2001年 2月20日 火 晴 将棋
幼稚園のT先生に、
「航平がいつも将棋をして戴いて有り難うございます。」
と話すと、
彼は、びっくりして答えた。
「いえ、私はしてないですよ。それはボールの落ちるゲームのことを話していたのかな?」
目の前にいる航平は黙ったままだったけれど、あとから
「お父さんが間違えてうけとったんだよ。」
と話していた。
航平の話しはリアルでボールの落ちるゲームを将棋の話しと混同させることもないだろうし、航平の話しを私は間違える筈はない。
「航平、今日もT先生と将棋してきたの?」
「うん。」
「毎日、よく、将棋をしてくれるね。」
「だから一日につき一回で五分ってきめてやるんだよ。」
「朝、挨拶が終わって、シールを貼ると、まず、T先生のところに行くんだ。」
「職員室に?」
「そうだよ。そうすると、先生は、よくきたね、今度こそ王様をとってやるぞう。って言うんだ。でも今日も僕が勝ったんだよ。」
「他の子もしているの?」
「朝は僕、お昼前にはEちゃん、午後にはT君って一日三人だけができるんだよ。だから朝は走っていくんだ。」
「だから最近将棋が上手になったんだね。」
まだ、全部の駒の動きは覚えていない。しかし、詳しく、誰も教えていないのに、相手の歩の前に無防備に歩だけを進ませることはなくて、必ず、護衛を伴って進んでくる。この駒はこれを見張っているんだよね。と知ったように話すので、
「誰かに教えて貰ったの?」
と尋ねると、
「うん、毎日T先生としているんだ。」
と答えたのが始まりだった。
それから毎日のように、今日もやってきたよ、今日は忙しかったみたいだからしなかった、と話すので、私もどれだけ上手くなったか、知ろうと、航平と将棋をさした。
まんまと、と言うか、すっかりと信用しきって、のせられていた。
今まで、取り立てて航平は嘘をついたようなことはなかった。言うなれば初めての嘘にしては、よく出来上がっていた。
将棋をT先生がしてくれる。毎日、朝一番に、将棋が嬉しくて廊下を走る航平の姿、それは親の私にとっても楽しそうな幼稚園生活の理想であって、航平にとってもまた、理想の世界に生きる自分の姿だったのかもしれない。
詐欺犯は自分の嘘が嘘だと分からなくなるそうだが、小説家もそうかもしれない。
「嘘は絶対に駄目だよ。想像の世界を話したら、直後に本当は違うよと話さなければいけないよ。」
と厳しく話した。「ほら」と「嘘」のさかいめだったかもしれない。
イマジネーションの遊びは私自身の性癖を引き継いでいるかのようでもあって、航平はイマジネーションを楽しんでいるだけなのにといった様子だった。
「僕が天国に居たときにはね、お父さんはまだお母さんと会ってなかったねえ」
と見てきたように、時折、航平は、天国の様子をつぶやく。
幼稚園で神様キリストの話に出会って、衝撃的だった天国の様子の一端として、「T先生との将棋」を話したのかもしれない。