山口 正司
1997年4月 1日 火 晴 風邪航平の風邪の発熱はまだ続いている。38度から39度を行ったり来たりしている。 薬を飲むと37度まで下がる。様子はとても元気で顔色もよく、食欲がある。
発熱も既に何度か体験すると不思議にそれ程心配にはならない。しかし、なんと なく家族の中の会話が暗い。外にも出ないで一日中室内にいたせいか、11時を過ぎ た今もまだにこにこ顔で起きている。
いつもなら9時か10時に寝てしまう。寝てしまうとやることが終わってほっとする が、逆に静かになってつまらない。寝つけずに起きているとなんとなく嬉しいよう な気もしてしまう。
食事は不規則になって、口に優しいものばかり食べているから栄養のバランスも 崩れている。風邪は万病の元だから無事に元気を取り戻してもらいたい。
航平の風邪の熱は下がって、食欲と笑顔は普段通りになった。笑顔は体調を表す のに分かりやすい。笑顔がふうっと出ているときは食事も済んでおむつも綺麗で、 何一つとして不満がないというサインだ。笑顔のご褒美を求めて大人はついつい懸 命に努力してしまう。
大人が風邪をひいても普段の生活はそれ程変わらないし、何とか予定もそのまま 取り消さないで行うこともある。子供が風邪の時には予定もあっと言う間にキャン セルされてしまう。キャンセルされた相手方も不思議に有無も無く 「あっ、風邪じゃあ、ダメだ。」と瞬時に了承する。
今週の航平は予定がめじろおしだった。花見にはじめてのプールから来客が風邪 の一言で全部がキャンセルになりそうになった。誰もが風邪だと言うだけで何にも 問われずに直前キャンセルになる。赤ん坊というのは誰からも大切にされているの だなあと思う。
予定自体も重大なものではないし、もちろん、逆に風邪を押してでも来て下さい なんて言う人は居ないに決まっている。しかし、自分が生きてきてこんなに大切に されて来た経験がちょっと思い起こせない。
自分が子供の時だって、頭が痛くて風邪かもしれないと言えば親は必ずじっと目 を見つめて
「本当に?」と必ず聞いた。大人になれば風邪をひくこと自体自己管理が出来ていないようで、体が重いよう でも無理する時もある。
赤ん坊は親からのきずなを作ると同時にとりまく回りの人からも愛情を得ている。 明日の来客はキャンセルせずに済みそうだ。
たみちゃんが一才のかなちゃんを連れて仙台から訪問。かなちゃんは航平とほと んど同じ月齢だ。二人が並ぶとついつい比較してしまう。赤ちゃんは毎日成長して いるから一月年上のかなちゃんはだいぶお姉さんに見える。
食事をしてもこぼさずに食べるかなちゃんを誉めた後、ごはんにまみれた航平の 顔を見るとみすぼらしくて「お前そこで何やってんの。」と言いたくなってしまう。 「お姉ちゃんを見なさい。」という禁句の追撃になりそうだ。
そんなことを言われても航平にはさっぱりと分からない。大人になってもやって はいけないということは誰もが自然にやってしまうことだ。
かなちゃんはもう歩くからつたい歩きの航平は押されて存在感もない。ところが しばらくぶりに会ったお母さんたみちゃんの膝に気が付くと航平は顔を擦りつけて 甘えている。航平がこんなに親しく擦りよることは余りない。よっぽど好きなのだ。
子供の頭の中では一体何を考えているのかさっぱり分からない。いつも想像して は航平にとって良い方にばかり解釈している。
駒沢公園の桜
午前中にお義父さんが訪問。チャコちゃんと航平とお義父さんはぶた 公園に出掛けてその後三人はベビースィミングに行った。航平は風邪の 後だから大事をとって見学だけしたらしい。12時15分から1時までが教習 時間らしい。
見てきた様子ではプールサイドで遊んだ後赤ん坊と一緒にプールで高 い高いをしたり少しだけ放り出したりするそうだ。皆楽しそうに水に入っ ていたらしい。
水泳帽を買ってきたが、子供用のMサイズがぴったりで頭は大きい。来 週からは入れるようになれれば良い。
小児科医の所でベビースィミングの話しをすると医師は否定的な顔色 で「水も飲むし気を付けるように。」という話しだった。マタニティスィ ミングも医師からは否定的な話しを聞いた。私は水泳は好きで良く泳ぐ がベビースィミングに効果はないような気持ちはする。商業主義の産物 に見えてしまう。
チャコちゃんが泳ぎたくて自然にやりたいならばしてもいいとは思っ ている。何でも出来ることは楽しいし幸せだ。不都合なことがあっても 自分の意思なら救われるしそれほど困ることもないだろう。実際に楽し そうな様子だったらしい。
チャコちゃんの友人のみっちゃんと、中学に入学する 娘のえりちゃんが訪ずれた。チャコちゃんにとっては、 友人となにげない話しをするのが今の一番の楽しみになっ ている。
話して、話して、話すと、もうすっかりと良い気分に なっているようだ。それは勿論誰でも友人と話すのは楽 しいに違いない。
人と話すと全然違った考えでびっくりすることがある。 かつて友達と社会のあり方や政治について話したときが ある。自分ではとても正しいことを言ったと思った後、 友人がしばらく「うーん。」と考えた後、
「子供が出来ると考えが変わるよ。」
と、言った。この言葉は目上の人や世間話に良く聞いて きた。けれど友人と政治の話しをして、しばらく考えて から出たタイミングにびっくりした。人の話しのタイミングや間の中になんとも言えない情 報が伝わってくる。友人と気軽に言い合って論理的に返っ てくると思っていたから、何気ない言葉からのインパク トがしばらく残った。言葉の間の中にその言葉が発せら れる動機や情愛が自分の心をつき動かしてくれる。
本を読んでも、テレビを見ても、友人と会っても得る ことはそれぞれあって何が最も良いかは誰も分からない。
ただ、目の前の人から出てくる言葉をそのまま自分達 だけで聞いたり話すのはあらためて考えてみれば貴重で 豊かな楽しみだ。
雨の日曜日。航平は12時から昼寝をしている。私はテレ ビの野球中継をごろ寝しながら見ている。チャコちゃんは 疲れたと言いながらベッドで寝てしまった。
野球はひいき投手が降板してつまらなくなりテレビを消 す。
「読売以外のチームに居るなら、北米より遠い所で野 球をやっているのと同じだ。」
などと思いながら窓の外を見てもどんよりしている空。航平は夕方4時過ぎまで寝た。せっかくの日曜日もつまら ない日だ。夕方雨の中家族で買い物に出る。ワイパーの音 と強く雨が屋根にあたる音が響く。
三人で狭いキャビンに居るのは、暗い押入の中で遊んだ ようなものだ。買い物が済んで遅くなった夕食と遅くなっ た風呂を終える。
チャコちゃんの髪の中に2本の白髪。さっそく鏡を見に 行ったが
「見つからない。」と言って戻ってきた。元気そうだが疲 れている。
夕方晴れ間が出てチャコちゃんと航平は明日の予防接種の相談に小児科医院に行った。私はその後自動車で三軒茶屋へ買い物に出た。しばらくして店から外を見ると嵐のような大雨になっている。
チャコちゃんと航平が心配になって買い物の途中で戻った。しばらくすると駒沢交差点の商店から電話があってチャコちゃんと航平を向かえに出た。
駒沢交差点には花があって三月に事故があったそうだ。商店主の知る限りここでは今まで五回の大事故があったらしい。駒沢大学に入る細い道も見通しの関係で事故が頻繁にあるらしい。
紙の看板には家族が書いた加害者への恨みが記されている。聞くと老人が赤信号で飛び出して、加害者も不運だったという。それほどの大きな衝撃ではないが、老齢だからか結果が悪かった。
雨の間チャコちゃんと航平は商店で随分親切にしてもらったらしい。大雨と雷の鳴る中ずぶぬれになっている人も多かった。山の遭難ではないが待避して濡れずに済んだ。
デジタルカメラを買った。しばらく前から欲しいとは思っていたが、進歩が著しくてカタログや人の評などを見ていた。結局はスキャナーの方が綺麗だと思っていたので無くてもいいとも思っていた。
周りから影響される商品だと思う。色々と見たがどれもとてもいいと思うものはない。結局コダックのDC20にした。幾らでも良い品物はあるけれどとりあえず今の自分の目的と今の自分のシステムではバランスがとれている。
DC20がいいのはオールインワンであることだ。これ一つ買えばいい。ソフトも電池も、マックでもDOSVでも98でも良い。ケーブルもそれぞれの分が入っている。多民族国家の作った製品でとやかく言わずにこれだけで何でもいけるという包容力が好きだ。ソフトもエンハーンストソフト、画像加工、スライド、マック用ウィンドウズ用の両方が満載されている。
購入したばかりで良くは分からないがファーストインプレッションはとてもいい。画像も思った以上に綺麗だし、ディスプレーがない分電池は良く持つし、私の手帳と同じサイズでズボンのポケットにすっぽりと入る。ソフトの使い方はわかりやすい。
撮れる枚数が少ないので撮ってはパソコンに入れるのが忙しい。転送速度は遅い。それぞれの使い方があるから誰にも満足が行くかどうかは分からないが今の自分には十分満足出来る。
今、夕食を作っている所なのに写真なんて、随分可愛いカメラね。
何だこれは。いたずら顔になったぞ。さわらせてくれ。
写真 上の二つの写真はこのカメラで撮りました。
デジタルカメラは使ってみるとカメラとは別の物だ。両者を比べて話すことはできても両者の優劣は問えない。画質がカメラに劣ることや現像処理がいらないことは優劣では論じられない。特性の違いだが、別の機械だということが使ってみて分かった。
つまり、聞くと見るとでは大違いという所で何とも楽しい機械だ。昨日からせっせと撮っている。電池を消費するとは言え、一枚あたりのコストが小さいということは写真を撮る作業が生産に似ている。カメラは技術がなければ生産よりは消費に近い。
電気衣類乾燥機から異音が発生するので、石丸電気に電話し、東芝から夕方修理に来た。石丸電気のサービスが良いのはいつもの通りで今回も感心するばかりだ。修理を申し込むと私の購入品目から直ぐに日時、手順の説明、おおよその金額を説明する。住所、氏名、品番まで石丸電気は既に分かっている。今回が二度目の修理で、前回と同様にベルトと回転板を取り替えた。この機械は二台目だが松下の衣類乾燥機も定期的にベルトが不具合になった。ところで一度目の修理の時は保証期間中で無償の修理だった。その時には中のドラム、回転板、ベルトの全部を交換してほとんど自宅で組み立て直したような修理だった。
サービスマンはその修理は工場に対して代金を請求するから過剰に修理したのだろうと言っていた。修理を担当する人は東芝とは同系列だが別の会社だ。多少多めに請求しても分からないのか。
ところで衣類乾燥機だが独身時代は干すのが面倒で購入したが、今は衣類が痛むこともあって余り使わない。バスタオルは天日よりふっくらと仕上がる。
何処へ行くにもこのホームから。駒沢大学駅。
赤ん坊は泣くものだと思っていた。いつもわんわんと泣いて、泣いても仕方がないし我慢しなければならないと思っていた。
その考えが間違っていたことは航平が生まれてしばらくしてから気がついた。赤ん坊は無闇には泣かない。泣く方だって疲れるし、そんなに泣いてばかりはいられない。
運が良いのかも知れないが、意味もなく泣き続ける場面は誕生後一年間は無かった。泣くときは理由がある。その理由が当たると泣き止む。理由は、お腹が空く、のどが渇く、寒い、暑い、眠い、おむつが濡れている、どこかが痛い、空気が悪いなどだ。ある程度試してみても泣くときは外に出ると泣き止む。
意味無く泣くことが無いと気付いたのはしばらくしてからだ。泣いている原因が分かった時にはコミュニケーションが出来た喜びがあって、私もチャコちゃんも思わず笑顔になる。
泣くのは何かを求めているのは知っていたが、意味も無く求め続けないことは気が付かなかった。大人になると求めても渇きが止まらなかったり、安堵感にひたれなかったりする。赤ん坊が泣く方が単純でずっと分かり易い。
写真 借景の桜。 奥は首都高速渋谷線で大阪方向へ
僕だって物思いにふけるさ
航平とチャコちゃんはベビースィミングに行った。にこにこしながら帰って来た。一時間水の中に居ただけだが二人とも顔がピカピカに光っている。とても満足したらしい。
それでも、話を聞いてみると航平はプールに居た一時間弱の間ずっと泣き通しだったらしい。プールサイドに入った瞬間からプールの中でも泣いて、教わった通りにボールを受け取って先生に泣きながら誉められてきたそうだ。
帰ってきて夜に風呂に入った時も泣いていた。ちょっとシャワーをかけられても泣くのに、冷たい水とシャワーに当たったり、チャコちゃん自身も緊張しているから全体の様子に戸惑っただろう。終わった後他の子もサウナに入るそうだが一歩踏み入れた途端にとてつもなく泣いたらしい。今時の子供は余計な所に苦労する。
航平は夕方三、四歩を歩くようになった。つかまり立ちしながら向きを替える時に一歩くらいを歩くことはあったが、さっき一メートル程先までを歩いた。
子供が歩くのは、ある瞬間から歩けると思っていた。例えば自転車に乗れたり、あるいは子馬が立ち上がるように、ある時から歩けるようになると思っていた。ところが一歩踏み出し始めたのはもう十日ほど前になる。今は三歩だが、十秒くらい立っている。
恐らく三歩も二、三週間は経験するように見受けられる。突然歩くのではなく、はいはいと、一歩とを繰り返しながら徐々に立ち上がっていくようだ。
午後から浅草橋に五月人形を見に行った。私自身は五月人形は今のところ無くても良いと思っていた。もし航平も私もがどうしても欲しいと将来思うならその時に買ったら良いと考えていた。
一昨日義父から五月人形を買ってあげようと言う電話があって、火曜日にチャコちゃんと義父が待ち合わせる予定になった。それで、下見に人形の老舗の街に出掛けることになった。
浅草橋は人形問屋が軒を連ねて全国から小売り業者が訪れたであろう場所だが、今は電気の秋葉原と同様、小売りも行っている。幾つかの店を見てみたが見る程に、五月人形は不要に思えてしまう。これだけの品物が飾られて幸福になれる気持ちがしない。一年の大半はどこかにしまわれるのだろうが、家の中は今まだ、去年買い換えたパソコンが床の間にぶざまに置かれたままだ。
端午の節句を祝う気持ちをなくせとは言わないが、祝うために五月人形を買わなければならないのがどうも納得が出来ない。
帰り道すがら、日本橋三越に立ち寄って比較してみた。浅草橋の店「吉徳大光」の商品がそのまま展示されていて、価格は幾分違うがほとんど同じだった。夕食の食材を買って、航平の麦わら帽子も買って、一応の下見が終わった。
買ってくれるというのだから、有り難いことで、そのまま戴けば良いことだろうか。帰り道、チャコちゃんと話すのだが、どうも、五月人形は欲しくはない。チャコちゃん自身もその場は納得するが、ちょっと時間が経つとやはりあった方がいいという気持ちになる。すると私もそんな気持ちにもなってしまう。あとは自然の成りゆきにまかせよう。
ベビースィミングのプールでは日曜日にプールが解放されている。チャコちゃんと航平は無料で、家族は600円を支払って利用できる。
午後三人でプールに行ってみた。私自身は施設や全体の様子にも興味があった。中に入ると航平はやはり泣き出した。幾らあやしても泣いている。水の中に入ったら火がついたようにプール全体とどろきわたる程に泣いた。
赤ん坊は何人か入っていて、泣いている子は一人もいない。なんだかいじめているようで三回入ったり出たりして三、四十分で上がった。こんなに泣き通しで続くだろうか。
職員の様子は親切で航平が泣いていると一緒にあやしてくれたり、分からないでぼやぼやしていると丁寧に教えてくれた。
施設は何処でも体験したことがない程に古かった。あちこちとすきま風が入ってロッカー室もシャワー室も今は使っていない昔の設備だった。私は公営プールをよく利用したがこんな古い施設は私が知る限りでは何処にもない。
むしろ公営プールは豪華で綺麗ですいている。この設備で不親切だったら誰も来ないだろう。しかし、公営プールはアルバイトの職員がどんなに親切で、真面目でも、管理的で威圧的な空気はぬぐえない。
公営プールで不愉快なのは一時間に一度の休憩だ。休憩の配分は自分で決めたい。入った途端であろうと、もう少し泳いで帰ろうとする時でも、笛の音とともに一斉に休憩を強いる。あれは誰も言わないが、見えない嫌がらせと役所の権威付けだと私は信じている。何かに従わせて置かないと住民の要求は歯止めが利かなくなっていく。これは私だけの感じ方だ。
そんな嫌な思いはここにはない。古いシャワー室には一本のシャンプーが置いてあって施設としてはそれだけが会員制を感じさせる位だ。
出てくる時にも親切な会話と挨拶で、人の声でどれ程に気分がはれていくかもよく分かる。航平は外に出ると最上の機嫌になって家に帰ると顔がぴかぴかだった。
公衆電話からこれから帰ると電話するとチャコちゃんが
「航平が歩いたから急いで帰ってきてね。」
と言う。駒沢大学駅に着くと改札口の横でチャコちゃんが靴を履いた航平を抱いて立っていた。ほら歩けるよ。と言いながら人混みの中に立たせると歩いている。両手ももって、その場は少しだけ歩いて、家に着いてから直ぐに立たせてみた。なんだか厭がっていてなかなか立たない。
「さっきビデオを撮ったから。」と言って、航平をおいて、ビデオを見た。そこでは、まるで子馬が立ち上がるように何度か失敗しながらずずっと立ち上がった。両手を前に突き出してよたよたと歩いている。
「航平、本当に出来るのか。」と言いながらしばらくすると、その通り立ち上がってみせた。ふらふらしながら中腰になってじっくりと立ち上がって三メートルほどを歩く。途中で倒れることもあるが、壁に向かって、目標に向かって歩いている。何度も披露した。
歩くのはある瞬間にやはり衝撃的に出来るようになるのだった。生まれて一年と一ヶ月だが、航平が見せてくれる楽しみのスライドがまた一枚めくれた。
五月人形だが、あれから、チャコちゃんと話してやはり有り難く戴くことになった。一番の懸念はしまう場所だが、安易だけれども、余り丹念には考えなかった。定年を過ぎた義父の負担としては軽いものではないし、自身の経済は自身で消費してもらう方が、私自身は心の負担が少ない。
しかし、義父の思いとチャコちゃんの姉妹への調和から(姉と妹は貰っている)、思いは受けることが平和だし、恐らく航平も将来は五月人形から義父の愛情を感じとるだろうとも思った。
チャコちゃんと航平は午前中に渋谷で義父と待ち合わせてデパートで購入したあと午後は三人で児童会館で食事をとったらしい。三時頃帰ってきて購入した品のパンフレットを見せて貰った。今年は消費税の改正もあって出足は早かったらしく、明日で陳列はおわり、航平達はほとんど最後の客だった。今年は飾る日が少ないが、来週21日に届くそうだ。私は気が付かなかったが今日は大安で配達日も大安だ。義父が今日にこだわった理由だろうか。
あれこれと考えたが全体に意地を通さず、窮屈にならずに、これで良かった。
1997年4月16日 水 晴 動燃の虚
動燃で事故の発表に嘘があったと報道されている。もちろん虚偽の報告は許されるものではない。
しかし私自身の見方は報道とは少し違う。報道では決して許されるべきではないとし、動燃の特殊な体質について指摘がなされている。動燃は天下り職員と生え抜き職員と下請けとで構成され上意下達が徹底してあり、内部での体制が硬直化していることが嘘を生み出す体質になっていると書かれている。
その報道自体恐らく正しいだろうと推測しているし私には特段の反証もない。これから先はあくまで私自身の想像での話だ。
私自身は動燃の虚偽の報告は当然あるだろうとも思うし、幾らでも過去にあっただろうし、今現在もなされているだろうと思っている。それは、動燃だけでなくいわゆる一流と言われている企業なら今も日常にあるだろうと想像している。
大和銀行ニューヨーク支店事件でも最終局面では企業ぐるみで画策があった。今回の野村証券での利益供与も永年に渡って企業ぐるみで事実が隠されていた。
いわゆる日本的経営の三本柱は終身雇用、年功序列、新卒採用(子飼い)だ。それら日本的経営が今も保持されている企業については嘘はあるに違いないと想像している。
労働契約が未分化な状態であって、労働契約の本質は婚姻や養子縁組などの身分契約に近い。いったん入社した以上、途中退社の自由は現実的には存在しないし、事実上も途中退社する人は少ない。
年功序列だから途中退社は危険が多大になってしまう。従って就職は職につくことではなくて就社としてその会社に身を捧げることに近い。規制が多大で優良企業が規制からの恩恵で利益を享受しながら、年功序列で高い給与を将来に保証されながらの労働は単年契約ではなく身分をささげる身分契約がその本質になる。
身分契約によって就職ならず、就社した社員なら会社はそのまま自分自身の家であり、自分自身の経済上の生涯のよりどころだ。「我が社、我が社」と話す社員は労働契約上の社員ではなく経営者と同格の身分に自分を置いている。
身分が自分と同格であるから、身内の犯罪や身内の事件について嘘を述べたとしても決して責めることは出来ない。犯人隠匿をしても家族なら違法性が阻却されるのと同じだ。自分の親の罪を子供が真実を述べなくとも罪には問えない。
私は嘘が良いと言うのではない。現在の未分化な労働契約では自由な意思を企業内では決して期待出来ないと言いたいのだ。期待を要求するためには労働契約が近代化されて、雇用者と被雇用者が対等であることが必要だ。
1997年4月17日 木 晴 やけど
八時十五分頃だが、夕食の前に味噌汁の入ったお椀を航平が倒した。中に入っていた豆腐とわかめと共に全部の汁がテーブルの上にこぼれた。
味噌汁をこぼした位にしか思わなかったが、直ぐに水道で航平の手を洗って流水で冷やした。手を流水にさらすのを嫌がって泣くので様子を見ると次第に指が赤くなっていった。
念のため、赤ちゃん110番に電話で聞いてみると皮がむけたら今直ぐにも医師の診察を受けた方がいいという助言だった。その間も氷の入った水に手を入れさせようとするのだが泣いてばかりでちっともじっとしていない。
余り泣き続けるのと、段々指に水膨れが出来てきたので安心の為に駒沢病院に行った。八時半だった。子供のやけどは小さくても細菌感染が危険で、熱が出たら抗生剤を処方する必要があるらしいが、とりあえずリバノール湿布薬を貰って帰った。
家に戻って泣きつかれて寝てから、二時間程氷のうで冷やし続けた。味噌汁をこぼしたくらいで大したことはないと、たかをくくっていたが、左手人指し指の第一関節のあたりに直径一センチ五ミリ程の水ぶくれが出来た。明日、必ず皮膚科に行くように指示されて、ベビースィミングは再び見学になりそうだ。子供の皮膚は想像を越えて柔らかい。一瞬だが野口英世のやけどがよぎった。
1997年4月18日 金 晴 続やけど
朝方皮膚科から帰ってくると航平は手を包帯でぐるぐるにまかれて、泣きつかれたのか直ぐに寝てしまった。冷やした処置は良かったようで、二度という診断だったらしい。
水膨れは潰して消毒し、しばらくは毎日通うようになった。子供のやけどは思った以上に危険だということが良く分かった。味噌汁をこぼすくらい何でもないと思ったのは間違いだった。責任は親にあるのに痛むのは子供だというのが哀れだ。
励ましのメールを伺ったが、子供は成長していくだけに、やけどが大きいと、痛めた皮膚が固くなって、後になって障害を産む危険もあり、決してあなどれないそうだ。
1997年4月19日 土 雨後晴 抗生物質
午前中駒沢公園で母親仲間でランチパーティを予定して、昨晩からチャコちゃんはポテトをマッシュしていたが雨で中止になった。私は行きたくないような気持ちがすると言い張っていたら、リタさんが 「それなら家に直接呼び出しに来るよー。」と言っていた。
朝方皮膚科に行くと具合は良いようなのだが、抗生物質が処方されたらしい。チャコちゃんが回復が悪いのかどうかを聞きたかったのだが、医師は
「私が悪い薬を処方すると思いますか。」
と答えたので、チャコちゃんはうまく意思が疎通出来なくてがっかりしていた。抗生物質については診療報酬と安易な治癒を目的とした処方について噂を聞いたり、読んだりもする。それでどうしても臆病になってしまう。貰った以上は飲んでいるが、どうして今日になって飲むことになったのかは誰でも知りたいところだ。
航平は元気だ。午後は晴れて近所を散歩した。おおむね家でゆっくりとしていた。夕方買い物にマルエツに行くとリタさん家族とすれ違った。チャコちゃんはリタさんと少し話すだけで、気持ちがすっきりするそうだ。
とれてしまった包帯と紙ばんそうこうを買いにでる
1997年4月20日 日 曇時々晴 生け花
生け花展を見に家族で蒲田に行く。蒲田はチャコちゃんのかつての勤務地でその頃現代風の生け花を習っていた。フラワーアレンジメントとかアートフラワーとか言うそうだがアメリカで生まれた生け花らしい。作法は自由で色々な形がある。
JRの蒲田駅の二階のグリーンロードと言う名前のスペースに生徒が作った作品を並べ、行き交う人が眺めて、募集も兼ねている。チャコちゃんも何回かここで夜遅くまで花にスプレーをしながら展示したことがある。
かつての友達を紹介したり、されたり、私には書状でしか見たことがない名前の人の顔がわかったりもする。
蒲田はかつて松竹の撮影所があった所だ。海苔や貝塚で有名な大森海岸と隣合わせて戦後は映画俳優を追いながら、最先端のファッションが行き交う街だったらしい。今はそんな面影は解らないが、古いかつての東京や、自分が幼稚園を楽しんだ昔の池袋に雰囲気が似ていると思う。
東急プラザの屋上には世界で一番小さいという観覧車があって、その下のベンチで昼食をとった。航平が包帯の手でデパートの床をはいはいでこする以外は平和な一日だ。
グリーンロード生け花展
1997年4月21日 月 晴 待合い室
朝方チャコちゃんは航平を連れて皮膚科に出掛けた。少しして帰ってくると泣きそうな顔をしている。行って番号札を見ると18人待ちだったので
「終わりまぎわにまた来ます。」
と言うと
「うちは予約はやっていない。」と言われて診察券を返されたらしい。
航平と一緒に狭い待合い室では待ちきれない。 仕方がなく近所の小児科に行った。小児科では
「少々待っても我慢して診察してもらいなさい。」
と言われ、優しくやけどでの助言を受けて少し元気になったようだ。私が代わりに連れていこうかと言ったが、チャコちゃんは昼頃再び皮膚科に出掛けて無事に帰ってきた。
順調に回復していて99%痕は残らないだろうがもう二日間抗生物質を飲む必要があるそうだ。航平は抗生物質の副作用からか、お腹の具合が悪い。
届いた五月人形のように元気になって下さい
1997年4月22日 火 晴 あてにされる
『子供は大人からあてにされると嬉しい』とチャコちゃんは言う。私はなるべく人を頼らないで自分で物事を進めることが良いことだと考えていた。だから人から頼まれることは子供にとっても迷惑なことだと思っていた。
人から便利に使われたり命令されるのは誰でも嬉しくはない。しかしあてにされるのは使われるのとは違うそうだ。そういえば困っている時に自然に助けるのは誰でも経験する。
航平はよく椅子に座っているときにおもちゃや食事をつかんでは下にポイポイ放り投げる。取って手渡しても、性懲りなくまた下に落とす。
バギー車で外に出た時に少しむずがるような時にチャコちゃんは
「これをもっててね。」
と言っておもちゃやハンドバックを手渡す。見ていてどっかに落としそうだがしっかり掴んだまま決して離さない。バギーに乗った航平と私を置いて、チャコちゃんだけちょっとの間買い物などで離れる時に航平はばくぜんとした不安感でむずがる。そんな時にチャコちゃんはバックからハンカチや鏡などを出して
「これを持っててね。」
と言って手渡す。するとチャコちゃんが帰ってくるまでぎゅっと握っている。その手渡されたハンカチがそのままチャコちゃんになっている。戦争で離ればなれになった子供がお母さんから預かった品物を後々まで大切に持っているように、頼まれたハンカチはそのままお互いの愛情のあかしになっている。
1997年4月23日 水 雨後晴 人質の解放
ペルーの人質が無事に解放された。長い期間不当に拘束されて家族の方々ともさぞ疲弊されたことだろう。今夜は久しぶりの安堵の中で休んでいるだろう。
爆弾の音とともに犯人たちの思惑は終わったが、ニュースに流れる破裂音を聞くたびに人の愚かさと悲しみと喜びが交錯する。
人質の解放手法については日本の方策は多くの諸国とは異なってあくまで武力による解決を回避する。多くの論調はテロには強硬であっても決して屈してはならないとする。今回の解決も冷静な作戦と沈着な行動によって屈することはなかった。
平和な社会はテロでは実現できない。逆にテロに対してもあくまで話し合いを手段とする従来の日本的手法は甘いとも言われる。
しかし、話し合いの手法は現在の武力の放棄を求めた憲法の通りだ。従来の日本的な柔軟で多様で粘り強い手法は世界の平和の実現にとっては誇るべきであるようにも思える。
かつて三菱重工爆弾事件の犯人たちはよど号事件の折り超法規的措置の名目で釈放された。その後犯人たちはそれぞれに北朝鮮で生活した。テロに屈しないことと人が失われないことの双方を何としても求める日本の手法は、短期的にはテロに屈するように見えても、長期的には最も失われる人は少ないと思えてしまう。
この事件はテロというよりは戦争だったと解釈すべきかもしれない。何れにしても事件の解決は喜ばしい。再び平和が戻りますように。
1997年4月24日 木 晴 場所ふさぎ
午前中に航平は皮膚科に連れて行かれた。経過は順調で抗生物質の処方は終わった。今日から風呂に入っても良いし、明日はプールにも入れるそうだ。
「一週間後に再診する必要があるが痕は残らない。ここまで来たのもお母さんの努力のたまものでした。」
と医師からねぎらわれたらしい。ところで私のハードディスクのサイズは500メガだが、最近はデジタルカメラを使ったりしてハードディスクがいっぱいだ。時々するが、ハードディスクの中のいらないファイルの整理をした。するとパフォーマ使い方教室というファィルが気が付かない奥の方に入っている。
ファイルサイズが1メガと出るが購入したときに使っただけだ。しかしフォルダー全体は何故か116メガと出る。見てみると映像あり歌ありで相当に大きそうだ。フォルダーごとごみ箱に捨てると何と私のハードディスクのファイル総使用量は270メガになった。購入当時の大きさに戻った。機能ファイルも整理して随分スピードも増した。
同時にチャコちゃんは使わない大きい空箱を台所の棚から出してきた。狭くなった棚が空いてすっきりしたと言っていた。
写真 軽くなったデスクトップ
この画像を撮るときにカシャっと言うシャッターの音がする
時々航平がいたずらして「Macintosh HD」の表示が58894-3**++とかになってしまう。
1997年4月25日 金 晴 プール
航平はチャコちゃんと一緒にプールに出掛けた。今まで泣いてばかりいたが余り泣かずに居られたらしい。帰ってきた時の顔はつるつるでむきたまごのようだった。チャコちゃんも膝の具合も良くて肩こりもとろけるようになくなって満足そうだった。
今日は天気がすっきりと晴れて風がある。ヘールホップ彗星を見ようと思いながらもやけどや天候のせいもあって見ていない。夜になって家族で見に行った。どこに行けば見られるかは分からない。北西の方角が開けていると言えば多摩川の方角になる。世田谷区総合運動場に行った。
八時前に着いて西北西の方角を望んだがついに見つけることは出来なかった。途中何人かの人に聞いたが彗星自体を知らない人が多かった。都会の空は明るすぎて建物も多くて残念だ。もう一度トライしてみよう。
世田谷総合運動場には区営プール(世田谷区大蔵4-6-1 03-3417-4276)がある。チャコちゃんは知らないので案内した。今までもここのプールは立派だよと何度も言っていたのに全然知らんぷりだった。はじめて建物の前に来てチャコちゃんはひっくり返る程、立派でびっくりしていた。
夕闇の中にガラスの城のようにきらめくさまはルーブル美術館の中にプールがあるようだとチャコちゃんは言う。中を見ると輝く水の美しさだ。50メートルプール、25メートルプールと子供用のプールと真ん中にジャグジーがある。料金は400円だ。広々とした舞台のようなカクテルライトでプールサイドは床暖房になっているから濡れていない。更衣室は電気で温められた白木でおおわれている。
「午前中に行って満足してきたプールなんて、コースラインの昔風の白タイルに、航平をだきながら何度滑ってころびそうになったか分からない。」
とチャコちゃんは嘆く。こんな立派な施設に泳いでいる人は20人ほどしかいない。ジャグジーで暖まりながら楽しそうに談笑している人を見ると、チャコちゃんはくやしくてたまらない様子だった。
「だから前から立派だって言ってるじゃない。」
と私が言うと、
「聞くと見るとでは大違い。でもいい。ここまで歩いて来られる訳じゃないし、赤ちゃんは利用できない。今はみんなと楽しく毎週泳げるんだから。」
と不満そうに答えるがホテルのプールのようなパブリックの豊かさには私もあらためて驚いた。
航平の水着姿。プールは古いけど楽しいぞ。
1997年4月26日 土 晴 ヘールボップ彗星
夕方もう一度家族でヘールボップ彗星を見に出掛けた。東京から高速道路で20分程走って厚木で降りた。中央道方向に走り道路際で磁石をもって窓から見るとぼんやりと見える。降りて双眼鏡で覗くと視界の中の大半の大きさに尾が上に伸びている。
少し山の中に入って三脚とカメラを出して双眼鏡をセットしてチャコちゃんに見せる。肉眼では薄暗くてほとんど見えないが双眼鏡の中にはしっかりと大きく映っている。
暗闇の中でチャコちゃんと私と航平とで彗星を見ながらパーティでもしたい気分だ。何しろ東京でも見られるだろうにせっかく丹沢山系まで足を運んでいる。チャコちゃんは
「男ってロマンチストだから、やろうと思いたつととことんするのね。見てきて感動だけ伝えてくれてもいいのに。」
と来る途中言っていたのに、
「やっぱり見に来て良かった。良かったね航平。」
などと適当に合いの手を入れて盛り上げている。でも見たら寒いから直ぐに帰ろうなどと言っている。勘違いしていたのは思ったよりも上方にあるということだ。確かに感動するし、見てきて良かった。でも、昔観光バスで名所をガイドに案内された時の感動の様子と少し似ているなあ。とも思った。いや、やっぱり良かった。良かったに違いない。
ところでかつて視覚障害を持つ人と野球をしたことがある。その時、一人が 「私は5才で全盲になったからどんな風にボールがはずむか見ているんです。」と言っていた。彗星を見る幸せは、それぞれ見た人によって異なる。
1997年4月28日 月 雨 HIV感染検査
玉川さんの検査は特別な異常が無かったと聞いてひとごとながら良かったなあと思う。CTスキャンで内蔵の検診というと自分のことでなくてもどきっとしてしまう。検査の結果が無事に出て、詳しい状態も分かって元を取ったようだ。
88年、中国に留学したときにエイズの検査をしたことがある。その年、ビザ発給の条件がHIV感染していない証明書の添付だった。予約して検査日に保健所に行くと待合い室に待つ人は誰も居なかった。医師が一人居て採血した。何日か後に郵送で結果が送られたが、その間はどきどきしていた。留学生は皆体験したがどんな人も一様に結構なストレスになったらしい。
つまらないことだがラッシャンルーレットにのった気分になる。毎日毎日それ以上の確率の危険には合っているのだろうが、一言の通告が一生を左右するような経験はそんなに多くない。
しかし、その安心感からか、人並み以上の健康の証明を得たかのように留学中に暴飲を楽しく重ねたこともあった。多少病気がちの方が検査もするし体もいたわるから長生きすると話す人も多い。なまはげではないが時にはどきっとするのは良いかもしれない。