山口 正司
1997年10月 1日 水 晴 急階段夕方家族で駒沢公園に出掛けた。いつも通る道をいつも通るように出掛ける。最近私は自転車に乗って、航平はハンドルに着けられた椅子にヘルメットを付けて座っている。チャコちゃんは横をゆっくりと歩いている。
チャコちゃんはいつも自分が自転車に乗っているので、二人の時は私に自転車を譲ってくれる。チャコちゃんの歩く速度に合わせて自転車を走らせているから、よろよろとする。チャコちゃんの肩に手を掛けると、チャコちゃんは自転車を譲って、その上私を引っ張るのまでは嫌だと言っている。
駒沢公園に入る所は急階段になっていて、チャコちゃんと一緒に航平を自転車に載せたまま、持ち上げて、押していく。見ていると沢山の自転車に乗る人がここでは自転車を一旦持ち上げて階段を降りている。遠い入り口に行けばいいが、それ程の遠回りは誰もしない。無理でも我慢して登り、降りる。5月に都庁に電話で要請したことがあって、改修を検討するという返事だったが、未だにそのままになっている。
不便だなあと思っても自分の家の雨漏り一つもなかなか直せないのが現実だから、外にある施設を直して貰うのは正直なところ、気が引けるのも事実だ。何かを言おうと思っても、主張するのはエネルギーがいることで、黙ってじっとしているのは得策だと考える人は多いだろう。じっとしていれば誰かが自然に気付いて良くしてくれる。事実身の回りのあらゆる施設は気付かないうちにも、どんどんと整備されている。
誰も、最も楽で快適な方策を模索するのだろう。公園は良く整備されていて、公園友達と偶然出会って話すと、
「この公園の近くに居て、公園にいつも来られるのはお互い幸せだ。」
と言っていた。大学生に入学した頃授業の必読書としてイェーリングの「権利のための闘争」を読まされたことがある。人に与えられた権利は不断の努力で保持しなければならない。保持し続けるために人は権利のため闘争しつづけるべきだといった内容だったと思う。そんな闘争感とアジア人としての、与えられる喜びと満足とに感謝し続けるあり方とが、振り子のように入ったり来たりするのが今の自分かもしれない。
1997年10月 2日 木 晴 CU-SeeMe
先日、「あなたの伝言板」の中で岡崎法子さんからCU-SeeMeが楽しいと言う話しを伺った。CU-SeeMeをダウンロードすると、ビデオ装置も必要なく、簡単な設定で世界中の人々が映像チャットをしているのを楽しんだ。
CU-SeeMeはフリーソフトでサイズも小さくてダウンロードにかかる時間は何分もかからない。自動的に解凍され、再起動後ディスクトップ上に出てきたソフトをクリックする。転送速度と受信速度を30Kバイトセカンドに設定する。
ビデオ受信をオンにする。自分の名前を記入する。接続先を東京大学、アドレスを133.11.116.26に設定する。接続ボタンをクリックするとその場でリアルタイムの人々の顔が出てくる。
すぐにチャットに入っていて、こんにちはと声を掛けられている。ダウンロードを開始してからわずかに15分程で様子を楽しめる。はっきりとはわからないが、見るだけならノートパソコンでも楽しめるのではないだろうか。
MACOS8が出たこともあって、29日に秋葉原に出掛けた。私のパソコンはもう一世代以上も前のもので、ビデオ入力は出来ない。新しいマックを今年度中に欲しいと希望しているので、今度はビデオ入力が出来るタイプを購入してからCU-SeeMeを楽しもうと考えた。
QCAMと言う可愛いカメラもいいが、新しいマックを買って、今は楽しみに待とうと思っていた。モデムも現在は288で、レスポンスは万全とは言えないし、楽しめる自信も充分ではなかった。
帰りまぎわにソフマップに立ち寄るとたまたま中古部品のビデオボードがエイビットフォトショップと合わせて陳列されていた。合わせての値段は8000円で、2000円くらいでもいいのになあと思いながらもその場で購入して帰ってきた。近々には出来ないと思ったCU-SeeMeが手元に近づいた。
航平を風呂に入れた後、マックの裏蓋をあけて、ビデオボードをさし込み、電源を入れ、CDを挿入してビデオソフトをインストールした。ソニーの8ミリカメラを接続して、CU-SeeMeを起動し、ビデオ送信をオンにして東大に接続した。その瞬間、自分の画像が相手に届いて、こんにちはと呼びかけられている。何にも設定がいらずに、とても簡単で驚いてしまう。
画像は遅いものの相手は充分に見える。チャットはしやすい。音声で電話にもなるが、実際に声は解るものの、少し聞き取りにくい。
今日、既に接続しているかやすがさんにお願いして、CU-SeeMeを付き合って貰った。私は今まで航平がいることもあってオフ会に参加したことはない。かやすがさんの顔を見た瞬間には、相当に感動した。今まで日記だけを見て感心していた相手がそのまま目の前に笑ってこちらを見て居る。声が聞こえてくる。キーボードを打つ音が聞こえる。
しかし、こんなに楽しい物をどうして今まで知らずに過ごして来たのだろう。もっと早く知っていれば良かったと思う。まだまだ、途中でフリーズしたり、画像スピードは遅かったり、接続が途中で切れたりもしたが、多くの人が楽しんでいる価値は充分にあると感じた。
他、率直な感想も「あなたの伝言板」の10月2日の記述の中にも記載されています。
1997年10月 4日 土 雨 喧嘩
昨夜は航平を風呂に入れた後一緒に添い寝をしているうちに気付くと朝になっていた。子育てをしていると食事をしたい時に出来ない。買い物に行きたい時に行けない。外食したい時に出来ない。航平が居て楽しい反面、行動に多くの障害を抱え込むことになる。バギー車を押すのは車椅子を押すのと同じで、いつでもどこでも行動が制約される。
気持ちに余裕があるときには、航平の笑顔や寝顔がそんな障害をいくらでも克服してくれる。しかし、計画や目標が設定されて、気持ちにゆとりを失う時には、航平がいることで自分の体や精神に変調をきたしてしまう。
チャコちゃんと私とは航平出生後は以前にも増して喧嘩をすることがある。気持ちを相手にぶつけないと、やっていられなくなってしまう。喜怒哀楽の感情を一緒に共有できるのも航平が間にいるからこそで、普通ならそれほどに怒りを相手にぶつけることは出来ない。
怒られるたり怒ったりするといかに互いが互いを求めているかが良く分かる。自分が怒っても、自分自身が相手を求めていることがはっきり分かるから、喧嘩の後は妙に仲がよくなる。夫婦喧嘩は犬も喰わないと言うがその通りで、愛情の別の表現かもしれない。喧嘩は互いに相手に自分を愛して欲しいと言う表現なのだろうか。「お願いだから愛して、そして、自分を助けて」と正面きって言えない時の方がずっと多い。
現実に二人が生活していて感情のキャッチボールがあるからこそ楽しいんだと、今は喧嘩をしてもそう思うより仕方がない。生活に余裕を失っている。みんなどこの家も幸せそうに見えてしまう。家もなんとかやっているだけで大したものだ。
1997年10月 6日 月 晴 待つ方が悪い
私は独身時代が永くて、三食を自分で食事を作り、外に出るときには弁当もこしらえていたから食事を作るのはそれ程に苦労はない。いつだったか、一人で食事を作って妹夫婦を待っていると、義弟がわずか会社からの帰りが遅くなって、出来上がった食事を待ちながら心に平安が保てなかった経験がある。
よく家庭で食事を作っても帰りが遅くて、腹が立つ話しを聞いても、笑って見過ごしていたが、現実に自分が遭遇すると、平然と遅れてごめんと言いながら、スーツ姿の会社帰りの姿には妙に腹が立った経験を共有出来た。良く聞く体験が自分も得られたことは今から思えば楽しいことでもあった。
義弟と私とは大学時代の同級生で、ゼミも一緒で、クラス会の時に、その楽しく辛い体験談を同級生の前で、担当教官に話したことがある。すると、教授は
「待つ方が悪いんですよ。」 と答えた。そうか、待つ方が悪いんだ。と。
最近ではその教訓が活かされて、何かを待つことがあって自分の精神が不安定になりそうな時には、その時の言葉がすぐに思い出される。待たないのは相手への思いやりでもあって、待たなければ自分も相手も楽になれる。
1997年10月 7日 火 晴 敵に塩
日曜日の朝チャコちゃんと喧嘩になってしまってから、今日まで三日間攻防を繰り広げていたが、やっと和解が成立し、めでたく講和した。
ことの始まりは
「晴れた休日に11時まで寝るな」対「怒るより起こせ」
の争いだった。よくこんな詰まらないことで大の大人が三日も怒れるものだと自分ながら感心する。三日間自分からハンストにもなってしまって途中敵に塩を贈られたものの徹底的に自分の陣地内にこもってしまった。
休戦のきっかけはチャコちゃんの友人からの斡旋勧告だった。チャコちゃんが公園で何気なく話していて、たまたまチャコちゃんに用事の電話を私がとった。大体昨日あたりからどんな風に収束しようかなと終戦条件のつめを自分で考えていたところだったから、第三者が入るとあっけなかった。
喧嘩していて思うのは世界中の人が自分の敵でも家族の一人さえ信頼してもらえれば、何とかやれる。家族がうまく行かないと、すべてが失われてしまう。どんな苦しいことがあっても、たった一人信じて貰えば生きて行ける。
家族の人の字は支え合っている様子を表すと聞いたことがあったっけ。かつて、私は一人なら自由になんでも出来ると考えているところがあって、家族は足手まといで引っ張らなければななない煩わしいものだと考えていたかもしれない。実は引っ張られたり、支えたりするのはチャコちゃんは勿論だが、航平だって一役買っている。
1997年10月 9日 木 晴 昼寝から醒めて
チャコちゃんの友人の夫が出張で不在になったこともあって、家族を招待して、一緒に夕食を楽しんだ。チャコちゃんと私との喧嘩に休戦を斡旋してくれたお礼もあったし、私たち家族も心から安心して話しが出来る。同じ年頃の子供を持つ者の気持ちは同じ状態にある人が良く分かる。待ち合わせ時間は子供が昼寝に起きてからなのも、互いに了解しているいつもの待ち合わせ時間だ。そんなノウハウが互いに今日の安息と明日への力になっている。
明日は航平が行っているプールでバザーがある。チャコちゃんが航平を連れて行くばかりで私は様子を聞くだけだ。泣いているばかりだった航平も今は大分慣れてチャコちゃんもリラックスして楽しんでいる。明日はバザーに午前中出掛けたい。プールでの友達に出会うのはきっと楽しい筈だ。
航平が生まれてから、近くに住む人と随分友達になっている。やはり子育ては自分達だけでは出来ない。子供は子供と一緒でなければ遊びきれない。子供が子供と集まれば、大人も自然に親しくなっていく。苦しい時や楽しい時を話したり、支えたりしてくれる。
1997年10月10日 金 晴 体育の日
体育の日。航平が通うプールでは水泳大会など祭りがある。家族で午前中に出掛ける。プールで一緒に楽しむ友人家族ともあらかじめ電話で待ち合わせて、プールの様子を見学したあと駒沢公園に両家族で出掛けた。
公園はいつも出会う友人もいて、安心できる空気と、穏やかな秋の風が吹いている。
「今日は64年にオリンピックが開催された日ですね。」
と尋ねられて、あらためてこの公園でオリンピックが競技されたと思った。東洋の魔女、水泳のショランダー、アベベ、そんな選手が居た頃この公園が整備された。毎日を航平に遊ばせる上ではどうでもいいことで、気づきもしない。あらためて気候の良い最良の日を選んだと、空を見て思う。
かつてバレーボールチームが予選を繰り広げた体育館では、カーリングを自由に楽しめた。二つの家族で競った。はじめて持つカーリングは重い固まりにもかかわらず、ゆったりとすすんだまま、いつ止まるとも分からないように滑りすすんでいく。航平は体育館の中で駆けめぐっていた。自由に楽しんだ上におみやげまで頂戴した。外では有名オリンピック選手のサイン会やサッカーなど、今日ばかりはスポーツ一色に染まっている。
近くで外食を楽しんで、昼過ぎに帰宅する頃はもう航平はすっかりと夢の中に居る。天気の良い午後も航平が寝ると静かになる。夕方には家族で夕食をとって静かにまた一日が過ぎていく。航平が今日もどれだけ成長したか、そんな話しが家族の話題になっている。
1997年10月13日 月 晴 ポットの箱
連休明けの晴れた月曜日。何となく体が重くて、今一つの体調。外に咲くキンモクセイの花が満開の頃には毎年体調を崩すが、大量の花粉がやっと落ちたところだ。航平はこのところ少しお腹がゆるいようで、一日に4回程もある日もあった。
連休は土、日とも外出したが、航平をいつもと違う場所で遊ばせたいのと、遊んでいる様子を見たいのが目的だった。夜も早めに10時頃には休んで、パソコンの電源を少し休ませた。日記を書くよりはチャコちゃんの顔を見た。チャコちゃんはマックにひがんでいるところもある。チャコちゃんよりもマックにの方が好きなように見えるらしい。
二人で会話と言ってもなんの内容がある訳でもない。航平の身の回りに起きるできごとを他愛もなく話しているばかりかもしれない。
今日は、夕方新宿ヨドバシカメラで電動ポットを購入した。台所の調理が楽になりそうだと遅ればせながら知ったからだ。ミルク調乳での60度の設定が出来るタイプを選んだ。航平の時にあればいいのにとは思ったが、今の所差し迫って必要という訳ではない。もしかすれば必要になるかも知れない。
家庭電化製品とパソコン関連商品とでは値段の付け方が全然違う。電動ポットの値段に折り合うパソコン商品は全然ない。混んだ電車でポットの箱の角に人の足が当たって迷惑にならないように注意しながら帰ってきた。
1997年10月14日 火 晴 おもちゃ
チャコちゃんのお父さんがうちに訪問。いとこが使った救急車のおもちゃを航平のためにと持ってきてくれた。電池を入れてみると赤いランプが点滅する。少し壊れているようなところがあるが、喜んで遊んでいる。
この間までなくなっていたおもちゃの部品の一つがきちんとおもちゃ箱の中に入っている。あちこちと相当探したのに見つからなかった。塔になるおもちゃの途中部分で、無くなって、その上が組立たなかった。だいぶ永いこと見つからなかったのに、自然に戻っている。きっと航平が一人でどこかに隠して、再び一人で持ってきたに違いないと想像している。
同時に木製のボールが一つ無くなっていた。転がして遊ぶためのボールだから無いと遊べない。おもちゃ箱の中に知らない自動車のおもちゃが入っている。友達が持ってきたものだ。航平は今まで無かった友達のおもちゃが気に入って遊んでいる。返さなければならないから無くさないで欲しい。
航平にとっておもちゃとそれ以外の物との区別はあるのだろうか。おもちゃ以外で一番のお気に入りはCDトレイの開け閉めだ。これは容認されている。大好きで、やり始めると飽きるまでしばらく続ける。ステレオのボリュームはよく最大になっているから確認しないと爆発するような大きい音になる。
ビデオの出し入れも好きだ。入れては出している。これも容認されている。時々ビデオを逆さまに入れて詰まらせている。ボタンは全般に好きだ。電話から電灯のスイッチ、コンセント、ボタン様のものには一度は触っている。人が触る物には触りたいのと人がすることはしたいらしい。風呂から一人で上がるのもしてみたくて溜まらなくてよじ登ろうとしている。
人は自分で出来ること程楽しいことはないのだろうか。少なくとも航平は私達がやってやるよりも、自分の力でやりたいように見える。
1997年10月17日 金 曇 折り込み済み
今週は忙しかった。学会か何かがあってか、自分が作成した製品が紹介されたのだろうか。問い合わせやら、商品の発送やら、パンフレットの送付が続いた。商品受注は作成するものにとっては本来とても嬉しい筈のものだが、気持ちが一つすすまない。自分自身の要求に対して、製品の仕上がりが充分ではないからだ。
自分の仕事が人の役に立っているかどうかが分からなくなるときは不安になる。陶器を作る人が満足しない作品を壊してしまうが、その通り満足出来ない製品は誰も販売できない。
コンピューターソフトは発売当初バグが含まれているのは半ば折り込み済みでもあって、顧客は実態も承知の上で購入する場合もある。しかし、家電製品もそうだが、成熟産業が送り出す製品は長い年月をかけて充分に完成している。多くの人が満足してきた実績のある品物が適正価格で販売されている。コンピューターもハードは競争が激しい結果、安値に見える。完成された商品群の中で、自分のことだが、ソフトウェアは幼稚で、しかも価格は高い。
自分が扱う商品を愛せない程辛くて厳しいことはない。売れない時も辛いが、売れる時は、販売出来ない気持ちになってしまう。自分の仕事に自信がもてない時にも、やはり努力するしかない。
1997年10月20日 月 晴 こまぎれに
土曜日、日曜日とも夜、航平を風呂に入れた後、添い寝をする内に眠りについてしまった。平穏な毎日だったが、土日とも塗装工事が長引いて今日無事に終了した。平和な日だと幸せなはずだが、不思議に心が満たされないこともある。自由で何も不自由なく過ごせることが幸せかと言えば、何不自由なくいることが不自由なこともある。
何も困難な出来事がないと、人はかえって生活が困難になってしまう。無重力状態にいる人が生活が困難になるのと同様で、何らか支点や重力がないと生活は苦しい。そんな支点て何だろうと思う。しなければならない仕事にとりかかる内に苦しいことを忘れることもあるし、泣いているうちに悲しいことから自然にふっきれることもある。人と話すのもいい。ところが困難な事件に遭遇しての苦しさは相談する人もいるし、助ける人も多いが、困難がない苦しさは相談しにくい。
こうして話したり、書いたりするうちに自分が整理されたり困難が困難だと感じなくなることもある。誰も困難も幸福も等しく与えられているのだろうが、困難をこまぎれに小さくして、小さい困難を少しずつ克服すると幸せの回数が多くて心地良い。
日曜日の秋祭り 駒留神社
1997年10月22日 水 晴 妄想
夕方、新宿に出掛けると、号外の回りに人だかりが出来ていた。私も並んで受け取ると安室なみえが結婚すると書いてある。争って受けとる人の波と話し声が響く。帰る連絡するために、電話する列に並ぶと新宿駅の騒音が響く。一人で歩いているから考えたり、思い出したりもしている。喧騒の中で頭が割れるように響いてもくる。今の自分は食事も睡眠も家族の愛情も充分に受けているのに、喧騒の中にしばらくいるだけで、考えや気持ちの安定がとれなくなりそうな不安が押し寄せる瞬間もある。電話を待つ瞬間、何故悪いことは悪いのだろうなんて考えてしまう。悪いことだってしてもいいのではないのかなんて。
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妄想
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盗みは何故してはいけないの?と考えてしまう。消費は大切な経済の営みだから無駄に溜まっていれば、滞貨として埋もれてしまう。無駄にあるところから陽の光をあてるために財貨を移転してあげること。猿や動物はみんなしている。無駄に溜めていても肉も野菜も腐ってしまう。溜める人は汚い。汚いものを綺麗にする行為。
物を壊すのは何故してはいけないの?作ってばかりいると、人が作るものはろくでもないものばかりだから、くだらないものであふれかえってしまう。作ってもどうせ壊されると思えば、思いつきでくだらないものは作らない。くだらないものばかりで、住む所さえ困る動物も沢山いる。たまには勝手に壊された方がいい。
人を何故あがめてはいけないの?人は法律の刑罰が怖いからそんなことをしないんじゃない。実際に人をあがめる人が怖いから自分もあがめない。怖さ、恐怖は人を尊敬させるし、時にあがめられることでとんでもない社会が出来上がらなかったのかもしれない。
淫行が何故いけないの?かつて悪かったとされる道徳も今は自由になっているじゃない。人の考えも変わる。昔は悪かった教えが今は自己の開放のなることだってあるじゃない。自然の精神の開放が新たな自由を生み出したじゃない。新たな文化や創造も心が開いていることは大切。動物に淫行はない。種の保存は自由の中に存在している。
悪や不道徳が何故してはいけないの?何故自分はしないの?教えられたから?それとも自然に?どうして自分の考えは悪をいけないと信じるようになったの?
分からないことを分からないと気付く瞬間、そんな瞬間が都会の雑踏にはある。
1997年10月24日 金 晴 中耳炎
今朝夜中の三時過ぎに航平が泣き出した。激しく泣いていて、その後結局五時近くまで泣いていた。夜泣きした経験は今まで、余りなかったから少し驚いたが、誰でも夜泣きはあるよと話しながら、明け方に休んだ。
朝、微熱があるので、小児科医の元に出掛けると耳かもしれないから、耳鼻科医へ行きなさいと言われたらしい。出掛けると、風邪から来た中耳炎の診断だそうだ。軽いらしいが、それで夜泣きの理由が分かった。理解が及ばない状態は不安な気持ちになる。薬を飲んで、しばらく風呂とプールは休みになる。
夕食を戴いていると電話があって小児科医からだった。どうでしたかと問われて、いきさつを話した。電話を貰った経験はないが、気にかけてもらって嬉しかった。
寝不足になると心臓がどきどきするような気持ちになる。せかされているようでもあるし、怒りっぽいような気持ちにも、ふとなってしまう。子育て中に、気がたっているのも全体に睡眠が短いことも理由の一つにはあるかもしれない。今日は二人とも短かったから、喧嘩しないように気を配った日だった。
1997年10月26日 日 晴 カメラ
昨日は午前中東深沢小学校の移動動物園に出掛け、夕方、渋谷に出掛けて、一眼レフのカメラを購入してきた。夜まであれやこれやと説明書を見て試してみたが、スィッチの数こそ少ないものの、機能が多い。
結局従来の一眼レフのカメラに露光計とピント自動調節機能が付いているのだが、相互の関係をマイコンで計算した上で写せる写真の種類が種々案内される。
自分ではカメラの趣味は特にないが、シャッターを押すときの快感は感じる。一人で旅行に出る時、よくカメラを持った。歩いているときにふうっといい景色に出会ったり、気持ちが惹かれる瞬間に自然にカメラに手が伸びてシャッターを押したい気持ちになっていく。
ファインダーの位置も考えるわけではないが、自然にある場所にとどまって、シャッターが押される。押された瞬間風景を自分に取り込んだような妙な心地よさがある。出来上がる写真を見ると誰が見ても必ず芸術的には見えないのだろうが、自分にとっては見るたびにその時の心地よさがあって悦に入る。
いつかきっと私の写真を芸術だと呼んでくれる人が出ないかと、度々人に見せるが、正直な人に限って、それはただの自己満足にしか過ぎない写真だと言われるばかりだ。
誰に見せても大概そう言うのだから仕方がない。きっと本当に自己満足の写真に違いはないのだろう。しかし、自分がいいと思える感情が人の写真を見ても感じることがある。
人の自己満足が私にまで伝わってくるのに私の自己満足は人に伝わらないのは悔しいものだ。分かる人には分かると思いながらも分かる人が少ないのが私の写真だ。
泣きながら乗ったポニー 碑文谷公園で
1997年10月27日 月 晴 面白い
航平の中耳炎の治療は続くが、咳が止まらないので、小児科医に連れて行くと、耳鼻科医で貰う薬の中に咳のくすりも入れて貰いなさいと言う指示だった。チャコちゃんは小児科医の元に行くたびに話しを聞いてはほっとしている。信頼からくる安堵感は、自分の病気以上に大きいかもしれない。
昨日のカメラの文章が、面白かったという言葉を伝言板上にいただいた。面白かったと言うのは最大の賛辞で嬉しかったのだが、自分で読んでみて、どこがおかしいのかが分からない。何回か読んでみたが何でこの文章のどこがおかしいのだろう。書いた人に分からない入試問題集の盲点のように突かれている。
自分の頭ではどうみても詰まらない文章でしかない。それで、仕方なく、相手の立場になって、全然違うところに住む、私を知らない人になったつもりで、頭をこらして自分の文章を読んでみた。それでもおかしくない。
チャコちゃんに何故だか僕の文章面白いって言われたんだけれど。と話したら、
「いじめられているの?」
と聞かれた。いじめられているのでもないと思う。何度も繰り返し面白い面白いと言われれば、それはいじめられている。一度だけだから、きっと本当に面白いに違いない。するとそこに一緒にいたチャコちゃんの友達もやっぱり「面白い」と別の局面で話している。
でもあらためて考えてみると自分が読む他の人の文章も面白いような気がする。人ってきっと悪いところも良いところも面白いところも詰まらないところも持っていると思うのだが、相手の面白いところが見つけられるのはお互いに幸せだ。
すると分かるのは、面白いという言葉は奥行きのある誉め言葉になっている。かつて面白いと言われた時を今少し大切にしておけばよかった。
1997年10月28日 火 晴 続、面白い
面白い文章、面白い人だと言われるのは嬉しいことだと、昨日書いた。まだ、「面白い」から頭が離れない。「面白い」と「真面目」とが同じ意味に見えて仕方がない。
あるできごとを真面目に事実通りに描かれると、たまらなく面白く見えてくる。その瞬間の感情やその瞬間の互いのやりとりを克明にリアルに真面目に描かれる程に面白く感じていく。
面白い事や面白い人は真面目な事や真面目な人に違いないと感じてしまう。大体、できごとを克明にリアルに描こうとする行為自体が滑稽なことで、不真面目な人なら決してまさに事実通りに描こうとは意図しない。
思想やポリシーも面白くて堪らないといったたぐいではない。人が感じ、行動することは突飛であっても、考えることや、規範はある程度論理的で、分かりやすく、そこに面白さは生じない。
チャップリンや他の喜劇役者も演じる様子は真面目な人を極めて真面目にディフォルメして演じるから、おかしみがこみ上げる。紳士の出で立ちで、マナー良く食事を戴く程に笑いが生まれる。
真面目を真面目に演じる程に、面白くおかしくなっていく。真面目と面白味とは同一の側面を同一の尺度で評価した、人に自然にわき起こる感情ではないかと推論する。
1997年10月29日 水 晴 薬
航平の中耳炎は痛いのか痛くないのかは分からないが、医師のもとで診察されてだいぶ良いように見える。熱も下がってきた。咳が出ているのが心配で、風呂にはしばらく入っていない。元気は変わらず食欲があるので、もう二三日したら回復するのではと期待している。
子供の風邪で抗生物質は効果がないばかりか、本人の体力を損ねると先日も新聞にでていたので、なるべく避けたい気持ちだが、医師の元で、薬はどうしましょうか?と訊ねられて、結局戴いて飲んでいる。辛そうな様子を見ると拒絶する判断は自分ではどうしても出来なくなってしまう。
子供が居ない時に、自分の風邪で、薬を飲むことはなかったし、今も風邪では薬を飲まない。人の子供にもどうして飲ませるのかと批判的な気持ちがあった。自分も変化したと航平を前にして考える。
言葉がまだ通じないだけになんとしても今の苦しそうな症状を蹴飛ばしたい一心になって他が見えなくなっている。薬を飲んでも早く元気になって欲しいと思う。元気が続けば、薬を飲まなくてもよいのだから。