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97年5月

山口 正司             


1997年5月 1日 木 晴      ゴールデンウィーク 1997年5月 2日 金 晴      春の思い出 1997年5月 3日 土 小雨     酒 1997年5月 4日 日 晴      身長 1997年5月 5日 月 晴      岡本民家園と静嘉堂文庫 1997年5月 6日 火 晴      占有侵害 1997年5月 7日 水 晴      第一印象 1997年5月 8日 木 強い風後雨  会話の抑揚 1997年5月 9日 金 晴      火事の誤報 1997年5月10日 土 五月晴れ   公園のいたずら書き 1997年5月11日 日 晴      母の日 1997年5月12日 月 晴      大リーグ伊良部と就職 1997年5月13日 火 晴      特殊車両 1997年5月14日 水 雨      困らせること 1997年5月15日 木 晴時々雨   森の中 1997年5月16日 金 晴      それが仇 1997年5月17日 土 曇り     電車のビデオ 1997年5月18日 日 晴      友達へのきっかけ 1997年5月20日 火 曇り時々雨  仕事を替わること 1997年5月21日 水 晴      新郵便番号簿 1997年5月22日 木 晴      近所の引っ越し 1997年5月23日 金 晴      新宿駅西口 1997年5月24日 土 強い雨    ガードレール 1997年5月25日 日 晴      みみず 1997年5月26日 月 晴      シャワー 1997年5月27日 火 晴夜雷雨   損害賠償 1997年5月28日 水 晴      新聞とテレビ 1997年5月29日 木 晴      髪をカット 1997年5月30日 金 曇      電話 1997年5月31日 土 曇      木をカット
1997年5月 1日 木 晴     ゴールデンウィーク

 ゴールデンウィークのまっただ中で会社は活動しているような、休んでいるような動きだ。会社への発注も納品は遅れ気味になる。ゴールデンウィークと夏は毎年円安に振れるような気がするが、ハワイで落とす円で価値が下落しているのかなと想像してしまう。通貨相場というと巨大な様相をイメージするが実態はそれ程に大きくはなくて、個人の力(米国資本)で動かされることも度々あると言われている。

 外はやはり休日の様子があちらこちらに漂う。観光をしているらしき人をあちこちで見かける。この時期の東京は一番過ごしやすい。人も少ないし、電車も車もすいている。

 テレビを見るといぬわしのたまごが烏にもっていかれたと電源開発会社がビデオで発表していた。からすとたまごの発表をしている人もいる。

 幸せって豊かな物からも随分と得られるが、多くは自動化されていて人の労力がかからない部分から、物を得ている。だから自動化された資産を持つと余りあくせくと働かなくても結構楽が出来る。イタリアも過去の資産から豊かな生活をしているように見える。

 季節のいいこの時期に休みがあるのは有り難い。私たちって結構ゆとりがあるんだなあと思う。



1997年5月 2日 金 晴      春の思い出

 昼前にチャコちゃんはリタさんに誘われてモリエールも一緒に買い物に行った。今まで乗ったことがない高級車に乗せて貰ったと喜んでいた。子供三人と母親三人が歩いて、チャコちゃんが碑文谷公園への道を聞くと年配の婦人は親切にゆっくりと話して教えてくれたらしい。

 リタさんは
「チャコちゃん外人に見えたのよ。」
と堪能な日本語で笑っていたそうだ。公園には一軒家程の動物園があって、航平はウサギをさわらせてもらうのが大好きだ。どんどんと中に入って楽しんだらしい。

 昼は三人がそれぞれフードパークで一つずつ注文して合わせて食べたらしい。モリエールは日本語が出来ず、チャコちゃんは英語も仏語も話さないので余りコミニュケーションはとれなかったようだ。

 チャコちゃんは言葉が通じなくても大きく苦にはならないらしい。だから気軽に誘われるのかも知れない。午後もリタさんのうちでアフタヌーンティーに誘われたらしいが、私が家でお腹を空かせて待っているかもしれないから帰ると言って戻ってきた。チャコちゃんにとっては私も航平と同じように子供に見えているのかなとその時思った。






 写真
 春の思い出




1997年5月 3日 土 小雨      酒

 夕方になって川崎市荏田にあるフィットケアデポと言う名の店に家族で買い物に出た。紙おむつが無くなっているのがきっかけになっている。紙おむつは東京にある私の知っている何処の店よりも安価だ。この店はアメリカの倉庫のような外見に美しいインテリアで天井近くまで品物があふれている。値段もさることながら海外製品が数多く揃っているのでチャコちゃんは時々行きたくてたまらない。私が秋葉原に行きたいのと同じような理由だ。

 購入したのは紙おむつ一月分、サッシ窓で手を挟まないための米国製器具、もてぱっくん(牛乳パックを赤ちゃんが飲めるようにする道具)、ベビー用むぎ茶、米、ヨーグルト、ドイツ製たわし、缶ビール2本、ボルドーワイン1本、その他だ。私もチャコちゃんも酒はあまり飲まないが時々買う。ワインは好きだが、それでも一本買うと三ヶ月くらいある。

 うちでだけの感想だが同じ値段ならドイツ、カリフォルニア、オーストラリア、日本産よりもフランス製ワインが断然に美味しいと感じる。(これは大体500円前後で研究を重ねての話だ。)なのにフランスワインは目立つ所に陳列していないような気がする。ワインは健康に良いような気持ちになる。甘くて好きだ。

 ビールは胃の調子が弱っている時に飲む。ビール好きな人にお腹が出ているのはカロリーが高いらしいが、胃の調子が良くなるのかなと想像している。

 帰ってからチャコちゃんはスパゲッティを作って、ワインをコップに2センチ程入れて飲んだ。今日買った物かと尋ねると三ヶ月前の最後の残りだと言う。古いが美味しい。全部を飲むと二人とも真っ赤になって饒舌な会話が楽しめる。そんなときに航平が膝まで登ってくると動きたくなくて半ば拷問にあっているようだ。

 ところで、のほほん人生日記の石橋さんが久しぶりに出ている。昼間に見つけて、一旦オフラインにしてチャコちゃんを呼んで、一緒に楽しく読んだ(5月3日分)。何故だか分からないが嬉しいものだ。



1997年5月 4日 日 晴      身長

 届いた五月人形を見に義父が訪れた。チャコちゃんはお父さんが来るのを楽しみにして、昨日からせっせと料理の準備をととのえていた。前回来たときに比べてまた一段と大きくなって、歩けるようになっているのに驚いていた。

 航平の体重は10キロ、身長は81センチ、頭囲は51センチになっている。体重は平均、身長は上から6%、頭囲は5才児の平均にほぼ等しい。やせ形で背が高くて頭でっかちだ。私自身もチャコちゃんも子供の頃はそんな風だった。今の私たちは平均的な体つきだ。

 身長は高いから良いかと思うが、そうでもない。公園では体が大きいのにまだしっかりとは歩けないように見られることもある。子育ては人と比べないことだと念じつつ、つい気になってしまう。平均的が一番楽が出来るように感じる。少数派はコミュニケーションがとりにくい。

「産まれた時から見るとあっと言う間に大きくなったね。」
と言うが、この一年は永かった。

 体重は三倍以上にもなったが今だにあっち、こっちにころがってキョンシーみたいに手を上げてふらふらしている。まだまだ気を許せない。






     陣羽織と兜をつけて




1997年5月 5日 月 晴      岡本民家園と静嘉堂文庫

 連休最後の子供の日だ。天気も良い。おにぎりを持って出た。岡本民家園までは普段なら車で15分程の道のりだが環八通りは連休帰りの車で並々ならぬ渋滞だった。砧公園で特設美術展が開催されて、駐車場に入る車列が続いている。

 混雑を過ぎると静かな住宅街の中に静嘉堂文庫がある。その崖の下が民家園になっている。江戸時代からの民家と、にわとりなどが飼われている。ざりがにを取っている子供達の側で昼食をとった。公園で食事をすると幾ら航平がごはんをこぼしても気にならない。ほたるも飼われている。

 静嘉堂文庫は三菱の岩崎家の邸宅で、四十年間手つかずの広大な庭園が中にある。広い屋敷は国分寺から田園調布まで続く崖沿いに建ってその下には多摩川が流れている。多摩川の遠く向こうには夕陽の中に広く丹沢と富士が望める。

 文庫は所蔵資料の保管に使った物で、美術館がある。邸宅に続くスロープは玄関から長く続いている。訪ねる人も余りなく人の気配は少ない。自然の豊かな美しい場所だ。

 夜はNHKの日米合作映画「りんこ」(The Best Bad Thing)を見た。テレビ映画に賞があるなら今年度の感動的な賞を得るだろうと感じた。涙が出るのは自分だけではないだろう。ハッピーエンドの物語だ。






        静嘉堂文庫







岡本民家園に行く途中の道を歩く航平とチャコちゃん




1997年5月 6日 火 晴      占有侵害

 航平は何かをお守りのように持つようになった。何でもよいが持ち始めるとなかなか離さない。手に木の玉を持ったままソファーに登ろうとする。危険なので取り上げると泣いて抗議する。仕方なく返すとやはりもったままでソファに登ろうとする。

 机の上からポストイットを取って離さない。取り返したいが泣いて抗議する。取り上げられず、ぐちゃぐちゃになった。コンピューター用CDもなめる。

 自我が芽生えている。権利の主張が始まっている。自分の占有を侵されることに対しての抗議だが、先に自分が人の所有を侵していることまでは理解しない。教育やしつけをどうしたらいいだろうと思ってしまう。公園に行けば自分の思い通りに行かず、同じ年頃の子供から自然に学ぶような気もする。

 チャコちゃんに聞くとちょうど一才程の子は皆同じらしい。どの子もちょっと取り上げると大変な騒ぎになるそうだ。家の中であれもだめだこれもいけないとすると自分が航平にとって厭な対象になりそうで、嫌われたくない。しかし相手の権利と自分の権利の折り合いをなるべく早く知って貰って楽になりたい。

 チャコちゃんは突き詰めずに上手に他のものを渡して気をそらしている。太極拳の技のように攻める手段はいろいろとある。

 卒論のテーマは「占有権に関する考察」だった。



1997年5月 7日 水 晴      第一印象

 どうも私は人を見る目がないような気がする。

 だいたい人なんて悪い人も良い人もそれ程に変わりはないと思っているから、良い人も悪い人も無いと思っている。しかし、誠実そうに見える人が嘘をつく人だったり、神経が細やかだと思う人があっけらかんとする人だったりして、人の性格ってなかなか分からない。

 ちょっとしたことだが電気屋でビデオを見るとケーブルテレビ対応と書いてある。航平がビデオをいじりはじめてから、一台のビデオは壊れてしまった。修理費は新品購入費のおよそ半額だ。ケーブルテレビの予約は一筋縄ではいかないので、尋ねてみると、このビデオを使えばケーブルテレビ契約しなくても見られる可能性があるらしい。

 ケーブルテレビの代金は月々NHKの衛星もあるから三、四カ月もすればビデオ代が浮く程になる。
「10年近くもよく只で見られるものに代金を払っていますね。」
という雰囲気だ。直ぐにも買った方が良さそうだ。店員は親切に詳しい商品知識で丁寧に説明した。随分誠実な人だと思ったがあまりに急な話しで、見られるとは言っても不正なことだから、その場では購入しなかった。

 帰途、チャコちゃんに電話して
「別の部屋でもケーブルテレビが見られるようになるからビデオ買おうか。」
と言うと
「買おう。」
と言うので再び店に戻った。さっき丁寧に説明してくれた店員を店中さがしたが、帰ってしまったのか何処にもいなかった。仕方なく、どう見ても不親切そうな風貌の店員に、買うつもりで二、三質問した。店員は丁寧に答えた後ケーブルテレビの会社名を聞いた。そして、
「東急ケーブルテレビはスクランブルがかかっていて全く使えません。」
とあっさり言った。

 さっきの親切な店員は東急ケーブルテレビが見られるか見られないかについては知りながら、今から思うと上手な弁舌で答えなかった。対応していないことを知らないとは通常考えられない。後から思うとすっかりと乗せれそうになっていた。

 私が見る人の第一印象は良く外れると言うか、外見で人は理解できない。



1997年5月 8日 木 強い風後雨  会話の抑揚

 強い風が一日中吹いている。プロ野球は投手が投球フォームを乱され、投げられないとして中止されたそうだ。風で投球できないなんてプロとは思えない。観客に万が一事故があってはならないという理由なら理解できる。

 夜になって窓を締め切って家の中には洗濯物がならんで湿気が充満している。エアコンを稼働した。涼しくなりすぎて寒い程になっている。

 夜は7時から今、10時半まで途中航平の風呂の間もNHKの番組がかかっていた。興味深いコンピューターの話題もあったが、航平の毎日のお気に入りの番組は7時40分からのドラマだ。始まった途端突如として今日も20分間座って見ていた。

 何でこんなにもドラマが好きなのだろうと思う。想像だがずっとニュースの平板な抑揚の話し方が続いた後、急に感情の起伏ある話し方に変わるからだと感じている。

 航平はまだ会話の意味をほとんど理解しない。しかし人の感情は十分解る。大人が怒ったり笑ったりするのは良く解る。感情を理解するのに有用なのは言葉の抑揚もその一つだ。抑揚ある話し方が出るとテレビを見る。子供向けの番組もおおむね抑揚ある話し方をする。

 思い返してみると自分でも人の話し方が抑揚がたっぷりあると、子供の頃は良く頭に入ったような気がする。そう言えば耳にしみこむように入り込む宗教や道徳上の話しでは抑揚は不可欠にも見える。政治家が選挙民の心をとらえるときも抑揚は大事だ。

 ビジネス社会では抑揚ある会話は嫌われる。私がはじめて社会に出た時、上司は私の話し方からなるべく抑揚を取るように指摘したことがある。社会人としての話し方だ。仕事に感情は不要かもしれない。

 なんでも理屈どおりにはいかないが、理屈以外の何が理屈を越えるのか想像するのは楽しいことだ。



1997年5月 9日 金 晴      火事の誤報

 昨日から日記のランキングソフトに不正な投票がされていて、ランキングの判断が不能になっている。何故そうなるのかを考え始めるとわずかな情報から想像を重ねて暗闇の中に置き去りにされたような不安定な気持ちになる。ネット病だ。

 顔を見合わせて話しをすれば分かり易いがそれでも食い違いもあって人のコミュニケーションの不一致は永遠の課題だ。戦争の発端もおそらくはそんなコミュニケーションの不一致から起こるのだろう。

 誰もが自分が正しいと感じ、相手は間違っていると判断していく。そんな時に一番困るのは平和にその日を楽しむ大多数の人だ。惑わされたり苦しんだりするのは当事者以外の人だ。平和なら楽しいし豊かなはずだ。

 夕方家族で買い物に出た。パン屋からマルエツに行く途中で一人の女性から
「あれは火事では。」
と話しかけられた。

 公団住宅の三階の窓の中に火が燃え上がるのが見える。はっきりと確信は持てなかったが三人でじっと見つめるとどう見ても火事だ。

 走ってマルエツに入って公衆電話から119番を回した。呼出し音は何度も鳴るが出ない。電話が通じていないのだろうか。隣の電話は年配の婦人がたわいもなく笑って話している。火事なのに。
「火事なんです。」
と怒鳴って隣の電話を切って、話している受話器を取り上げた。隣の婦人は心臓が止まったようにあわてた。

その瞬間自分の電話がつながった。

「火事です。」
「ええっとお、何処ですかあ。」
やけに落ち着いてる。
「文京区、いや違う、世田谷区です。公団住宅が火事です。」
「何号棟ですかあ。」
一つしかない。
「解りません。」
「今向かっています。」

 住宅の下から大きな声を出して
「火事だから非難して下さい。」
と何度も呼びかけた。

 しばらくして消防自動車は三台くらい到着した。直ぐに火事のある三階の部屋に外からはしごをかけて中に入った。

 しかしなんと火事は何処にもないらしい。はじめに見つけた女性は
「どうしましょうか。」
と私に尋ねる。はっきり言って逃げ出したい気持ちだった。

確かに窓の中に火の手は見えた。でもなんかの間違いだったのだろうか。

 仕方なく一人で消防士の所に行った。消防士は
「いたぞ、いたぞ、第一発見者だ。」
と大声で叫んだ。私は最初から隠れていない。無線で
「第一通報者の山口さん発見。」
と言っているのが聞こえる。

 消防士は私の上腕をがっしりと押さえた。まるで逮捕されたようだった。消防自動車の横で事情聴取を受けた。私は緊張したが結構落ち着いてもいた。確かに火事だと確信したのだ。自分は悪くない。

 消防士は赤鉛筆で書こうとするが書く手が震えている。そっちが緊張するなとおもった。
「氏名は。」
と問われて
「山口まさじ。まさは、正しいのまさです。」
と言うと
「正しいってどんな字だ。」
と言われて、緊張はすっかりとれた。

 事情聴取も終わって、私も見た、私も見ました。と沢山の人が出て、誤報が無理もなかったと誰にもはっきり解った。
「119番するのはいいんですよ。火事が無ければそれに越したことはないのですから。」
と言うが何を意味するのかは解らなかった。
「誤報でした。」
の大きなかけ声が聞こえた。

 はじめに一緒に見つけた女性とチャコちゃんとが残って、 「でもあれは一体なんだったんだろう。」 と今でも疑問は解けない。航平は消防自動車の側で以外な程静かにしていた。帰ってから航平の夕食は8時半になってしまった。



1997年5月10日 土 五月晴れ   公園のいたずら書き

 のんびりとした一日だ。昼は家族で駒沢公園を散歩する。ぶた公園ではいつもの光景がひろがっている。ふと見ると、ぶた公園の真ん中に、子供が沢山集まる山の上に、大きな漢字で書かれたいたずら書きが何カ所かある。公園の何処からもいたずら書きは見える。おぞましい雰囲気に見える。

 毎日気持ちよく遊んでいる公園がたった一人の一分程の行為ですっかりと変わってしまう。何故そんなことをするのだろう。石の上に書かれているから消すのはなかなか大変な作業だ。気持ちの良い公園になんでそんなことをするのだろう。

 駒沢公園の中はここ最近になっていたずら書きが随分増えた。いたずら書きを消さずに芸術性を競って美しくならべたままにしている塀もある。スプレーで書かれたいたずら書きは世界中どこに行っても増えた。美しい芸術の都、米国文化を嫌うパリも車窓から見る風景に、輸入されたいたずら書きがあっと言う間に広がっていたのを見たことがある。

 人って何か作られたものは壊したい本能があるのだろうか。現実に目の前に広がる風景を打ち砕かない限り新しいものは得られない。

 航平は私がおもちゃで何かを造りはじめると必ずめざとく寄ってきて壊していく。今広がっているありのままが好きなのだ。

 よく子供に自然物で作られたおもちゃを大人は好んで与える。私も木で出来たおもちゃはぬくもりがあって好きだ。だが、航平は不思議にそんな大人が与えたいおもちゃを真っ先には選ばない。プラスティックやブリキや鉄など、人工的に作られたものが好きで最初に見つけて執着している。

 公園でもまるっきり人工的な造形物がない所に行くと航平はすっかりと落ち着いてしまう。公園には必ず人工的なオブジェが配置されていてブランコやすべり台などにめざとく向かっていく。

 ところで自然の森の中にいたずら書きをほどこす人は居ない。誰もが受け入れているし肯定している。いたずら書きの対象はたいてい人工的な造形物だ。とするといたずら書き自体は人がする行為の中ではとんでもなく不本意な行為とは言えないのかもしれない。いたずら書きをとんでもないと批判する人の中に、更にとんでもなく不本意な行為をする人はいないだろうか。

 当たり前のことだが、いたずら書きはして欲しくない。






    駒沢公園お気に入りの椅子




1997年5月11日 日 晴      母の日

 母の日だ。チャコちゃんへのプレゼントを用意していない。母の日の母がチャコちゃんだと言う感覚が余りない。チャコちゃんは昨年からは母だ。

 花屋の前を通ると沢山の客が居る。家族で自由が丘に出た。求める靴を探して歩いたが、今風の靴ばかりが並んで、チャコちゃんの欲しい昔ながらのローファーの靴は余り無い。あってもサイズが合わない。

 途中、ふらりと立ち寄った子供用品店で航平の帽子を買う。航平は汽車のおもちゃの中に入ったまま出てこない。無理に連れ出すと店から出る時、わんわん泣いていた。

 その後もあちこちと歩くがチャコちゃんの欲しい靴は見つからない。チャイニーズで夕食を取って、結局は、またにすると言う。

 デパートならどこでも見つかる靴だ。別の日に買う約束で家路についた。

 航平の品物は直ぐに買えるが自分の品物はなかなか選べない。航平の品物で満足してしまう。



1997年5月12日 月 晴      大リーグ伊良部と就職

 五月病の季節と言われる。街を歩くと就職姿に身を固めた学生姿を時折見かける。地図を片手に看板を見ながら目指す企業を探しているように見える。

 就職は学生にとってはじめて出会う関門だ。今までは何となく客観的にも見える尺度で選考されて来たが就職では何が基準になっているのか分かりずらい。

 大リーグ、ヤンキースのマイナーリーグと伊良部は入団契約を内定したと米国のマスコミは伝えたそうだ。もし、事実だとすれば、耐えながらよくここまでほこりを持って自分の道を進むことが出来た。

 伊良部は日本を出るとき
「私は土地や建物では無い。」
と言っていた。しかし、伊良部は土地や建物と似た構造にある選手契約を十分に利用できた。

 伊良部ははじめに契約金を得て球団に入団したが、契約の内容は10年間の拘束が含まれた。10年は永いがプロ野球界が独占状態にあるため、その内容を自分に変更する力はなかった。

 契約を交わし契約金を得ると、伊良部自身は球団からみると10年間雇用しうる一個の資産であって、流通が可能だ。資産だからこそ高い契約金を支払うことが可能だ。伊良部は良く働く選手だったから更に高い価値を球団にもらたした。

 ロッテは高く上がった価値を恐らくヤンキースより高く評価したパドレスに資産交換をした。パドレスは得た価値が無になることを恐れて、ヤンキースに転売した。

 伊良部は自分に価値があるからこそ転売がなりたったのが、その価値を生んだ基礎は入団時の契約金だ。勿論伊良部の能力の高さは必要条件だ。

 単に能力があるだけではかつての巨人に入る前の江川のように契約がまとまらず、干されてしまうこともある。今回の伊良部も危なかった。しかし、一端契約金を支払うと球団は支払った金額に見合って、生ずる資産価値から、何らかの行動を余儀なくされる。

 ここまで解った上で積極的に自分自身を高く評価させた手腕は恐らくダン野村の力に負うところが多きいのではと推測する。

 学生諸子も人事担当者に思うがままにずけずけと踏み込まれず、最も自分を高く評価する会社を自分自身から積極的に選んで欲しい。安売りする必要は何処にもない。



1997年5月13日 火 晴      特殊車両

 最近航平が好きなのは自動車だ。自動車の絵本を見てから、マグカップに付いている自動車の絵を見ても
「あっ、あっ。」
と言う。トラックを
「たあっあっ。」
と言っているように聞こえる。

 家の前から駒沢公園に行くのは左方向だが、放っておくと反対の右方向に一人で歩いていく。右方向には片側三車線のトラック一杯の国道が遠くに見える。

 どれくらい一人で行くか見ていると30メートル位を、途中でころびながらもまだまだ先に進む気配だ。危険で追いかけるが、果たして幾らでも遠くに行きそうだ。

 仕方なく、遠回りだが、国道の方向へ後ろから付いて行く。何回か私が来るのを確認して、振り返りながら、国道まで来ると、歩道を越えて更に車道に出ていく。急いで取り押さえる。誰も見ていなければ、60キロでトラックが走る車道に一人でとことこ歩いて出る勢いだ。

 昨日チャコちゃんはその近くのバス停で航平と一緒にしばらく自動車を見ていたらしい。絵本に出ているほとんどの自動車が通ったそうだ。子供は恐らく同じだろうが、乗用車より特殊車両が好きだ。ベンツやポルシェよりダンプやトレーラーが気に入っている。救急車は特に良い。たまに救急車が通って、
「やった、やった。救急車が来たぞ。」
と大きな声で叫ぶのは不謹慎だ。



1997年5月14日 水 雨      困らせること

 目を閉じて航平の姿を思い浮かべると直ぐに出てくるのは、歩きながら倒れる瞬間の映像だ。バランスを崩して倒れるときにあごは上がり、片手は中空に片手は前に出る。目はひっくり返ったように丸くなっている。

 一日の内に何回か見るシーンだ。私もチャコちゃんも
「あっ。」
と叫んで、周りにとがったものがないか、固いものがないか、きちんと転べるかが頭をめぐる。自分の体も前向きに航平の方向に出るが、大人の体は余り動けない。

 シーンが走馬燈のように駆けめぐる時に、不穏な出来事が何も勃発しないことは幸せなことだ。何も無く一日を過ごして明日を迎えることが今の幸福だ。

 夕食を与えていた時、突然航平が泣きだした。いつも泣くのは突然だが、何故泣くのか原因が分からなかった。激しく泣くので、気管に食物が入ったのだろうと思った。泣き続けるが止まらない。背中をたたいても、さすっても止まらない。

 チャコちゃんも私もこんな激しい泣き方を経験することは余り無いので、少しあわてた。しばらく泣いて平穏は戻った。泣き止むのも何故なのか、よくは分からなかった。

 泣いているとき、「いつもとは違う」、「病院に行った方がいいのか」、「赤ちゃん110番に電話で聞いた方がいいのか」と考えが巡る。泣く、悩む、泣き止むの過程を終えてほっとして航平のシーンが頭をめぐる。笑顔ばかりでなく、大人を困らせることで本能的な感情のつながりを獲得していくのだろうか。



1997年5月15日 木 晴時々雨   森の中

 昼間遭遇したストレスで胃の具合が悪くなっている。神経が細いのか、少しでも嫌なできごとがあると直ぐに体がおかしくなってしまう。伝染したのかチャコちゃんまで同じような症状になってしまった。仕方なくストレスの改善のために家族で夕方、散歩に出掛けた。

 雨がちの天候で、航平は一日家に居たから外に出ると機嫌が随分良くなった。私もチャコちゃんも外に出ると気持ちが晴れてきた。

 かつて、家の中でごろごろしていると友人が外に出るように勧めてくれた。一人で外に出て、繁華街をうろうろしてもさっぱり気分転換は出来なかった。外に出る理由が分からなかった。

 家族で何でもない道を歩いて買い物をして少し遠回りをしながら帰ってくるだけだ。航平に話しかけたり、チャコちゃんと話して雨上がりの木々の中を通る。気持ちが落ち着いてくるのが分かる。

 人は森から生まれて家族で育ったと感じる。木々のざわめきに耳をすますと自分の居場所を感じる。木々の潤いが残るなら何も新しいものはいらない。新たな豊かさをいたずらに増やす必要はない。無用な仕事をするなら、森の中で休んでいる方が価値があると感じてしまう。





   最近ふっくらしてきた




1997年5月16日 金 晴      それが仇

 航平のプールの日だ。一時間ずっと泣いていたらしい。指導員から
「お母さんの辛抱のしどころですね。」
と言われたそうだ。どうも私には航平に辛いことを強いているように見える。ただ、帰ってからの顔色はなかなかいい。チャコちゃんは泣き通しで少しまいったようだ。

 子育てなんて手をかけないで、放っていても子供は育つと思う。手をかけない方がたくましく自分の道を見つけるのかも知れない。子育てが大変と言いながらかまうのは自分がかまいたいのだろう。自分で出来ることをやりたくなってしまう。自分で勝手に子育ての目標を立てて、自分で苦労して自分で達成して喜ぶ。強制されているのではなくてすすんで頼まれもせずしていることだ。

 かえって航平にとっては私がかまうのは迷惑かもしれない。だからとんどんと振り返りもせずに遠くまで一人で歩いていくのかもしれない。

 今航平にかかわるのは「貸して」いることなのだろうか。当然誰もが違うと言うだろう。自発的であってそのたびに喜びを返して貰って、貸し借りは無いはずだ。

 だけれど恐らく世間の何処でも聞くように、
「こんなに世話をしても子供なんてあてには出来ない。」
と将来嘆く日が来るだろう。

きっと私もそう言うのかもしれない。
「あんなに可愛がったのに。」
「それが仇だったんだよ。」
と航平に言い返されるのだろう。
そんな会話がかわされるなら愛情はその時も続いているのだろう。






リュックを背負って泣いて戦う




1997年5月17日 土 曇り     電車のビデオ

 ブロックバスタービデオでのりものビデオ電車編を一昨日借りてきた。自動車に興味があると思っていたが、興味の範囲を確定してみたいのが目的だ。いや、そんな難しくは考えていない。チャコちゃんが
「電車も借りてみよう。」
と言っただけだ。

 後から思ったのは子供の興味は自発的ではなくて親の興味が複雑に入り込んでいるのかなということだ。航平は自動車に興味があるように見えるが、それは私が瞬間そう思っただけだ。実際の興味の対象は乗り物全般かもしれないし、動く物体かもしれない。音かもしれないし、デザインの可能性もある。たくさんあるものを取捨して自動車だけに興味を確定させる必然性は何処にもない。

 だから電車のビデオをどうとらえるかはちょっとした実験のようだった。結果は興味あり。子供にとって動く物や躍動的な音楽は魅力があるに違いない。子供の自発性と言うが実際は親の興味と影響力は大きいのだろう。

 若者一般に個性的と言われるし、目にもそう映る。しかし、実際の私の見方は少し違う。若者の個性は自分の存在を表現したい思いは人一倍だが、感性はテレビや雑誌、身の回りの友人に強く支配されて、画一的で保守的に見える。

 私の家のそばは毎日駒沢大学の学生が通学で歩いている。毎日、毎日、毎年、毎年、その姿を見るが、外見はほとんどその年の若者向けの雑誌が、そのまま歩いているように見える。

 話しを聞いてもテレビや新聞での意見から大きくはみ出ることなくその頃の時勢の思想に融合しているように感じる。

 実際自分自身も時代に沿っている部分もある。時代、時代の考えに拘束されていた事実は否定できない。自分の考えに変遷している部分もあって、変遷しているのは社会から影響され思わされた部分だろう。

 航平を見ると今の彼は何物にもまだ影響を受けていないから、望む部分に私自身の根元を見つけるようだ。

 子供一人から考えが変えさせられるのは書物を読んで目から鱗が落ちるのと同じかそれ以上にどきりとする瞬間だ。



1997年5月18日 日 晴      友達へのきっかけ

 晴れた日曜日でしのぎやすい。風が静かにながれている。昼過ぎに駒沢公園に行った。平日にチャコちゃんが会う友人は一人も居ない。大勢の人が繰り出して賑やかだが普段の顔見知りは誰も居ない。平日に訪れる人と日曜日に訪れる人は雰囲気が違う。今日のぶた公園はよそ行きのたたずまいだ。

 昨日買った砂遊び用のダンプカーを置いてベンチで昼食を取ると、何人かの子供が砂場に置きっぱなしのダンプカーで遊びだした。航平は自分のものだという意識はないから、なんにも反応しない。買ったばかりなのに、人が楽しそうにがちゃがちゃいじっているのは落ち着かない。

 仕事が勃発したような気持ちになってしまう。つまり楽しんでいるところを
「ごめんね。」
と言って取り戻すのか、しばらく見ていて手を離した所をそっと持ってくるのか不安定な気持ちになる。

 ベンチでお弁当も食べ終わってチャコちゃんは航平をおもちゃの中に置いてきた。どうするのか見ていると航平は人が遊んでいる自分のおもちゃは放って、人のおもちゃに手を出した。すると航平のおもちゃで遊んでいた子供が戻って航平の手を払った。

 するとチャコちゃんが出掛けて航平とその子供と一緒に遊び始めた。横で黙って見ていた子供のお母さんもはじめて話しはじめた。子供二人と母親二人でしばらく遊んで帰るときにはバイバイと言いながら別れた。

 仕事が勃発したとしか見えなかった私は、友達が出来るきっかけだと思ったチャコちゃんに、かつて独身時代に児童館に勤めていた頃のプロフェッショナルを感じた。






    自分で登って自分で降りたすべり台




1997年5月20日 火 曇り時々雨  仕事を替わること

 今行っている学校、今勤めている会社、今している仕事を、もしも止めなければならなかったらと考えると闇夜の中に突き放されるような気持ちになる。

 逆に自分が望んで新しい所に飛び込んで行くのは嬉しいし、心は躍る。さけの稚魚を放流する時にバケツの脇から飛びはねさせるのも自分から望んで川に向かわせて生きる力を与えるのだろうか。

 不景気や社会構造の変遷で不幸にも自分の仕事を替えなければならないことは不幸なことだ。

 諌早湾の干拓工事を押し進める原動力になっているのは恐らく土木建設業界の長引く不況が源泉にあるのではないかと想像している。

 構造的な不況の真っ最中であって目の前に、どれほど探しても仕事がなければ、勤める人は職の転換を余儀なくされる。どこかに仕事を得る必要がある。仕事を得なければ闇夜の中に突き放される。家族は不安で迷う。

 さけの稚魚は放流されてはじめて大海に出る。自分から望んで出たようでも、出されているのと実際に変わりはない。私たちが豊かになるのは私たちが必要な物資を生産して獲得して得られる。

 私たちがどれ程働いたとしても、必要が無いものを生産したら、決して豊かにはなれない。日本中で考えるからごまかされるのであって、10人くらいの少人数の国家を頭に描けば誰でも分かる。

 10人の内5人が必要ないものを生産していたら全員が生きてはいけない。5人が生産してたとえお金を得たとしても全員が生きてはいけない。無駄な仕事をどんなに一生懸命、苦労して働いたとしても全員が生きてはいけない。

 構造の変換で仕事を変わるのは辛いかもしれないが、構造変換が必要な職場で、どれ程辛い思いをしようとも自分の仕事は人の役にはたたない。そんな時には仕事を替わって、人が必要としている仕事をする方がよほど楽しいし、やりがいがある。

 構造変換で仕事を変わらなければならない必要はない。自分の人生を大切にして欲しいだけだ。



1997年5月21日 水 晴      新郵便番号簿

 新郵便番号簿を郵便局で貰った。新しい番号は7桁になる。準備用と記された、新番号簿を見ると123−4567などと書いてあって電話番号簿のようだ。最初の三桁は今までと同じだ。私の家の番号は154から154−0012に替わる。

 郵便番号を新しいものに一括変更するソフトが出ている。封筒や葉書、文書の印刷をしなおさなければならない物も随分ある。来年の二月二日からだそうだ。

 とうざはどちらを使っても大目に見るそうだが、早く対応しなければならないだろう。相当な事務量になるが変わり方がどうも大したものではない。

 当初は住所全部を数字に置き換える方針だったが、結局は中途半端な変更になっている。住所全部を置き換える為には地番の変更が必要になるからだろう。省庁間にまたがる改正はどうも苦手なようだ。

 住所全部が数字で管理され、バーコードで印刷されたものをシールで張り、機械で仕分けするのが将来像だったようだ。

 新しい郵便番号簿は電話帳と同じ大きさで460頁になる。新郵便番号辞書ソフトは必要だろう。住所を電話で伝える場合には受け手はコンピューターを使うことが多くなりそうだ。

 神保町の古本屋に「EQ心の知能指数」他一冊を持っていったが何処も買ってくれる書店はなかった。新本を引き取る所はもうないそうだ。書店全体でも余っているらしい。

 志の多鮨で昼食を取る。定食を頼むと大きいお皿に茶巾一つとにぎりが二つ。大阪鮨の心意気は何処に。

 夕方、帰ってくると駅でチャコちゃんと航平が改札口で待っていた。自動改札の脇から笑ってとことこ歩いて向かってきた。



1997年5月22日 木 晴      近所の引っ越し

 昨日、古本屋に持っていっても売れなかった本「EQ心の知能指数」は、何となくまたぱらぱらとめくっている。何度も読んで座右の書になれば良いとは思わないが、売れないと思うと逆に売りたくもないものだ。

 近くの家が昨日引っ越した。その家は借家だが高い家賃で入る人はいつも高収入者に見える。しかし駐車場の前に違法駐車の車が止まって、出るときに不具合なことが多いようで、直ぐに引っ越してしまう。

 挨拶もしたことはなかったが、遠くから「おばあちゃまあ」と呼ぶ女児の声が窓から聞こえるたびに、親しいような気持ちでいた。入居した時には荷物を整理するのに慣れない様子でガレージセールをしていたのも思い出す。引っ越す時はあっという間で、トラックが来ていると思ったらその日にもう誰も居なくなっていた。今はすっかり空き家になっている。

 ところで「EQ心の知能指数」には今の自分の感情を正しく理解し、表現することが生活する上で大切だとある。感情を理解する力は子供の頃に育つらしい。先日までどんな文章が良いのか議論がわき起こっていたが、私にとって良い文章というのは喜怒哀楽がはっきりと自分にさえ分かるものだ。



1997年5月23日 金 晴      新宿駅西口

 新宿駅西口地下を久しぶりに通りがかって、ホームレスの住居が増えたのにびっくりした。段ボールの箱も大がかりで頑丈そうに紐で結わえ付けてあって、大きいものは四畳半位ある。それがカプセルホテルのように次々に並んでいる。中には蒲団も敷いてあって今は気候もいいから快適に見える。

 ホームレスを見ると自分が、のうのうとして、良いのだろうかと思う。報道を見る限りしか分からないが、それ程不自由なく生活出来るのだろうか。

 自由を求め続けてたどりつく最後の姿のようで、人は多少、不自由な方が生き易いのだろうか。宇宙空間での無重力状態は生活にストレスを与えるように支点と重力、規制と規則は人の為にあるのかもしれない。

 資本主義の生んだ負の資産と言うが、誰も産まれたときから、求めて今を過ごしている訳ではないだろう。自分もそうなりはしないだろうかとつい恐れてしまう。自由と平和を求め、自分のしたいことをして、自分の時間を大切にする究極の幸福と紙一重だからだ。何とか一人一人の事情を聴いて、ホームレスが生まれない方策を研究して欲しい。



1997年5月24日 土 強い雨    ガードレール

 強い雨が一日中降っている。チャコちゃんの妹の浩子さん家族が家に訪問。駿ちゃん、ミーちゃんと、一緒に遊ぶ。二人とも着くなりコンピューターで遊びたい。コンピューターの魅力って一体何なのだろう。小さい箱を前にして自分で自由に操作する楽しみは格別なのだろう。

 二台のコンピューター、マックと98をそれぞれ7才と5才とで替わりばんこに使うのだが、コンピューターを道具にして一緒に会話をするのが楽しいようだ。私がコンピューターから離れると直ぐに呼びに来る。コンピューターをさわるよりもどれだけ操作が出来たか、どんな風に使うのかを尋ねたり話したりしたいようだ。

 私自身もこうしてコンピューターに向かうのは人とのコミュニケーションの手段としているのは同じだ。機械だけとはなかなか遊べない。人は勿論人に対して興味がある。

 夕方帰る道を案内するのに細い道をなるべく選ばないように勧めた。先日NHKの放送を見るまで知らなかったが、ガードレールの端に激突すると死亡事故をたやすく引き起こすらしい。ガードレールの端のポストと信号灯と電信柱は自動車が追突してもぴくりとも動かない程に壊れないらしい。歩行者を守るためだが、動かないポストに激突すれば低速でも相当の衝撃になる。細い道を何かの拍子でガードレールの端にひっかけることは誰でも可能性がある。

 ドイツではガードレールの上に乗り上げるようにしたり、米国ではクッションにする地域もあるらしいが、建設省では危険を今だ放置しているそうだ。死亡事故の原因をたっぷりと配置してくれている。

 いねむり運転やスリップで守ってくれるはずのガードレールが原因での最期には、なりたくはない。



1997年5月25日 日 晴      みみず

 一晩中強い雨が降り続いた後一転して天気の良い日曜日になった。世田谷公園で環境祭りが開かれていると言うので家族で出掛けてみた。環境祭りは例年馬事公園で開かれているが今年に限っては世田谷公園になったらしい。

 毎年楽しみにして出掛けていて、家に咲く花や木は環境祭りで貰ったり買ったりしたものばかりだ。花はチャコちゃんが好きで、私は土を掘り返すのが担当だ。

 みみずの飼い方のコーナーがあって詳しく聞いてきた。みみずの留学と称して何回か生きのいいものをプランターで飼おうと連れてきてはだめになってしまった。

 飼い方の条件は、風通しの良い日陰、しっとりとした湿り気、合成洗剤を使わない適量の生ゴミ、ふとみみずはダメでしまみみず、が大切らしい。

 失敗の原因は洗剤と日向に置いたことだった。みみずは下で餌を食べては上にふんをして土の栄養をかき混ぜるらしい。合成洗剤は殺虫剤と成分が同じようなものらしい。

 最近困るのは土がないことだ。スーパーで売っているが、いつかは土を探して茨城県まで出掛けた。ここでは土を安く販売している。

 他に、ペットボトルのリサイクルマークに1とか2と数字が書いてあるのは原料から何回目の再生行程を経ているかという数字だそうだ。新品は1らしい。

 ゆっくりと花や木を見たいが航平がひきちぎってしまうのでなかなか見られなかった。ボランティア団体の出店で昼食を取る。ついたあんころ餅も餃子も手作りで良く出来ていた。手に入れたのは花の種が何種類かだった。袋を見ると300苗分とあった。実際自分で種からプランターで育てると手間も暇もかかるから、花屋で苗を求めるのはまんざらでもない。



1997年5月26日 月 晴      シャワー

 相変わらずプールで航平は泣くばかりらしいが、風呂に入るのに少し変化が出ている。シャワーを出すと少しずつ自分からすすんで水の中に入っていく。浴槽の中では水の中に顔を沈める努力をしている。

 チャコちゃんに聞くとプールでも顔を水の中に入れる練習をしているらしい。驚くのは自分から努力しているように見えることだ。

 シャワーのお湯の下に自分から入っていって、じっとこらえながら下向きにうつむいて立っている姿は、食べた食事がお腹の中にいっぱい入って膨れていて、どう見ても無力な様子だ。なんの力も持たない。シャワーで楽しいこともなさそうだ。出るでもなく、嫌がるでもない。じっと、おし黙って、とどまっている様子を見ると、人は生まれながら向上心をもっているのかなと思ってしまう。

 明日は古新聞の回収の日だ。朝日新聞の読者に対して古新聞を取りに来る。市況の低迷で明日は雑誌を回収しない。読み終えた雑誌をしばらくは保管しようかと思うがいつまでになるかは分からない。



1997年5月27日 火 晴夜雷雨   損害賠償

 書店でインターネットの現状に関する調査報告書を読むと利用者の比率は概算で5%弱およそ180万人らしい。その内ホームページを所持している人の数は更に少ないだろう。時代はインターネットとはいっても現実にはまだほとんどの人が未知の中にいるのだろうか。

 朝日新聞の朝刊一面トップにニフティサーブでの名誉毀損に関して損害賠償を認める判決報道があった。富士通に10万円、書き込みをした当事者に40万円の支払いを認めたらしい。

 原告勝訴の内容でネット上での書き込みに対しても損害賠償義務が生ずる、はじめての判例となるから、大きく報道したのだろう。

 判決への素直な印象は「日本は法治国家なのだろうか」と再度がっかりする。この原告は損害の賠償に一千万円の損害賠償を請求した。結果は50万円の支払いだ。幾ら人の名誉を毀損したとしても現実的、経済的には弁護士を擁して争うことを認めないとする主旨にもなりかねない。

 日本の損害賠償制度は著しく企業、経済主体寄りで、個人の心理的な被害についての金額の評価は極めて低く押さえられている。経済成長と経済運営は個人の涙と我慢によって築かれているといっても過言ではない。

 それでは一体幾らなら被害者の損害は報われたのだろう。もし、自分なら幾ら得たならこれだけの侮辱に耐えられるのだろう。被害者が名誉毀損されたことによって健康を著しく害し、公の信頼を害されたと認めるならば、原告の主張通りの支払いを認めることは一向に差し支えない筈だ。

 インターネットは世界に開いている。ネット上の損害賠償に多額の金額を支払う可能性も決してないとはいえない。



1997年5月28日 水 晴      新聞とテレビ

 夕食時にテレビを見ながらチャコちゃんは 「最近世の中にストレスが溜まっているのか変なことばかり起きる。」 と言う。私もついそう思ってしまう。厭なニュースばかりだ。不正、汚職、犯罪から種々のおかしな事件がおこる。

 しかし、もう一度、きっちりと考えてみると本当にそうなのだろうか。犯罪発生件数、汚職数などは検証できるのだろうか。未成年者の犯罪は多くなったとする白書があったようにも思う。

 昔は良かったと言うが、どうも、私個人にとっては今の方が数等倍良い。平和だと思う。子供の頃家族で街を歩いているときにおかしな人が言いがかりをつけたことがあった。酔った人だったと思う。今そんな思いを体験することは余りない。

 受験も不透明だった。私大医学部の入試などは合格基準が分からなかった。今はかなり透明で、不正がある旨も余り知らない。理由が分からない差別も公然とあった。

 食品で良くお腹を壊した。今は合成保存料が悪いと言うがお腹を壊す回数は減った。冷たくて辛かったり、暑くて辛かったり、寒くて辛かったり、蚊が飛んで眠れなかったりした。

 夜歩くのは怖かった。今は昔程には怖くない。インターネット上のホームページは何処の家庭も平和そうに映る。

 もしも新聞とテレビを見なければ、身の回りにいるあの人もこの人も皆幸せでなんの困窮も苦難もない人ばかりだ。家の周りで不穏な事件はほとんどない。

 テレビと新聞、正しく世の中を伝えるようで、自分の頭の中には悪いものばかりが入ってくるような気持ちでもある。現実はそれほど悪くはないと思いたい気持ちもある。





1997年5月29日 木 晴      髪をカット

 チャコちゃんと航平は二人で髪をカットするために川崎の実家まで里帰りしてきた。朝いそいそと出掛けて二人とも綺麗な頭になって帰ってきた。髪を切るのにどうして川崎まで行くのかは実のところよくは分からない。チャコちゃんに言わせると髪を切るのは気分転換に最適で、どこでも最適な気分を味わえる訳ではないらしい。遠い所でも生まれてから慣れ親しんだ土地に帰るのは楽しそうだ。

 私には里帰りというのがないから羨ましく見える。父は茨城県の出身で、母は東京の出身だった。私は東京で生まれたが自分にとって帰る所というのはもう無い。

 老人と海ではないが、人には何処かふるさとのようないつかきっと帰るような永遠に住むような土地が誰にもあるような気がする。永遠に住み続ける土地を探してあてどなく旅を続けるのが人生のようだ。

 子供の頃はよく引っ越しがあって、今話題にある諌早市に父は仕事で住んだことがあった。静岡県から引っ越し先の諌早市の名前を聞いたときに、大学に入ることになっていた私はその字を読めなかった。社会科の高校教師だった横浜に住む大叔父は
「水害があった所だ。」
と言っていたが、母は
「叔父はよくそんなことまで知っている。」
と驚いていた。

 長崎に着いた時は交通のストライキでしばらく市内のホテルに泊まらなければならなかった。ホテルの窓から見る景色は今もよく夢に見る。私が一番幸せだったからだろう。電車が長崎駅に着くと山が駅まで迫ってくる景色の何処に人が住めるのだろうと思った。諌早は長崎のベッドタウンでもあった。

 それから10年も経った頃東京から一人で旅をしてフェリーで大村湾を渡るとき当時の話しを同船した客に話した。船内で出会った若者たちのグループは私を家に連れて一晩の宿と食事を提供して遅くまで話しをした。

 理屈の上では公共工事の可否を国をあげて論議しなければならない。ただ、土地は、中央から離れ、さしたる産業基盤も地域には乏しい。一人一人の顔を思い出すと土地のことは土地で決められるだけの豊かさが、一極集中のもとで奪われ過ぎているように見えるのは悲しいことだ。



1997年5月30日 金 曇      電話

 夕方、家族で買い物の途中ぶた公園に行った。日が長い。新緑があざやかで公園の木は青葉が生い茂っている。チャコちゃんは毎日午前中ここに来るが、私は航平がここで遊ぶのをなかなか見られない。

 昼間は大勢の子供が遊んでいるが日の沈む夕食前の時間には一人もいない。静かな公園に家族だけで遊ぶ。遊ぶといっても航平の後をついていくだけだ。座って砂いじりを始めればそばのベンチで見ているだけだ。

 公園では大胆に遊んで貰いたいが、気がつかない所に遊ぶ道具がある。すべり台にたどりつく階段にこびりついた砂を指でつついては下に落とす遊びを楽しんでいる。考えもしない遊びで広い公園の小さい部分で遊んでいる。

 すべり台で遊ばせたいとする大人の気持ちはどうも迷惑なようだが、無理にすべり台に連れてくると、それまでの遊びは忘れている。自分はまだ昼間電話でかわした厭な思いが忘れられず、航平と遊ぶことでも時々頭をかすめている。遊びを中断されても気分を切り替えられる才能は羨ましい。

 電話で厭な思いと言うと勧誘、セールスは困る。法令で禁止する国もあるようだが正しい決定かもしれない。いつだったか、消費者相談に問い合わせた時に効果的なアドバイスを得た。実践して効果は高い。

 迷惑電話かどうかは途中で分かる。問題はなかなか電話を切れないことだ。アドバイスでは、必要ありませんので失礼します、間に合っています。と言った後電話を続けてくる場合に、静かに失礼しますと言いながら、相手が話していても切るのが望ましいそうだ。

 なるべく合計通話時間を短く、相手が話しを続けていても切ってしまう。ただ闇雲に切るのではなく、失礼しますと言いながら切るそうだ。これは訪問販売でも同じことで、静かに、申し訳ありませんが失礼しますといって相手が話していてもインターホンを切るのが望ましいらしい。

 電話のはじめに、何時もお世話になります、と丁寧な受け答えは大切なことだと思う。勿論迷惑電話ではない場合もあるから丁寧な受け答えは重要だ。

 切ってしまうと、中には怒っていきなり間にあっていますとは何事だと再度かかってくる場合もある。そんな時にはなるべく短時間聞いて、必要ありませんので失礼します。と再度言ってやはり静かに切るそうだ。相手が切ることの同意をこちらから相手に強制する必要は決してないらしい。徹底的に怒らせてしまうことはない。必要ないものは必要ないのだから、短く終えれば結局は相手にとっても都合が良いことだ。

 なんでこのアドバイスが効果的だったかと言えば、アドバイスを受ける前は電話の相手と喧嘩になったり、説教をしたり、あげくは相手が家まで来たりと散々な体験を経ているからだ。

 丹念に続けると段々電話は減るらしいがそれでも随分かかる。電話をかける側からすると時給や月給が良いらしいが、時給の高さと働く楽しさは一致しないことも多いだろう。



1997年5月31日 土 曇      木をカット

 夕方外の玄関の木をカットした。随分のび放題になっていて、気になっていたがなかなか出来なかった。チャコちゃんは最近は「おばけの木」という愛称で呼んでいた。

 木を短く切るのは直ぐに終わるが、後始末が大変だ。ゴミ袋に入れるのだが炭酸カルシューム入りの袋は破れやすくて入れにくい。本当にこれで空気が綺麗になるのなら幾らでも協力したいがどうもにわかには信じがたい。袋も沢山必要だ。

 段ボールの箱も壊して炭カル袋に入れたりする。袋の値段は従来のゴミ袋に比べて高価なのも不満だ。導入されてから大分たってあらためて不満を言う人も少なくなった。

 庭が広い家だと木を剪定するのも大変そうだ。道路や公園の木はいつも丁寧に剪定が施されていて羨ましい。業者は公共工事で十分受注できるのか人の家の剪定はなかなか回ってこない。いつだったか、剪定を依頼すると半年以上先まで予約済みだった経験がある。

 世の中職が無いというがコンピューターのインストール一つにしても人にやってもらわなければ出来ないことは沢山ある。サービスの種類が乏しい割に職がないことは多い。


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