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96年10月

山口 正司             


1996年10月 1日 火 雨後曇り   航平のしぐさ 1996年10月 2日 水 晴      CD作り募集 1996年10月 3日 木 晴後雨    月刊「言語」 1996年10月 4日 金 晴      気持ちが不調 1996年10月 5日 土 晴      Times Square 1996年10月 6日 日 晴      次大夫堀公園 1996年10月 7日 月 晴      24時間30分 1996年10月 8日 火 雨      ワクチン 1996年10月10日 木 晴 体育の日 衆議院選挙 1996年10月11日 金 曇り     shockwave 1996年10月12日 土 晴      八幡神社の祭り 1996年10月14日 月 雨      ラップ 1996年10月15日 火 晴      六ヶ月検診 1996年10月16日 水 晴      選挙事務所 1996年10月17日 木 晴      女子高校 1996年10月18日 金 1996年10月19日 土 晴れ     わいわいフェスティバル 1996年10月20日 日 晴れ時々雨  衆議院選挙 1996年10月21日 月 晴      太陽光 1996年10月22日 火 晴      アキウエブ 1996年10月23日 水 晴      風呂 1996年10月24日 木 晴      接続先プロバイダー 1996年10月25日 金 曇り時々雨  寿司 1996年10月26日 土 強い風で寒い 焼き肉 1996年10月27日 日 晴      芸術の森公園 1996年10月28日 月 晴時々雨   なめる 1996年10月29日 火 晴      円安 1996年10月31日 木 曇り     少しだけ手を貸す

1996年10月1日 火 雨後曇り  航平のしぐさ


 航平のしぐさで面白いもの。


短い手で頭の後ろをひっかく。

くつしたをひっぱってなめる。

横を向いて寝るとき手が短くて顔の前にしか来ない。

みかんを食べるときに手の中に房があって手ばかりを なめている。

食べる手が口の中に来ないで顔の前で考える。

紙をくしゃくしゃにするが紙の角が自分にぶつかって かんしゃくをおこす。

私がだっこするとおかあさんの方ばかりを見る。

おかあさんがだっこすると私と反対の方向を見る。

寂しくしている所にだっこの手を差し出すと両手と両足を ばたばたする。

恐い声を出すと泣く。

笑うと笑う。

タオルの中で遊んでいる内にタオルにからまる。

知らない人に笑む。

朝の子供向けのテレビを見て足をぱたぱたする後ろ姿。

寝ながら両手で両足をつかむ。

のけぞってその後泣く。

だっこして外を歩くとあっちこっちを見るために右に左に 振り返る。

バギーカーに足をのせる。


 そんな光景を好きだ。



1996年10月2日 水 晴  CD作り募集

山本K&M

 いつも楽しく拝見しています。今回のCDのお話参加させてください。

 先ほどうちのチャコちゃんに
「山本さんがCD作り募集してるんだよ。」
と言いましたところ、
「面白い、面白い、うちなんか今、何処にも出かけるところがないのだから、そんな楽しい企画は参加しようよ。」

と言うことで意見が一致しました。

 カード番号のセキュリティの問題は心配してません。経常的に番号の交信をしている訳ではないし、そのための保険でしょう。山本さんを信頼します。

 チャコちゃんは出来れば
「Tシャツ私の分も欲しいなあ。」といっています。

それではお元気で。



1996年10月3日 木 晴後雨  月刊「言語」

 チャコちゃんは離乳食の講習会に世田谷保健所に行っ た。航平は人一倍良く食べて後ろの人に食事を配り終え ないうちに全部食べ終わって足りなくて泣いたらしい。

 今の頃はお腹が一杯になるのが少し遅くて食べる量が 多くなるそうだ。しばらくすると食べる量が少なくなる のが正常な変化だそうだ。

 最近お風呂に入れるのに自信がなくなってきた。泣い て頭を洗わせない。この前まで頭の上からシャワーをか けていたが随分と水を飲んだり本人にとって辛かったか もしれない。

 少し湿疹が出ているので皮膚科に昨日行った。冬用の 軟膏を処方された。アトピーではないらしい。

 午後渋谷の旭屋書店に大修館書店の月刊「言語」10月 号を買いに行った。興味深かったのはインターネットの 時代だから英語が万能になるという大方の予想に反して マイナーな言語にも有利性があるという。

 大修館書店はそんな辞書を出版しているからかもしれ ない。しかし確かにノルウェー語やフィンランド語を学 ぶにも役立てることは可能だ。日本語のホームページも 海外の日本語学習者にとって大きな価値になる。



1996年10月4日 金 晴  気持ちが不調

 何か気持ちが不調な時というのはあるものだ。何とな くやる気がしない。疲れている。その理由というのも特 にはない。あるのかも知れないが分からない。

 こんな時には体が休養を求めているのかもしれない。 しかし体を休めても頭は休まらない。

 こんな時の休養はどうするのだろう。明日は休みだが 仕事を残した自分を罰しているのだろうか。

 何か見えない力で自分が強制されていることに体が反 発しているのかもしれない。無念の境地になりたい。



1996年10月5日 土 晴 Times Square

 午後家族で新宿高島屋に行く。混んでいて中には入れ ない。外からしか分からないが大きいビルだ。大変な混 雑で、デパートの中に入れなかった経験は生まれてはじ めてだ。

 新宿は新しいものと古いものとが混然一体としていて 都市の中の都市の感がある。渋谷はターミナルステーショ ンで何処に行くにもよく通過する。高島屋出店で新宿に 対抗したいと商店街は言うが、新宿を実際に見るとスケー ルの違いは渋谷の比ではないと感じる。競争するのは間 違いだ。

 Times Squareというネーミングは高島屋がどう説明 しても違和感がある。ベトナム、サイゴンで新しいデパー トが朝日新聞築地交差点だったらニュースだろう。恥ず かしくてたまらない。「ちょっとこっちにミロード」が 恥ずかしい域を越えている(まあそれもおかしいけれど)。

 仕方がないので西口の栄寿司で寿司を食べた。夕食前 で客は4人だった。航平はファミリーレストランとスーパー の食堂から脱皮した。

 寿司屋のカウンターにバギーカーで座っちゃって、サー ビスしてくれた茶碗蒸しをほとんど全部食べた。ここは昔 から良心的でチャコちゃんと二人合わせて1200円だった。 この金額はニューヨーク、タイムズスクエアに誇れる。



1996年10月6日 日 晴  次大夫堀公園

 秋の心地良い風が吹く。お弁当をもって次大夫堀公園 に出かけた。次大夫堀公園は世田谷区の二子玉川と成城 学園の間の多摩川沿いにある。

 そこには江戸時代の民家があって中でお茶をいただい て持ってきたお弁当を食べた。いろりには火がくべられ てそばにはお手玉が置いてある。人は少なくて縁側で見 る景色は稲穂が頭をたれている。

 民家の二階に上がるとそこは暗くて下女中の住まいの ようだった。テーブルが三つ置いてあって二組の高校生 のカップルが抱き合っていた。

 航平を見て「かわいいー。」と女の子が言って 「ねえ、テーブル一つ空けてあげなよ。」 と譲ってくれた。

 そこの小さい窓から明るい外の景色が広がって見える。 戴いたお茶とお弁当を広げると落ち着いたたたずまいで 女中部屋も豊かな気持ちになる。

 高校生達は男の子はそうでもないけれど、女の子は航 平が気になるらしくて 「良く食べる。」とか 「あ、寝ちやった。」とか聞こえるでもなく話している。

 いつか若者が「このくそばばあ。」と同じ近所の田園 都市線で話した事件が天声人語に出ていたが、ここに居 る高校生達は暖かい。

 若いときは一つの人格がその時々で暴走したり正義を 走る。だから若いことは良いと見るのか、だから悪いと 見るのか。やはり一つの羨ましい特性に見える。



1996年10月7日 月 晴 24時間30分

 月曜日の朝は何となく気が重い。一週間のスタートだ が皆そうだろうか。ブルーマンデーと言うが、時には仕 事の始まる月曜日を爽快な気持ちで迎える人も居るだろ うか。

 連休明けに職場で
「あーあ家に居て疲れちゃった。」
と言う人が居たが、 家も職場も楽しい状態にするにはどうするのだろう。 規則正しい生活ということだろうか。

 人の生活リズムは24時間30分刻みだそうだ。だから 自然休日には寝坊になり夜更かしになる。それを元に 戻すからいわゆる時差ボケの状態だ。だから体が重いの は仕方がなくて、重いことを受け入れる方が正しいかも しれない。



1996年10月8日 火 雨 ワクチン

 航平はポリオのワクチンを飲むために深沢区民センター に行った。雨が降っていたので私がチャコちゃんと隣の りさこちゃん親子を自動車に乗せて送った。

 他の国のすべてを知る訳ではないが幼児の医療に関し ては実に良く徹底的に面倒を見てくれる。ほとんどのワ クチンや予防接種は無料だし連絡も間違いなくある。検 診も近所の医院で丁寧に診てくれる。

 今回ははじめてのワクチンだったから少しの不安があっ た。ワクチンが原因で事故があることをよく耳にするか らだ。実際ポリオに感染する人はほとんど居ないがワク チンでの事故はあるかもしれない。

 ただ、ワクチンを接種していない人が多数にのぼると 大規模な感染を引き起こす危険性が増す。しかしO-157 でもそうだが世の中には危険は必ずある。だから危険を 回避すべきか否かは本人の意思で決定した方が良いと以 前は考えていた。

 しかし現実には毎日の忙しい生活の中で、国の費用と 国の判断でワクチンを接種できることは有り難いと感じ ている。そこに沿って行けばある一定水準の健康と文化 的生活が約束されると言うのが日本的な長所だろうか。



1996年10月10日 木 晴 体育の日  衆議院選挙

 昨日は秋葉原で松本さんと偶然会って家に呼んだ。夜 まで楽しく話した。朝方松本さんから電話があった。昨 夜帰宅途中で自動車の接触事故にあったらしい。環八瀬 田交差点を左折したところ対向の右折車両の後ろドアに ぶつけたそうだ。

 松本さんは自分に責任があるので修理費の全額を支払 うと約束したらしい。両者とも怪我はなくて何よりだっ たが私もびっくりした。

 お弁当をもって家族三人外に出る。その足で渋谷に夕 方行くと沢山の人が出ていた。東横のれん街でできあい のお弁当を買って帰る。

 衆議院選挙の政見放送の様相が随分替わったのでびっ くりする。

もし私が党首ならこんな感じで日本を立て直そう。

第一段階

 党名 国会議員100人党。

 衆議院議員を50人参議院議員を50人と変更する議案を 提出してすぐに解散します。

 公約はそれだけ。

第二段階

 解散総選挙後に新党結成。

 新党名 公務員10人に一人党。

 公務員の10人に9人は失業補償で給料を三年間支払いま すがその間仕事は自分で自由に作って探していただきます。

 三年後公務員は10分の一になりますという議案提出。

 それで解散。

 空想ですので突っ込まないで下さい。公務員の方は三年 間給料貰って遊びましょう。



1996年10月11日 金 曇り  shockwave

 shockwaveをダウンロードしてみた。 自分の名前を書いてダウンロードボタンを押してみる。 ソフトをクリックすると自動的に解凍される。

 インストーラーをクリックすると自動的にネットス ケープナビゲーターにプラグインされた。

 私はその後再起動してソフマップのページを見ると 店の音楽が流れてくる。ゲームをしてみる。

 ああこれでみんな騒いでいるのだなあという感じ。 確かに面白い。今後の進歩を待つというところだろう か。

 これを書いて文章をチャコちゃんに見せた。
「この文章分かる。」
と聞いたら
「分からない。分かりたくもない。久しぶりに湯船に 入って湯あたりしちゃった。熱い、ふーふー。」
と言っている。



1996年10月12日 土 晴 八幡神社の祭り

 天気予報がはずれて晴れた。駒留八幡神社の祭りの日 で航平にはっぴを着せて家族で出かけた。はっぴは赤色 で「はろうきてい」と書いてある。はちまきをしめて鈴 を付けた。

 以前このあたりに祭りはなかったように思うが、最近 人口が増えたか、ここ二、三年は随分盛大になっている。

 二時から山車と御輿が出るが時間が過ぎてしまった。 神社の方向に歩くと山車が来るのが見える。セブンイレ ブンの前で合流した。

 大勢の人から急に注目される。なんといっても赤の 「はろうきてい」は目立つ。

「かわいい。」「なみだ目だね。」と子供やおばさんに 声をかけられる。

 国道246号を信号赤でお巡りさんが車を制止させて マルエツの前から家の方に逆に戻る。家の前に行くと近 所の人に見られてしまう。

 恥ずかしくてそこから離れて駒留八幡神社に向かった。 祭りの時の神社ははじめて出かけた。随分店が出て人も多 い。

 境内で離乳食を与えて私たちは焼き鳥を食べた。 「焼き鳥、はつ、もつ、つくね、かしら」と書いてあって チャコちゃんは焼き鳥ははつ、もつ、つくね、かしらから 選ぶと思って焼き鳥を買わずに間違えてかしらを買ってき た。

 帰りはデニーズによった。今日一日で何回航平は人から あやされたか分からない。子供にとって祭りは天国だ。



1996年10月14日 月 雨 ラップ

 昼過ぎから雨。本降りになる。夕方チャコちゃんに頼 まれてマルエツまで買い物に行く。買った物はラップ、 ニラ、餃子の皮、ひき肉、ゴミ袋、卵6個、グレープフ ルーツジュース、コンソメ、コーラだった。雨が降って いるせいか客は少ない。

 帰ってから航平を風呂に入れる。最近は目にシャンプー が入ったりあばれたりする。昨日から新しいアヒルのお もちゃがあるが効き目は今一つだ。



1996年10月15日 火 晴 六ヶ月検診

 航平とチャコちゃんは隣のりさ子ちゃん母子と午前中 深沢児童館のクッキング講習会に行った。離乳食の幾つ かを教えて貰ったらしい。

 航平はおもちゃ入れの箱でずっと遊んでいたらしくて、 家に帰ってからおもちゃを籐の箱に入れてやった。おも ちゃ一つで遊ぶのも楽しいが、出したり入れたりという のがいいらしい。沢山出しておもちゃにうもれて遊んだ。

 私は午後外出したがその後六ヶ月検診に清水小児科医 院に行ったらしい。先生は優しくて航平を裸にして診察 した。ちり紙を顔にかけて手でよけて合格。

 身長は少し高い方で71センチ、体重は標準で8100グ ラム、頭位は45センチだった。全体に標準的で健康らし い。母乳は薄くなっているのでもし夜泣くなら粉ミルク を100cc位与えると良いらしい。



1996年10月16日 水 晴  選挙事務所

 昼にチャコちゃんは美容院で髪を切って貰った。短く 揃えてあちらこちらで見る幼児のお母さん風の洗って簡 単、すぐにお手入れできる。なかなか似合って若返るよ うにも見える。

 コンビのバギーのストッパーが折れた。部品を問い合 わせたら無料で送ってくれた。7年前に購入されたもの だが最近のサービス向上は有り難い。

 夕方家族で買い物に出た。国道246に面して野村さち よ選挙事務所が出ていた。花が沢山飾られて正面に莫大 なポスターが張ってある。入り口のドアには小沢一郎の 笑った顔のポスターがある。

 「野村監督が見ればお前、葬式やっとんのか。と必ず 言うよ。」と私はチャコちゃんに言った。

 今まで選挙公報に書いてあった住まいの場所が今回は 書いてない。私の住む世田谷区駒沢が目黒区との合併区 だからだろうか。

 橋本龍太郎が三軒茶屋と桜新町で応援演説をしていた がSPの数が40人位いて見ている人より多かったと地下鉄 で見知らぬ人が話していた。自民党からは小杉隆という 人が出ている。

 しかし選挙と言うが投票したい人が居ない。もう全く 政治家には絶望的な思いだ。政治家は私たちの代表には とても見えない。

 投票に行きたくないという気持ちが自然にわいてくる。 「投票は国民の義務」と言うが、それは政府の民を治める 「仕打ちの言葉」に聞こえてしまう。

 何か行政に落ち度があっても、 「それは法律がそうですから。」
と答え、そして 「法律を作ったのはあなたが投票した代議士ですから。」
と国民に答えるための仕打ちに見えてしまう。

 もし自然な気持ちで皆が投票しなければ、政治に関わる 人はとてつもない不安感にかられるだろう。 「革命の兆し」だからだ。

 平和は繁栄の基礎だ。私達に投票させて下さい。



1996年10月17日 木 晴 女子高校

 夕方チャコちゃんが近所の皮膚科に行ってとこちゃん と偶然会って連れてきた。とこちゃんは昔からチャコちゃ んが知っている子で今は高校一年生だ。

 吉祥寺の学校からの帰りに通院している。家は川崎市 にある。夕食を食べながらとこちゃんの話を聞いて随分 と勉強になった。

 体育の授業を新体操の川本ゆかりに直接教えてもらっ ていると聞いてうらやましかった。女子高校に通う実際 はマスコミ報道の過激さに相当に翻弄されていて、実態 と異なる部分と真実とが複雑に入り交じっているらしい。

 ポケベルは30パーセント位の人が持っているそうだ。 最近はやっている噂は
「変造テレカを使うとドアにロックがかかり警官が駆け つける公衆電話ボックスが新宿などの繁華街にあるので 必ず街頭の電話を使うこと。」
というのが真実とされているらしい。

 真偽は分からないが変造テレカを認識出来るなら使え ないように出来ると思うのだが。

 将来の夢を聞いたり今の悩みや楽しみを聞くと真摯な 気持ちには従う頃かなとも思ってしまう。政治や経済の 一部も若い人に任せられる可能性はないのだろうか。真 面目で一途な行動力を十分に還元して貰える社会であっ て欲しい。



  1996年10月18日 金

 週末で仕事残り残業。日記を書く間もなく夜になる。



1996年10月19日 土 晴れ わいわいフェスティバル

 チャコちゃんの独身時代の職場の児童館でわいわいフェ スティバルという祭りをするので家族三人で出かけた。 子供たちが集まって踊りやゲーム、おばけ屋敷やサッカー のシュート合戦などが出来る。それぞれ賞品がでる。

 航平はバギーに乗って見ていたが、子供達が集まって あやしてくれる。みどりちゃんという子が航平をひいき にして、あちこちからおもちゃを調達しては航平にプレ ゼントしてくれる。

 他の子もあれやこれやと指示してくれて、こちらは右 に行ったり左に行ったりだ。子供達は善意と親切で教え てくれるのでNOとは言えない。

 大人の世界は互いに縄張りとセイフティゾーンがあっ てそれを越えては親切にはしない。子供達はとことん親 切だからちょっと動いても何かしてくれる。遠い昔に日 本を訪れた外国人になったようだが、心地よい疲れで日 記も書かずに良く眠った。



1996年10月20日 日 晴れ時々雨 衆議院選挙

 衆議院選挙の日だ。家族三人で投票所に行くが私は誰 に投票したいか分からない。投票所前のポスターを見る が投票したいと思える人は誰もいない。

 投票用紙を前にしてふわふわっと書いてきた。私のよ うな者は無党派層と言うのだろう。東京に住む無党派層 の投票動向分析をNHKニュースで流していた。民主党に 票が流れたようだ。

 まさに読まれている。特段応援したい訳でもないし、 候補者は当選しそうでもない。理由もないのに同様に行 動した流れの中に自分もいたのかと思えば、やはり自分 は何かに繰られているような気もする。

 午後内山家へ購入したパソコンを家族で見に行った。 随分と複雑で分かりにくそうだったが、智君は、ぱしゃ ぱしゃとあやつっていた。ハワイに行くのとパソコン買 うのとどっちが得かは分からないが、こうして利用され れば納得もいくし感動も与えてくれる商品だ。



1996年10月21日 月 晴 太陽光

 選挙も済んで晴れた月曜日だ。昨日までの騒音もなく 静かで平和な時間が訪れる。

 秋の日差しは長くなってコンピューターの画面近くま で光りが反射してきて見にくくなっている。カーテンを 閉じてドアを閉めて蛍光灯を点けた暗い中で昼間にコン ピューター作業をした。落ち着く気持ちと不安な気持ち が交差する。不安な気持ちは客観的にこの姿は望ましく ないぞという恐れ。落ち着く気持ちはしたくてしている ことで事実の気持ちだ。

 光が安定していると気持ちも安定する。太陽光を得な いでいるのはもったいないと思う気持ちもある。強い光 線に体をさらすと植物がしっかりするように奇妙に力が 沸いてくる。そんな自然と反している後ろめたさがある。 そうそう毎週月曜日は気が乗らないのだった。

 航平とチャコちゃんは深沢図書館に行って帰りにぶた 公園でブランコに乗ったらしい。ブランコのはじめての 日。



1996年10月22日 火 晴 アキウエブ

 私のホームページが置いてあるアキウエブエージェン シーとやりとりをした。このプロバイダーは三月に無料 で6カ月間のホームページを解放した。はじめの約束では その後満足するなら6カ月後の9月に年額5000円で更新 できるし不満なら料金はとらないし勧誘もしないという ことだった。

 ところが会員のランキングリストをご覧になると分か るが不穏な様子のページばかりが並んでいる。これで6カ 月後に更新する人がいるだろうか。

 随分多くの人はお金を払わずに止めていった。私自身 もどうしようか悩んだが、転居するのも面倒だし6カ月間 は有り難かったので9月に5000円を振り込んだ。

 そして10月の昨日の夜、私のホームページのすべての ページにアキウエブエージェンシーのリンク表示が掲載 された。削除してアップロードしても必ず表示される。

 他の会員のホームページを見ると全会員の全ページに アキウエブエージェンシーのリンク表示が掲載されてい る。このプロバイダーは住所と会社名、責任者氏名、連 絡先電話のすべてが分からない。

  JPニックに電話で問い合わせて連絡先電話番号 を調べた。電話をするとそこは札幌で責任者の妻が電話 にでた。折り返して電話を受けて話しをすると責任者は 経営が苦しいのでリンクを願いたいと言う。

 ホームページ運営上の技術になんら劣る点はないのだ から利用者が心地よい経営をすることが唯一会員の増加 の手だてだという旨を話した。その直後全ページからリ ンク表示は消えたがはじめから気づいていなければ幸せ だった。ちなみに責任者は誠実な様子だった。



1996年10月23日 水 晴  風呂

 航平は深沢児童館でパネルシアターを見てきた。午前 中にはぶた公園ですべり台に初挑戦したらしい。

 夕方風呂に入れる。このところ私が入れると泣くので チャコちゃんがバトンタッチする日もある。鏡が好きな のでおもちゃのために風呂用の鏡も買ってきた。

 原因を基本に立ち戻って考えてみる。

1.シャワーを頭からかけたりシャンプーが目にはいって  風呂が嫌になっている。

2.入浴時間が長い時に泣く。

3.湯温が高いときに泣く。

4.室内の温度が高いときに泣く。

5.機嫌が悪い時に泣く。

6.喉が乾いて泣く。

7.眠くて泣く。

 対策

1.泣いてもこれは人生の試練だと思ってかまわない。

 しかし泣く子と地頭には勝てない。

2.原因を極力除去する。

 いろいろと考えていると天の神から声が伝わってきた。 この日記を読んだ方が教えてくれた。人生というのは困っ たときには誰からか救ってくれるものだ。

 入っている間ずっと話し続けると良いらしい。考えて 見れば泣きだすと自然に私は恐い顔になって黙っている。

 万端整えて意味は不明だがおまじないのように話しな がら入れてみると何かやはり手応えがある。完璧には行 かないがやはり何時でも何処でも話しかけてやると良い かもしれない。

 確かに無言で自分が扱われたら不安だ。三日程だが話 すことは確かに効果がある。言葉をしゃべれないと思っ てみくびっていた。今日は楽しい入浴が得られた。

 ところで私は独身時代に、子供というのは大人が恐い 顔をしたり笑ったりしてもその表情を理解するのは一才 位からで、赤ん坊は理解出来ないと思っていた。

 航平は7カ月で、子育てをしている人にとっては当た り前のことだが人の表情は分かる。恐い声を出すと泣い てしまう。

 赤ん坊は恐らく2カ月位からほとんど分かるだろう。 電車で赤ん坊と顔があったらほとんど自分の気持ちは読 みとられている。そんな常識的なことに今まで自分が気 づかなかったことが不思議でならない。

 だからあやすときは自分も心から笑わないとだめだ。 その図は親ばかだなと思ってしまう。

 三月からの日記を少し整理してみた。



1996年10月24日 木 晴 接続先プロバイダー

 最近私の接続先プロバイダーのBNN-NETでネットニュー スの配信が始まった。BNN-NETというのはMACLIFEを発行 している出版社のBNN社がはじめ母体となって開設された。

 1995年10月当時としては破格の価格だったが、接続し てウェブ閲覧とメール配信以外のサービスは何もなかった。 それでも会員が一度に増えて当初は夜は遅くて繋がらない ことも多かった。

 朝日新聞にトラブル続出で記事にまでされた。それから 回線は増強され、話し中は少なくなり速度も出て快適になっ ている。つい最近までリムネットとtamaネットなどがなか なか繋がらなかったが今は大半のネットが瞬時に繋がる。

 ネットニュースは掲示板の大規模なものでフォーラムの ように話題ごとに熱烈に論議されている。

 今「fj」というニュースグループの初心者向けの 「fj.beginners」では

『私は 氏名@**会社or**大学 です。』と書くのは組織 を代表している訳ではないから違和感がある。

 という話題で騒然としている。

 学歴差別と企業間格差差別が根底にあるかもしれない。 そもそも所属がない人もいるが、ほとんどの人はそんな 形式で自分を表示している。インターネット黎明期には 必要だった表示の名残りだろう。

 人というのはけんかをすると実に性格や体験が良く表 現される。けんかするのが好きな人もいるがプロレスを 見るようにけんかを見るのが好きな人もいる。対岸の火 事のようで見ているだけなら何ともないが自分も加わり たくなるようでもある。

 先ほどニュースをダウンロードして見るソフトeNWS FATを入手して使ってみた。簡単にインストールできて なかなか良く出来ている。接続を切ってからゆっくりと 読める。

 私が購読しているニュースは以下の通り。

fj.education
fj.life.children
fj.beginners
fj.rec.autos
tnn.forsale
fj.net.isdn
fj.net.providers

 最近の遅ればせながらの楽しみだ。



1996年10月25日 金 曇り時々雨  寿司

 昼頃チャコちゃんのお父さんが来た。こちらではチャー ハンを作って待っていたが途中で寿司を買って来てくれ た。今年は夏の間寿司を食べることが少なくて、マルエ ツの寿司やさんも実に元気がない。

 日本人で良かったと思うのは寿司を口に入れる瞬間だ。 まぐろは絶滅品種に指定されたらしい。西洋のハムソー セージは世界中何処でも手にはいるが刺身は勿論、魚の 干物は輸出しない。

 生産量が少ないからだろうが私たちは実に旨い物は人 にあげずにたいらげてしまう。世界のくろマグロの漁獲 高の大半を日本で食べるらしい。もっとも私の口には余 りはいらない。

 ダイエーの広告を見ると10万円でパソコンが出ている。 WIN95.100.16.850.15インチディスプレー、モデムなし (ValuestarV10)だ。

 電話して少し聞いたが店員もよく分からなくて、 「新品だが五台しかないから日曜日朝早く来ないとなくな ります。」というだけだ。

 やっと買える価格になったがウィンドウズって17インチ のディスプレーでないと見にくいのではないだろうか。

 三年前にアメリカでディスプレーに映る文字がぼんやりと、 ぼやけて見えた。ディスプレー技術は日本が進んでいるんだ なあとその時思った。

 最近秋葉原の店頭で21インチディスプレーが置いてある。 見ると字が同じようにぼんやりと映っている。なんだ画面 が大きいからだったんだと思った。そういえばアメリカで 見た時は21インチだった。

 表示ドット数はグラフィックアクセラレーターで高解像 度になる。ディスプレーの大きさでは変わらないから同じ 解像度のなら一文字を近くで見ればどうしても多少うすぼ んやりする。

 しかし大画面の高解像度でくっきりと映して情報量を多 大にすれば実に扱い易いだろう。コンピューター画面は、 虫眼鏡で新聞を読んでいるようなもので、目に一時に入る 情報量が少ないのが最大の難点だ。ニュースは新聞に限る。

 15インチが扱い易いかどうか今一つ分からない。

 マックは14インチで私にとって不足はない。

 予算レベルが低いけどまあいいや。



1996年10月26日 土 強い風で寒い 札幌で雪  焼き肉

 三宿(みしゅく)の世田谷公園に家族で行った。正門の しばらく手前でちょっと綺麗な焼肉屋があったので入っ た。実は私たちは焼肉が好きだ。チャコちゃんは子供の 頃から焼き肉を食べたことが無くて概念的に嫌っていた がその旨さを学んでしまった。

 出産後焼き肉食べたいと思うが航平は食べるものが無 い。煙の中で落ち着いているのは難しい。おそるおそる 入った。

 韓国人というのは一般に子供が好きな気がする。さか んにかまってくれる。安いのが理由で大韓空港を利用し たことがかつて二回ある。搭乗する際ファーストクラス からどうぞとなったりもするが、その時は 「ご年輩の方からお先にどうぞ。その後お子さまと女性 の方どうぞ。」とアナウンスされて驚いた。

 さすがに儒教国だ。日本でもそれに近いところは感じ る。子供はかわいがられるし、シルバーシートはちょっ とかわいい。

 香花苑という焼き肉屋だったが久しぶりなのもあって 美味しくて室内が美しかったので写真も撮った。土曜の 昼過ぎ1時半ランチタイムの条件で十分に堪能した。

 三宿は雑誌やテレビで紹介されてからおしゃれなレス トランが幾つかできている。インド料理、テラスになっ ているカフェやレストラン、和風料理店が知らない間に 建っていた。

 三宿から池尻までは戦前からの練兵場で官舎や自衛隊 病院、三菱など軍と関わりがあった施設が広大な範囲に 広がっている。

 世田谷公園で航平と私はミニSLに乗って、チャコちゃ んは持ってきたシャボン玉を楽しんだ。

 他には焚き火や木登りなど禁止されがちな遊びができ るプレイパークがある。



1996年10月27日 日 晴  芸術の森公園

 朝一番でスーパーにパソコンを見に行った。検討して いた物は行列が出来て見ることも出来ず帰ってきた。

 家族で府中市の芸術の森公園に出かけた。ここはそれ 程に大きくはないが公園の西に小高い芝生の丘がある。 夕陽が丘から沈む風景は遠い昔のあかとんぼが飛んで行 く景色だ。近くの子供達はここで毎日を過ごして大人に なるのだろう。この丘の美しさはきっと人生の宝だ。

 夜になって調布市文化会館の駐車場を利用した。「た づくり」という名前のこの施設は12階建ての近代建築で エントランスは広大な吹き抜けになっている。夜10時ま で利用できる。

 電光掲示板には利用団体名が飛行機の発着時刻のよう に示されている。最上階はスカイラウンジになっていて 展望レストランは調布市の夜景が一望出来る。すいてい るようだったので入ってみた。

 航平はアベックが夜景を見ながら食事をしている横で お腹がすいてうーうーうーと唸っている。赤ちゃんせん べいや出てきたかぼちゃやうどんやにんじん、とうふを 食べさせたらやっと満足した。

 ゴージャスな作りでロマンチックでとても役所のレス トランには見えない。値段もまあ普通だ。ウェイトレス からはたびたびかまってもらった。庁舎が立派になるの は気にも入らないが文化施設は立派なら誰も自分が豊か になった気がする。

 調布の夜を三人で少し歩いてみた。バス停があって大 蔵病院から家のそばを通って三軒茶屋経由で渋谷まで行 くようだ。随分遠くまで来たつもりだったがバスで来ら れるところだった。



1996年10月28日 月 晴時々雨 なめる

 朝方のどが痛い。家族揃って幾分風邪の兆候がある。 一昨日の夜強い風の中ダイエーにパソコンを見に立ち寄っ た時こがらし一号で寒かった。今の処さほどひどくない。

 航平は隣のりさ子ちゃんとぶた公園に出かけた。お風 呂は最高のご機嫌が続いている。入ってから出るまで話 しているのが気に入っている。はしゃぎすぎで遊んでい るばかりで十分洗ってない。

 何でもなめる。タオルから洗面器、おもちゃ、かがみ、 バスタブのはじからはじまでなめていく。風呂嫌いから一 転してきた。



1996年10月29日 火 晴 円安

 良く晴れた秋の空だ。ニュースでは円安を報じている。 最近金利が低くて定期預金に預けがいがない。金利が低 いことより円安はもっと深刻に不安な気持ちになる。自 分の持ち物すべてを世界標準通貨で換算すると一日で相 当の金額が目べりしていく。私たちが自由にインターネッ トを楽しむのも円の価値は貢献している。

 一時円高になっていく局面では何もしないのに自分の 所有する物すべての価値が高くなっていくことにわくわ くとした。高くなればなるほどに世界は近くなって欲し いものが手に入る気がした。

 しかしその頃のニュースは 「急速な円高は困る。日本経済はどうなるのだろう。」 という悲観的な意見が多かった。なんでみんな会社のこ とばかり思いやるのだろうと思った。円が高くなれば立 ちゆかなくなる業種は出るかもしれない。それは確かに 困るが円がとても強くて困る社会と円が弱くて困る社会 とでは困窮の度合いは異なる。余り強くて困る社会は、 ほおっておけば自然に弱くなるが、弱くて困る社会は、 ほおっておくとさらに弱くなる。

 アスキーインターネットフリーウエイのHot Cafeを無 料提供されたCDからインストールしてためしてみた。私 はプロバイダーが定額料金なので特別に必要はない。

 現行のプロバイダーと併用出来るのでダウンなどで使 えなくなった時に利用価値はあるかもしれない。コマー シャルによるスピードの落ちは余りない。

 定量制の人で東京に住んでいる人はためす価値はある。 Ftpとメールは現在のプロバイダーへのものがそのまま使 える。無料だがクレジットカードが必要だ。



1996年10月30日 水 晴  収穫の季節

 夕方家族三人で外に出た。切手を買って出来上がった 写真を受け取る。よく現像を頼むからたばこ屋のおやじ さんは顔を覚えている。住宅街を通り抜けて駒沢公園に 着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 チャコちゃんがここに連れてきたかったのは航平がブ ランコに乗れるのを私に見せたかったからだ。ゆらゆら 乗ってにこにこ笑っている。

 公園の正門から出て八百屋に行くと棚は秋の収穫の季 節で品物がふんだんに並んでいる。人参、里芋、ほうれ ん草、りんご、だいこん、にら、あぶら揚げとブロッコ リーを手に入れた。

 重いけれどバギーに積んで帰る。家に着くとチャコちゃ んは二階に上がって玄関を開けて荷物を置く。私はバギー 車から野菜を出す。

 チャコちゃんは戻って航平を抱き、私は野菜を持って 行く。戻ってバギー車を持ってくる。互いに二度ずつの 上がり下りだ。

 航平は靴下をなめる。靴下を履いていないと思うとな めている。それを見ると昔の漫画だが、おそ松君の中に 出てくる「いやみ」を思い出す。

 笑いの対象になるものは赤ん坊のしぐさから多く得て いるように思う。

 漫才で相方のめがねを取り上げる。  漫才で相方のひたいをぴしゃりとはたく。  チャップリンのこちらをじっと見つめる目。  体をよじるしぐさ。  頭をかくしぐさ。  漫画での大きな頭。  うぐうぐ、ちゅぱちゅぱ、ぐうぐう、などの擬態語。

 落語や漫才は子供から学んでいるかもしれない。



1996年10月31日 木 曇り 少しだけ手を貸す

 はるのお兄さんが苦境に立っている。苦しい時に人は どんな風に助けることが出来るだろう。

 私が思うのは少しだけ手を貸したらどうだろう。自分 が彼を助けることで自分が救われる範囲で助ける。私だ けの力は少ないけれど、数が増えれば大きくなる。みん なが少しだけ助ける。

 助けられることが具体的にあれば救われる。苦境に立 つ時は助けて貰いたいことさえ解らなくなってしまう。

 ニューヨークの中心地から地下鉄で10分程行った所に ルーズベルト島という小島がある。そこは普通の住宅街 だ。歩いているとキャスターベッドを横にして日向ぼっ こをしている老婦人がいた。

 体が全く動かないように見えた。そばを通った時彼女 は私とチャコちゃんに声を掛けた。突然で驚いたが聞い て見ると私たちが来た方向100メートル程先の店に連れ て行って欲しいと言う。

 引き返すことになるが急いでいる訳ではない。店まで 連れて行くと
「有難う助かった。」
と言われて店の主人からは
「ご苦労様。」
と言われて同じ道を戻った。たったそれ だけの寄り道は実に私たちを豊かにしてくれた。

 彼女は一人で買い物が出来る。そう解っただけで幸せ になれる。私たちは自分と境遇や経験が異なる時には、 経験や体験を教わり、自分を発見できる。そんな実りを 少しの支えから得られたら互いに幸せな世界に生きられ る。

 はるのお義姉さんが健康を取り戻されることを心から 祈ります。


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