった。

 そして再び怒っている客が出た。てんぷらを揚げては もってくる方式だから一度もってきて待たされれば客は 怒って当然だ。

 チャコちゃんは「ねえ怒らないでよね。」と言いながら 航平と遊びながら食べた。大体、家の家族は持ってきてく れるだけで十分有り難い。

 しばらくするとあちこちで謝っていた優しそうな店長 がアルバイトを大声で怒鳴りつけた。 「何で俺が三つも仕事をするんだあ。」 その後、しーんとなって誰も客は怒らなかった。てんぷ らの量は間違えて二つ多かった。





1996年12月2日 月 晴  バックアップ

 ウィンドウズマシンの設定は大体終わった。インター ネットに接続してエクスプローラーもネットスケープナ ビゲーターも無事に作動する。ファックスも動作する。

 PDにバックアップを取ろうと思ったが聞いてみるとシ ステム全体のバックアップ媒体はフロッピーディスクか テープストリーマーだけらしい。

 マニュアルには必ずフロッピーディスクを使用しなさ いと書いてある。フリーソフトか市販のソフトにあるら しいが今の所分からない。

 違う機械を使うのは何時までにしなければと思えば煩 わしいが、楽しむ分には面白い。違う度にひゃあひゃあ 言いながらチャコちゃんにも見せる。

 こっちを動かすとそっちが動くかなと思いながらあー だこーだとやってみる。

 そんな作業は大人のおもちゃだ。航平が新聞広告をな めては破るのと親子で大差が無いかもしれない。





1996年12月3日 火 晴  マック

 機械と対話を続けると日記を書いたり読んだりする気 持ちが乏しくもなる。設定や何かでゆったりとした気持 ちが侵される。

 マックが心地よいと言うのはユーザーインターフェイ スが統一されていて分からないことが少ないという意味 だ。

 スカジーボードが標準で装備されているから後から付 属品を買っても設定することは少ない。ネットワークも 二台なら細いケーブルを一本つなぐだけだ。

 グラフィックが得意というのは動きがなめらかだとい うことだ。置きたい所に点を打ち引きたい所に線が引け る。ゆったりとしっかりと動いてくれる。

 日記を読むのもスクロールがはっきりと下りるので文 字が流れずじっくりと読める。動きが落ち着いている。

 習字の時に良い筆は穂先がすっきりとするが悪い筆を 使うと線が震えて描きたい線が書けない。

 マックの不得意は並べることだ。大きい順に並べたり 日付順に並ばせたり分類するのは全体に苦手だ。商品を フロッピーに納める時に一つくらいはなくてもいいやと 思ってしまう。





1996年12月4日 水 晴  書状

 下のフロアに住んでいた女性が五月に転居した。その時 お母さんの具合が悪いからと言っていた。女子の就職が思 うにまかせない時期で就職間近の実家への帰省だからびっ くりした。少し前に会ったときのお母さんは元気だった。 大体お母さんと言ったって私とそんなに変わらない年だ。 具合が悪いなんてなかなか理解出来なかった。

 今日郵便物の中に彼女から年賀欠礼の挨拶状が届いた。 誰がとは書かれていないが、お母さん以外の家族の氏名が 結びに記されている。そんな書状が何通か舞い込む季節だ。





1996年12月5日 木 冬の嵐  すっぽかし

 冬の嵐だ。雨が横なぐりに吹きつけている。 何事もない一日。外出もしないし、毎日おちあっ てぶた公園に出かける航平とチャコちゃんも電話 を受けてキャンセルになる。この天気では出かけ られない。

 頼んでいた掃除機のブラシが届いた件、連絡を 以前にしたのですと言って再び電話が来た。私が 受けてすっかり忘れていた。嵐のなかチャコちゃ んが電気屋に取りに行った。

 歯科医の予約日を忘れて二回すっぽかしたばか りだった。歯科医から年ですよと言われた。

 航平が生まれてから良きに付け忘れる。航平は どうかというと、今遊んだおもちゃも忘れて次の おもちゃを求める。今悔しい思いをしたのにすっ かり忘れて笑ったりする。

 大人になると忘れたいことがふっと頭に浮かぶ が新しい記憶が取得しにくい。頭を抱えたくなる 程、記憶からいじめられることもある。





1996年12月6日 金 曇り後晴後小雨 アップデートファイル

 ウィンドウズのアップデートファイルがあるこ とを川島さんのページから教えて貰った。

 一昨日秋葉原に行ってソフトを見たが、システ ムをPDでバックアップするシァイアンという名前 のソフトはDOSV用だけで、ラオックスの公衆電話 で会社に問い合わせると98のシステムをPDでバッ クアップすることは出来ないそうだ。

 アップデートファイルの数からみても相当にリ ビジョンアップが繰り返されているので、PDや MOが対応されるのを待つか、テープストリーマー を購入しなければ、安心して使い始められない。

 自分が作ったファイルだけをバックアップして 後の設定はあきらめて時々再インストールするの が通常の使い方なのだろうか。

 10個程あるウィンドウズのアップデートファイル もその度にインストールするのだろうか。使う前か ら気持ちがしぼんでしまう。

 結局再インストールするならじゃんじゃん使おう と思い、書店でFreeBSD(UNIXのシステムフリーソ フト)入門キットという本を購入してUNIXを体験し てみた。

 UNIXはさわった事はあるが使った事はない。マッ クがいいのウィンドウズがというが世の中にOSは数 限りなくある。

 UNIXは大学で学生にコンピューターを使わせるに はもってこいという雰囲気だ。マックなら幼稚園、 ウィンドウズなら中学生だろうか。

 インストールするにも随分かかったが、無事にLOGIN と出たときにはマルチタスクだなあと感慨があった。 新しいソフトを使う以上に新しいOSは奥が深い。

 友人が入社した先でUNIXを使わせられてと聞くと それは大変だねと話したが今のインターネットがUNIX に与えた衝撃は大きかっただろう。

 マルエツの二階の書店でさえもこの本が置いてある 位だ。ラオックスの書籍売場もUNIXの本が相当増えた。 今からUNIXを学んで何が出来るかとも思うが分からな いことは知りたいのが人間だ。





1996年12月7日 土 晴  はいはい

 昨日から航平がはいはいをするようになった。 はいはいする体勢は映画の怪獣の動きに似てい る。何かの目標を見つけるとゆっくり、じわり と近づいて手に取って口に入れては出す。

 ごみ箱の中身など口に入れて欲しくないもの に近づいた時にそれをどけると目標を失って茫然 とするが、また別の触れて欲しくない物を見つけ てゆったりと向かって行く。

 代わりにおもちゃを置いても目もくれずに大人 の道具に向かう。はいはい出来て真っ先のお気に 入りは電話台の引き出しだ。

 開けると中には、はさみ、ドライバー、虫ピン 、かなずち、ラジオペンチ、ボンドが入っている。 引っ張り続けると引き出しが落ちる。

 近づいては引き離すが振り向いてはゆったりと 引き出しに向かって進む。五段ある引き出しの取っ 手に物差しを上から通して簡単に開けられない ようにした。

 しばらくがたがたゆらしたがそれであきらめた。 何かにつかまって立とうとする姿勢には感動する。 近づくと手を出すが、こちらで手を差し出すと つかまってなんとか立とうとする。

 立とうとする運動を一日中何回もする。 「天はみずから助くる者を助く」を感じる。





1996年12月8日 日 晴 鴨池公園

 ツカサキッズという子供向けの大型店が横浜市に 出来たというので行ってみた。途中港北ニュータウン を通った。

 年賀状に使う家族の写真を撮って貰いたくて公園 で通りすがりの年配の男性に頼んでみた。直ぐに撮っ てくれたが私たちがポーズする間もなくシャッター を切って、歩いて行った。

「せっかちな人だね。」チャコちゃんと二人でびっ くりした。その後犬を連れている中年の夫婦に頼ん だ。するとほとんど話しをせずに直ぐにシャッター を切ってカメラを返して二人は無言で立ち去った。 年末だから皆気がせいてるのかな。と思った。

 またしばらくしてよちよちと歩く子供を連れた夫 婦に頼んだ。男性はここを押すのですかと尋ねた後、 シャッターを切って何も話さなかった。

 近くに子供用のログハウスがあって立ち寄った。 中は忍者屋敷のように複雑に遊具が配置してあって 駆けめぐるように子供が遊んでいる。付き添いの大人 が三人そこにいたが、目の焦点があっていない。

 11月24日にこの近くの公園に立ち寄ったときは 何人の人に明るく声をかけられたかしれない。その時 立ち寄ったところは中川駅近くでほとんど最近出来た ニュータウンだ。そしてこの鴨池公園は横浜ニュータ ウンと言っても初期に開発された地域で既に15年程の 歳月を経ている。

 ニュータウンに転居してきたばかりの人たちと15年 を過ぎて落ち着いた人たちの違いなのだろうか。五六人 と接しただけではっきりとは分からない。思い過ごしか と思ったが漠然と不安な気持ちになった。

1996年12月9日 月 晴  半角のスペース

 文章の中に半角のスペースが混在していると教えて 貰った。ネットスケープ3.0とエクスプローラ3.0で 所々に入るそうだ。

 それで、雑誌の付録からエクスプローラ3.0をイン ストールすると確かにここ-> に半角のスペースが入っている。

 それぞれ2.0では正常に表示される。ソース上の改行 マークの場所が半角スペースになる。私は今まで通り なのにバージョンアップされて、正常に表示されなく なってしまった。

 大したことではないが商品になる場合にはややこ しいと思う人もいるだろう。そんなケースを避けたい とは誰でも思う。

 従って出来る範囲にしか出来ない。いろいろと試 すが現在のタグを使う以上、この半角スペース-> <-を回避するのは面倒だ。

 結局面倒が原因だが面倒だと言えないので 企業なら何か理由を考えるだろう。パソコンは過 渡期の商品だと思う一瞬だ。





1996年12月10日 火 晴  風邪

 夕方、航平に熱があって、医者に行くと風邪の診断を 受けて薬を貰ってきた。38度熱がある。こんな熱が出た ことは幸い今までにはなかった。

 薬を飲んで一眠りして再び熱をはかると、薬が効いて 36度5分に下がっていた。なんとなく神妙な顔つきで 元気がない。食欲はある。

 航平の具合が悪いので家の中の会話が熱のことにな る。チャコちゃんの頭から熱が離れない。

 私自身は歯科医での治療からの痛みが続いて、なんと なく不自由している。不幸な気持ちはありふれたことから もやってくる。打ち勝つ対象でもなくてなんとなくさえな い。





1996年12月11日 水 晴  38度9分

 航平の熱は38度9分になった。食欲はあるがくったり としている。笑うのも力がない。抱くと熱気が伝わって くる。便は三回あって最後はゆるくなっている。

 顔色はそれ程悪くない。明日は小児科医に再診に出かけ る日だ。薬を飲むと直ぐに寝てしまう。熱が上がるに連れ て私は心配になるがチャコちゃんは昨日に比べて落ち着い ている。

「知恵熱や突発性湿疹で誰もが経験することだから大丈夫。」 と昨日とはうって変わって太っ腹だ。私は子供の頃、体が弱かっ たから、親は苦労しただろうなと思う。「子を持って知る親の恩」 だ。






    ぶた公園のぶらんこ





1996年12月12日 木 晴  ペーパーレス社会

 航平の熱は下がらないが元気は戻っている。小児科医 では明日には下がるという診断だった。食欲もあってよ く笑うようになった。

 年末でコンピューターを置いている部屋の掃除をした。 しかしコンピューター導入でペーパーレス社会の到来とい う話しには、私もその頃はまんまとだまされてしまった。

 部屋の中の物をすっかり外に出してみるとコンピューター だけになる。外に出たのはほとんどがコンピューターあれ ばこその品々だ。コンピューターがなければノートと住所録と 電卓くらいで大体の用は足りる。

 一体どれだけの資源をコンピューターは食い尽くしたかし れない。その分の楽しみも貰ったけれど。





1996年12月13日 金 晴  突発性発疹

 夕方小児科医の元にチャコちゃんが航平を連れて行っ た。突発性発疹だと医師は話したそうだ。気がつかなかっ たが夜になって体に点々と赤いうっすらとした斑点がでている。

 突発性発疹は子供が出来るまでは知らなかったが多くの 子がこの時期かかるそうだ。風邪の症状で熱が下がると 発疹が出る。

 心配のない病気で直ぐに直るそうだ。一度かかると免疫が 出来て再びかかることはないらしい。熱冷ましの薬は飲んで いるがだいぶ元気をとり戻している。

 医師からは 「これでお役目一つ果たしましたね。」と言われてきた。





1996年12月14日 土 晴 年賀状の印刷

 航平の具合はほとんどいつもと変わらない位に良くなっ た。薬はまだ飲んでいる。風呂はまだ入っていない。発疹 はうっすらとわずかに見える。元気と笑顔は戻った。

 午前中年賀状の印刷を依頼した。三人揃っての写真入り。 ホームページのアドレスを入れた。21日の土曜日に出来上 がる。

 予定通り午後歯科医院で手術を受けた。糸切り歯の歯根の 一部と腫瘍を切除した。手術中は麻酔で痛みはないが やすりとはさみでぎいぎいと頭に響く音と出血でのストレス が大きい。術後は激しい痛みが出た。夕食時には痛みはない。 口の中に何針かの糸が出ている。来週土曜日に抜糸。

 夕食時NHKテレビで一時間半の忠臣蔵の検証番組。よく 出来ている。

何故47人で150人の吉良勢を破れたか。

  討ち入り志士はキャタピラで装備。
  吉良勢は寝起きで雪の中裸同然。
  120人は長屋から外に出なかった。

吉良屋敷の模型、2700坪の敷地の大屋敷。

外塀の高さは三階建ての建物位に高い。

実際に吉良氏が隠れた場所は寝室の近く台所横の 炭置き場。外ではない。

志士たちの準備が何故発覚しなかったか。

  本所は江戸時代のニュータウンで他人に干渉しない土地柄。

忠臣蔵が用意した武器、やりが多い。年寄りが多いから。

 NHKが製作した吉良邸の実物模型を元にバーチャル リアリティでの忠臣蔵討ち入りのソフトは歴史的に 価値があるかもしれない。





1996年12月15日 日 晴  砧ファミリーパーク

 午後から外気浴のために家族で外に出た。今日は世田谷区 ぼろ市の日だ。江戸時代から続くリサイクル、フリーマーケット だが毎年規模が大きくなっている。

 立ち寄りたかったが航平はまだ本調子ではないし、 歩けない程の混雑になっている。近くをとおり、砧(きぬた)公園 に行った。

 ここはかつてゴルフ場だったので全体に芝が敷かれて いる。よちよち歩きの子供に最適で砧ファミリーパーク という別名のとおり子供が多い。

 区営世田谷美術館と結婚式もできる区営のフランス風 レストランは美しい造りだ。その横には清掃工場の煙突が 大きくそびえている。

 しばらく振りに来たが規模は大きくて遠く世田谷総合運動場 まで広がっている。横に東名自動車道から下りる車列が見えたり トランペットを吹く音色が聞こえるのはいかにも都会の公園だ。

 夜NHK番組を見る。幸せな気持ちになれたり、社会性が増したり、 子供の集中力を得る薬品が米国で多くの人に服用されているそうだ。 日本では認可申請中らしい。

 ストレスは脳の働きに大きく影響していて、薬品が影響を補う そうだ。新しい薬品の出現で医療が変わることが予想される。





1996年12月16日 月 晴  りんご

 長野県の知人からりんごを頂いた。自宅で採れたもので 袋を掛けていないから赤くなくて見栄えが悪いと言う。

 市場に出すのは袋を掛けて綺麗に作るそうだ。袋を掛けずに 太陽に良くあたったりんごは見栄えが悪くても味は良い。 食べると確かに美味しい。どうしても人は見栄えに弱い。 袋を掛ける苦労は大きい。





1996年12月17日 火 晴後雨 コンピューターは脆弱

 部屋の掃除が終わらず、先週からちらかったままになっ ている。昔のPC98のゲームを新しい機械で試すとかつてと 同じ音が出て来た。

 たまったフロッピーディスクのラベルを見るとバック アップの連続だ。コンピューターが脆弱でどれほど自分 が苦しんだか分かる。

 名簿は今も手書きだ。見えない所に大事なものがある ことが信じられない。コンピューターを何に使うか決めて 購入しようと言うが今も使い道はよく分かっていない。 遊び道具としてなら、未完成だから、一級品だ。





1996年12月18日 水 雨時々曇り ほっぽらかす

 掃除や片づけはやり始めると勢いづく。成果が目に見 えて来る。今まで大事にとって置いたものに自然に見切り が付けられる。

 何かに結論が出ない時つまり捨てるかどうか迷うとき、 放って時間がたつと自然に結論が出る。分からない時には 考えずにほっぽらかすのも人の知恵だ。

 午後は晴れるという天気予報がはずれて一日雨が降り続く。 テレビはペルー日本大使館でのゲリラ事件を報じている。 年の瀬でチャコちゃんは障子を張り替えようかと言うが 年が明けてからゆっくりやればいいよと答える。 床の間はぶんぶく茶釜が押しのけられて、 まだ古いコンピューターが飾られたままだ。

 雨の中チャコちゃんは航平をだっこして傘をさして お茶屋と八百屋に買い物に行く。航平に雨を見せたいのも 一つの理由らしい。半分に切られた冬至のかぼちゃを買って来た。





1996年12月19日 木 晴  会食

 チャコちゃんは病院で同時期に出産した人たちと 一緒に自由が丘銀鮨に航平と一緒に会食に行った。

 三四日前に電話で誘いがあってはじめは断っていた が、私が勧めて、あらためて電話して、参加した。 勧めた理由はメンバーの一人の夫がその銀鮨の板前で、 それが鮨で、全員が子供連れだからだ。

 私は酒を飲まないのでゆっくりチャコちゃんと 航平と三人で鮨屋になかなか行けない。カウンターに 座ってとろだ、いくらだと言って食べられない。

 さらに航平が生まれてからは鮨を食べる機会は もっと少ない。全員が子供連れで9組揃っての食事は 子供の手に届かないように座卓の真ん中に皿が集まって いたそうだ。

 自由が丘まで送ってそこで私は帰ってきた。 私が勧めたから来たんだということと、私が自由が丘まで 送ったということを必ずみんなに話してと言って、 ロータリーで降ろした。話してねの所も話したかも しれない。





1996年12月20日 金 晴 ペルーでの人質事件

 一日中ニュースはペルーでの人質立てこもり事件の 報道を流している。事件は偶発的な出来事ではなくて 主義主張のぶつかり合いとしての戦争に見える。

 延々とニュースが流れるとこの事件について自分の 頭の中でも何かをまとめたい衝動に駆られる。漠然とした 不安があるのだろうか。

 そんなときに頼りになるのはCNNとBBCのニュースだ。 CNNもBBCも毎正時トップニュースで語られるし、特別番組も 組まれて大事件として扱っている。

 しかし、それは他国での出来事であって、いつものトップ ニュースと大きくは変わらない。地球市民としてみると この事件はチェチェン紛争と同じように懸案事件であって 人間の世界である以上しばしば起きる出来事の一つにも 見える。

 私たちはどうしても自分の身の回りのことには感受性が 高くなる。この事件が小さい事件だと言うのではない。 もっと目を向けるべき事件が世界には山積している。

 ところでBBCは地下鉄サリン事件の犯行団体をオー ム真理教だと事件直後に特定した。その時どの新聞各社も、 他のテレビも犯行団体の報道はなかった。その頃は興味 本位で報道した事件でオー ム真理教は裁判闘争をしていた。各報道機関は真実を報道 するに躊躇したかもしれない。

 特ダネとしてでなく、BBCだけが犯行団体を特定して 放送し続けることに事件直後は全く理解できなかった。 日本の報道はどこも横並びの傾向が強い。 これはBBCが特別に素晴らしい報道力を有していると 言うのではない。見方や観点が違えば正しい ことを見極める力も高くなるだろうということだ。 正しい ことを正しいと述べる勇気に人は注目している。





1996年12月21日 土 晴 抜糸

 午前中歯科医で抜糸をした。ひきつった痛みが 続いていて、不安だったが抜糸後は痛みが薄らいだ。 歯科での抜糸は外科手術での抜糸に比較して痛みが 少ないそうだ。

 軽くひっぱるとするりと抜けていくようだった。 昨日まで航平に笑いかけると痛いので恐い顔ばかり だったが今は心地よく笑える。

 四時に出来上がるはずの年賀状を六時に取りに行くと 写真店には届いていなかった。帰ってから航平と冬至の ユズ湯に入って、髪の毛が濡れたまま再び取りに行った。

 出来上がりの写真年賀状は暗くて思ったとおりではない。 色見本で写真を添えているのに暗い仕上がりになっている。 字の配置も不自然にちらばっている。そしてホームページ アドレスを入れる手数料が必要以上に加算されている。 いきさつを話すと必要以上の料金は差し引かれた。

 昨年は写真年賀状をジャンボーというディスカウンターに 依頼して今思えば格安でしかも美しい仕上がりだった。 E-Mailアドレス掲載費用もFax番号掲載費用もなかった。

 今年は富士写真フィルムに依頼して私から見れば 二流の仕上がりで料金は高かった。名の通る大手だから 出来上がりが良いだろうと信じた気持ちは間違いだった。 請負仕事だからやり直しは利かない。不出来になっている 点は我慢しなければならない。





1996年12月22日 日 晴  秋葉原

 チャコちゃんは航平と一緒に川崎にいるお父さんの 所に誕生日のお祝いに出かけていった。70才になる そうだ。楽しく過ごしたらしい。

 私は家で年賀状を書こうと思ったが気がのらず、 秋葉原に行った。今年一番の人手で、人が多くて 商品が見えない。ボーナスも出て、冬休みもすぐで、 クリスマスも正月も来る最高の日曜日だ。

 一人で歩いていると人の話し声が耳に入ってくる。 母親が子供に
「誕生日に買ってあげるから。」
「誕生日は何にもいらない。」
なんて聞こえてきて微笑んでしまう。

 マッキントッシュ用に使ったアドテックの8メガの メモリーが一枚余っているのでウィンドウズ用にもう一枚 8メガメモリーを購入したかった。

 見ると一枚が3600円だった。聞いてみるとペンティアム には二枚単位で増設するが二枚が同じ会社のものでないと 動作しない可能性があると言われた。

 それでアドテックを見ると一枚が10800円だ。 それならここで二枚買った方が安い。コンピューター商品の 値段は何時でも不可解がつきまとう。

 秋葉原は1980年代の家電不況の時には人が少なくて 電気製品は量販店で購入するようになっていた。その頃は 広瀬無線が労働争議から倒産に、サテライトスタジオだった シントムエコーも倒産して表通りの店が次々と閉鎖された。

 パソコンはうっすらとしたそこはかのない、おもちゃの ような商品だった。それが私自身も今年は何度秋葉原に足を 運んだか解らない。秋葉原もよく立ち直ったなあと思わず 感慨にふけってしまう。

 ところで神田川が先月からの捜査のどぶさらいで随分綺麗に なったような気がする。橋から見ると50センチほどもある錦鯉が 100匹程も泳いでいる。





1996年12月23日 月 晴 年賀状の宛名書き

 印刷はされたもののまだ何も手を付けていない 年賀状にとりかかった。名簿は手書きで書いたものを 使っているが年賀状の宛名書きはコンピューターを 使っている。

 清書機として使っている。年賀状作成が終わると 自動的に住所録は出来上がるが一年を通して使うのは 手書きの住所録だ。能率が悪くて不可解に見えるが 自分にとっては最も能率が高くてやりやすい方法だ。

 クラリスワークスのデータベースを使うがこのソフトは 使いやすくて素晴らしい。ウィンドウズ用も最近 買ったが基本的には同じ造りなのに多少あちらこちらが どうしてもマックのようにいかない。それぞれ完全にファイル の互換はとれていない。

 データベースに郵便番号は一文字ずつ入れて毛筆フォント で釣り合いを取りながら住所を記入していく。 クラリスワークスのデータベースは自在に印刷場所を 設定出来るからどんな形の封筒も葉書も簡単に位置調整が 出来る。

 見たままが印刷されるから相手の住所もバランスが とれていて美しい。キーが次々と自分が行きたい所に 運ばれていくのも頭がよいなと感心する。

 昨年の分があるのでほとんどはそのままだ。チャコちゃんは そもそも手書きで書くが、私が昨年仏こころで宛名を入力した ので今年も全部の宛名を仕上げた。年賀状に関して昨年と今年の チャコちゃんは幸せだったと思う。

 ところでホームページアドレスを印刷で入れたが 結構プライバシーもこのホームページには多い。 よく私のことを知っている人とほとんど知らない人には ここに出ている私のプライバシーの価値は無い。

 しかし隣近所の人でよく挨拶もし、プライベートな面での つきあいのない人でコンピューターを使う人にはどうしようかと 悩んでしまった。

 結局貰ったら出そうと思うが、何も当たり前のことが 書かれているのだから気にすることは無いと思おう。 はじめてホームページを出したときも似たような恥ずかしさは あったから、そのうち慣れるだろう。





1996年12月24日 火 晴 クリスマスイブ

 航平にとってはじめてのクリスマスイブだから、 と言ってチャコちゃんは書店で絵本を買って クリスマスプレゼント用の包装にしてもらっている。

 ケーキ用のホィップはなかなか泡だたなくて 雪印に問い合わせたら、もう一度ボールごと 冷蔵庫に入れて泡だたなかったら、何とかしましょう と言われた。そのとおり冷蔵庫に入れると 見事に泡だった。聞くと植物性脂肪のタイプで、 プロもしばしば失敗しますと言い訳していた。 しかし、何とかしましょうと 言ってどうするつもりだったのだろう。

 出来上がったチャコちゃんケーキに一度使って貰ってきたサンタの ローソクをたてて、鳥の唐揚げや、スープに、イメージビデオを セットしてビデオと写真を撮った。 シャンパンは忍玉乱太郎シャンパンで飲むとサイダーだったが、 音は本物と同じだった。

 航平にとっては何も解らなくて普段と同じ日だが 寝る前にあやすと妙に長い間笑い続けて幾らでも 笑うのがおかしかった。





1996年12月25日 水 晴  席を譲る

 三週間程前のことだ。秋葉原に行くときに地下鉄銀座線 の銀座駅で年配の老婦人が乗車した。座っている私の前で 見送りの人に笑顔で挨拶して電車は走り始めた。立ち姿は健康そ うでデパートの買い物袋を持っている。しかし年配の方なので、 私は中腰に立って、
「もし、宜しければお掛けになりますか。」と、尋ねた。 すると老婦人は
「いいえ、すぐに下りますのでご心配なく。」と答えた。

私自身は席を譲るつもりでいたから したいことが出来ないようで直後は少し気まずかった。 二駅ほど先で老婦人は降り際に、
「有り難うございました。」とにこやかに言って降りた。

 席を譲ろうとして旨く 譲れなかったり、譲ったがその後何となく気まずかったりすること はよくあることだ。若者が席を譲らないというが、若者たちも 一度はそんな気まずい経験をしてきただろうなと思った。

 シルバーシートに若者が座ったままでいると批判する人も 多い。私自身は大学に通う頃新宿から渋谷への5分の間 不健康で立っていられなかった。 今は幸い健康だからいくらでも立っていられるし、 席を譲れることは幸せだと思う。だから批判する人は 健康だと思うこともある。

 ところで、もっとも批判されるべきなのは 電車の中で座れないという状態だと私自身は思っている。 電車は座れて当たり前で、年配者が乗るのに席がない 状態をむしろ恥ずべきだと思っている。

 私たちはよく道具や回りに責任を転嫁しないで、 工夫と思いやりでなんとかしなさいと 子供の頃から教育された。

 だから誰もこの国で電車をなんとかしろなどと 言う人はいない。そんなことを言っても 誰も取り合わないことは確実だ。

 しかし私たちは座れる電車に乗ることを 主張するべきだと思う。公共交通機関に 座って移動することは当然のことだ。

 しかし、どうすれば達成できる のだろうか。それは、東京から権限を 各地域に移譲して、東京に伺いをたてなくとも 十分に発展出来る仕組みに変えることだ。

何でも東京に来なければ話しが進まない という状況を改めることだ。 具体的には霞ヶ関の力を地域に移譲することだ。





1996年12月26日 木 晴  正月用品の買い物

 正月用品の買い物に家族で出かけた。駒沢交差点の 角の八百屋でかぼちゃと白菜、やつがしら、いちごに、 ごぼう、どろねぎ、ほうれん草などを買った。

 年末になると野菜の値段が上がるが、今年は全体に 出荷量が豊富で品物が良い。やつがしらって一年通して この時くらいしか買わないが、これが無いとしまらない。 今日は風が強くて航平はバギーの中で埋もれている。

 その後碑文谷のダイエーに行った。ダイエーは 一月一日から営業するらしい。まだ本格的に正月用品は 並んでいない。田作りが無くて探したが見つからなかった。

 パソコン売場で富士通のタッチおじさんのバッジを貰った。 なかなか手に入らないという噂のバッジだそうだ。かわいいので 二個貰った。

 テレビ売場ではニュースが自由主義史観研究会の 特集を流している。慰安婦の記述を教科書に入れるべきでは ないと主張する団体だ。

 横の書店を見ると平積みでその「教科書に書かれていない日本史」 の書籍が並んでいる。ぱらぱらと見ると戦前の修身の教科書のようだ。

 自由に何でも述べることが出来る今の時代は平和だが、 言動が他者を傷つけることは誰も欲していない。 どんなディベートも謙虚と豊かな愛情が根底に必要だ。

 慰安婦問題は事実である以上正しく事柄を知っておくべき だろう。教科書に取り上げなくとも知る必要はあるし、 教科書に取り上げられる価値も有るだろう。

 むしろ検定済み以外の教科書を採用できない事実が不適切だと 信じている。学問は初等教育のレベルから多様な 立場や方法から成り立っていることを学ぶことが出来る。 多様な思想の集積だからこそ一致した内容については 習熟も大切なことだと解る。子供も複雑な事象を 理解出来る。教科書の選定は学校にまかせ、学校の 選定は子供に任せればそれで十分だ。





1996年12月27日 金 晴  仕事納め

 仕事納めの日だ。世の中はこれから正月休みに 入る。独身の頃は正月が嫌いだった。年賀状に書くことは なかったし、出してもまだ独り身かと思われそうだし、 おせち料理は一人では美味しくない。

 同じテレビを見ても正月だけは寂しかった。今年は にぎやかだから楽しいかと言っても、そんなに急には 楽しくはならない。

 正月の楽しさは日本人の多数派、マジョリティに 属さないと永遠に楽しめないような気がする。クリスマスは 愛し合う二人がたとえ世間から孤立しても何ともなく 楽しめそうだが、正月だけは親戚、家族、従業員など共々が 大勢で家長を祝う風情が楽しそうに見えてしまう。

 そんな見えないものと反発する気持ちがどうしても 正月を楽しめない理由なのかもしれない。

 家の近所のマルエツもダイエーにならって元旦の営業を 行うとちらしに出ていた。元旦の営業は従業員には恐らく 不評だろうが元旦営業で私は心が安まる。

 世間のすべてが静まり返ったあの元旦の様子は少数派を 受け入れない風情と大多数派の押し寄せるような強さが 自分を痛め苦しめるようなのだ。





1996年12月28日 土 晴  年末のスケジュール

 年末のあわただしさが一日中流れている。 朝から黒豆が弱火でことことと音をたてている。 土井勝式とか言って誰もが失敗しないで煮えるらしい。 たまたまチャコちゃんの持っている本のやり方通りに しているので朝からずっと音がしている。

 昼頃チャコちゃんは航平を連れてぶた公園に行ったが 今日は男性が多かったそうだ。そういえば夕方スーパーに 行くとレジの係りも男性が多かった。女性は正月にかけての 知識が豊富で家庭でひっぱりだこになっているのだろうか。

 チャコちゃんは私と違って日程に従ってこつこつと 仕事をこなすタイプで年末のスケジュールがきちんと既に 決まっている。それによると今日が一番の山場になっている。

 おそなえもちは直径が7センチくらいのものを 買ってきたが、おととい葉付きの蜜柑をチャコちゃんは
「かわいいから買おうよ。」と言いながら、一緒に私が居て
「いらないんじゃないか。」と言って買わなかった。

 葉付きの蜜柑を載せても落ちてしまう位におそなえが 小さいからだ。そしたら、チャコちゃんの目に 涙がたまっている。
「なんでそんな詰まらないことで泣いてるの。」と言ったら 直ぐに笑顔が戻った。チャコちゃんはきっと優雅な独身時代を 思い出したのかもしれない。

 蜜柑一つで泣かせてしまったと思いつつ、夕方、私が一人で買い物の時に その葉付きの蜜柑を一個買った。玄関にその蜜柑をだまって置いた。 後からチャコちゃんが見つけて忙しい合間に航平も一緒に ひと息つけた。





1996年12月29日 日 晴  競争

 昼前航平と二人で散歩に出た。二人での散歩は 初めての体験だ。チャコちゃんがジュースとビスケットの袋を バギーに付けた。道路は車の数も少ない。

 駒沢公園に行くと普段に比べて人の数は少ないが それでもランニングする人やスケートボードを する人などが師走の中も楽しんでいる。

 ぶた公園に行くと二三十人程の人が居たが 半数程の人は外国語を話している。クリスマスを 楽しむ人かも知れないしそうで無いかも知れないが それでも日本の正月を祝う習慣は世界の中では 少数派なのだろうか。

 航平は年の割にはいつも赤ちゃんぽくない服装だが、 それでも公園では少しの月齢の違いも 大人と子供程に違う。他の子と比較しない方が良いと 言うのは誰でもがついつい他の子と比較しがちなのだろう。 自分も自然に他の子と比較している。

 比較や競争というのは今まで気が付かなかったが 自分はとても好きだ。だが、この日記猿人の競争もそうだが 競争の中に居るだけで満足している。その中ではいつも 最良の成績は取れない。競争の中に居るだけで 心地いいのかも知れない。

 競争は自然に力が沸いてくるし人から得ることも 多い。競争に弊害がでるのは過当競争であって 自分は自然に弊害から身を逃れてきたのだろうか。 かつての競争ではなんの成果も上げられなくて 苦しかったが自分は競争の魅力に引きつけられていた。





1996年12月30日 月 晴  航平の為

 航平は、はいはいが得意になっている。 はいはいして出かけていく場所の中でテーブルの 下は最も好きな所の一つだ。テーブルの下に 入ると椅子の下の方向にも進むがその度に 頭をこつこつと角にぶつける。

 ぶつからないように その度に手でよけてやるが その手を振り払っては頭をぶつけに行く。 航平にとって今は危難の連続だが 遭遇する度に助けられている。

 本人は助けられていることを知らない。むしろ じゃま位にしか思っていない。だまって 言いなりにしていれば楽なのに。私がするのは航平の為なのに そんなことは知らない。彼は 親を越えて自分の限界にチャレンジしている。





1996年12月31日 火 晴  盆も正月も

 今年ももう今日で終わり。航平の誕生で随分と 楽しい思いをさせて貰った。来年もまた楽しませて くれるだろう。  航平には盆も正月もない。この押し詰まった今年最後の 一日も彼にとっては今の食事と今のおしめと睡魔とおもちゃが 昨日と変わらず大切だ。きっと明日もそうだろう。 私も彼から今幸せになる方法を分けて貰おう。

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