山口 正司
1997年5月 1日 木 晴 ゴールデンウィークゴールデンウィークのまっただ中で会社は活動しているような、休んでいるような動きだ。会社への発注も納品は遅れ気味になる。ゴールデンウィークと夏は毎年円安に振れるような気がするが、ハワイで落とす円で価値が下落しているのかなと想像してしまう。通貨相場というと巨大な様相をイメージするが実態はそれ程に大きくはなくて、個人の力(米国資本)で動かされることも度々あると言われている。
外はやはり休日の様子があちらこちらに漂う。観光をしているらしき人をあちこちで見かける。この時期の東京は一番過ごしやすい。人も少ないし、電車も車もすいている。
テレビを見るといぬわしのたまごが烏にもっていかれたと電源開発会社がビデオで発表していた。からすとたまごの発表をしている人もいる。
幸せって豊かな物からも随分と得られるが、多くは自動化されていて人の労力がかからない部分から、物を得ている。だから自動化された資産を持つと余りあくせくと働かなくても結構楽が出来る。イタリアも過去の資産から豊かな生活をしているように見える。
季節のいいこの時期に休みがあるのは有り難い。私たちって結構ゆとりがあるんだなあと思う。
リタさんは
「チャコちゃん外人に見えたのよ。」
と堪能な日本語で笑っていたそうだ。公園には一軒家程の動物園があって、航平はウサギをさわらせてもらうのが大好きだ。どんどんと中に入って楽しんだらしい。昼は三人がそれぞれフードパークで一つずつ注文して合わせて食べたらしい。モリエールは日本語が出来ず、チャコちゃんは英語も仏語も話さないので余りコミニュケーションはとれなかったようだ。
写真 春の思い出
ビールは胃の調子が弱っている時に飲む。ビール好きな人にお腹が出ているのはカロリーが高いらしいが、胃の調子が良くなるのかなと想像している。
ところで、のほほん人生日記の石橋さんが久しぶりに出ている。昼間に見つけて、一旦オフラインにしてチャコちゃんを呼んで、一緒に楽しく読んだ(5月3日分)。何故だか分からないが嬉しいものだ。
「産まれた時から見るとあっと言う間に大きくなったね。」
と言うが、この一年は永かった。体重は三倍以上にもなったが今だにあっち、こっちにころがってキョンシーみたいに手を上げてふらふらしている。まだまだ気を許せない。
文庫は所蔵資料の保管に使った物で、美術館がある。邸宅に続くスロープは玄関から長く続いている。訪ねる人も余りなく人の気配は少ない。自然の豊かな美しい場所だ。
岡本民家園に行く途中の道を歩く航平とチャコちゃん
机の上からポストイットを取って離さない。取り返したいが泣いて抗議する。取り上げられず、ぐちゃぐちゃになった。コンピューター用CDもなめる。
チャコちゃんは突き詰めずに上手に他のものを渡して気をそらしている。太極拳の技のように攻める手段はいろいろとある。
私が見る人の第一印象は良く外れると言うか、外見で人は理解できない。
強い風が一日中吹いている。プロ野球は投手が投球フォームを乱され、投げられないとして中止されたそうだ。風で投球できないなんてプロとは思えない。観客に万が一事故があってはならないという理由なら理解できる。
夜になって窓を締め切って家の中には洗濯物がならんで湿気が充満している。エアコンを稼働した。涼しくなりすぎて寒い程になっている。
何でこんなにもドラマが好きなのだろうと思う。想像だがずっとニュースの平板な抑揚の話し方が続いた後、急に感情の起伏ある話し方に変わるからだと感じている。
ビジネス社会では抑揚ある会話は嫌われる。私がはじめて社会に出た時、上司は私の話し方からなるべく抑揚を取るように指摘したことがある。社会人としての話し方だ。仕事に感情は不要かもしれない。
なんでも理屈どおりにはいかないが、理屈以外の何が理屈を越えるのか想像するのは楽しいことだ。
顔を見合わせて話しをすれば分かり易いがそれでも食い違いもあって人のコミュニケーションの不一致は永遠の課題だ。戦争の発端もおそらくはそんなコミュニケーションの不一致から起こるのだろう。
誰もが自分が正しいと感じ、相手は間違っていると判断していく。そんな時に一番困るのは平和にその日を楽しむ大多数の人だ。惑わされたり苦しんだりするのは当事者以外の人だ。平和なら楽しいし豊かなはずだ。
夕方家族で買い物に出た。パン屋からマルエツに行く途中で一人の女性から
「あれは火事では。」
と話しかけられた。公団住宅の三階の窓の中に火が燃え上がるのが見える。はっきりと確信は持てなかったが三人でじっと見つめるとどう見ても火事だ。
住宅の下から大きな声を出して
「火事だから非難して下さい。」
と何度も呼びかけた。しばらくして消防自動車は三台くらい到着した。直ぐに火事のある三階の部屋に外からはしごをかけて中に入った。
しかしなんと火事は何処にもないらしい。はじめに見つけた女性は
「どうしましょうか。」
と私に尋ねる。はっきり言って逃げ出したい気持ちだった。確かに窓の中に火の手は見えた。でもなんかの間違いだったのだろうか。
仕方なく一人で消防士の所に行った。消防士は
「いたぞ、いたぞ、第一発見者だ。」
と大声で叫んだ。私は最初から隠れていない。無線で
「第一通報者の山口さん発見。」
と言っているのが聞こえる。消防士は私の上腕をがっしりと押さえた。まるで逮捕されたようだった。消防自動車の横で事情聴取を受けた。私は緊張したが結構落ち着いてもいた。確かに火事だと確信したのだ。自分は悪くない。
人って何か作られたものは壊したい本能があるのだろうか。現実に目の前に広がる風景を打ち砕かない限り新しいものは得られない。
航平は私がおもちゃで何かを造りはじめると必ずめざとく寄ってきて壊していく。今広がっているありのままが好きなのだ。
公園でもまるっきり人工的な造形物がない所に行くと航平はすっかりと落ち着いてしまう。公園には必ず人工的なオブジェが配置されていてブランコやすべり台などにめざとく向かっていく。
母の日だ。チャコちゃんへのプレゼントを用意していない。母の日の母がチャコちゃんだと言う感覚が余りない。チャコちゃんは昨年からは母だ。
花屋の前を通ると沢山の客が居る。家族で自由が丘に出た。求める靴を探して歩いたが、今風の靴ばかりが並んで、チャコちゃんの欲しい昔ながらのローファーの靴は余り無い。あってもサイズが合わない。
途中、ふらりと立ち寄った子供用品店で航平の帽子を買う。航平は汽車のおもちゃの中に入ったまま出てこない。無理に連れ出すと店から出る時、わんわん泣いていた。
その後もあちこちと歩くがチャコちゃんの欲しい靴は見つからない。チャイニーズで夕食を取って、結局は、またにすると言う。
デパートならどこでも見つかる靴だ。別の日に買う約束で家路についた。
航平の品物は直ぐに買えるが自分の品物はなかなか選べない。航平の品物で満足してしまう。
五月病の季節と言われる。街を歩くと就職姿に身を固めた学生姿を時折見かける。地図を片手に看板を見ながら目指す企業を探しているように見える。
就職は学生にとってはじめて出会う関門だ。今までは何となく客観的にも見える尺度で選考されて来たが就職では何が基準になっているのか分かりずらい。
大リーグ、ヤンキースのマイナーリーグと伊良部は入団契約を内定したと米国のマスコミは伝えたそうだ。もし、事実だとすれば、耐えながらよくここまでほこりを持って自分の道を進むことが出来た。
伊良部は日本を出るとき
「私は土地や建物では無い。」
と言っていた。しかし、伊良部は土地や建物と似た構造にある選手契約を十分に利用できた。伊良部ははじめに契約金を得て球団に入団したが、契約の内容は10年間の拘束が含まれた。10年は永いがプロ野球界が独占状態にあるため、その内容を自分に変更する力はなかった。
ロッテは高く上がった価値を恐らくヤンキースより高く評価したパドレスに資産交換をした。パドレスは得た価値が無になることを恐れて、ヤンキースに転売した。
伊良部は自分に価値があるからこそ転売がなりたったのが、その価値を生んだ基礎は入団時の契約金だ。勿論伊良部の能力の高さは必要条件だ。
ここまで解った上で積極的に自分自身を高く評価させた手腕は恐らくダン野村の力に負うところが多きいのではと推測する。
学生諸子も人事担当者に思うがままにずけずけと踏み込まれず、最も自分を高く評価する会社を自分自身から積極的に選んで欲しい。安売りする必要は何処にもない。
最近航平が好きなのは自動車だ。自動車の絵本を見てから、マグカップに付いている自動車の絵を見ても
「あっ、あっ。」
と言う。トラックを
「たあっあっ。」
と言っているように聞こえる。家の前から駒沢公園に行くのは左方向だが、放っておくと反対の右方向に一人で歩いていく。右方向には片側三車線のトラック一杯の国道が遠くに見える。
どれくらい一人で行くか見ていると30メートル位を、途中でころびながらもまだまだ先に進む気配だ。危険で追いかけるが、果たして幾らでも遠くに行きそうだ。
目を閉じて航平の姿を思い浮かべると直ぐに出てくるのは、歩きながら倒れる瞬間の映像だ。バランスを崩して倒れるときにあごは上がり、片手は中空に片手は前に出る。目はひっくり返ったように丸くなっている。
シーンが走馬燈のように駆けめぐる時に、不穏な出来事が何も勃発しないことは幸せなことだ。何も無く一日を過ごして明日を迎えることが今の幸福だ。
チャコちゃんも私もこんな激しい泣き方を経験することは余り無いので、少しあわてた。しばらく泣いて平穏は戻った。泣き止むのも何故なのか、よくは分からなかった。
雨がちの天候で、航平は一日家に居たから外に出ると機嫌が随分良くなった。私もチャコちゃんも外に出ると気持ちが晴れてきた。
かつて、家の中でごろごろしていると友人が外に出るように勧めてくれた。一人で外に出て、繁華街をうろうろしてもさっぱり気分転換は出来なかった。外に出る理由が分からなかった。
家族で何でもない道を歩いて買い物をして少し遠回りをしながら帰ってくるだけだ。航平に話しかけたり、チャコちゃんと話して雨上がりの木々の中を通る。気持ちが落ち着いてくるのが分かる。
かえって航平にとっては私がかまうのは迷惑かもしれない。だからとんどんと振り返りもせずに遠くまで一人で歩いていくのかもしれない。
今航平にかかわるのは「貸して」いることなのだろうか。当然誰もが違うと言うだろう。自発的であってそのたびに喜びを返して貰って、貸し借りは無いはずだ。
だけれど恐らく世間の何処でも聞くように、
「こんなに世話をしても子供なんてあてには出来ない。」
と将来嘆く日が来るだろう。きっと私もそう言うのかもしれない。
「あんなに可愛がったのに。」
「それが仇だったんだよ。」
と航平に言い返されるのだろう。
そんな会話がかわされるなら愛情はその時も続いているのだろう。
リュックを背負って泣いて戦う
だから電車のビデオをどうとらえるかはちょっとした実験のようだった。結果は興味あり。子供にとって動く物や躍動的な音楽は魅力があるに違いない。子供の自発性と言うが実際は親の興味と影響力は大きいのだろう。
私の家のそばは毎日駒沢大学の学生が通学で歩いている。毎日、毎日、毎年、毎年、その姿を見るが、外見はほとんどその年の若者向けの雑誌が、そのまま歩いているように見える。
話しを聞いてもテレビや新聞での意見から大きくはみ出ることなくその頃の時勢の思想に融合しているように感じる。
実際自分自身も時代に沿っている部分もある。時代、時代の考えに拘束されていた事実は否定できない。自分の考えに変遷している部分もあって、変遷しているのは社会から影響され思わされた部分だろう。
航平を見ると今の彼は何物にもまだ影響を受けていないから、望む部分に私自身の根元を見つけるようだ。
子供一人から考えが変えさせられるのは書物を読んで目から鱗が落ちるのと同じかそれ以上にどきりとする瞬間だ。
仕事が勃発したような気持ちになってしまう。つまり楽しんでいるところを
「ごめんね。」
と言って取り戻すのか、しばらく見ていて手を離した所をそっと持ってくるのか不安定な気持ちになる。するとチャコちゃんが出掛けて航平とその子供と一緒に遊び始めた。横で黙って見ていた子供のお母さんもはじめて話しはじめた。子供二人と母親二人でしばらく遊んで帰るときにはバイバイと言いながら別れた。
仕事が勃発したとしか見えなかった私は、友達が出来るきっかけだと思ったチャコちゃんに、かつて独身時代に児童館に勤めていた頃のプロフェッショナルを感じた。
今行っている学校、今勤めている会社、今している仕事を、もしも止めなければならなかったらと考えると闇夜の中に突き放されるような気持ちになる。
逆に自分が望んで新しい所に飛び込んで行くのは嬉しいし、心は躍る。さけの稚魚を放流する時にバケツの脇から飛びはねさせるのも自分から望んで川に向かわせて生きる力を与えるのだろうか。
不景気や社会構造の変遷で不幸にも自分の仕事を替えなければならないことは不幸なことだ。
諌早湾の干拓工事を押し進める原動力になっているのは恐らく土木建設業界の長引く不況が源泉にあるのではないかと想像している。
構造的な不況の真っ最中であって目の前に、どれほど探しても仕事がなければ、勤める人は職の転換を余儀なくされる。どこかに仕事を得る必要がある。仕事を得なければ闇夜の中に突き放される。家族は不安で迷う。
さけの稚魚は放流されてはじめて大海に出る。自分から望んで出たようでも、出されているのと実際に変わりはない。私たちが豊かになるのは私たちが必要な物資を生産して獲得して得られる。
私たちがどれ程働いたとしても、必要が無いものを生産したら、決して豊かにはなれない。日本中で考えるからごまかされるのであって、10人くらいの少人数の国家を頭に描けば誰でも分かる。
構造変換で仕事を変わらなければならない必要はない。自分の人生を大切にして欲しいだけだ。
郵便番号を新しいものに一括変更するソフトが出ている。封筒や葉書、文書の印刷をしなおさなければならない物も随分ある。来年の二月二日からだそうだ。
とうざはどちらを使っても大目に見るそうだが、早く対応しなければならないだろう。相当な事務量になるが変わり方がどうも大したものではない。
当初は住所全部を数字に置き換える方針だったが、結局は中途半端な変更になっている。住所全部を置き換える為には地番の変更が必要になるからだろう。省庁間にまたがる改正はどうも苦手なようだ。
住所全部が数字で管理され、バーコードで印刷されたものをシールで張り、機械で仕分けするのが将来像だったようだ。
新しい郵便番号簿は電話帳と同じ大きさで460頁になる。新郵便番号辞書ソフトは必要だろう。住所を電話で伝える場合には受け手はコンピューターを使うことが多くなりそうだ。
神保町の古本屋に「EQ心の知能指数」他一冊を持っていったが何処も買ってくれる書店はなかった。新本を引き取る所はもうないそうだ。書店全体でも余っているらしい。
志の多鮨で昼食を取る。定食を頼むと大きいお皿に茶巾一つとにぎりが二つ。大阪鮨の心意気は何処に。
夕方、帰ってくると駅でチャコちゃんと航平が改札口で待っていた。自動改札の脇から笑ってとことこ歩いて向かってきた。
昨日、古本屋に持っていっても売れなかった本「EQ心の知能指数」は、何となくまたぱらぱらとめくっている。何度も読んで座右の書になれば良いとは思わないが、売れないと思うと逆に売りたくもないものだ。
近くの家が昨日引っ越した。その家は借家だが高い家賃で入る人はいつも高収入者に見える。しかし駐車場の前に違法駐車の車が止まって、出るときに不具合なことが多いようで、直ぐに引っ越してしまう。
ホームレスを見ると自分が、のうのうとして、良いのだろうかと思う。報道を見る限りしか分からないが、それ程不自由なく生活出来るのだろうか。
自由を求め続けてたどりつく最後の姿のようで、人は多少、不自由な方が生き易いのだろうか。宇宙空間での無重力状態は生活にストレスを与えるように支点と重力、規制と規則は人の為にあるのかもしれない。
私自身もこうしてコンピューターに向かうのは人とのコミュニケーションの手段としているのは同じだ。機械だけとはなかなか遊べない。人は勿論人に対して興味がある。
ドイツではガードレールの上に乗り上げるようにしたり、米国ではクッションにする地域もあるらしいが、建設省では危険を今だ放置しているそうだ。死亡事故の原因をたっぷりと配置してくれている。
いねむり運転やスリップで守ってくれるはずのガードレールが原因での最期には、なりたくはない。
毎年楽しみにして出掛けていて、家に咲く花や木は環境祭りで貰ったり買ったりしたものばかりだ。花はチャコちゃんが好きで、私は土を掘り返すのが担当だ。
みみずの飼い方のコーナーがあって詳しく聞いてきた。みみずの留学と称して何回か生きのいいものをプランターで飼おうと連れてきてはだめになってしまった。
飼い方の条件は、風通しの良い日陰、しっとりとした湿り気、合成洗剤を使わない適量の生ゴミ、ふとみみずはダメでしまみみず、が大切らしい。
失敗の原因は洗剤と日向に置いたことだった。みみずは下で餌を食べては上にふんをして土の栄養をかき混ぜるらしい。合成洗剤は殺虫剤と成分が同じようなものらしい。
最近困るのは土がないことだ。スーパーで売っているが、いつかは土を探して茨城県まで出掛けた。ここでは土を安く販売している。
他に、ペットボトルのリサイクルマークに1とか2と数字が書いてあるのは原料から何回目の再生行程を経ているかという数字だそうだ。新品は1らしい。
相変わらずプールで航平は泣くばかりらしいが、風呂に入るのに少し変化が出ている。シャワーを出すと少しずつ自分からすすんで水の中に入っていく。浴槽の中では水の中に顔を沈める努力をしている。
チャコちゃんに聞くとプールでも顔を水の中に入れる練習をしているらしい。驚くのは自分から努力しているように見えることだ。
明日は古新聞の回収の日だ。朝日新聞の読者に対して古新聞を取りに来る。市況の低迷で明日は雑誌を回収しない。読み終えた雑誌をしばらくは保管しようかと思うがいつまでになるかは分からない。
朝日新聞の朝刊一面トップにニフティサーブでの名誉毀損に関して損害賠償を認める判決報道があった。富士通に10万円、書き込みをした当事者に40万円の支払いを認めたらしい。
原告勝訴の内容でネット上での書き込みに対しても損害賠償義務が生ずる、はじめての判例となるから、大きく報道したのだろう。
日本の損害賠償制度は著しく企業、経済主体寄りで、個人の心理的な被害についての金額の評価は極めて低く押さえられている。経済成長と経済運営は個人の涙と我慢によって築かれているといっても過言ではない。
インターネットは世界に開いている。ネット上の損害賠償に多額の金額を支払う可能性も決してないとはいえない。
しかし、もう一度、きっちりと考えてみると本当にそうなのだろうか。犯罪発生件数、汚職数などは検証できるのだろうか。未成年者の犯罪は多くなったとする白書があったようにも思う。
受験も不透明だった。私大医学部の入試などは合格基準が分からなかった。今はかなり透明で、不正がある旨も余り知らない。理由が分からない差別も公然とあった。
食品で良くお腹を壊した。今は合成保存料が悪いと言うがお腹を壊す回数は減った。冷たくて辛かったり、暑くて辛かったり、寒くて辛かったり、蚊が飛んで眠れなかったりした。
夜歩くのは怖かった。今は昔程には怖くない。インターネット上のホームページは何処の家庭も平和そうに映る。
もしも新聞とテレビを見なければ、身の回りにいるあの人もこの人も皆幸せでなんの困窮も苦難もない人ばかりだ。家の周りで不穏な事件はほとんどない。
テレビと新聞、正しく世の中を伝えるようで、自分の頭の中には悪いものばかりが入ってくるような気持ちでもある。現実はそれほど悪くはないと思いたい気持ちもある。
私には里帰りというのがないから羨ましく見える。父は茨城県の出身で、母は東京の出身だった。私は東京で生まれたが自分にとって帰る所というのはもう無い。
老人と海ではないが、人には何処かふるさとのようないつかきっと帰るような永遠に住むような土地が誰にもあるような気がする。永遠に住み続ける土地を探してあてどなく旅を続けるのが人生のようだ。
それから10年も経った頃東京から一人で旅をしてフェリーで大村湾を渡るとき当時の話しを同船した客に話した。船内で出会った若者たちのグループは私を家に連れて一晩の宿と食事を提供して遅くまで話しをした。
夕方、家族で買い物の途中ぶた公園に行った。日が長い。新緑があざやかで公園の木は青葉が生い茂っている。チャコちゃんは毎日午前中ここに来るが、私は航平がここで遊ぶのをなかなか見られない。
昼間は大勢の子供が遊んでいるが日の沈む夕食前の時間には一人もいない。静かな公園に家族だけで遊ぶ。遊ぶといっても航平の後をついていくだけだ。座って砂いじりを始めればそばのベンチで見ているだけだ。
電話で厭な思いと言うと勧誘、セールスは困る。法令で禁止する国もあるようだが正しい決定かもしれない。いつだったか、消費者相談に問い合わせた時に効果的なアドバイスを得た。実践して効果は高い。
電話のはじめに、何時もお世話になります、と丁寧な受け答えは大切なことだと思う。勿論迷惑電話ではない場合もあるから丁寧な受け答えは重要だ。
なんでこのアドバイスが効果的だったかと言えば、アドバイスを受ける前は電話の相手と喧嘩になったり、説教をしたり、あげくは相手が家まで来たりと散々な体験を経ているからだ。
丹念に続けると段々電話は減るらしいがそれでも随分かかる。電話をかける側からすると時給や月給が良いらしいが、時給の高さと働く楽しさは一致しないことも多いだろう。
夕方外の玄関の木をカットした。随分のび放題になっていて、気になっていたがなかなか出来なかった。チャコちゃんは最近は「おばけの木」という愛称で呼んでいた。
段ボールの箱も壊して炭カル袋に入れたりする。袋の値段は従来のゴミ袋に比べて高価なのも不満だ。導入されてから大分たってあらためて不満を言う人も少なくなった。
世の中職が無いというがコンピューターのインストール一つにしても人にやってもらわなければ出来ないことは沢山ある。サービスの種類が乏しい割に職がないことは多い。