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1996年



3月11日 月

 チャコちゃんの入院も今日でちょうど三週間。早産の治療薬ウテメリンの点

滴を24時間続けている。寝たきりの生活で出産に耐えられる体力が残っている

だろうか。

 昨日の法事出席しなかったけれど無事済んだと聞いてほっとした。

3月14日 木

 今日で満37週、正規産の範疇にはいる。三週間続いた点滴をはずす。夜9時

陣痛。LDRに入る。陣痛途中で収束。病室に戻る。

3月15日 金

 午前11時退院。念願のクリームスープとスパゲッティ。三週間振りの帰宅。

夜九時李さんから電話。来週火曜日中国に帰国。月曜日訪問するかもしれない。

その頃陣痛。病院に電話。二時間程様子を見て、陣痛が七分間隔になったら来

院を指示される。お風呂にはいる。十一時半陣痛ひどく再度電話。間隔は三分

から七分一定しない。荷物を準備してでる。ひどい雨。十二時入院LDRに入

る。陣痛徐々にひどく、腰をさすっても一定間隔で押し寄せる激しい痛み。

3月16日 土

 午前二時に分娩室に入る。家族控え室で待つ。三時一分男子誕生。始めて抱

く。こんにちは。軽い。ああよかった。チャコちゃんは晴れ晴れとしてさっき

までの嵐のような痛みは消えている。ほっとして朝。午後1時まで一緒にすご

す。天気快晴。3040グラム。



3月17日 日

 チャコちゃんは大分元気になっている。出産直後の躁状態が少しある。動き

すぎるとマタニティブルーが大きいので安静にして欲しい。



3月18日 月

 李さんからまだ連絡はない。やはり明日の帰国だから忙しいのかな。チャ

コちゃんから電話があった。母乳が始めてでた。28cc。今日から母子同室。

自分も始めて目の前でゆっくり対面できる。

 同級の坂巻信弘君逝去。1994.8.14、ボランティア先北ベトナムからの帰

国途中バンコクのホテルで脳梗塞で倒れ死亡。酷暑の中報告書の作成作業で

睡眠時間を削りながらまとめていた。過労の疑い。

 李さんは帰国前のあわただしさで来られない。

 夜病院へ行く。母乳は順調によく出る。吸い付くがまだうまく飲めない。

黄疸検査は今の所異常ない。チャコちゃんは相変わらず元気。康子ちゃんに

出生の連絡。



3月20日 水 春分の日

 朝時計を見たら21日。10万年に1秒しかくるわないというのに。カレンダー

をもう一度見て、新聞を見て、確かめた。程なく閏年の仕業と分かったが時

計より自分の頭が少し心配になった。名付けのために図書館に行くが春分の

日で休み。

 病院に行くと授乳中。態度良好で受乳技術を修得していた。今日は四日目

40ccずつの三時間おき。程なく貴浩君、まあくん、かっちゃん一家が訪れ

た。かすみちゃんが車に酔って気持ち悪くなっちゃったって言いながらもう

すっかり元気。表参道から電車で分かれて来た。

 かずおじちゃんはなくなっちゃったけけれど、三兄弟サンフレッチェのよ

うで頼もしい。

 名前がまだ決まらない。字画や希望、流行や音韻、響、考えるほど分から

ない。14日以内に決めればいいのに他の同日生まれが皆決まっているのがそ

うとうプレッシャーになっているらしい。もう競争に飲み込まれそうだ。

 平らな所を平穏に飛び立ち無事な人生を送ってくれるように航平っていうの

はどうかな。航というのは舟の意味らしい。広々とした伸びやかな印象があ

る。チャコちゃんに言ったらとても気に入って、もう、こうへい、こうへい

って呼んでる。早くこれに決めてと言うが、ほんとにいいのかな。


3月21日 木

 ゾエが病院に来た。やはり子育ての先輩で抱き方が様になっている。今日

郡山に転勤が決まったらしい。引っ越しまであと一週間それまで毎日夜は会

が続くらしい。子供の名付けではどんな名前でも文句を言う人は必ずでるよ

と言っていた。余り考えすぎるなということかな。自由が丘にゾエを送るの

も最後かなと思うと郡山は遠い。電子メールという柄でもない。

3月22日 金     4月19日示談書提出

 病院からの帰り道ひもんやのダイエーに行く途中で交通事故にあってし

まった。黄色の信号で交差点を直進したところ既に青に変った横断歩道を

歩行者が歩きだし、急ブレーキで停車したところに青で発進したオートバ

イが車の左後部側面に突っ込んだ。両者とも怪我はなくオートバイの損傷

はなかった。僕の車は左後部側面が大きくへこんで大破した。エンストも

せず走るが何となく左に傾いていく。オートバイの運転手は前方不注意だ

った自分が本当に悪かったので全額保険会社から支払わせるようにします

と言った。お互い仲良く別れたがオートバイの運転手が怪我をしないで本

当によかった。ぶつかった瞬間の衝撃音と倒れたオートバイと若者がフラ

ッシュバックのようによみがえってくる。車の修理と保険会社との交渉も

頭がいたい。修理費全額の補償請求は無理かもしれない。


3月23日 土

 明日退院。一ヵ月以上の入院で僕も随分参った。家中ごった返してい

たが、なんとか内山家の協力もあって綺麗に赤ちゃんを迎え入れる準

備が整った。しかし、病院の清潔で安全な環境と違って危険と不衛生の

中で解らない事ばかりでやって行けるのだろうか。そう言うと誰もが大

丈夫みんなやってることだもんと言う。だけどみんなやってることだか

らどうして大丈夫なのかは今だに解らない。そんなこと私に言ったって

助けないよと聞こえてしまうのは疲れているせいかな。自分だけは駄目

なような気もするし事実駄目な人だっている。名前だってまだ決まらな

い。疲れているのは昨日の事故の後遺症かな。



3月24日 日 晴れ

 退院するからというチャコちゃんの連絡を受けて仕度を整え病院に向

かった。病室に入ると退院はお預けになったという。新生児黄疸で24

時間光線照射が必要らしい。照射後明日検査して異常がなければ退院出

来るという。おそらくは明日出来るでしょうと言うが逆に明日も退院で

きない可能性もある。受け付けで小児科の入院手続きをとる。出生届は

まだなので子供に健康保険はない。自費診療で立て替え後立て替え金請

求手続きを後日行う必要があるらしい。新生児黄疸はよくあることだと

言われる。子供は目隠しをされて青い光の中の保育器に入った。それを

見たチャコちゃんは目に急に涙が溜まってきて泣いている。看護婦さん

に良くあることだし帰ってから悪くなってもいけないから心配すること

はないよとなぐさめられるとまた涙が溜まってきている。理由が自分で

良く分かるから涙が止まらない。落ち着いてベッドに戻って気分を取り

戻すように別の話題になるとさっきのことはすっかり忘れたように明る

くなる。出産後で精神は不安定になってるんだなと思う。

3月25日 月 雨

 今日も退院できない。一日赤ちゃんを休ませて明日再検査の結果退院

するかどうかを決めるらしい。光線の照射は終わってベッドサイドに赤

ちゃんは戻ってきた。チャコちゃんは明るかった。ゆっくり考えてみる

と今日退院出来ないことは昨日から明白だったように思う。だったら少

なくとも今日は退院できないとあらかじめ知りたかった。善意で教えな

かったのだろうか。今まで善意で隠されたことはよくある。子供の頃は

子供は知らなくていいと良くさとされた。アメリカからの帰り飛行機は

確実に遅れて、その日に日本に帰れないことは明白だった。しかし大丈

夫とクルーは言い続けた。大韓航空だったがそれは儒教の優しさだろう

か。韓国は好きだが、その時はやはり始めから知りたかった。親戚は無

駄に成田を往復したのだから。坂巻君が亡くなったとき、もう既に亡く

なっていたのに重体で倒れたと言われて家族はタイに向かった。ガンの

告知もそうだがこの国では聞いたこと以外のことを推測する必要がある。



3月26日 火 曇り

 待ちに待った退院の日。何時からこの日を待っていただろう。思い返

すと今までの大変だったことがアルバムのように目の前を過ぎていく。

 じゃあ行ってくるねと言って出かけた34週目の検診日のいつもとかわ

らず出かけたチャコちゃんの顔。病院から掛けてきた電話で早産の恐れ

があるから入院なんだってという驚いたチャコちゃんの声。本当に入院

しなければならないのか聞いてもほとんどなかった医師の話。ずっと寝

たまま24時間三週間うちつづけた充分に納得したとは言えないウテメリ

ンの点滴。寝たままで弱ったチャコちゃんの体力への不安。ひとりで干

すチャコちゃんの洋服。そのすべてが今のためかもしれない。

 綺麗に作ったベットにこんにちは、どうぞと始めてのうち。ああ、し

あわせだと思う。
 
 夕飯はカレーを作って二人プラス一で退院を祝った。久しぶりの家族

の喜びだと思う。

 おっぱいのんで、ねんねして、だっこしておんぶして、またあした。

 この歌の意味がやっと解って二人で笑ってしまった。



3月27日 水 曇り

AN様への手紙

AN様

 昨日は私たち家族にとってニューフェイスを迎えた楽しい日でした。

その幸せを増してくれたのは友人から送られた花束とANさんからの

メールでした。メールは印刷してチャコちゃんと一緒にわいわい言いな

がらチャコちゃんも大変だったねなどと思いをはせながら読みました。

夕飯の二人のカレーライスの横には三ページにもわたって印刷された

ANさんのメールが置かれて二人で何回も手にとって見ました。

 お尋ねの、ホームページをもつ前ともった後での感想をお話しします。

もつ前のインターネットホームページは私にとって情報の収集道具で私

はテレビの視聴者でした。もった直後の私は渋谷の街頭のちらし配りの

ような感じでした。情報は発信されているもののこんな恥ずかしいよう

なことを世間様に本当に公開するのだろうかと思いました。

 今の印象はもっと冷静になるべく自分のためにしようって思っていま

す。それは返してみればANさんのおっしゃるようにこのホームページ

の価値や効果が無限に広がっていることが解って、それに押し倒されそ

うにもなるほどなのです。テレビを見ているときにスターは私に話しか

けませんが、私のいつもの楽しみの作者がこうして私たちの姿にエール

を送ってくれる経験は始めてだからです。スターの仲間に入った光栄な

気分です。だからこそ足元をしっかりとして、自分の幸せの原点をはず

さないようにも思っています。つまりそれをもすいこまれそうな力がイ

ンターネットホームページにはあると感じています。

 リンクのお話しそれはまるでニューヨークタイムスから君のこと記事

にしていいかな。と言われたような気持ちでした。嬉しいと感じながら

冷静に、あっ差し支えありませんと言うような思いです。ANさんなら

さしずめ、直接きむたくからパーティの誘いを受けたような感じかもし

れません。光栄であると共によろしくお願いしたいと思います。

 今もあちらこちらにたくさん見るANさんへの賞賛の言葉が散りばめ

られたANさんへのリンクのページの数々。それと同じように私のページ

にもANさんへのリンクのお願いをきっといつかする日がくると思います。

その日までANさんのホームページがさらによいものになるよう祈ってい

ます。


3月28日 木 曇り

 君の名前決めたよ。君の名前は航平君だよ。これからは航平君って

呼んだり航くんって呼んだり航平って呼んだりするからよろしく。

届けを出してきたからもうずっと替えられないんだよ。だから随分

と考えた。でも、まだまだ考えていたいような気もするんだ。君の

ことなら何でもずっと考えていたいようだよ。もっと、もっと、

もっといい名前がないかなってね。

 何で航平君って付けたかって言うと広い海に穏やかな中をゆった

りと進んで行く船のように人生を穏やかに自由に生きて欲しいと

思ったからなんだ。広い空を行く飛行機が地平線を自由に飛んだり

遠い宇宙をゆったりと進むスペースシャトルのように、平穏に、静

かに、悠然と進む姿を航平君の人生に託したいと思ったんだ。

 君の名前を考える時に消極的な事も思ったんだ。つまり、漢字が

一般的じゃないから公平という名にしようかとか、君のお父さん飛

行機の仕事してるのと違った先入観で見られないかなとか。でも、

そんなときには何時でも君はお父さんとお母さんが是非と望んで決

めたんだっていうことを誇りにして欲しいよ。君の名前はどうしても

ぼくたちが付けたかった名前なんだ。その時の気持ちを何時までも

忘れないでね。


3月29日 金 晴れ 航平満二週間

 純子岩見沢より帰京中訪問。一日浩子さん一家ベビーラックを

持って訪問の旨連絡。義父さん電話安否問い合わせ。とんこば

ちゃん日曜日一時訪問の旨連絡。玲子さんへ電話するが不在。

大工の林さん来る。自動車事故の相手方佐々さんより電話。

 航平くんは受乳の優等生。三時間半ごとに規則正しく泣いた後

受乳し少し笑顔で大人をあやしてまた三時間ぐっすりと良く寝る。

規則正しいので思ったより楽な感じ。出足はなかなかいい。

 病院にいた時他の赤ちゃんの泣き声はうるさくないと感じたが

夜中の航平の泣き声は必ず目が覚め頭に響いて決して眠れはしな

い。だから、子育ては誰でも大丈夫だよと助言してくれたのかと

思う。夜中は概ね一時と五時とが泣き出す時間。畳の上で三人で

私、チャコちゃん、航平の順で川の字になって寝る。

 母乳の出は順調で余った分は毎朝花にまかれる。皮膚炎はない

がお尻は少し赤い。へその尾の痕はまだ少ししめっていて風呂の

後マキロンで消毒。風呂は心地よさそうに入る。台所の調理台の

上に置いたベビーバスに入れた後食卓テーブルの上で体を拭く。

 鼻水が家に帰ってからわずかに出る。たくさん泣いたとき鼻く

そが飛び出したらすっかりと機嫌よくなった。逆にそれまでは少

し苦しそうだった。

 チャコちゃんは未だ元気で食欲は異常に多い。十ヶ月ぶりに何

でも美味しいと言いながら夕食後さつまいもをおかわりした。
3月30日 土 夜になって強い雨

 あきこばちゃん訪問。まあくんは四月より東北に転勤になり、

おばあちゃんはかぜをひいたとのこと。命名用紙を壁に貼る。

 昨晩布団の中に入ると鼻がつまった様子で少し苦しそうだった。

自分が花粉症と小児喘息でつらかったので同じようになるのでは

ないかと心配になる。ベビーベッドにいるときは大丈夫なので畳

の上に敷く布団か、畳の上の埃か、換気か、温度が低いことが原

因かもしれない。今晩は掃除機を畳と布団にかけて部屋を暖かく

してみる。

 自分も畳の部屋に来ると鼻が少しつまる。自分の原因は畳の上

の花粉かもしれない。花粉症に絨毯が良くないと言うが畳の部屋

より絨毯の部屋にいるときの方が心地よい。

 チャコちゃんは淡々と母乳をあげて食事も美味しいようで順調

に回復している。高齢出産だって大丈夫よと電話で励ましている。



3月31日 日 快晴

 とんこばちゃんは午後一時を大きく遅れて2時半に来た。内山

家にて昼ご飯に興じて遅くなった。ちょっと待ちくたびれた。土

田さんから着いたかどうか二回電話があった。酔っていた。

 娘のたかは家を飛び出して今は三軒茶屋に一人で暮らしてるら

しい。住所が分かったのでこれからアパートを訪ねるらしい。

「訪ねたけれどいなかったわ。銭湯の前で便利そうな所よ。サン

クスもあるし。」

 というとんこばちゃんからの電話がたかのそのアパートの前か

らあった。

 どんな生活をしてるか、親だから知りたい。どんな方法で生計

を営んでいるのか苦労はしてないか。戻って欲しいが、姉妹は余

り望んでないらしい。たかはお母さんにどんな様子か時々連絡し

て欲しい。お母さんはきっと味方になってくれる。
4月1日 月 曇りのち雨 

 浩子さん一家一時ごろ来る。駿ちゃんとミーちゃんは風邪

をひいている。駿ちゃんは来るなり

「しゅんしゅんビルディングまだある? やりたいよ。」

と言うなりマックの前に飛んで行った。

「ロビーを作らないと上には建てられないのか。マーおじちゃん

他のも教えて。」ミーちゃんも後ろを追いかける。

「赤ちゃんのおむつ替えたいの」と言うミーちゃんは浩子さんから

「ダメヨダメダメ。」

 四月からミーちゃんは幼稚園、駿ちゃんは小学校で、今日の浩子

さんには大分ゆとりがある。

「四月になったら何年かぶりで少しは自分の時間が持てる。」

 チャコちゃんは浩子さんといるのがやっぱり一番ほっとする。

 おっぱいをあげ始めるとミーちゃんはじっと見つめ、駿ちゃん

は陰に隠れてしまった。

 四時ごろ帰宅。五時頃家に戻ったという電話。

 航平はいまのところ極めて規則正しい優等生。



4月2日 火 曇り一時雨

 お義父さんから明日恵比寿のクリニックに行った帰りに訪問したいという電話あり。

 航平のお風呂は毎日担当している。チャコちゃんは今日も代りにやろうかと言うけれ
ど自分の楽しみで奪われたくないような気がする。でもかなり大事な所でチャコちゃん
は手伝ってくれている。

 ベビーバスを台所の調理台の上に置いてお湯を入れる。洗面器に上がり湯をつくる。
テーブルの上でおむつをはずされ裸にされた航平を抱く。これは緊張する。しめった手
で抱かれるのを泣いて手を動かすし耳たぶをおさえようとすることで滑りそうなのだ。

 裸にされて泣いているのを、
 「お風呂が好きな航平君」
と歌いながらゆっくりと入れる。お湯に体が入ると直ぐに泣きやむ。昨日から手に布を
掛けてみるがこれは効果がある。それまでよりも一層泣かない。目に涙を残しながらも
これは気持ちがいいという顔になっている。

 ガーゼで顔を拭う。このとき一回拭うたびにガーゼを洗わないとチャコちゃんはすぐ
に洗って洗ってと言う。チャコちゃんは習ったのと全く同じでないと気がすまない。
ガーゼの別の所で拭けばいいと思う。

 頭を洗うとき洗剤が目に入らないようにする。頭を流し終えた時毎回試練が来る。腰
が痛くなって目の前がくらくらっとする。それが、毎日同じこの瞬間にある。だから
チャコちゃんは代ろうかと言う。体を洗い始めると痛みは徐々になくなる。

 そして航平をうつぶせにして右手で航平の左手と首をひっかけて背中を洗う。そのと
きよく僕の石鹸の付いた手をなめているので注意する。それから首がしまっていないか、
口が水の中に入っていないかも注意する。航平の背中はけむくじゃらで長島監督のよう
だ。

 背中とおしりをよく洗ってもう一度仰向けにすると航平は最高にご機嫌になっている。
お湯から出して上がり湯を掛けるとおしまい。出した瞬間また火のように泣くのでお風
呂が好きなんだと解釈している。

 テーブルの上のタオルの上でああ面白かったと言われて今日の一大イベントの入浴が
終わる。その後おっぱいを飲むが、飲みながらうんちをしてもう一度坐浴をしたことが
9回の入浴の内3回あった。



4月3日 水 晴
 お義父さん一時から四時まで訪問。

 マタニティブルーのきざしあり。

 子育ても一巡して航平の予測は大体できる。不安でたまらなかったのに今は人に教
えても少しは通じる。しかし、疲れが出て来た。

 チャコちゃんはまだまだ張り切っている。しかし僕の方があやしいのである。疲れ
ている。僕は真面目な所もあるがパワーがない。それと先に憂鬱状態になって、チャコ
ちゃんを牽制しようという浅はかなねらいもある。

 これからこの生活がずっと続くのかと思うと実にマタニティブルーには誰でもなって
しかるべきものだと思う。ここで思い起こすのは今日一日をやっていこうということ。
ゆっくり行こう。最低の産業人でよい。

 今日の疲れの原因は布団干しにある。航平の鼻が寝る場所に行くとおかしくなるので
晴れたこともあって急きょ家族全員の布団を僕が上げて干した。もともと僕もアレルギー
なので埃をかぶることをすると実にエネルギーがなくなってしまう。

 夕飯はマルエツが休みだったので吉野屋の牛どんを二つ買ってきてチャコちゃんと食
べた。


4月4日 木 快晴

 やはり航平の鼻が夜詰まるので昼間と同じ場所で寝かすため僕とチャコちゃんが
航平の横でコンクリートに直に敷いてあるじゅうたんの上に寝た。

 食卓テーブルを横に寄せてガスエアコンの前に足を置いてチャコちゃんは修学旅
行みたいだと喜んでいた。しかし、修学旅行は三泊四日だ。

 ずっとこれでいくのか。

 干しやすいと言いつつ今日も布団を干してコンクリートの上のじゅうたんの上に
今布団を敷いた。

 今の所航平の鼻は改善せず、僕の鼻もおかしい。

4月5日 金 晴  航平生後満3週間

 今日も布団干し。航平の鼻は快方に向かう。

 まさじ発熱昼38度。夜になって37度4分。体はまだ動く。鼻の具合はいい。
ウィークエンドで休みが嬉しい。チャコちゃんは元気。

 航平は少し太ってきた。あごのあたりがふっくらしてきた。

 今日僕はベッドで一人で寝ることになりそう。


4月6日 土 晴

 今日も布団干し。僕の熱は平熱に戻った。

 じゅうたんの下をあけてみるとこの間の雨の雨漏りがあってじゅうたんが濡
れてかびがはえている。雨漏りは直す必要があるが、なかなか直らない。地震
のためにコンクリートに亀裂が入ることが原因かもしれない。

 法規制で斜線制限を受ける部分がいけない。法規制に腹が立つのか、あるい
は法規制ぎりぎりに建てた自分がいけないのか、いずれにしても雨漏りは家族
の不健康の元になっている。

 じゅうたんのかびを掃除機でとって、アルコールをかける。

 航平は絶好調で順調。はなくそはまだ奥の方でたまっていてズコズコいう時
もある。チャコちゃんは三週間で床上げということになりマルエツに買い物に
出かけた。二か月ぶりで歩く近所の道に興奮していた。夕食も作った。

 今までも相当量の仕事をしてきているが夕食からテーブルの下座と上座の位
置を替えてくれた。

 夜おばあちゃんから風邪をひいてなかなかいけなくて悪いねと電話があった。



4月7日 日 曇後晴

 日曜日。天気もまあまあ。子育ても一服。チャコちゃんはソフトランディング。

 航平のはなくそと自分の鼻が不安で空気清浄器のフィルターを買いに渋谷に行
く。このフィルターが3か月程で使えなくなる。その度渋谷で買うがビックカメラ
でも高い。

 あまり高いので最近出ているイオン式空気清浄器を買おうかと思うことが度々あ
る。しかし今使っている空気清浄器もイオン発生効果があって機能の点で今以上の
清浄効果があるようにも思わない。結局今日も高いフィルターを買って来た。

 その途中でJAVA Mac版の本を買って、葉書大のカードを買う。帰りにカルビ
焼肉弁当を二つ新玉川線入口の東急名店街で買って帰る。

 今チャコちゃんはシャワーを使い、僕は航平の頭にインターホンの受話器を置い
て鼻息をモニターしながらこれを書く。

 沢田先生から明日来るという電話。内山家は今日晩ご飯後に来ようかなとも思う
がまたにするという安否の伺いあり。



4月8日 月 曇 夜になって雨

 沢田先生2時半頃訪問。

 親戚や友人、今日は沢田先生も航平は顔がかわいいと言う。顔がいいと言われ
るのは親として素直に嬉しい。だけども随分たくさんの親戚や友人に航平を見せ
るとだんだん顔がいいだけでも満足しない。

 なんでもいいからもっともっと褒めてもらいたい。しばらくして考えて、いろ
んな人がいろいろと褒めていくのを何回も繰り返し思い出したい。その褒め方が
僕達が考えることと当っていても嬉しいし、違う見方でも嬉しい。

それが顔がいいの一様になってしまうのだ。

 美人美男は得だと言うが、美人と美男はくっつかない。なんといっても顔以外
が注目されないから性格がおろそかになるのかもしれない。

 航平の顔はどんなでもかわいいが、とにかくなんでも性格も体もよくなって欲
しい。



4月9日 火 晴れ

 航平は太ってきた。あごの所は二重顎になって下の方から見れば相当に横柄
なやつのようにも見える。顔が良いなんてとんでもない。顔が悪くなっても健
康そうなのは実に嬉しい。

 規則正しい優等生のようなかわいい赤ちゃんは、徐々に怪獣ギャオスの片鱗
を感じさせる。

 規則正しくないときがあるのだ。

 今もおむつを換えておっぱいをたらふく飲んでげっぷをしたのに寝ないで遊
んでまた、泣いておむつを換えて、遊んで、泣いておっぱいを飲む。新しいパ
ターンが出現した。

 いろんなケースを経験した人なら何だそれくらい、なんでもないぞ、と思う
だろうがこちらとしてはげっぷしたあと寝ないことがもう自分の人生にとって
さえ初めての出来事なのだ。

 航平にとっても自分にとっても今の毎日は人生生まれて初めての繰り返しな
のだ。

 そこにいくとチャコちゃんはクールで落ち着いている。何くだらないことに
感心してないでさっさとしなしゃんせ、と言った面持ちでせっせとおっぱいを
やっている。


4月10日 水 曇り後晴れ

 航平はいよいよ不規則になってきた。いつ、起き出すか、いつ、寝るのか、
どれ位起きているのか全く予断が許さない。

 さあ、食事だと言う前に、起きやしないかと予感する時は、ひやひやしなが
ら、なかば息をひそめるようにして食べ始める。

 航平の耳は高音を感じ取る。お母さんのかん高い声だけ聞ければいいという
ことだろうか。普通の話し声はほとんど反応しない。テレビの音も平気で寝て
いる。掃除機を近くで掛けても大丈夫だ。

 ところが、ドアをカタリと閉めると寝ていた目を少し開きながらピクッとし
て両手を瞬間万歳する。

 カタッ、万歳である。

 ドアの他に万歳をするのは、はさみをテーブルの上に置く音。カタリ、万歳
である。他に食事を始めるときにテーブルの上に置く皿の音。テレビも料理番
組の中で俳優が使う什器の音には万歳である。

 この万歳の後何事もなく過ぎる時は幸せである。その後に往々おしめ替えと
おっぱい、げっぷ、おやすみだっこが控えることがある。



4月11日 木 晴れ後曇り夜になって強い雨

 久しぶりで床屋に行った。もともと床屋は嫌いだ。アレルギー体質で床屋
に行くとちくちくしたりする。かみそりで顔の髭を剃っている最中にくしゃみ
を出したくなる。髪を切っている時に鼻水がつーと出てくる。目が悪くて眼鏡
をはずしているので鼻水が出ているかどうかもわからない。

 何時もではないがそういう経験を積むうちに自然遠ざかっている。

 ニューヨークにいたとき、モモタローと言う床屋に行った。モモタローはマ
ンハッタンで主に日本人向けの高級美容室だった。高級だから鼻が出てもお互
いにペースがゆったりとしていてティッシュペーパーを取って貰うにもそれ程
気が退けない。

 毎回の指名制とチップ、技術者によって異なる料金とで激しく競争されてい
ることも良く作用して実に快適だった。

 料金は日本に比べて十分に理解出来た。

 日本に帰ってからあああんな床屋に行きたいと思うのだか全くない。組合制度
で均一料金で誰に当るかは分からない。ああ、残念と思っていたところ、なんと、
ニューヨークを超える知っている限り世界で一番素晴しい床屋を発見した。

 今行っている床屋はそこだ。

 こんな床屋は何処にもない。大勢のスタッフが二時間という長い時間を掛けて
ゆったりといたれりつくせりのサービスと高い技術で料金は同じだ。これはとに
かく素晴しい。しかしこんな床屋でもやはり行くのは億劫だ。


4月12日 金 晴

 一週間が終わる。早くてあっという間だ。十代のころ、一週間というのは
長かった。十代は動きが早く落ち着いてはいない。今は、気が付くとぼうっ
としている。

 下手な考え休むに似たりだ。

 時間軸で考えると早い、遅いとなるが、行動量を変数として考えると、自
分の行動量は人生の八割方以上来ているのではないか。

 そうすると既に自分は70才かもしれない。

 航平、次の人生託すぞ。


4月13日 土 晴

 航平は今日で満四週間になる。無事に何事もなく過ごせてほっとする。
無事であることの有難みはすぐには感じないが、何か事故や病気のときは
本当に夢であって欲しいと思う。だからきっと今はこの上もない幸せなの
だろう。

 昼過ぎ、ためしに初めて布おむつをあててみた。それは少しお尻が赤く
て痛そうになっていることと、せっかく用意してあるのだから試そうとい
う理由だ。

 布はお尻にとって確かに心地よさそうだが、一枚を三つ折にしてあてた
所、マットレスまで湿ったうんちが見事にしみでてしまった。大騒ぎで裸
にして肌着を替え、バスタオルをはずし、シーツをはずしてマットレスを
エアコンの前に置いて乾かした。

 その間航平の泣き声はとどろきわたった。すっかり綺麗に取り替えて
おっぱいを飲んで寝たが、いつもより泣いて疲れた分良く寝ていた。


4月14日 日 快晴

 朝布団干し。このところ晴れている日はたいてい布団を干している。航平
のベッドの布団は毎日ほこりをたたく。毎日毎日よくほこりが出てくる。ほ
こりがたまると自分の鼻もおかしくなる。航平のはなくそはだいぶいいもの
の完全によくなってはいない。

 夜、家族の鼻の具合は悪くなるが、換気が悪いのだと思う。昼は換気が良
く夜に比べて具合はいい。自分が過換気症候群であるのかもしれない位換気
が気になる。

 大体日本の家屋は換気がよかったはずなのに、この湿気の多い地にあって
堅固な建築物の換気はすこぶる悪い。フランスでトイレに入るとトイレの外
は静かなのに密室の中では外の自動車の音がする。換気口が外まで伸びて空
気がたくさん出ていく音がした。ニューヨークのアパートは一ヵ月留守にし
ても帰ってきたとき部屋の匂いはほとんどなかった。

 僕達は外国から文化を入れるが、新聞、テレビ、文化人が言うほどには日
本は文化が進んでいないと感じた。実に先進諸国からは相当に遅れているこ
とをそれぞれの土地で感じた時、かつての共産圏諸国のように日本にいてさ
え十分に情報を正しく取り入れていなかったと思った。


4月15日 月 晴

 おばあちゃんが来る。

「風邪をひいてて来るのがのびのびになってしまった」
と言うがすっかり風邪も治って元気だった。

「おっぱいの出がいいのは夫を敬っている証だよ」と誉める。

「私なんかはやっぱり心の底では敬ってなかったのか出が悪かったよ。」

僕の母を産んだ時、いつもよく泣くので、ミルクを作って与えたら

「勢いよく飲んで、よっぽどそれまではひもじかったろう」と言う。

帰り際に
「今日はおじいちゃんの命日の三月十五日と同じ十五日だからお経を
あげなきゃ」
と言ってひ孫になる航平にばいばいして地下鉄で帰った。

4月16日 火 雨 寒い

 明日は一ヵ月検診の日だ。航平はまだ外に出たことがないのでだっこひも
の使い方を練習したりバックの用意をする。大病院の中で待っている時に、
泣いたり、おむつをうまく替えられるか。初めての病院通いが待っている。

 明日、先生に聞きたいことをまとめてみた。

 黄疸はもうすっかり良くなっているでしょうか。

 水のようなのも含めてうんちを一日六回位します。大丈夫でしょうか。

 おっぱいを飲んだ後に、うんちをしておむつを替えた後、又おっぱいを求
めて泣くことがしばしばあります。そのような時おっぱいが出ているのか下
痢でつらいのかどうか心配で不安になります。気にする必要はないのでしょ
うか。

 うんちの回数が多いからか、おしりのあなが赤くなっています。このまま
でよいでしょうか。

 父親はちり、花粉、かびのアレルギー体質で花粉症と喘息です。子供も、
はなくそが奥の方にたまって鼻がズコズコと鳴って息苦しそうなときがあり
ます。遺伝していないか心配です。この状況で様子を見ていて良いでしょう
か。特別に何かを考えるべきでしょうか。

 アレルギーの対策のため母親は玉子をとらないようにしています。それは
続けるべきでしょうか。

 でべそにならないようにするへその処置はした方が良いでしょうか。

 他に何か特別に気を付けることはありますか。

 


4月17日 水 快晴

 一ヵ月検診。最初は病院までの送り迎えだけのつもりだったが簡単に済
みそうなので一緒に付き添った。待合場所に同室だったはるなちゃんがい
て懐かしかった。

 結果は異常無しだった。体重4450グラム、身長56.2センチ、頭囲38.2
センチ。一ヵ月で体重は1410グラム、身長は7センチ、頭囲は3.5センチ
増えていた。一日平均45グラムずつ増えている。どおりで太ってきたと感
じたはずだ。母乳で育っているからという理由でビタミンKのジュースを
航平が飲む。

 黄疸は大丈夫。うんちの回数は正常。太っていることから判断しておっぱ
いは出ているはず。おしりのあなの赤いのは軟膏を処方する。アレルギーの
危険性は極めて高い。今取る方策はない。たまごアレルギーではないので母
親がたまごを控えるのは疑問。でべその所見は多少ある。処置は不要。これ
が質問の答えだった。

 チャコちゃんは検診後、入院病棟に出かけて婦長さんから
「一ヵ月で1400グラム増やしたら健康一年保証付きよ」
 と言われて帰ってからもずっと嬉しそうだった。

 これから初めて航平と一緒にお風呂に入る。


4月18日 木 晴

 昨日から航平と風呂に一緒に入っている。今日は二回目だった。

 今までのベビーバスに比べるとずっと楽で航平もゆったりとしている。
ベビーバスは3分程で一杯になるが大人用のバスだから準備に20分程はか
かる。

 私は床屋は嫌いだが、実は風呂も嫌いだ。子供の頃から年中小児喘息
だったから薬をしょっちゅう服用していた。喘息の薬を飲むと心臓の動悸
が早くなって風呂に入るのは苦しいときが多かった。

 薬のせいだとは自分も親も子供の頃は分からなかった。誰でも風呂に入
るのは多少苦しいと自分では思っていた。親は風呂嫌いの子供と思ってい
た。

 今は西洋薬を服用していないから動悸はないが習慣で毎日は入らない。
どちらかといえばシャワーばかりで風呂にはほとんど入らない。

 それが、昨日と今日入って、明日からも毎日風呂に入ることになりそう
だ。今は入れないということはない。だから、航平に風呂の習慣を教えて
貰うことになって恐れと嬉しさとが共存するような気持ちだ。


4月19日 金 晴

 損害保険会社から3月22日におこした交通事故の示談書が届いた。

 私の過失割合を1割と認定し、損害額の9割を補償するという内容だった。
損害額はこちらでの見積りの1割方多く認定されていて、結果修理費のほぼ
全額に当るであろう約30万円を保険会社から私に支払うという内容だった。
内容に同意し、署名捺印をして返送した。

 この車は18年間大切に乗ってきた。今もまだ走る。最期の頃に自分
の車体を傷付けて30万円を得た。つるの恩返しのようだと思った。



損害保険会社担当者への手紙

 担当者様

 示談書を送付致します。事故による損害は金銭によって十分に償われ
たとは思ってはいませんが、始めに受けた説明から内容に進展がありこ
れで十分に満足すべきだと自分では考えています。

 運転は事故以来何か不安感もありあまりしていません。自動車はやは
りそのままの状態で車庫にあります。この後修理するのか、新車を買う
のか、中古車を買うのか、そのまましばらく乗り続けるか、もう乗らな
いのかは、まだ決めてはいません。

 今は子育てに毎日を追われて、おむつを替えたり、お風呂に入れて
やったりなどということに楽しみを感じています。

 これからも損害保険制度の発展と事故の正しい補償のためご尽力され
ますようお祈り致します。


4月20日 土 曇り
 今、いじめの問題をNHKで放送している。子供達は生存を賭けて学校に
行っているらしい。

 二年程前に文部省に電話でパンフレットの内容を問い合わせたことがあ
る。コンピューターソフトの補助金の申請方法が記されていた。申請の上
限金額が一件2000万円以内なのか、補助金の該当予定数10件の合計が
2000万円以内になるのかを聞きたかった。

 パンフレットには申請額上限2000万円、予定件数、十件と書かれていて
どちらになるのか、はっきりと分からない文章だった。いずれにしても
2000万円というのは大変な金額だ。

 聞くと年配の男性の役人は
「パンフレットに書かれているでしょう」と言う。
「パンフレットに書かれているとおりで、当然一件あたり2000万円に決まって
いるでしょう。」
と言った。

 もう一度パンフレットを見ても決まっているようには見えない。何か吹き
出してしまうようだった。

 その直後、
「あなたは何処の会社の誰だね。」と彼は尋ねた。

 いつもマックの使い方では名前を聞かれて心地よい。しかし、このときの
タイミングと迫力は相当だった。旧帝国軍人の言葉のようだった。

「ところであなたは何処の会社の誰だね。」
「そのパンフレットを何処で手にいれたのかね。」
「説明会には出席したのかね。」

 彼は相当に優秀だった。いじめたとは判別のつかない言葉だった。彼の言
葉はきっと私の他に先生もいじめただろうと思った。そして子供もいじめら
れたと、何の脈絡もなく、今もそう感じている。

4月21日 日 晴れ

 チャコちゃんのおっぱいはだんだん追われている。航平の飲みっぷり
がいいので追いつかない。おっぱいは噴水のように吹き出す程出るがそ
れと合わせて飲む量も多い。

 最近は余っておっぱいを花にまくことはない。搾乳したものを100cc
飲ませてもまだ足りなくて泣くときがある。おっぱいのあとすぐにぐず
るときは実は足りないのではと不安になる。

 今週24日はチャコちゃんの一ヵ月検診の日だ。
 「重大事件の裁判のある日だ。大丈夫か。」と言うと、
 「ちょっと行って帰ってくるだけよ。」と、意にかいさない。
 「厚生省管轄の病院だぞ。あぶないかもしれないだろ。」と言うが、
家で航平と二人で待つのもおっぱいを持たない自分としては自信がない。


4月22日 月 晴れ

 航平のおむつを私が替えるときわんわんわんわんと泣く。横でおっぱい
の準備をしているチャコちゃんが泣き声を聞いておっぱいがポタポタと落
ちる。

 おむつを替えて軟膏をぬってお尻りを乾かす間ずっと泣き続ける。やっと、
永いおむつ替えの時間を終えておっぱいにたどりつく。

 ぽたぽたと漏れて顔にもおっぱいをひっかけられて吸い始める。勢い良く
吸うがおっぱいが噴水のように出てくるので気管に入ってむせる。むせると
息も出来なくなるほどに目を白黒させる。

 おっぱいの出がいい。飲みたい気持ちがいっぱいと、与えたいおっぱいが
いっぱいで両者がかみあわない。吸い付いては飲めず、泣いては吸い付く。

 少し哺乳瓶にとってから与えてみた。

4月23日 火 晴れ

 夜、お義父さん来る。仕事を終えて家でほっと一息。

 一ヵ月前と比べて航平が太って、大きくなったのでびっくりしていた。
「一ヵ月で背が6センチも増えたら一年で60センチだね。」
 とだっこしながら嬉しそうだった。

 「来週神大寺植物公園に行こうかな、青葉が綺麗だろ。6月の15日から
親戚どおしで青森へ祭を見に行く旅行に誘われたよ。」
 と、ひとりになっていても大丈夫だよ、心配するなよ、と言う風だった。



4月24日 水 快晴

 チャコちゃんの一ヵ月検診の日。久しぶりに化粧をしてよそいきの
洋服を着て10時前に準備を済ませた。航平と私をおいて
 「じゃすぐ帰ってくるからね。」と言って、病院に向かった。

 家では航平が途中で泣いて、おむつを替えて、搾乳してあった80CC
を飲ませた。しばらく機嫌が良かったが、30分程してまた泣き出した。
冷凍してあった120CCをさらに解凍した。暖まるまでの15分間は激し
く泣いていた。

 それを飲ましている頃
 「あら、随分静かね。」と言いながらチャコちゃんは帰ってきた。

 先天性代謝異常の検査結果の他、すべてに異常なく今日からは平常通り
生活できるという診察だった。

 夕方、初めて三人で散歩してみた。ガーデンハイツの横を通って、
建物の横にある桜の公園まで行って帰ってきた。
 航平はその後は疲れたのか静かによく寝むっている。


4月25日 木 晴

 コンピューターに関して自分のポリシーは最小価格の最大効用だ。
単価当りの効用を最も高くすることを目標にしている。

 パソコンの高性能を競うことはない。パソコンの上にはオフコンが
控えているのだから。どれだけ安くどれだけ楽しむかを自分は競って
いる。

 今のこの機械は初心者用のものだ。ソフトはほとんどが元々ついて
いた。マッキントッシュというパソコンは機械もソフトもサポートも
うっとりするほど素晴しいと思う。だが、売れないらしい。

 広告も多くないし、元々自分達の回りにも使っている人が少ないか
ら売れないのもしかたがないのかなと思う。どうしたって広告やそれ
が載っている雑誌の記事や大勢の意見に従ってしまうのだなあと思う。



4月26日 金 晴

 秋葉原でスタンド型の掃除機を買った。途中チャコちゃんに電話を
すると
 「買って欲しいけれど、どちらでもいいよ。」と言われて次の機会
でいいかなと思いながらパソコン売り場に向かった。

 掃除機より手頃な商品はパソコン売り場には少ない。掃除をするの
に上の階と下の階を重い掃除機を持って上がり下りするチャコちゃん
を思い出した。

 何か乳飲み子を置いてばくちを打つ父親のような気がして引き返し
掃除機を買った。



4月27日 土 晴

 チャコちゃんの歯が痛くなって歯科医院に行く。疲れが重なって
前に直した所が膿んで痛みだした。金属の冠をはずして麻酔注射を
打って神経を治療した。

 痛み止めを処方され近所の薬局で買うと、
「薬成分は母乳に出るので搾乳後に飲んで下さい。」
 という指示だった。

 鎮痛剤を飲まないでしばらくがんばっていたが夕方になって服用
して少し横になっていた。夜になって痛みも止まって元気になった。


4月28日 日 晴

 チャコちゃん歯痛で鎮痛剤を服用する。しばらく休んだあとふら
ふらするので熱をはかってみると38度あった。授乳して人工乳の
準備をして再び休んだ。

 夕方七時頃起きて食事を取るとだいぶ元気を取り戻した。夜に
なって37度2分に下がった。歯は相変わらず痛くてアイスノンで
冷やしている。明日も歯医者は休みでゴールデンウィーク幕開け
がうらめしい。


4月29日 月 祝日 晴

 チャコちゃんは歯が痛いので昨日は一人で寝た。僕は搾乳した
哺乳瓶と粉ミルクをもって航平と寝た。夜中航平が泣くのに合わ
せて粉ミルクを初めて与えてみた。

 粉ミルクを与える気分というのは何か少し罪悪感がある。驚く
ほどあっという間に100CCを飲み干した。

 昼間も相変わらずチャコちゃんは歯が痛くて鎮痛薬を飲んだ。
航平は粉ミルク160CCを与えると飲み干した。鎮痛薬に解熱作用
があるのにチャコちゃんの熱はまだ37度2分ある。

 歯は痛くてあごは腫れている。顔に白いこうやくを張り付けて
しっぷのにおいがする。



4月30日 火 晴

 チャコちゃんは歯が腫れて顔がホームベースのようになってし
まった。

 午前中歯医者に電話をして出かけ、メスで切開して膿みを出し
た。出すときはほっぺたをぎゅうぎゅう押された。この歯は抜い
てブリッジにしなければならない可能性があるらしい。

 抗生物質と鎮痛剤を服用することになったため航平は粉ミルク
になる。午後はベッドで横になる。夜はだいぶ楽になったが
ほっぺたはふくらんだままだ。心なしか航平もよく泣く。
5月1日 水 晴後曇り夜になって雨

 チャコちゃんは午前中歯医者に行った。
 「歯の根の一部が折れているので歯を抜いてブリッジにしなけれ
ばならない。」と半ベソで帰ってきた。

 「もう一度別の歯医者で聞いてみたら。」と言うが
 「お医者さんを裏切る事は出来ない。航平が生まれたんだから
歯が一本位なくなったっていい。」とけんかになった。

 抜いてもらう事が最もよいかどうか確かめて気持ち良く抜いても
らうんだと納得してすぐ近くの別のお医者さんに行った。

 しばらくして歯医者の前から
「抜かなくていいみたい。」と電話があった。

 歯医者さんの旦那さんが外科医で連休あけに診察して場合によって
膿みを出す手術をする。歯は二つに切断して折れている部分をとる。

 前にかかった歯医者の診断は必ずしも間違いとは言えないが、歯
は十分にしっかりしていて綺麗で抜かないで直る可能性は高い。と
いうことだった。



5月2日 木 曇り後晴

 チャコちゃんの歯は相変わらず痛い。鎮痛剤はなくなって薬局で
買った。抗生物質は引き続き飲んでいる。腫れはだいぶひいてきた。

 薬を服用しているからこのところ粉ミルクになっている。ところ
が航平が粉ミルクを拒否した。体を震わせながら泣いておっぱいを
要求する。

 つまり粉ミルクを与えても飲まず、おっぱいにするとのみ出す。
薬のことで心配だがチャコちゃんはまんざらでもない。


5月3日 金 晴 憲法記念日

 夕方航平は公園デビューした。駿ちゃんから回ってきてチャコ
ちゃんが縫った布団を付けたA型バギーに乗って駒沢公園内のぶた
こうえんにでかけた。

 すれ違うベビーに気を取られながら、泣きはしないかとおそる
おそる出発した。航平はご機嫌上々で強い風のなかにこにこして
いた。チャコちゃんは薬こそ飲んでいるものの歯の痛みはその時
はなくて久しぶりの笑顔だった。

 ぶたこうえんに着いたが航平は小さすぎて友達もできる訳もなく
そそくさと一周して帰宅した。帰りも目をきらきらさせながらいい
顔だった。

 このところ寝るか泣くかの生活だったが晴れたら外にも助けを求
めよう。



5月4日 土 晴

 天気は晴れてチャコちゃんの歯の具合もだいぶいいのでお宮参
りに行こうということになった。

 公園に行ったときは人のあまり通らない道を通ったが、駒留八
幡神社に行くには国道246を渡らなければならない。マクドナル
ドの前を通り京樽の前を通りファミリーマートの前を通る間に後
ろから大きい犬が駆けてきたり前から手にたばこをもっている人
が接近したりと今までに気が付かない危険が目に付く。車椅子を
押すときとはまた違う。

 航平はお義父さんからもらった新品のよそいきのつなぎにテニ
スウェアーでパリパリ、チャコちゃんもおめかしをして僕はサマー
セーターの特上のいでたちで神社に着いた。

 ほとんど人の居ない神社に三人でお賽銭をあげて記念撮影をして
途中花屋で菖蒲湯の為の菖蒲を買って帰ってきた。航平はその間
ずっとすやすや寝ていた。家に入るとすぐに泣き出した。外は気持
ちがいいようだ。


5月5日 日 快晴 こどもの日

 朝方雨が降っていたが昼になって天気がよくなった。お義父さんは
結婚披露宴に行くと聞いていたが晴れて良かった。

 一時に内山家から電話があって二時に家族揃って来た。昨日貴浩君
とまあ君が来たそうだ。まあ君は東北に無事着任してゴールデンウィーク
で東京に里帰りした。智君はこの後ダイエーでファミコンソフトを
買って貰うらしい。そうか今日は子供の日だ。

 四時過ぎ家族三人で西友に買い物に出た。外に出ればご機嫌になる
ので帰りは寄り道をしてバギーを押した。家に着く直前に航平が泣き
出したので抱きかかえて小走りで家に入った。後からチャコちゃんが
バギーと買い物袋を抱きかかえながら半べそで追い駈けてきた。


5月6日 月 快晴

 けいこばちゃんから一時頃電話があった。
 「家の近所のCASAでお昼に車でうどんを食べに来たのだけれど
パパが今から行こうよって言うけどどうかしら。私なんかお化粧も
してないんだけど。」

 二時過ぎに小沢さんとたかし君との三人で来た。航平はちょうど
わんわん泣いていたがけいこばちゃんが抱くとぴたりと泣きやんだ。

 「家も二人を育てたんだもんな」と小沢さんが言う。
 たかし君達はもう社会人。たくさん愛情を受けて立派に育って来
たことを思い返すとそれは一つの人生史だ。

 夕方バギーを押して三人で買い物に出た。航平はやはり外が好きだ。

5月7日 火 晴

 連休があけてチャコちゃんは歯医者で歯ぐきの切開手術を行った。
何針か縫った。術後の経過は良くてすっきりとした様子だ。前の歯
医者に明日の診察とその後の治療をキャンセルする旨の電話をした。

 ニューヨークのロングアイランドのかずこさんから電話があった。
二年ぶりで近況を話したり聞いたりした。かずこさんは相変わらず
元気そうだった。

 ニューヨークは最近活況が戻ってきて空いている貸ビルも少なく
なった。ゴールデンウィークは日本人がたくさん来ていた。市長が
替わってからは多くのお巡りさんが始終パトロールをして安全な雰
囲気になった。
「ガーデイアンエンゼルスがいいんじゃない?」と言ったら
「テレビじゃ見たことはあるけれど地下鉄で見た事は一度もない。」
と言っていた。そう言えば見たことはない。
 国際電話が四時間になった。アメリカはやはり豊かだ。



5月8日 水 晴

 チャコちゃんの歯は大分いい。薬はまだ抗生物質、鎮痛剤、胃薬を
飲んでいる。母乳も時々与えるが薬のために多くは粉ミルクになって
いる。

 航平は声がかすれて泣き声がでなくなった。原因はよく分からない。
声の他は元気で活発だ。母子児童相談センターに電話で聞いて見ると
もう一日続くようなら医者に見て貰った方がいいという助言だった。

 原因としては鼻が十分通ってないので口で息をしている、咽頭炎、
風邪、泣きすぎなどが考えられる。お風呂に入れるのがちょっと
気にかかる。



5月9日 木 雨後曇り

 航平の声のかすれは少なくなった。チャコちゃんは薬の副作用のせ
いか寒気があるらしい。昼どきは随分と激しい雨足だった。

 買い物の帰りに向かい隣の奥さんとすれちがった。
 「一緒に暮らしていた方は妹さんと思っていました。元気そうな赤
ちゃんで良かったですね。いつも買い物するんですか。うちは全然や
らないんですよ。」
 マルエツの袋からはみでた大根の葉っぱは今日に限って50センチほ
どあった。

 世田谷目黒連続放火事件の容疑者が逮捕された。チャコちゃんが妊娠
中家の隣まで燃えた。


5月10日 金 快晴

 屋上に植えてあった金魚草とムスカリがからすに食べられた上プラ
ンターがひっくり返された。春には今年楽しみにしていたチューリップ
が15個の内14個食べられてしまった。屋上の忘れな草と金魚草を下
の花壇に植え替えた。

 からすが向かいのもの干しにとまってこちらをじっと見ているとき
がある。航平の顔を覚えられたくはない。

 チャコちゃんは歯医者に行って薬が終わり母乳に戻った。


5月11日 土 快晴

 チャコちゃんが航平をだっこひもでだっこしてぶた公園に三人で
散歩に行った。出かける前はしくしく泣いていたのに外に出ると機
嫌が良い。歩みを止めて立ち止まるとしくしく泣き出しそうになる。

 公園からは競技を終えて帰ってくるたくさんの高校生と擦れ違った。
「ちいさあーい。」と言われてこれでも随分大きくなったのに。

 一才位のお兄さんがすべり台を上手に降りていた。この公園は作り
は危険に見えるが子供はたくさん遊んでいる。

 ぶた公園の帰り道犬の放し飼いは怖かった。ローラーブレードをす
る人は右や左から飛んでくる。

 あしたはみっちゃんが来るからサンドイッチ用のサラダ菜とハムを
買ってきた。

5月12日 日 快晴夜激しい雷

 みっちゃんと娘の映理ちゃんが来た。航平と二度目の対面。病院
で会った頃と比べて随分大きくなったと思う。

 映理ちゃんはスポーツが得意でまんがのクラブに入っている。子
供の頃から画が上手だった。お母さんのみっちゃんもリレーの選手
でスポーツが得意だったとチャコちゃんは言う。親子でもうそろそ
ろ友達のような関係に見える。

 航平がこれからみっちゃん親子位までに成長するのにどんなこと
があるだろう。

5月13日 月 曇り

 自動車修理工場に車の修理を適当に簡単で安価に出来ないか相談
に行った。後ろのタイヤの上から窓枠の横の部分とトランクの横全
体を切断して、修復した後溶接してはめ込むのでちょっとたたきだ
して直す訳にはいかない言う。

 かえりすがら八雲のトヨタ中古車センターに立ち寄ってチェイサー
を見た。そして駒沢日産中古車センターに行った。ちょっと乗りま
せんかの言葉で去年のサニーに乗った。快適だった。ベルリンで
乗ったBMW316と変らないと思った。

「家の駐車場は狭いから。」と言うと
「じゃ行ってみましょう。」と家まで乗った。チャコちゃんは何事
かを理解できずびっくりして外に出てきた。チャコちゃんは結婚前
にサニーに乗っていたのでこれでいいよと言う。このままここにお
いていって下さいとのどまで出かかった。

 しばらくして家に戻ったがあくまで理念は単位価格の最大効用だ。
今も車は動く。自分と車とチャコちゃんを知って購入までを楽しむぞ。


5月14日 火 曇り

 午前中保健婦の外崎さんが巡回訪問に来た。航平の体重を計った。
衣服を着たままで6.2キロある。衣服を600グラムと推定しておお
よそ5.5キロで2か月の標準体重だ。チャコちゃんは自分が普通の中
の普通なので航平が標準であることにはとても嬉しい。

 外崎さんはてきぱきと指示した。外気浴をする。はなくそは綿棒
を使わずこよりにする。風呂上がりにはローションは使ってもオリー
ブオイルはいけない。顔の湿疹は日に何回も拭いて清潔にする。神
経質にならない。子供を見て本や情報は後にする。じゅうたんの上
のはいはいは汚くない。土の上ではいはいする。順調に育っている
ので心配ない、ということだった。

 夕方秋葉原に行って石丸電気でエアコンを購入した。東芝製2.5kw
工事費込で10万円。当日追加工事料金が何千円かあるかもしれない。
チップみたいだ。

 購入お礼に時計付きキッチンタイマーにクリップが付いていて磁石
で冷蔵庫に付けたり置き時計にもなるものをくれた。頂いたのは有難
いが、時計に使いずらくタイマーとして使いにくい。そのクリップに
はさむものはない。はさめば掛け時計は落っこちる。デザインは悪い。
ポリシーがなくて何でもできるが使いにくいのはうちのウインドウズ
3.1パソコンのようだ。マックのような本物が欲しい。

 ウインドウズ95パソコンはシェアが大きいので買わなければならな
い。しかし買いたい気持ちにならなかった。MS-DOS、ウインドウズ
3.0、ウィンドウズ3.1と三回続けて不具合が多かったので四回目は厭
だ。

5月15日 水 晴れ
 自動車税の納付書が来ているが新しい自動車を購入するのに支払っ
ておいた方がよいかを問い合わせた。支払って月割り分の還付を受け
るか、支払わずに督促状を受け月割り分の請求書に受けて納付をする
かの何れからしい。

 重量税については戻らないらしい。車検の翌日に廃車になっても既
に支払った二年分あるいは三年分は戻らないそうだ。

 不満に思って大蔵省に聞いた。理由はこうだ。自動車税は保有を課
税根拠としているので保有が中断されれば課税根拠を失うので残り期
間分は還付される。ところが重量税については車検残存期間における
通行権の取得の対価が課税根拠なので途中で保有を中断しても残存期
間分の返還はない。

 聞いてみると論理的で分かりやすい説明だ。しかし税は私たちのた
めに使われる重要な財源だ。田中角栄が自動車の重さにもかけろと言っ
て成立したというが、似たような税を二度に分けることでどれだけ無駄
な書類や手間や仕事が増えるのだろう。

5月16日 木 晴れ

 父の18年目の命日なので妹が智君と二人で来た。智君は先週の日
曜にダイエーでスーパーマリオのロールプレイイングゲームを買って
貰ったそうだ。

 ロールプレイイングを楽しむとは三年生になって智君も成長した。
うちに来てマックの顔を見ないことはない。

5月17日 金 晴れ

 航平の顔に湿疹が出来ている。原因はわからない。時期などから
推測されるのは、大人用の入浴剤、チャコちゃんの服用した抗生物
質、外壁に付いている正体不明の赤いダニのような虫がふとんにつ
いた、顔を洗う石鹸などだろうか。

 医院に行くのは乳幼児医療制度もあって費用もかからず手軽だが、
医薬分業ではないので恐らく薬を提供されるだろう。診察して貰っ
てアドバイスだけを聞きたいのだが事実上出来ない。副作用に対す
る不安の方が大きくて医院に行く気持ちが萎えてしまう。しばらく
様子を見る。

 チャコちゃんの歯は再び腫れて膿が出てきている。痛そうで歯を
食いしばっている。三日間抗生物質をまた服用しなければならない。

5月18日 土 曇り
 沢田先生が渋谷の美容院への帰りに立ち寄った。次男の悟くんは
12月1日に結婚式をあげるそうだ。チャコちゃんから見るとお母さ
ん鍵ちょうだいと言っていた子が結婚なんて追いつかれたようで信
じられない。

 航平はプロの手にかかってなかなかご機嫌だった。チャコちゃん
は薬を飲んでいることと歯が腫れていることで十分ではない。お風
呂の入浴剤を使わないようにしてみて航平の湿疹は幾分かよくなっ
たように見える。

5月19日 日 晴れ
 初めて航平は電車に乗ってデパートというところに行った。準備
に手間取った。何を持って行くのか分からない。おむつは二つ、し
かし取り替えて取り替える時にちびりうんちをする場合もあるから
三つ。ひっかかる場合を考えて着替えを一揃い。粉ミルクをもって
お湯を持ってガーゼとタオル。揃えてみたら三時間程の外出だから
多すぎるのでおむつは二つに変更。出てすぐうんちでユーターン。
戻り開いて見たらおならだけ。

 駅について電車に乗って無事三駅先の二子玉川駅に到着した。な
ぜ駅におむつを換える施設がないんだろうなどという疑問は今まで
考えたこともなかった。おむつ換えの施設をたくさん作ろう。

 玉川高島屋に入る。さすがに客商売は違う。ベビールームは安心
感を与える。ベビーベッドが八つ、椅子が八脚、お湯とおむつとこ
ども用果汁の自動販売機と大きなごみ箱、身長計と体重計があって
懸案だった男も自由に使える。これならいくらでもいられる。ベビー
カーは全部貸出中だった。

 うきうきと商品を見て回ったが確認だけで買い物はできなかった。
後日僕だけであらためて行く。


5月20日 月 晴れ
 浩子さんと駿ちゃん、みーちゃんが来た。みーちゃんは今日から
英語の塾に行く。四才の女の子が机に座って日本人講師から40分
英語を学ぶが本人は楽しみでたまらないらしくて
「英語に行くからそんなに遊んでられないの。」と言っている。
塾は否定的に言われるが子供の中にしっかりと入っている。

 夕方トヨタにカローラを見に行って試乗した。スカイラインに
18年乗ってますと言うと
「あの角を入ったところのお宅ですね。」と言われた。
カローラはいい車だった。申し分なく素晴しいと思うが、CMやち
またに聞こえてくる評価は廉価のイメージが強すぎて選びにくい。

 その後三越エレガンスにマツダを見に行くとシトロエンしか置
いてない。マツダの業績が悪いはずだ。仏車はパリで借りたルノー
サンクがとんでもなく乗りにくかったり、乗ったタクシーが日産
プリメーラで乗り手から愛されていた経験と日本では価格が高い
ので購入の対象にはならない。高級な飾り方と見慣れない内装や
作りは魅力的に見える。

 高いものは高級に飾り、安いものを親しみ易く見せるというよ
りはドトールコーヒーのように安いものを高級に演出することは
出来ないのだろうか。

 帰りに八百屋で野菜と果物を買って帰った。



5月21日 火 晴れ

 航平の内祝いの品を注文するのに玉川高島屋に行った。航平を祝っ
てくれたお礼がやっと一部出来るところまでこぎつけた。選ぶ途中で
閉店の時間になって全部を選びきれなかった。

 アメリカではベビーシャワーと言って自分の指定した店に希望の品
を登録して送り主がその中から選ぶこともあってそれは合理的だ。日
本の贈答習慣は金額が大きいがそれは祝いが心尽くしと言うよりは商
戦の道具として利用されていることもある。贈答の際のいくつかのし
きたりは商戦上の道具として利用されている。

 贈答習慣は物理的には真の豊かさへの妨げになるが精神的に果たす
充足感は大きくてやはり心に拠り所を求めたいのだろうか。

 精神的充足感がデパートのマインドコントロールでないことを祈る。

5月22日 水 雨後晴れ

 航平の顔の湿疹は良くなっているようでなかなか完治しない。むし
ろ悪いようにも見える。
 鼻がつまるのは随分良くなっている。チャコちゃんが掃除をして僕
の鼻の具合も良くて久しぶりに青葉の香を感じる。僕の鼻はずっと敏
感過ぎるくらいで電車の中などは臭いで気持ちが悪くなる位だった。
しかし慢性の花粉症で今は臭覚がほとんど無くなってしまった。臭覚
は一旦全部が失われると再び再生しない。どんな厭な臭いでも臭いを
感じることは自分にとっては嬉しい。

5月23日 木 晴れ一時雨
 チャコちゃんは歯医者で再び切開手術を行った。リカちゃんは訪問
する予定だったが雨が降ってきたのでキャンセルするという連絡があっ
た。
 航平の首は大分すわってきたように見える。目も見えている様子が
ある。いないいないばあに時々反応するように見える。メリーゴーラ
ンドのオルゴールに合わせて手をクロールのように回し、足を空中に
持ち上げながら走るようにぐるぐると動かす。オルゴールを止めると
手足も止まる。

5月24日 金 晴れ
 航平の首筋にぽつぽつと赤い湿疹が少し見えた。チャコちゃんに
話すと
 「あんまり神経質にならないでよ。アトピーって決めないで。」
と怒った。湿疹の原因が飲んでいる抗生物質に有るのではないかと
いう漠然としたチャコちゃん自身の不安を衝いたのかもしれない。

 これはもう限界だ。近所の石氏皮膚科医院に受診できるか電話で
聞いて、チャコちゃんが航平を連れて行った。

 診断の結果は
「脂臘性湿疹にほぼ間違いない。新生児は代謝が活発なのでおきる
一般的な皮膚炎。抗生物質は原因ではない。アトピーかどうかの診
察は今はできない。生後三ヶ月の時点で再び調べる。よく顔を洗っ
て手袋を付けているのは良い。処方する薬をつける。一週間後にも
う一度来院。」

 病名と原因が分かってチャコちゃんも僕もすっきりとした。薬を
塗ってしばらくすると航平のほっぺたは目に見えてすべすべになっ
た。


5月25日 土 晴れ
 午後家族全員で再び玉川高島屋に行った。これで内祝いの品々を
全部送った。航平は高島屋で二回うんちをした。おっぱいも二回飲
んだ。しかし親の仕事によく付き合った。前回はいい匂いで泣き出
した地下の食品売場も売り子のおばさんから手袋してるねーとあや
されながら泣かなかった。

 しかし高島屋は値段が高い。チャコちゃんがここは高品屋だとい
うのがおかしかった。普段はほとんど買い物もしないのに随分と買っ
た。帰り際に自分達の分も何か買おうと言って中華総菜を求めて帰っ
てきた。

5月26日 日 晴れ
 昨日高島屋で航平の物を何も買えなかったので散歩と見学がてら
に五反田TOCの赤ちゃん本舗に行った。トイザラスが大店法で告
訴していたが店内は改装されて以前にもまして小売店風になってい
た。

 入口に授乳室があって店の中央には子供が遊ぶ大きなスペースが
出来ていた。チャコちゃんに言わせると高島屋のベビールームは端っ
こに追いやられて埃っぽくて余り誉められない。

 赤ちゃん本舗は値段が安いので大きいカートで安心して購入した。
脱脂綿、肌着洗剤、衛生綿、粉ミルク、石鹸、沐浴剤、シャンプー、
洋服、ついでに夏の空気でふくらむプールまで買った。

 自動車は大きな凹み後があるので恥ずかしかったが昨日、今日と
出てみると何となく慣れてもいる。とにかく走ることは便利だ。


5月27日 月 晴れ
 外出してはっきりと気が付いたのだが自分に嗅覚が戻っている。
電車で隣の人の仁丹の匂い、秋葉原の神田川の匂い、居酒屋のカ
レーの匂い、ケーキ屋の甘い匂いが歩く度に分かる。厭な匂いも
いい匂いも昔感じた匂いが戻っている。

 鼻の具合がとても良い。十五年前に初めて花粉症になってから
失った匂いを感じとれる。

 航平の誕生で掃除をしたり、換気をしたり、毎日風呂に入った
りしてなのかあるいは別の原因かで鼻が良くなった。今は漢方薬
を服用していない。薬を服用せずに嗅覚が戻っている。

5月28日 火 晴れ
 航平の湿疹はほとんど直った。先週の金曜日に石氏医院に行っ
たその日の夜にはもうだいぶ良くなっていた。翌日にはやけどの
台のようになっていた部分もほとんど消えた。

 薬がとても効く。新しくポチッと出来ても薬をつけるとすぐに
直る。外見上に湿疹の痕はなくなったが、少し痒いように自分の
顔を胸にこすりつけることと、新しくぽつりぽつりと出来てくる
湿疹がある。


5月29日 水 晴れ
 お義父さんが来る。
「少し見ない間にも随分大きくなった。昔仕事で二ヶ月ごとにお
客さんのお宅に行くとその度に子供が大きくなっていた。」
と言う。

 チャコちゃんにこのところマタニティブルーを感じる日がある。
昨日の夜はほんのささいなことで急に怒り出して
 「そんな嘘みたいなことばっかりホームページに書くのなんか
止めてもっとうちのことを手伝ってよ。」
と激しく興奮して泣き叫んだ。僕は手で自分の頭を抑えて後ろを
向いて寝たが本当にホームページを止めようかと思った。

 きのうはごめんね。 ひさこ


5月30日 木 晴れ
 航平の歯が見えてきた。歯茎の中に薄く透けて前歯が二本見え
る。

 夕方池袋のトヨタアムラックスに行った。チャコちゃんはそこ
で自動車買ってきてねという。そこに沢山展示してあるどの一台
でも気に入れば買って来ようという意気込みで出た。

 池袋は青春時代の思い出の土地だ。高校の頃友人と一緒に初め
てジローにピザを食べに行った。西武やパルコの作りは幼稚園の
頃の丸物デパートと比べてそれほどは変わっていない。西武はヘ
リポートとして利用されていた。

 東口のサンシャインに行く通りは青葉が真っ盛りで、そこを歩
く若者は派手な服装で圧倒されそうだった。

 アムラックスではこれが好きだという車は分からなかった。イ
ンターネットに自由に接続出来る端末が7台設置されていた。自
分のアドレスを忘れてしまったので平尾さんを呼び出し、そこか
らあけんさんを呼んで自分を出した。

 端末をさわってみると動きはかくかくと遅くて声を出そうとす
ると画面の一部が消えたりする。あらためてうちのマックはいい
よなあと思った。


5月31日 金 晴れ
 午後石氏皮膚科医院に一週間目の診察の為にチャコちゃんは航平
を連れて行った。

 先生は「脂臘性湿疹に間違いはなく、もうすっかり治った。アト
ピーである可能性は今のところはない。ただ、皮膚は過敏だ。新た
に背中に出来た湿疹はあせもだ。薬を処方する。」
 という診察だった。これで航平は無罪放免になった。
6月1日 土 晴れ
 航平は顔に湿疹の薬を塗らないで一晩を過ごした。朝になると
再び顔に幾つも湿疹が出来ている。一体いつまで薬を塗り続ける
のだろう。副作用はないだろうか。

 背中にあせもの薬と足には虫さされのような痕と、手にはダニ
に刺されたような三つてんてんてんと続く痕も一晩で出来た。皮
膚科で完治宣言された翌日なのに。しばらく様子を見よう。


6月2日 日 晴れ
 すがすがしい天気が続く。日も長くて夕方は六時でも明るい。
航平は湿疹が残るが鼻の具合はよくて今まで特に大きな心配事
がなくて良かったねとチャコちゃんと話した。

 午後は三人で駒沢公園に出かけた。ベビーカーに乗って行っ
た。外で泣いたが、もうあわてない。ベンチでうんちのおむつ
を替えたり、ほ乳びんでミルクをあげた。横で若い二人が笑い
ながらキスをしてた。

 航平を連れるとすれ違う人の多くが航平を見る。同じように
ベビーカーを押す人は挨拶したり会釈したり微笑んだりする。
航平は私達の気持ちを明るくする。

6月3日 月 晴れ
 先週のことだ。ピジョンの食器セットをあけてスイカの果汁
を入れたら洗っても落ちなくなった。翌日電話をして聞いてみ
ると果汁は落ちないそうだ。それで同じカップを土曜日に送っ
てきた。他に濡れティッシュや販促用パンフレットと切手を張っ
たカップ返送用の封筒もはいっていた。

 昨日駒沢公園でカメラのフィルムを交換したときに途中でフィ
ルムの巻き上げが止まった。今朝リコーに問い合わせると直し
ますと言うので銀座六丁目のリコーに持っていった。保証期間を
過ぎていたが、愛想良く裏ぶたを全交換して代金を取らなかった。

 ほとんど同時に起こった迅速な愛想の良い企業サービスの向上
事例だ。しかし、冷静に思えば、ピジョンの食器は販売店で返金
されてもしかるべきだ。食器セットの表書きに果汁は使えないと
明記されていない。大体果汁の使えないベビー食器というのは不
良品だ。リコーのカメラはこの部分の故障が多かったのだろうか。
私は主張しない消費者だろうか。

6月4日 火 晴れ
 お風呂後夕食前に航平が泣くので近くまでだっこしていった。
直ぐに泣き止んで寝たので戻ってベッドで寝かせた。夕食をチャ
コちゃんと食べているとまた泣き出した。チャコちゃんは食事
を中断して航平をあやした。しばらくして落ち着いたので食事
が終わった僕にバトンタッチして航平を抱いた。

 チャコちゃんも食事を終えたが航平は泣き止まない。僕が抱
いていながらも大声でわんわんわあああんと泣き続けた。恐ら
くげっぷかなと思いながらまた近所の森に行った。外に出たと
たん直ぐに泣き止んで木立ちの中で航平を抱いた。夜8時半だ。
帰宅を急ぐ会社員は視線を寄せる。

 航平は僕を随分外に駆り出してくれる。僕の鼻は木々の匂い
が気持ちいい。夜のこんな心地よさは久しぶりだ。


6月5日 水 晴れ
 夕方チャコちゃんが航平をだっこして三人でマルエツに買
い物に行った。昼はご飯だったから夜は前に食べて美味しかっ
たこのピザもいいねとチャコちゃんは提案して小走りに鳥肉
を肉売場に戻して味の素の電子レンジで作るカリットシート
の冷凍ピザを取った。

 家にはパイナップルも赤いピーマンもタマネギもあるし、
チーズを買ってこのできあいのピザの上に沢山のっけて食べ
る。

 すぐ夕食が出来ると思った途端に時間と気持ちにゆとりが
出来て家にピザを置いて自転車を買いに行くことになった。

 自転車はチャコちゃんの念願で駒沢交差点の八百屋に行く
ためにどうしても欲しい。航平を乗せて深沢児童館に遊びに
行きたいという未来もある。自動車の購入前に決して避けて
は通れない。

 駒沢交差点の八百屋の先の山口サイクルで念願のブリジス
トン自転車を手に入れた。新車は土曜日頃に届く。帰ってか
らピザを食べながら余韻を楽しんだ。


6月6日 木 晴れ
 風呂上がりに航平は何時も何か飲むが、ほ乳びんのミルク
を飲まずに泣いた。あやしてベッドに置こうとするとまた泣
く。やはりミルクは飲まない。

 仕方なく暗がりでだっこを続けると何か遠い昔に自分が経
験したシーンを感じる。遥かかなたで夢かもしれない。自分
が誰かにだっこされている。

 気持ちが良くて、布団に置かれるのが厭でだっこを求める。
求めすぎると嫌われそうでかげんしながらだっこを求める自
分をシーンとして思い出す。
 
 シーンが何かは分からないが既視感を航平に感じる。自分
の命の源泉を暗闇の中に感じた。

6月7日 金 晴れ

 出産時同室だったりかちゃんから電話があってチャコちゃ
んはぶた公園で子連れで会ってから家に連れてきた。子供の
春菜ちゃんは航平と月齢は同じでも体格はずっと大きい。抱
いてみるとふあーとしていて航平のがちっとした感じとは随
分違う。いくら小さくても女の子のふくよかさがある。

 子育てを話すと育て方や接し方もまた違う。航平はもうすっ
かり抱き癖がついてぐずって甘やかし放題の育て様だ。春菜
ちゃんは泣いても直ぐには抱かないしほとんど泣かずにおと
なしい。春菜ちゃんがにこにこしたりすやすやしている間、
航平はだっこをねだったりぎゃーすかぎゃーすか泣き叫んで
いる。

 心の中では家の育て方に間違いないと思うが春菜ちゃんの
ように人の前で愛想を振りまけよと思う自分もある。子供は
それぞれで人と比較したり本と比較してはいけないというが
それは取りも直さず自然に比較してしまうものなんだなと感
じた。

6月8日 土 晴れ
 昼過ぎ春咲きの花が終わったプランターから忘れな草の種
をとってムスカリの球根を取って土をならした。始めは一つ
のつもりだったけれど気分がのって六つをかたずけた。

 土を綺麗に慣らすとチャコちゃんは中島園芸に行きたいと
言う。もう半年以上も行ってない。チャコちゃんはしょっちゅ
う出かけてちょこちょこと小さい花を買っていた。昨日の夕
方新しい自転車がうちに到着したから乗ってもみたい。

 とろとろ赤ちゃんのベビーカーとピカピカ自転車一家が駒
沢公園に入った所で、落語家の立川志の輔とすれ違った。子
供とグローブを持って帰るところだった。チャコちゃんの親
友が彼の弟子と交際している。その話をしようよと戻りかけ
たが、チャコちゃんはまた機会があったらでいいよと言う。
一路中島園芸に向かった。一重のなでしことアメリカンブルー
ともう一つ紫の花を手に入れた。

 自転車は淡いグリーン系のブルーで茶系のサドルと茶系の
ハンドルラバーに籐風の茶の篭でオーソドックスな婦人用だ。
簡単に決めたがスタイル乗り心地とも気に入った。休みの日
の土いじりは気持ちがなごむ。年をとってからと思ってたが
チャコちゃんにつられて楽しませて貰っている。


6月9日 日 曇り
 天気がどんよりとしていてもうすぐ梅雨だ。日が照って
いないので屋上のプランターの手入れをした。

 相当昔のある日曜日にテニスをした。その横に畑があっ
てテニスを楽しんでいる間ずっと横で青年が畑仕事をして
いた。その時農業は大変だと思った記憶がある。

 今日は日曜日。ドライブやレジャーに出かけている人は
たくさんいるだろう。友人達はどんな日を送っているだろ
う。自分は一日プランターの土の中の根っこをとったり油
粕をかき混ぜたりしている。

 しかし、そんな土いじりが実に楽しくて、外にレジャー
に出るのと同じように爽快感と達成感がある。テニスコー
トの横の畑で青年がしていた農作業も楽しかったかもしれ
ないと土をいじりながら思い出した。

6月10日 月 曇り後雨
 航平は絵本に微笑んだ。のんたんの絵本を見せると絵に
反応する。ページをめくると新しい方に目が行く。テレビ
を見せるとやはり反応する。

 今まではまだだと思って試したことはなかった。知らな
い間に本人は成長していた。成長の芽がプランターの草花
のように健やかに伸びて欲しい。



6月11日 火 曇り時々雨
 航平はミトンでくるんだ左手を吸う癖が出来た。気を
付けて見るとちゅぱちゅぱとしばらく吸っている。

 航平はおしゃべりをだいぶするようになった。

 チャコちゃんは歯医者に行く。まだ腫れが引かない。

 梅雨入りしたというニュースがあった。

 かとり線香を焚いている。航平が蚊に刺されるのを見
過ごせなくてチャコちゃんが出してきた。僕はかとり線
香はむせるので嫌いだが航平の為に主張は通らない。航
平のお陰と言っても過言でないくらい健康になってかと
り線香位は気にならなくなっている。

 一人でいた頃は蚊だって生き物だから飛んでいる蚊も
殺さないようにと思ったことがある。今は近くに寄れば
すぐに追いかける。追いかけに追いかけている様子は客
観的に観察すると、ふわふわ浮いた風船を子供が飛び上
がってつついているようなものだ。大人がする様ではな
い。

 かとり線香がついていてもなかなか蚊は落ちない。蚊
の下に持っていきたくもなる。部屋中かとり線香の煙り
でいっぱいになっていても蚊はぶんぶん飛んでいる。友
人が蚊という字は虫へんにぶんだと言うのがよぎる。

 航平は蚊に刺されて何を言う訳でもないが蚊に刺され
た痕を見るのが忍びない。


6月12日 水 晴れ
 チャコちゃんはちょっと離れた神田屋に自転車で行っ
て赤身の刺身とホタテ貝を買ってきた。

 神田屋の魚はスーパーにはない新鮮さと美味しさでか
つ安い。ただ難点は少し遠い。歩いて行くには億劫で自
動車で通りがかりに買う事が多い。買いに行くのにエン
ジンをかける気持ちにはならないから神田屋の魚は偶然
的に食する品目だった。

 今は違う。チャコちゃんは自転車を手に入れてその評
価が刺身に現れた。チャコちゃんの力と判断で神田屋の
旨い魚にありつけた。



6月13日 木 晴れ
 チャコちゃんは歯医者に行った。腫れはだいぶ良く
なったが長くかかることを覚悟して下さいと言われた。
もともと抜かなければならないと思ったのだから何で
もはい、はいと答えてくるようだが先生を信頼してい
るようだ。

 今歯周病月間だから自分も歯医者に行って看て貰う
べきなのだろうが、看て貰えば必ず治療の必要な所が
出るだろう。布団をかぶって歯周病から逃れたい。


6月14日 金 雨
 チャコちゃんが外に飛ぶあの鳥の飛び方がおかし
いよと言う。見ると斜め上方に飛び出したかと思う
と水泳選手の飛び込みのように羽をすぼめて下って
くる。上がっては下り上がっては下る。こんな飛び
方は余り見ない。

 しかしよく気がついたね、と言うと、どうやら明
け方航平におっぱいをやるときぼんやりと窓の外を
眺めていて分かったらしい。

 チャコちゃんは回りに飛ぶ鳥を時々掌握している。
カラスはいたずらで今朝のベランダのバラをくいち
ぎった当の犯人として疑われている。

 カラスの花に対する被害は甚大で屋上の手すりに
両面テープを張ってみたが今の所効果は何もない。
遠くを見ると屋上にかかしのようなものを立ててい
るのが見えるので被害はうちだけではないようだ。

 よく銀座や新宿などの都会にカラスが集まると言
われてそんなカラスの好きな都心に住んでみたいも
んだと思ったこともあったが、いたずらさえしなけ
ればそれほど憎らしくもない。


6月15日 土 晴れ
 午後から駒沢公園に家族三人で行った。ぶた公園の奥
のベンチにチャコちゃんと並んで腰を架けてベビーカー
をこちらに向けて航平と公園で遊ぶ子供達を眺めた。

 航平にはそこでりんご果汁をあげた。チャコちゃんと
航平を写真にとった。青葉の茂みは奥深くて真っ青の中
に二人を撮った。

 横で家族がブランコで遊ぶ。がっちりとしたお父さん
が子供の乗るブランコを力一杯押すが子供は限界を楽し
んでいる。ぶた公園では各国の家族が楽しんでいる。ど
の家族も平和で穏やかで心から生々と休日を過ごしてい
るように見えた。青葉と静けさ子供のはしゃぎ声、この
安心感はこれから先も永遠に続いて欲しい。


6月16日 日 晴れ
 昼過ぎに康子ちゃんが訪問した。康子ちゃんは自分で
作った籐のかごを持ってきた。そういえばその籐を取り
に箱根にチャコちゃんと美枝ちゃんも一緒に四人で箱根
にいったことがある。

 その時取った籐は今窓から見えるベランダにバラがか
らまるかごになっている。籐を介して去年はクリスマス
リースの展示会に康子ちゃんを訪ねた。

 康子ちゃんも一緒に昨日と同じコースで駒沢公園を回っ
た。ぶた公園を通り越して森の中のテーブルの前に腰掛
けてジュースを飲みながら康子ちゃんの未来の家族を話
した。

 きっといい人が見つかるよと言いながらも康子ちゃん
は信じられないと悲観的だった。航平は青葉の中で終始
ご機嫌だった。


6月17日 月 晴れ
 チャコちゃんはのどが少し痛いのではぜ山耳鼻科医院
に行った。はぜ山先生は最も信頼する耳鼻科の医者だ。
ほとんど言葉を発しないのだが治療は確実で何より満足
感が得られる。自分がこうして欲しいと思う治療をして
くれる。先生は人の話を決して聞き逃さないで要求を確
実に受け取ってくれる。裏通りの小さい建物だけれどは
ぜ山先生に感謝している人は多いはずだ。

 チャコちゃんは風邪の診断でのどをルゴールで消毒し
て薬を貰ってきた。母乳はいままで通りにあげて良い。
様子は元気だけれど少しゆっくりとして体調を整える必
要がある。



6月18日 火 雨と強い風

 嵐のように強い風が吹いた。ベランダに置いたベンジャ
ミンの木が倒れて鉢が割れた。土を集めておかないと排
水溝が詰まってしまうので、欠けた鉢と土を雨の中かた
ずけた。チャコちゃんは鉢のかけらは底に敷くので取っ
ておいてと言うけれどいっしょくたに袋の中に捨てざる
を得なかった。

 逆の立場なら何で取っておかないのと僕は文句を言う
がチャコちゃんはこんなときにも文句は言わない。いっ
たいその不満は何処で解消されるのかなと今までは不思
議だった。最近思うのはあんまり不満にも思ってないの
かなとも思う。

 チャコちゃんの回答

 取っておきたいと思ったのは事実だけれど取っておか
なくてもいいと思ったのも事実で、つまりどっちでも良
くなった。


6月19日 水 曇り後晴れ

 チャコちゃんの風邪ははぜ山先生の薬の効果もあって
快方に向かってすっかり元気を取り戻した。

 昨日から湿気が多くてエアコンで除湿をしている。一
人でいた頃は除湿をしたことはなかった。理由は除湿の
快適を知らなかったことと除湿時の電気消費量が多いだ
ろうという漠然とした知識で何となく我慢していた。

 除湿はしてみて分かったが実に快適だ。冷え冷えとす
ることもなく初夏の爽やかな清々しさを部屋中に広げて
くれる。電気代がどれ程かかるかは分からないがかかっ
たときにまた対処すればいい。


6月20日 木 曇り時々晴れ

 マルエツの前から田園調布駅行きのバスで自由が丘ま
で乗って床屋に行った。その後東横線で秋葉原に向かっ
た。自由が丘から秋葉原は一本だけど遠いなあと思って
銀座線に乗り換えた。何時もの神田で降りた。

 もしやと思って改札口で値段を聞くと買った切符より
安い。清算払い戻しは出来ますかと聞くと黙って40円を
手渡して
「今度は調べて買って下さいね。」と冷たく言われた。
乗り越しでお金を払うのは知っていたが貰うのは初めて
だった。

 ネットスケープナビゲーターを買って(3090円)末広町
から電話した帰り道駒沢大学駅に着くとチャコちゃんが
航平を抱いて改札口で立っていた。ぐずるから迎えに来
たと言うけど駅は風がびゅんびゅん吹いて寒い。

 突然で嬉しかったが、
「忠犬はち公みたいだね。」と第一声を発したらチャコ
ちゃんはぷんぷんになってしまった。直ぐに気を取り直
して航平の抱っこをバトンタッチして戻った。


6月21日 金 晴れ
 朝ごみを出すとうちの車のトランクが開きっぱなし
だった。二日前にトヨタの人が来てトランクを開けた
あとからずっと開きっぱなしだったようだ。事故の後
トランクの開閉具合が悪くて走行中に空いてしまった
こともあった。

 11時頃妹が来た。
「インターネットを見られるのだからホームページを
作れば。」と誘ってみるが作る気持ちは今の所ないら
しい。
 「この間は夫に一日三回電子メールを送った。」
と最近はパソコンも少しは楽しいようだ。

 夕方航平とチャコちゃんの三人で明日のお食い初め
の為に鯛を二尾買いに行った。帰り道自動車修理工場
で修理をしている年配の男性に
「うちの車のへこみ傷をもし直すといくら位かかりま
すか。」と聞くと
「3万円位はかかるよ。」と言うので
「急いで今持ってきます。」と言って家に戻った。

 チャコちゃんと航平とバギーを車に載せて、ダイエー
に行く為にとっておいたアルミ缶を積んで、エンジン
をかけたら掛からなかった。

 トランクが空いていたのでバッテリーが上がってい
た。修理工場に電話して
「バッテリーが上がったから行けなくなりました。」
と言うと、電話に出た年配の女性は全部を聞き取らな
いで
「修理は今日はダメですから明日にして下さいと。」
と言うばかりで伝言の依頼をするのに随分とかかった。


6月22日 土 曇り時々雨
 朝食後自動車修理工場に車を持っていった。工場は国
道246号線沿いで高速道路橋脚補強工事とビル建設工事
現場に位置して車線が三車線から一車線になっていると
ころにある。

 うちから300メートルほどだが随分と渋滞していて工
場の横に車を付けると工事関係者が直ぐに近寄ってきた。
工場からも直ぐに昨日の修理工が出てきた。

 車を見るなり
「ああ、これはひどいよ。これは相当かかるよ。」
と言ってあっちからも、こっちからもトランクも開けて
見て、
「これは専門の業者に持って行って直さなけりゃならな
いから昨日は三万って言ったけれど、五万円以上かかる
よ。まあ、六万は見て貰わないと。」と言われて即座に
「月曜日に持って来ますので宜しくお願いします。」
と答えた。

 戻ってチャコちゃんに
「バイクの相手方からお金受け取ってないって嘘ついちゃっ
た。」と言うと
「スカイラインをスクラップから助けたんだから神様も
きっと許してくれるわよ。」と言った。

 そして航平のお食い初めの準備をした。11時頃から
二尾の鯛に鉄串をさしてをグリルにいれて焼き始めた。
グリルの前で汗をかきながら焼き具合を見ていると横
にお義父さんが立っていた。チャイムが鳴ってチャコ
ちゃんと航平が招き入れたのに気がつかなくて驚いた。

 お食い初めの儀式としてビデオを撮りながらお義父
さんに食べさせて貰った。メニューは他に白かぶの煮物、
しいたけとにんじんの煮しめ、お赤飯、びわをしぼった
ジュースだ。どれも食べると言っても口に付けるだけだ。

 実際は口にちょこっと付けて、そのあと大人がみんな
で食べているのを航平が見ている。ご機嫌でにこにこと
笑い通しだった。人前では笑って貰うと一層ほっとする。


6月23日 日 曇り時々晴れ

 午後駒沢公園に行こうという時になって航平はすっか
り寝入って、出るきっかけを失った。四時頃航平は目覚
めて、アルミ缶を出す為に碑文谷のダイエーに行くこと
にした。緊急の用事ではない。外出が目的だ。

 たまったセービングコーラのアルミ缶を車に積んで事
故以来三ヶ月ぶりにダイエーに行った。チャコちゃんは
四ヶ月ぶりになる。ダイエーのそばの豪邸は立派な建物
であったのにすっかり無くなってマンション建設用の
更地になっていた。

 アルミ缶回収箱に入っているのはほとんどがビール缶
でコーラの缶は少なかった。しばらくぶりにダイエーに
入ると妙にすがすがしい気持ちになった。ここの商品な
ら安いので何でも気に入れば自由に買える。コンピュー
ター売場は一新されて幅広くなって、その横では昨日新
発売のファミコンが子供達をたくさん集めていた。

 日曜日は実に混雑していてバギーに乗った航平には危
険がいっぱいあった。それ程気にならず、自由に航平を
連れて行ける自分に変化していた。

 戻り明日車を持っていくのにトランクの中を整理した。
日産中古車センターの営業マンから電話があって、あり
のままを話したがもう八時を回っていた。

 ひいおばあちゃんから電話で水天宮にお礼参りに行く
ように言われた。


6月24日 月 曇り後雨

 「八時から開いて待ってるからすっぽかさないで必ず
車を持って来て下さい。」
と言われて八時前に車を出そうとするとタイヤの後ろに
いもりのひからびたのが落ちていて蟻がいっぱいいる。

 木切れですくい上げて花壇の中に落として残った蟻の
何匹かも花壇の中に連れてやった。

 修理工場に車を着けるとおとといの修理工が表に立っ
ていて、
「悪いけど修理する車が急に何台も入ったから二三日し
て持ってきてくれる。」と窓越しに言われた。
「水曜日に頼みます。」と言って帰ってきた。

 夕方いもりを見に花壇に寄ると沢山の蟻が花の合間に
いる。チャコちゃんが水やりのとき驚くので土の中に埋
めて蟻の道の穴を開けた。花壇の中に蟻がいると花の育
ちがとても良いような気がする。


6月25日 火 曇り

 チャコちゃんは体に湿疹が度々出るので心配になって
先週皮膚科に診察に行った。内蔵疾患からの疑いも有る
ので採血した結果を今日聞いた。

 内蔵疾患の異常の所見は無く、疲れからくるじんまし
んだろうということだった。今まではおっぱいが張るの
でしぼって捨てていたがそれも母乳の出し過ぎで疲れる
原因になりそうなので止めるようにしてみる。

 抗ヒスタミン剤を処方されて飲んだ。抗ヒスタミン剤
は僕にとっては喘息でなじみの薬だ。副作用が比較的少
ないといって睡眠薬として飲んでいた薬剤師の友人がい
た。子供は産むのも育てるのも大仕事だ。


6月26日 水 曇り

 自動車修理工場に修理の依頼を電話すると板金工場に
連絡するのでしばらく待って欲しい旨の返事があった。

 チャコちゃんは皮膚科に診察に出かけた。じんましん
は薬を飲んでからすっかりと治った。ただ眠くなるよう
で体がだるいらしい。引き続き一日三回分の抗ヒスタミ
ン剤を二日分貰ってきた。

 航平の体重はだっこバトンタッチ法で計測すると7キ
ログラムだった。航平は顔の湿疹はすっかりなくなり、
鼻の具合も良くて、すべてに順調で健康だ。生後100日。
身長はシーツ模様計測法によると65センチだった。だ
いたい普通のところ。顔はふっくらとして今は誰が見て
もかわいいと言うよりは内々でかわいいという感じだ。

 保健所から3-4カ月検診の案内が届いている。二日間
にわたってツベルクリン検査の他、BCGの接種、母親の
レントゲン撮影、歯科、栄養、保育の指導などがある。
費用無料。7月3日と5日。

 航平と毎日お風呂に入って水道使用量が前回と比べて
増えたので検針員が理由を聞きに来た。


6月27日 木 曇り

 チャコちゃんの前の仕事は児童館の先生だった。その
時の同僚3人とその内の一人が5歳の子供K君を連れて
航平を見に訪れた。

 皆子供には慣れている。K君との間のやり取りを聞い
ていてさすがだなと思ったのは子供だからといって決し
てあいまいな返答をしない。いくら5歳といってもK君
はとても反応がいい。その反応にきっちりと応じて話を
進めるとだんだん自分も子供だと意識しなくなってくる。

 K君も一緒にいて飽きない。だから大人もK君も楽し
い。K君は大人の話を吸収して成長してゆくようで心地
いい。子供はうるさいからあっちにいっててなんてなら
なくてよかった。

 美恵ちゃん結婚するっておめでとう。


6月28日 金 曇り
 デパートからの贈答品が不良品だった。電話すると新し
いものと取り替えるという返事だった。

 これは贈答品だったので話は異なるがニューヨークに半
年間いた時、買ったポットの水が漏った。店に持っていく
と確かにこの品物は不良品だ。と主人は言ってお金を返し
た。買った体重計が三ヶ月程でくるうようになった。持っ
ていくと確かにくるっていると言って返金した。

 使い捨てコンタクトレンズ3カ月分を買った。三週間し
ていたがなかなか慣れない。その間、店の眼科医の診察を
三回受けたが結局過敏症の体質で痛いのは続くと分かった。
店の主人は残念だけれど貴方の目にコンタクトレンズはあ
わないと言って眼科医に支払った内の一部の3000円程を
のぞいて今までに使用した分も含めて全額返金した。シー
ツを買った。ほつれがあった。持っていったら返金した。

 不良品の時に返金か交換かを選択できる事は当前とアメ
リカは教えてくれた。そのたびに気持ちは晴れて嬉しかっ
た。店に対する信頼は増した。何故私たちは返金という選
択肢を選ぶことがほとんど出来ないのだろう。


6月29日 土 晴れ
 晴れた少し暑い土曜の夕方だ。遅い昼食を3時頃食べて
スイカも食べてなんとなく胃が重くて疲れて、買い物の後
航平とベッドで横になっていた。

 朝日新聞の中で落合恵子がくどうなおこ詩集を紹介して
いる書評を、チャコちゃんが読んでいて教えてくれた。

 落ち込んだ夜はかめの歩き方についての詩、
「かめのぼうや」をゆっくりと読む。

・・・・まず(歩こうかな?)と思う
    つぎに(よし歩こう!)と決心する
    この決心というのがだいじなんだ・・・・。

 チャコちゃんはくどうなおこのファンで幾つかの名言を
引用することがある。この言葉が疲れた気持ちにすうっと
はいった。家族一緒で良かったと思う一瞬だった。


6月30日 日 晴れ

 水天宮に行った。今日は犬の日だそうでお参りに来る
人が多い。地下鉄で一直線で途中からはほとんど人の乗っ
ていない電車の中で航平もおとなしくしていた。営団地
下鉄水天宮駅はそのまま箱崎のシティエアターミナルに
続いている。白色灯のダウンライトが幾つか配置されて
少しだけの異国情緒を感じながら上に上がるとそこが水
天宮だった。建礼門院徳子の菩提寺で安産祈願に行く人
が多い。

 チャコちゃんが妊娠中の頃ひいおばあちゃんに必ず行
くようにと諭されて出かけた。今度は必ずお礼参りに行
くようにと言われて出かけてきた。自分にはそれほどの
信仰心を建礼門院に持っている訳でもないがそれでひい
おばあちゃんが幸せな気持ちになるのなら自分も嬉しい
と思いつつやってきた。

 お参りして後ろの社務所を見ると赤ちゃん休息所があっ
て覗いていると係りの人が招き入れた。中はエアコンディ
ショニングしてあって椅子が20個とベッドが二つあった。
先客が二組あったがしばらくすると自分達だけのスペース
になり外の多数の参拝客の中でこんな静かな空間を存外に
得てほっとできた。航平はおしめを替えてミルクを飲みご
機嫌になった。

 その後地下鉄に戻り三越前駅で降りて三越デパートに入っ
た。中元シーズン開幕とボーナス支給時期と高島屋の不祥
事の反動もあるのかどうか目の回るような混雑だった。

 たいやきをたべてミルク入り冷抹茶を飲んだ。冷抹茶の
立ち飲みスタンドは今まで見たことが無かったが年配客が
行列して購入していた。なかなかすっきりとするあじわい
だった。次はミルクなしを飲んでみよう。

 チャコちゃんは食べたことがないと言うのでピータンを
二つと、他に春巻き、てんぷらを買った。銀座線に乗り換
えるつもりでいた切符が半蔵門線の自動改札口を通れたの
でそのまま一直線に帰宅した。

7月1日 月 晴れ

 金川君がタイから無事に帰ってきた。3年7カ月の滞在
だったそうだが動乱のさなかに渡り淡々と適応して仕事
をこなしてくる間にはきっと苦労もあったことと思う。
お帰りなさい。元気で何よりでした。

 妹宅ではおとといの土曜日に富士通のパソコンを買っ
たらしい。さっそくインターネットに接続してメールを
送ってきた。CEとか言っていたが表を見ると一番安い。
cheap economyの略だろうか。

 しかし私がマックは良いよと言ってもウィンに傾注し
ていく。親が反対すればするほど恋人の元に走っていく
娘が恋するように夫にとっては魅力的らしい。会社と同
じものにしたいのかなとも察する。

 お兄さんも95を知らずにos論を語るなと言われるとや
はりそのウィンなんとかを買いたい気持ちにもなる。


7月2日 火 晴れ 暑い 

 コンパクトカメラで撮った写真の現像が出来上がった。
近所の八百屋のおじさんの所にチャコちゃんが航平をだっ
こして取りに行った。

 出来上がりを見ると、毎回ほとんど同じような航平の
顔ばかりを撮っている。しかしそのわずかな違いに、笑っ
たり今度もここで撮るのがいいと言ったりしながら楽し
ませてくれる。

 やはり笑顔をとらえた写真はしばらくながめていても
再び手に取りたくなる。友達が写ったものは実物よりよ
く撮れている時はいいのだが少し失敗だなと思うときに
は本人に見せた方がいいのかどうか悩んでしまう。

 今よく撮れてはいないと思った写真も何年かしてから
見つけた時にいい写真だなと思うときもあって全部をとっ
ておいてある。どこの家庭でもきっと沢山の写真がある
のだろう。


7月2日 火 晴れ 暑い  この文章は1997年7月17日まで掲載を控
えさせて戴きました

日記リンクスでばうわうさんが削除されたことについての感想

津田さんへの手紙

 このところ暑い日が続きますね。何時も津田さんの日記リンクスを
楽しく利用させていただいています。有り難うございます。

 先ほど津田さんの今回のホームページ上の困った出来事についての
見解を拝見しました。何時もたんたんと私たちの為に日記リンクス
をお作りになっているかたわらでお悩みだったようですね。

 今回の件で津田さんが早く心の憔悴を回復されますようにお祈りし
ます。

 そこで様子をそばで拝見してきた私の感想を述べさせて下さい。

 ばうわうさんのホームページはランキングの一位に何時も名前が
ありましたのでよく拝見していました。そのウィットはセンスが
良く、深く考えられていて奥行があり、情緒があるなと感服して
いました。

 ずっと拝見していてあびこさんに心の傷を与えてしまったことが
今回の不幸な出来事でした。

 あびこさんは、ふっとばうわうさんのホームページを拝見されて、
その瞬間に大きな傷をおってしまったことと思います。これは実
にあびこさんの気持ちを拝察するに付け、もしも自分があびこさんの
立場だったらやはり同じ気持ちになったことと思います。

 しかしかたわらで拝見する私たちにとってばうわうさんの表現は
前後を良く読むと愛情が深くて、あびこさんへの尊敬と畏敬の念が
込められていることに私は感銘していました。

 ですから時がたち少しゆっくりと眺めてみたときにきっと、
あびこさんも
「おっこいつなかなかおもしろいやつだな。」と思い返す時が来
るだろうかと拝察していました。そう思わせる力をばうわうさんは
持っていると私は感じていました。

 しかしさらに不幸だったのはあびこさんが不快感を表明する文章
があまりに上手で私達に相当のインパクトを与えたことでした。

 それに対して津田さんが敬愛なさる方をお守りしたいとなさった
処置も愛情の深いものでした。

 パスワードの盗用や不正な投票はばうわうさん自身が何度も公表
していることから私には素晴らしいランキングプログラムの作成
を完成するための援助に見えていました。

 津田さんのこのランキングプログラムは私にとってはネットスケー
プナビゲーション社と同じくらいに、世界に誇れる日本のソフト
ウェアとして育つ可能性を感じていましたし今も感じています。


 私たちはよく戦争などの不幸な出来事に遭遇するのですがそれ
は正義と正義がぶつかりあったり愛情と愛情がぶつかりあって引
き起こされるように感じています。今回の出来事も悲しい誤解が
起きるさまを目の前で直視してしまったようでした。

 皆さんに表現は違ってもそれぞれに愛情があって、形が違うが
故にその愛情を誤解してしまった悲しい出来事でした。

 津田さんお願いですからばうわうさんを今までどおり私たちの近く
において下さい。

 そしてさらにランキングプログラムを良いものに発展させる実
験場としてアクセスランキングを復活させて下さい。

 
 偏差値教育や不可解な過当競争は望みませんが、技術の進歩に
平和はかかすことが出来ないと感じています。

 津田さんに尊敬の念を込めて



7月3日 水 晴れ  この文章は1997年7月17日まで掲載を控
えさせて戴きました

続 日記リンクスで深瀬さんが削除されたことと日記ランキングが
なくなつてしまったことについての感想

 
 苦しくて苦しくてたまらない。あびこさんが言っていたのと
同じだ。明け方から目が醒めてしまうし心臓がどぎどきして苦
しい。ネットの生活も10年以上にもなるがこんなに苦しい気持
ちになったのは初めてだ。

 そもそも深瀬(ばうわう)さんを見たのは今年の二月くらいか
らだろうか。昨年から日記リンクス自体は立ち寄った事はあっ
たがアクセスが重かったことと他人の日記を読んでもほとんど
興味がわかなかったのでそれっきりになっていた。

 それからしばらくしてネット上で知り合う人のページの中に
日記リンクスの押しボタンをよく見るようになった。最初は、
なんだ日記にランキングをつけるなんて偏差値教育の延長線で
なんでも順番をつけ序列を付けて、全くくだらないことだと
思ってやはりそれっきりになっていた。

 そして自分でホームページを持ち子供を授かって喜びの中で
自分のことを喜々として語り始める頃に再び立ち寄ってみた。
そこには深瀬さんがトップにいたのでどんなページか見てみた。
その時最初の印象は全く下らないと思った。まるで週刊誌の
三行コラムのようだと思った。

 やはりしばらく日記リンクスに立ち寄らなかった。また一層
日記リンクスの投票ボタンが増えていくように思った。久しぶ
りに日記リンクスを見るとそこにはやはり深瀬さんがトップに
いた。

 下らないとやはり思ったがしかし時には、うっと思わず笑って
しまうときもあった。それから時々深瀬さんのページだけにブッ
クマークを張って見ていた。時には見ない日もあり見る日もあっ
た。しばらく見るうちに最初はこの人ビートたけしみたいで
厭な人だと思ったのが知らず知らずのうちに見ないではいられ
ない存在になってきていた。

 そしてあらためて日記リンクスを見た。のほほんさんや他、実
に楽しく自由に意見を交わしていてこの集いはすばらしい集い
だなと感動した。

 その頃は夕食時になると妻のチャコちゃんに今日の深瀬さんの
話しをよく話した。チャコちゃんは最初
「何その人って嫌いだわ。」と言っていた。ある時にチャコちゃ
んに画面上の深瀬さんのページを見せた。たどたどしく読んでい
く内にチャコちゃんは
「ああこの人はいい人ね。ああ面白いわ。」と言った。

 それからある時義弟に電子メールで深瀬さんが面白いから是非
とも見てくれと送った。義弟は見たが学生の落書きと同じで全く
つまらないものだ。という返事だった。ああそうだろうなとその
時は思った。なぜなら自分もそうだったから。

 その頃は日記リンクスは実に楽しい雰囲気だった。そんな中に
是非とも入ってみたいと思った。自分の気持ちがこんなにも変化
したことが信じられない程だった。深瀬さんのお陰だと思った。

 そんな時あの悲しい事件が起こった。あびこさんの文章だった。
あれは実にインパクトがあったが正直な気持ち全くの勘違いだから
インテリジェントなあびこさんは深瀬さんのウィットを許容する力
はあるに違いない。と思った。

 大体においてあびこさんがそんなにも素晴らしい業績と多くの
熱心なファンに支えられている人であって魅力的な人物、能力の
ある人物であるのだと教えてくれたのは深瀬さんだったから私は
深瀬さんから毎日のようにあびこさんの素晴らしさを聞かされて
来たと思っていたから、必ず攻撃を受けているなんてことが勘違
いだということを気がつくに違いないと思っていた。

 しかし、その前にその強烈な文章、さすがに深瀬さんが望んで
いた素晴らしい文章が勘違いのまま出てきた。私はそこで何度も
深瀬さんの言うあびこさんの力というのを初めて見た。この先は
一体どうなるのだろうと思った。二人はインテリジェントだから
きっと素晴らしい文章の知的なやりとりがあるのだろうと思った。

 すると突然日記ランキングが無くなった。理由が解らなかった。
あきたからやめます。と書いてあった。えっと思いチャコちゃん
に話すと
「ええー、だからコンピューターやってる人の考え方った厭なの
よ。切るときには、すぱーって切っちゃうんだから。」
と言っていたけれどその時には実に事情が解らなかった。深瀬さ
んのページを見ると大体は推察出来たけれどもやはり津田さんの
言葉を知りたかった。

 津田さんのホームページを見て予想されていた内容があった。
津田さんは深瀬さんにやはり傷をおっていたのだった。しかし、
深瀬さんの文章を読んで私はどんどんと津田さんのプログラミン
グの素晴らしさと今までの進歩の後を知り解ってきたから津田
さんが深瀬さんからショックを受けるなんて考えられなかった。

 あびこさんは人のうちのおもちゃで遊んで、帰ってと言われ
ても深瀬さんは帰らなかったと言うけれども私から見る様子は
全然違った。

 広場でみんなで遊ぼうよと声をかけたら600人も集まった。
集まっているところが楽しそうだなと思って準備をしてバッジ
も作って入ったらみんなの楽しむ遊びは中止だよ。だって深瀬
さんが厭なんだもん。なんで厭か聞いてみると知り合おうとも
しないで嫌がっているように見える。でもこれは僕がいないと
出来ない遊びだから絶対僕に従って。

 たしかなのは絶対僕がいないと出来ない遊びというところ。
しかし思うとこんな目に会って黙って去ったことなんて、今ま
であっただろうか。

 何度も何度も思い返すうちに心臓までどぎどきとしてくるの
だけれどもどう考えてもこんなに不愉快な事、信じたものを失っ
たと言う出来事は自分の人生の中でも考えられないし、整理が
出来ない。

 確かにあびこさんが言うようにネット上には実に不愉快な出
来事があった。でもそのたび何かの規則やルールで自分の中で
解消できた。

 しかし深瀬さんはやはりあくまで罪を犯してはいないと思う。
罪を犯すも犯さぬも気に入らないものは去れと言うけれども自分
の心の中に残った裏切られた気持ちを解消する手段は逃げること
しかないのだろうか。

 あの人の話す言葉が不愉快だから気に入らない。なんて言う勘
違いで起きた悲劇だろう。その悲劇を間のあたりにして実にショッ
クだった。


 ほとんどあびこさんと主張は同じだ。ただ私は深瀬さんは正し
かったと思う。

 深瀬さんは正しかったという信頼感は揺らいでいないことを書
きたかった。




7月3日 水 晴れ 暑い

 航平の三四カ月検診の日だった。航平は二日前からう
んちが出ないので検診に行っている最中にうんちが出て
しまったら困るなと思って綿棒でお尻の穴を刺激してみ
た。

 朝方の時はそれでも出なかったがさあ行くぞという直
前にチャコちゃんが
「穴の中に綿棒を入れるのよ。」と言うので
気を付けて入れると少しのうんちの後流れるように沢山
のうんちが出てきた。こんなうんちはくさくも汚くもな
くて二人でやったあと大喜びした。

 検診の結果は良好で首はもうちょっとで座るらしい。


7月4日 木 晴れ

 先週の土曜日自動車修理工場から電話があって
「それじゃ車持ってきてくれる。今直ぐだよ。いいか
い。」
と言われて持っていった車が、
「出来上がったから今直ぐ取りに来てくれる。」と言わ
れて取りに行った。

 代金は最初は三万円と言われ、見積もりで五万円になっ
て今日出来上がったときは、随分大変だったからと七万円
になった。支払うときに
「それで消費税で72100円でいいや。」と言われて支払っ
た。

 何時もだったらそんなやり方気にくわないと思うのだが
何処に行ったって三十万円くれなきゃ出来ないよって言わ
れ続けてるのだからもうオンの字なのだ。修理工のおじさ
んにはついに嘘をつきとおしてしまったので心苦しいのだ
が、事故の相手方の保険会社から補償金だって貰ってる。

 失われると思った車が戻るのが嬉しくて嬉しくてたまら
ないのだが、あんまり人に言えばずうずうしいと思われる
ばかりだし、もし万が一にも同じような事が将来あれば私
を悪人だと言う人が出たっておかしくない。

 だから神妙にするのだけれども工場では
「この車はいい車だよ。それに随分丁寧に使ってるからま
だまだ乗れるね。この車種はたくさん出たからいまだって
中古の部品がいくらでもあるからドアの取り替えなんかで
も安く修理出来るんだよ。エンジンは快調だし丁寧に乗っ
てる。」と至る所から誉められてなんだかとても嬉しくなっ
た。

 車の修理はたたき出すという方法だが、最近は板金工が
少ないので切り落として新しい部品を付け替えるやり方に
なっているらしい。修理工が言うにはこの車は古いからそ
んなにお金をかけても仕方がないから板金やに無理言って
たたき出してもらったんだよ。というのが三十万円と七万
円の差になったらしい。しかし仕上がりは極上だ。

 チャコちゃんと航平の子連れで立ち寄ったからお金がな
さそうで可哀想に思ってくれたのかもしれない。18年物の
スカイラインの傷跡はすっかりと美しく綺麗になってスク
ラップ行きから救われてまた戻ってきた。


7月5日 金 曇り後雨強い風

 保健所に検診に行った。車で送り帰りに迎えに行っ
た。検診中にチャコちゃんは母親学級で一緒だった友
人と久しぶりに出会って無事に生まれてきた子供をお
互いに確認してあらためて今再会出来たことを喜んで
いた。迎えに行った時に一緒に彼女を乗せて帰ってき
た。

 航平のツベルクリン反応は陰性でBCGを接種してチャ
コちゃんはX線撮影をした。結果は異常が無いときには
何も来ないらしい。

 午後から一時嵐のようなどしゃぶりになって千葉の
方では竜巻が発生したらしい。七時から伊達とグラフ
のテニスの試合をテレビで見たが伊達が負けて残念だっ
た。チャコちゃんは
「そんな事で残念がってないでもっとうちの中の事に
目を向けて頂戴。」と航平を寝かしつけながら言った。

7月6日 土 晴れ

 家族三人で玉川高島屋に行く。高島屋は不祥事があっ
たので贈答には不向きに思うが近所には他に便利で適当
な百貨店が無く、仕方なく出向いた。

 バギーを入れたり出したり、遠い駐車場から歩いてやっ
との思いで到着して用事を済まそうとするとチャコちゃ
んが同封するカードを忘れていた。昨日遅くまでかかっ
てユニセフのカードにシールを張りながら苦心して作っ
たものをうちに置いてきた。

 それでは次の予定の赤ちゃん本舗に出かけようという
と今度は僕が会員証を忘れてる。仕方なく今川焼きを二
つ買って二人で食べながら家に戻ってきた。

 帰って航平におっぱいをやりながら、
「高島屋の用事を済ませれば気持ちがいいよ。」と言っ
て、皆でもう一度出かけて帰ってきたら七時を過ぎてい
た。やることをしてせいせいとした。


7月7日 日 晴れ後雨

 アカチャンホンポに家族揃って航平の買い物に出かけ
た。五反田TOCは徳の市とかで周辺一体が大変な混雑だっ
た。中に入るとテナントのほとんどの店舗でバーゲンセー
ルをしていた。元が問屋で安い上のバーゲンだから相当
に魅力的なのかここに通って以来最も人が多い日に当たっ
た。

 その後クレヨンハウスに出かけた。チャコちゃんにとっ
て必ず定期的に訪れなければならない店だが妊娠中から
入院していたのでほぼ半年来ていない。表参道に着くと
久しぶりの良い空気を吸っているようだった。

 書評で読んだくどうなおこの詩集と、とらや帽子店の子
供の歌のCDを手に入れた。入り口の笹に七夕の願いを書
いて下げてきた。

 ところでうちでは笹がないのでベンジャミンの葉に折り
紙で願い事を書いた。面白半分に余り考えもせずにチャコ
ちゃんが書いたものだ。

 航平にたくさん友達が出来ますように
 航平が元気に育ちますように
 自動車が直ってドライブに行けますように
 来年はスカイラインの新車が買えますように
 ウインドウズ95が買えますように
 家族が揃って元気で過ごせますように


7月8日 月 曇り後雨

 台風が近ずいていて夕方から雨が強くなっている。

 この所ストレスがあって胃がちぢむような思いをする。
前は市販の胃薬を買ったこともあったが今は漢方医で処
方された漢方薬をそんな時には飲んでいる。その薬を処
方して貰うために渋谷に行った。いつも通りに処方を貰っ
たがそもそもストレスをなくす努力をするように薦めら
れた。

 薬を貰ってコンピューターショップを少し眺めた。何
年も前から渋谷に来たときに荷物と時間にゆとりがある
ときは必ず購入する食パンを買った。
 
 新玉川線入り口の東急地下名店街の中のペルティエ
というパン屋のパリジャンという食パンだ。フランスパ
ンと同じ材料と製法で作られた食パンでさくっとした触
感がフランスパンと同じで美味しい。相当に昔からあっ
てここでしか売っていなかった。美味しいが昔から今で
もあまり売れている風ではない。

 ところが最近フォーションでフランスパン風の食パン
を行列して買っている光景を見た。それからスーパーで
も同じようなパンを神戸屋のものだが売っていた。私の
知る限り細々と商っているこの小さい店よりも前に売ら
れていたのは見たことはない。


7月9日 火 雨 台風近い

 雨が一日中降っている。この前に防水処理を施した部
分にやっと効果が現れて雨漏りが今の所止まっている。
雨漏りを止める為の修理は業者を入れたり、自分でも行っ
たが完全に止まったとすれば実にそれは五年ぶり位のこ
とになる。事実なら嬉しいが、逆に雨漏りは住んでいる
人の心をいかに暗くするかも分かる。江戸時代からの諺
の中にも雨漏りは必ずすぐに直すことといったものがあっ
た。

 チャコちゃんの歯医者通いも順調に進んでほとんど腫
れが退いた。今週の日曜日に最終の手術で歯の切断を行
うようだ。皮膚科で治ったと診断されたじんましんが再
び発症している。

 航平は実に順調で健康だ。睡眠は夜八時から長いとき
は朝六時位まで寝ることもあって夜の授乳の回数が少な
くて済むようになっている。

 航平の内祝いを送ってあちらこちらから電話がかかっ
て来ている。実際に声を聞いて会話をやり取りすると、
あらためて子供を得た喜びを得る。

 住専に勤務していた友人から損保会社の法務部への転
職通知が昨日届いた。同じ会社の友人を知らせよう。以
外な時に新たな出会いがある。住専の勤務ご苦労でした。
円満退職とあるが退職金でたのかな。


7月10日 水 雨 台風6号房総半島上陸の見込み

 一日中雨。航平は外に出ていないので機嫌が悪い。チャ
コちゃんはじんましんで皮膚科に行くが診察の結果、カ
ビアレルギーの疑いがあるそうだ。以前にアレルギーの
検査をした結果ではアレルギーの疑いはないという診断
だった。

 今日スクラッチテストをした痕が赤く腫れたのがその
診断の根拠らしい。48時間後に再び診察してさらに赤く
なっているかを見るそうだが夜になるとすっかり腫れは
ひいている。やはりアレルギーではないように感じる。


7月11日 木 晴れ 台風一過 暑い

 台風が去って何日かぶりでいい天気になった。この所
航平は外出出来ないので機嫌がすぐれなかったからこの
天気は気持ちがいい。ジュースを入れた両手付きのマグ
マグを持たせて見ると自分で持って飲めるようになった。
ただ、口の回りはべたべたで首のそばのシーツも随分と
ジュースで濡れた。進歩のあとをビデオに撮った。

 夕方車にワックスをかけた。白い色がよみがえって綺
麗になったところに近所の人がとおりかかって
「いつも几帳面にあつかっていらっしゃる。」と誉めら
れた。その人の旦那さんは昔米軍に行き来があったので
「車は綺麗にしないで乗る物だ。」とよく言っていた。

 僕も心の中では実にそうしたいと思っていた。しかし
いかんせん回りの車が綺麗で古くなった自分の車に気持
ちよく乗るために、どうしても綺麗にしておきたい。

 チャコちゃんに見せて航平と車の写真を撮ってドライ
ブに行くことにした。日産プリンスに寄って半ドアにな
る不良の部品を注文して、やっぱりダイエーに行った。
アルミ缶を置いてパソコンを見て、食料品を買って帰っ
た時刻は八時になった。何時もの航平の寝る時間を一時
間オーバーしていた。


7月12日 金 晴れ

 チャコちゃんは皮膚科に行った。カビに遅延性のアレ
ルギーがあるという診断結果だった。特に風呂場によく
いるカビで風とおしを良くして掃除をするように指示さ
れた。梅雨を越せば改善する見込みがあるらしい。チャ
コちゃんにとってアレルギーと診断されるのは初めてだ。

 夜NHK番組でウィルスと人類との戦いを描いた特別番
組を見た。エボラウィルスの大発生とエイズの感染とを
ドキュメンタリーで映した。チャコちゃんは小さい頃、
死が恐くてたまらなかった。僕はこの番組が恐かった。
航平が産まれてから生に対して執着がある。航平が育つ
までは生きたい。


7月13日 土 晴れ お盆の入り

 お盆の入りで妹家族が訪れた。うちの先祖と言えば父
と母だ。父は17年前に母は20年前にそれぞれ病気で他界
している。その時はそれぞれ悲しかったし今もそれはそれ
で悲しいとも思う。ただ悲しいとばかりも言ってはいられ
ないので毎日を平穏に無事に暮らすようにしている。

 早く先祖が先祖としてゆっくりとあの世に安らかにいて
くれるようになればと思うがなかなかに現世に未練がある
ようにも思う。お盆だから今はこちらに来ているのだろう
か。ゆっくりとしていって下さい。


7月14日 日 晴れ

 夕方下北沢に出かけた。毎日使っている皿が欠けたの
で、買った店は吉祥寺だったが、同じ店が下北沢にあっ
て同じ商品が置いてあったのを前に見つけていたので、
もし有れば買いに行こうと言って家族三人で出た。

 しかしそれはあくまで出かける理由で本当の気持ちは
ただ外に出ることそれ自体が目的だ。大人になると何か
理由がないと出にくい。

 日曜日に朝からずっとうちの中に航平とチャコちゃん
と三人でいると夕方くらいにはみんな機嫌が悪くなって
しまう。

 チャコちゃんは自由が丘が好きだが、下北沢は僕が好
きな街だ。いろんな店が有象無象に有っていろんな人が
いる。劇場がいくつかあって演劇のポスターが張ってあっ
て、劇団員風に見える若者のファッションも面白い。チャ
コちゃんも僕も演劇が好きだったからこの街で随分と劇
やミュージカルを見た。

 店に並ぶ商品は値段が安くて買いやすい。もしも僕が
東京にアパートを借りて一人で住むならここに住んでみ
たい。車椅子に乗る人とお年寄りと航平のような赤ちゃ
んと若者が一緒に楽しく居られる街のように見える。自
由でいろんな人が集まる様子が好きだ。

 結局同じ皿はなくて肉屋でコロッケだけ買って帰った。
仕事は済まなかったがシモキタの空気の価値はあった。


7月15日 月 晴れ一時雨

 梅雨明け宣言が一部出たが夕方雨がひとしきりあって
暑いアスファルトを冷やした。

 航平は最初こうへいか、こうへいちゃん、こうへいくん
と呼ばれていた。最近はその時々のシチュエーションで
幾つかのニックネームが出来ている。機嫌が良いときは
コッペちゃん、ちょっと困ったときやかわいらしい時に
はコッペと呼び捨てになる。扱いにくいときはペコヘイ
と言われてしまう。

 他にはこうちゃんとか、こうくんと言われる時もある。
将来こうへいさんと呼ばれるのは一体いつ頃でどんな風
だろう。


7月16日 火 晴れ 暑い

 盆の送り火を焚いた。航平とチャコちゃんの見ている
前でベランダに鉢の受け皿を置いてその中に磁器皿を、
のせて、まこもをねじって割って交互に置いた。

 マッチで火をつけると勢い良くまこもは燃え出して横
に置いたわらの馬にけむりがたなびいた。まこもがすっ
かり燃え尽きて黒い灰だけになってその灰を横のプラン
ターの中の土に混ぜた。まだ火が少し残っていたがその
ままかき混ぜるとすっかりと消えて送り火が終わった。
灰を土の中に混ぜている時に自分もいつか将来はこんな
風に土になるのかなあと少しだけよぎった。



7月17日 水 晴れ 暑い

 真夏を思わせる熱射で照りつける暑さ。

 航平は暑い毎日を送っているが特別に辛そうな様子は
ない。ただあせもがぷつぷつとあちらこちらに出来てい
る。寝ている時の背中と頭の後ろの汗はびっしょりと濡
れている。

 冷房をかけるが階下からの熱が上に上がってくるので
下の階も冷房をかけないと十分には温度が下がらない。
風通しが良いこともあって今日のような暑い日も昼間を
冷房をかけずに過ごしてしまった。

 五月頃から冷房の世話になってこの暑い盛りに冷房を
使わないのは理に合わない。結局電気代が高くてかけら
れないかあるいは住宅の断熱設計効率が劣っているのか
あるいは冷房時の換気効果が悪いかの何れかだ。

 衣食住は生活の基本だが、住環境がもっと良ければ相
当気分が晴れるだろうと思うことがよくある。パソコン
購入が思うにまかせない真の原因は住環境にあるかもし
れない。

 夜9時半からのNHK放送クローズアップ現代でウガン
ダの内戦後の難民キャンプでのオリンピック選手の軌跡
を追っていた。私達は自分の生活の向上を求めようとす
るときに、富の不平等を解消することに努力を惜しむこ
とはできない。


7月18日 木 晴れ 暑い

 照りつける太陽の中今日は昼から冷房を入れた。直前
の温度は35度だった。部屋ごとの温度差を解消して快適
な状態にするためにエアコン4台を稼働した。

 玄関口にある電気メーターを見ると狂ったように回転
していた。この状態での電気使用量はおおよそ5KW/時間
になる。月額の電気料金が90000円になってしまうペー
スだ。

 従って日本に住む限りうちの家庭で安定して冷房をか
けるのは贅沢だ。一箇所の部屋にこもって出入りの温度
差を甘受するか、冷房をかけないか、あえて不十分にか
けるかを選択する必要がある。実際はよっぽどがまん出
来なくなって世話になるか、生暖かいような室内になっ
ている。

 そんな中で割安な電気料金に支えられた近隣の事業体
の冷えすぎる程の冷気で外に排出される暖気は全く許せ
ない。法人企業体組織が豊かに見えて、私や家族の生活
が貧しくて苦しいと感じる暑さだ。

 夜になって涼しくなると不満は次第になくなってきた。


7月19日 金 晴れ 暑い

 チャコちゃんが海の記念日の記念切手を買ってきた。
航平という名前が海となじみがあって今年から海の記念
日が始まった。そして50円切手のデザインが折り紙の船
で子供らしいからこの記念日全部が航平のためにあるよ
うに感じて自転車で買ってきた切手を嬉しそうに差し出
した。

 50円切手はさすがにチャコちゃんの好きそうな子供風
の絵柄で暑中見舞いに張るのに涼しそうだ。

 切手一枚でチャコちゃんはあっちこっちと気持ちをや
りとりするのが好きで毎日11時頃郵便配達のバイクの音
がすると耳を澄ませて玄関のポストの音を聞く。


7月20日 土 曇り夜になって雨

 午後二時頃お義父さんが訪問する。見るたびに航平が
大きくなって健康なのがお義父さんにとっても楽しみら
しい。

 夜、チャコちゃんにとって大切な親友である岩見沢の
純子から電話があった。乳癌で来週の26日に手術をする
らしい。

 純子は電話口の向こうで
「航平君を撮ったフィルムを現像してみたらとっても良
く撮れているから送ってあげたいけれど、手術が終わっ
てからで遅くなっちゃうけどごめんね。リハビリして来
年の春になったらまた航平君を見にうかがうわ。」
と明るい声で語った。

 チャコちゃんも航平も僕も元気になった純子と必ず再
会したい。



7月21日 日 曇り後晴れ

 航平のうんちが6日間出ていない。綿棒でおしりの穴
を刺激したりオレンジジュースや桃の果汁を飲ませたり
するが一向に出ない。今まではほとんど毎日二回から三
回くらいも出ていたし、これほどの便秘になったことは
ない。

 おなかを押してみても特に硬くなっている様子もない
し機嫌はすこぶる良い。それでも少し心配だったので日
曜だが朝方電話相談で尋ねてみた。

 回答はこんな風だった。
「生後三、四カ月位になると消化機能が高くなる。母乳
の場合ほとんどを消化してしまって排出物の量が少なく
なる。10日以上便が出ない例もある。果汁や水分を与え
る他、薬局で麦芽糖を入手して飲ませたり、お腹を時計
回りにさすってやったりすると良い。機嫌を見ながら余
り心配ならば医師のところで浣腸をしてもらう。現在の
状態は特別に異常ではない。」

 家に勝手を知ったおじいちゃん、おばあちゃんが居れ
ば笑ってそんなの大丈夫だよと言われて済むのかもしれ
ない。核家族と近所につきあいが少ないので、ささいな
ことでも心配になる。



7月22日 月 晴れ

 集団食中毒があちこちで起きている。今度チャコちゃ
んは保健所の母親学級の友人7人と会うのだが、待ち合
わせ場所がコンビニエンスストアだそうだ。そこでみん
なでお弁当を買って食べることになったらどうしようか
なと今から心配している。

 確かに報道されているとおり食中毒は恐ろしいし気を
付けなければならない。しかし、東京の人口1000万人
が毎日何らかの食事をしている。確率から考えて今まで
どおり普通に気を付けていてこの食中毒に罹患する可能
性はかなり少ない。今の状態は報道機関から必要以上の
不安感を与えられている。


7月23日 火 曇り時々雨

 航平のうんちが8日ぶりに出たのが嬉しかった。なか
なか出ないので5パーセントの糖水を飲ませて綿棒をお
尻の穴に2センチほど入れてくるくると回して刺激した。
今までは5ミリ位しか入れなかったが育児書を見ると3
センチ位入れるとあるので少し奥までしばらく入れてみ
た。

 3分程してにゅるにゅるとねばねばしたうんちがたく
さん出てきた時にはチャコちゃんも僕も大声を出して喜
んだ。

 航平はと言えばそれまでも元気だったが、夕方二度目
のうんちをして心なしかいつもより元気でないようにも
見える。夜は定時にぐっすりと寝てしまった。寝てしまっ
た後も思い返しては良かったと言っている。

7月24日 水 晴れ

 チャコちゃんは出産前の4回の母親学級で一緒のグルー
プだった6人の友人との集いに航平をだっこひもでだっこ
して出かけた。

 駒沢から祖師谷大蔵駅行きのバスに乗って駅前のコンビ
ニエンスストアで11時半に待ち合わせて午後のひとときを
友人宅でそれぞれの赤ちゃんと一緒に過ごしてきた。チャ
コちゃんにとっては世田谷に引っ越して、近所に出来た初
めての友人達だ。

 案ずるより産むが易しのことわざどおり、皆健康で無事
に出産してすくすくと育っている。子供の名前は拓斗ちゃ
ん、龍馬ちゃん、桜子ちゃん、萌以(めい)ちゃん、翔平ちゃ
ん、綾菜ちゃんだ。名付けは字画を気にする人が多かった
らしい。

 この子たちの名前は今の世代を表す名前として流行の中
にはぐくまれたものなのだろうか。それぞれの子供の名前
と両親の雰囲気とが合いまって、幸せな他の家族の様子を
聞いてきて、チャコちゃんは帰ってからもひとしきり楽し
そうだった。


7月25日 木 晴れ

 チャコちゃんの妹の浩子さんと駿ちゃん、みーちゃん
が来る。浩子さんは駿ちゃん達が使った子供用のカーシー
トを持ってきてくれた。

 航平が産まれてたくさんの人からそれぞれに心のこもっ
たプレゼントを頂いたが浩子さんが駿ちゃんとミーちゃ
んの使った物を大量に綺麗に取ってあって、譲ってくれ
たのが本当に助かった。

 毎日毎日着ている洋服の多くも毎日毎日使うベッドや
おもちゃも含めて子育ては物量の戦争だ。大量だから有
り難いと思う瞬間が数知れない。

 航平の多くの洋服は駿ちゃんの着ていた物だから撮れ
た写真は駿ちゃんと似ている。初めての子供だから新品
の物にしたいという思いが自分になかったのも有り難かっ
たのかもしれない。

 午後にはお義父さんが立ち寄ってみんなは一緒に車で
帰宅した。


7月26日 金 晴れ

 今週も今日で終わりだ。残っている仕事を済ませて週
末を楽しみたい。航平が産まれてからの毎日で何が一番
変わったかと言うと家族で外食をしていないことだ。

 今まではチャコちゃんと夕方買い物に行った帰りに二
人でとんかつ屋に行ったり寿司屋に行ったりするのが大
きな楽しみだった。豪華なディナーではなくて実に質素
な外食だったけれど生活のアクセントだった。

 ところが出産後4カ月になる間、家族揃っての外食は
出来ない。しようと思えば出来るかもしれないが楽しめ
る自信がない。若い頃おしゃれなレストランになかなか
入れなかったようなものだ。いろいろ考えると家で食べ
た方がいいと思ってしまう。

 くたびれた夕方に外食しようかと言いかけて、そうか
航平がいるんだ、と思うと、自分は何でも何時でも自由
に出来る自分から、一つの障碍を得た自分になっている
ことに気づく。航平から得る楽しい出来事や、新鮮な価
値観を与えてくれた代償かもしれない。


7月27日 土 晴れ

 この日記を印刷して郡山に転勤で引っ越したゾエに送っ
た。先日、送るよと電話で言っておきながらしばらくたっ
ている。その時は直ぐにも送ろうと思ったがしばらくた
めておいた方が沢山送れることと、ちょうど暑中見舞い
にもなるかなと思案しているうちに三週間程もたってし
まった。

 印刷すると結構な読みでになるが前回送った時は読ん
で楽しかったそうだ。会話より様子が良く分かるらしい。

 ところで印刷しながら自分の日記を読んでみたのだが
自分自身のことというのはその時点では自分でもよく分
かってないのかもしれない。自分が何を考えているのか、
自分が何をしたいのかを見失ってしまう。

 自分のしていることが良いことなのか、もっと価値の
ある方向があるのかということをその時々で考えている
ようだ。後から読み返してみると結構良くやってきたん
だと思ってしまった。

7月28日 日 晴れ

 チャコちゃんの友人の純子から午前中に電話があった。
純子の乳ガンの手術は26日に無事済んで経過は順調らし
い。

 公衆電話口から本人の明るい声を聞くことが出来た。
まだ手術の翌々日だがもう歩けるらしい。

 「航平君が撮れている写真手術前に送ったよ。岩見沢
で一番素敵な花屋さんから大きな花束が届いて家にも半
分もって帰った程、誰からかなと思ったけれど、送って
くれるのチャコぐらいしかいないものね。」
 花束の美しさのように声が輝いていた。


7月29日 月 晴れ

 航平が産まれてから思うのだが、それまでと比べて世
間から愛されているように感じる。航平のお陰で近所の
人と随分親しくなったし、街を歩いていても見ず知らず
の人から声を掛けられたり、すれちがう人が笑顔を見せ
ていく。

 今までは都会だから街の人は冷たくて誰も自分に視線
を向ける人はいなかった。毎日のように航平に向けられ
た笑顔を見ると世間も人もまんざら冷たくないなと思う。


7月30日 火 晴れ

 8ミリカメラのバッテリーが直ぐに使えなくなって問
い合わせたところ修理されて戻ってきた。バッテリーの
修理なんてどうするのだろう。メモリー効果をなくして
おきましたと言っていた。

 車の後ろに付ける子供が乗ってますの飾りを作る為に
チャコちゃんが手芸屋で吸盤を買ってきた。80才位の
おばあちゃんがあちこち探して棚の奥の方からやっと探
し出して黄色くなっていた。使うに十分で満足している。
値段が安かったのも満足の理由だ。20円。

 チャコちゃんの奥歯は二つに切断されて仮止めで冠を
かぶせた。二つに切ったので代金は二本分の治療代だそ
うだ。二本分でも三本分でも満足のいく状態が進行して
いて気にならない。一時間以上かかって丁寧な治療をし
てきた。

 コピー機の修理にサービスマンが来た。不具合の部品
をトナーごと取り替えていった。その結果トナーがプレ
ゼントになった。帰り際にコカコーラをあげる。

 直ったのでノンタンの笑顔をコピーしてチャコちゃん
が色を塗って立てかける。航平はノンタンが好きだが最
近になって声をだして笑うようになった。


7月31日 水 晴れ

 昨日直って戻ってきた8ミリカメラのバッテリーを取
り付けてみるとやはり使用できない。朝方電話すると、
新しいものと交換すると言う返事だった。本当に修理し
たのかな。

 秋葉原に出かけた折りに、スキャナーを購入した。日
本ヒューレットパッカート社の600DPIのもの。ヒュー
レットパッカートはサポートが良い。

 エプソンの400DPIのものを持っている(2年ほど前に
10万円)が、あまりにも安いので目を疑って聞いて買っ
てしまった。外箱にマック用とあるだけで細かい仕様も
付属品の明細もない。古いタイプなのだが、買ってきて
開封してみると、OCRソフト(eタイピスト)、コピーソ
フト、フォトショップ限定版、ケーブルなどの付属品が
付いていた。新品で2万円だった。

 店員の古くてもマックなら大丈夫の一言が効いた。確
かに98やDOS-Vならケーブル形状を家に帰って調べた
上再度購入し、SCSIボードの適合性を確認しなけれ
ばならないから、いくら安くてもその場で購入する訳に
はいかない。マック用と書いてあれば古くてもたいてい
はそのままの状態で使える。持って帰って付属品をその
まま接続してソフトをインストールすると何の設定も特
別になく、直ぐに全部の機能が稼働した。600dpiをふる
に使うとフルカラー写真一枚は50MBにもなった。イン
ターネットではさすがにデジタルカメラが欲しい由縁だ。
明日もう一台買おうかなとも考えてしまう。残りはあと
一台だったからもうないかな。

 その直前にOCRソフトの読んでココを買ったのが少し
悔やんだ(11000円)。ただeタイピストは添付ソフトと
してエプソンスキャナーでは使用できないようになって
いた。

 ところでどちらのOCRソフトも認識率が随分と向上し
ていた。それまではウィンドウズ用の亀島産業のオート
タイプ日英(2年ほど前に70000円、去年のバージョン
アップ版)を使っていたが、使いかってで一部オートタ
イプ日英が良いものの認識率は飛躍的に進歩している。
ちなみにオートタイプ日英のバージョンアップは3000
円しかかからないのは良心的だ。
8月1日 木 晴れ

 家族の出来事というページだから今まではなるべくコ
ンピューターのことについては遠慮していたが昨日に続
いて少しは書いてみたい。

 スキャナーを購入して無事に全部の機能が動作したが、
一つだけ不具合があった。電源コードがアース端子付き
のもので、付属する変換プラグが米国製で日本のコンセ
ントに入らなかった。米国は右と左のさし込みプラグの
大きさが少し異なっていて日本のコンセントは使えるが
米国のコンセントは日本で使えない。それが付いていた。
HPに電話すると変換プラグを自分で買ってくれと言う
返事だった。アース端子付きのコンセントが標準という
前提だ。

ああ、やはり日本の住宅事情は悪い。コンセントの全部
にはアース端子が付いていない。アースなどいらないと
いう人も中にはいるが、僕にはアースは必要だ。良く精
神を病んだ人が電気が走る、などと口走るが、アースを
とらないと高周波音が発生する場合がある。寝ていると
きに自分の頭がおかしくなったと勘違いしたがエアコン
のアースをとったら直った。

 ところでスキャナーはとても面白い道具だ。もしも持っ
ていなければ是非とも購入することを薦める。よいコン
ピューターを購入するより一ランク下げて、その予算を
スキャナーに回す方がずっと楽しいパソコンライフを送
れる。

 今は600dpi,400dpi,300dpiのものが出回っている。
たまたま昨日は600dpiのものが手に入ったが、普通、
OCRによる文字認識を多量に行う必要がなければ300dpi
のもので十分に楽しめる。文字認識では400dpiと300
dpiでは少し認識率に差が出てくる。グラフィックで使う
ときに300dpiをも使うことは私はほとんどない。おおよ
そは72dpi位しか使わない。何故ならメモリーが16メガ
バイトなのでおおよそそれくらいが精一杯でかつ十分な
精度だ。

 300dpiのものだったら各社のものが4万円弱でも出回っ
ている。コピーソフトはなかなか良く出来ていたし、OCR
ソフト、グラフィックソフトなどが添付しているものを
選ぶと楽しい。私の二つのスキャナーはHPとエプソンだ
がサポートはHPはとても良くエプソンは電話が繋がらず
繋がっても十分な回答がないことがある。ハード自体は
エプソンの方が安定していてしっかりとした出来に見え
る。音はエプソンの方がいい。HPは米国製的で音が大き
く、きこきこと鳴って壊れそうな雰囲気がある。終末端子
スイッチが付いているのは便利だ。デザインやセンスの上
ではHPが好きだ。

 スキャナーというのはTWAINというデバイスドライバー
が最近になって標準化されたが、TWAINになってから、と
ても使い心地が悪くなった。標準のTWAINに一応合わせた
という印象でまだまだ進歩して貰わなければならない。予
想以上に出来上がりに時間もかかる。認識精度で違うが、
一回のスキャンに2,3分かかる。だから、二台も買おうと
いう気になったのだけれどそれがとりも直さずコンピュー
ターの予算を削ってもという意味になる。つまり、多少早
いCPUでも出来上がりの時間にそれほどの差が出なくなる。

 それでもスキャナーがあるのは楽しい。好きなアイドル
の写真をとって壁紙にするのもよし、ノンタンの絵をとっ
て便せんのはじに付けるのも良し、名簿や新聞の切り抜き、
雑誌の記事もスキャナーで取ると内容がより一層良く分か
る。OCR文字認識ソフトは手入力では問題にならない位に
早くテキスト化できる。おおよその人には当たり前のこと
だがスキャナーはあるととても楽しい機械だということを
書きたかった。


8月2日 金 晴れ

 ところで今日もコンピューターの話だ。ホームページ
の作り方などというと今さら何をと思われるかもしれな
いが私たちは出来てしまうともうすっかり当たり前のこ
とと思ってしまう。

 事実僕自身もホームページの書き方を自分のホームペー
ジ上で書くなんて全く思ってもいなかった。何故かと言
えばホームページの作り方を載せたページは幾らでもあ
るし私のような者が書いたって不確かな知識で本屋に行
けば簡単にそんな本は手に入る。

 ところが今ホームページを持っている人はもうすっか
り平然としているようだが誰だって初めてホームページ
が出来た時は感動したと思う。いや自分はびっくりした。

 そんな感動を多くの人に知って貰いたいのと十分に詳
しく高度に記載されているものは沢山あるのだが簡単に
書いてあるのは実に少ない。いや今の所自分の知る限り
では見たことはない。余りにも簡単すぎてそれだけを書
くのは全くはばかられているとしか思えない。

 ところが今まさにホームページを作りたいと漠然と思っ
ている人にとっては実に大切なことなのだしホームペー
ジの作り方を知らない人にとっては実に重大な知識かも
しれないし自分にとっても大切だった。

 この間秋葉原のT-ZONEでホームページを作りたいのだ
がどんなマシンを購入すれば良いかとIBMゾーンで店員に
聞く年配の男性がいた。そこで店員はなんと
「ホームページはごく一部の簡単に作られているのは易し
いだろうが多くは高度なプログラミング知識が必要でそこ
に至るには並大抵ではできないし、高性能のマシンが必要
だ。」と説明した。

 私は店員を責めるつもりは全くない。実にあっているよ
うでもあるがその説明には反発したかった。再びすれ違っ
て上の階のカフェで声をかけた。そして
「ホームページを作るのは簡単でほとんどのホームページ
は恐らくだれでも短時間のうちに出来ますよ。」と言った。

 彼はどちらが本当の説明なのかをはかりかねるようだっ
たけれど実に簡単に出来るのは高度なコンピューターの知
識を持っている人だけではないと思う。

 しかしウィンドウズ95のインストールの始めの画面で
「次にというところをマウスで押して下さい。」
というモニター画面の次と表示されているところにマウス
の本体を画面に押し当てる人を描く漫画を見た。

 これは本当に笑えない。実に悲しくなってくるのはコン
ピューターに対する知識や教育が何処に行っても安く簡便
に得る手だてがない時代に私達は生きているのだと思って
しまう。

 そしてホームページの作り方だけれど、良く聞いて欲し
い。

 あなたの今見ているネットスケープナビゲーターの上の
段にある表示というメニューを開けて、その中の文書のソー
スと言うところを開けて欲しい。すると自動的に何やら文
書が出てくる。

 そこで、直ぐにこのインターネットの接続を切ってしま
う。そして同じくネットスケープナビゲーターのファイル
メニューの中のファイルを開くというところからその出て
きた文書を指定してやるともうこのホームページはあなた
のものになっている。

 このページの作成著作権も文書の作成著作権もあなたに
差し上げる。だから私のこの文章が書いてあるところにあ
なたは自由に文章を綴ってプロバイダーに送ってやればそ
れだけだ。たったそれだけのことだが著作権の問題がある
から誰も言わない。

 著作権は重要で尊重して欲しいが、参考にして勉強する
ことは公開されていることだから禁止されていない。もし
不幸にして文字化けするようなら外国のページでやってみ
よう。

 さあ、一分後にはあなたのホームページが出来ている。
細かい知識はその後覚えればいい。

8月3日 土 晴れ

 三日前の夜から喘息の発作になっている。小発作で日
常の生活にほとんど影響はない。発作が起きると精神的
にも肉体的にも自分自身の内面ではかなり異なる。だか
ら自分の性格は発作の時々で変化してしまう。えっ、こ
の人そんな面があったのか。と思われる程に違ってしま
う。人を遠ざけるようにもなってしまう。ここ二三日の
日記は確かに何時もとは違う。

 オリンピックの代表選手の中にも喘息の選手は何人か
いるくらいだから病気でない時にはほとんど健康な人と
変わりはない。しかし、他の病気になっても合併症とし
て発症するのがやっかいだ。つまり別の病気になったと
きに互いの薬が互いに悪影響を及ぼすときがある。

 子供の頃は喘息は決して死なない病気だから安心しな
さい。と良く言われた。確かにどんなに息が出来なくて
苦しい時でも死ななかったし死ぬような気持ちにもなら
なかった。

 しかし、最近大人になると、少しの発作の息苦しさは
死につながるようにも感じるときがある。恐らく別の癌
のような病気にかかってもきっと死亡診断書には呼吸不
全と記入されるのかなと思ってしまう。

 今回の発作は二年ぶりくらいのことになる。実に二年
間発作なしで薬もなくて生活したのは生まれて初めての
ことかもしれない。

 二年程前に渋谷の道玄坂のヤマハのビルの四階にある
渋谷診療所と言う漢方医院に行ってから良くなってきて
いる。

 小さいころから喘息と言うと沢山の人がアドバイスを
くれて良いと言うことを片っ端からしていった。漢方も
くこを煎じて飲んだりしていた。

 しかし、ステロイド剤の副作用で精神も壊してしまっ
たりしたこともあって一生付き合うつもりで対処薬だけ
を服用して根治療法は疲弊してあきらめていた。だが健
康保険法の改正もあって漢方医療が受けやすくなって出
かけてみた。

 行ってみるとかつて大病院で処方されて全く効かなかっ
た薬を処方されただけだった。ツムラの19番小青竜頭と
いう薬はかつて飲んだし、良く近所の医者でも処方され
るものだった。大体薬屋で風邪薬で売っている。

 ああこれは全然効かない薬だと思ったがしばらく飲ん
で三ヶ月程経つと大分良くなった。西洋薬を飲むと必ず
起きる心臓の動悸や手の震えもなくて、薬を飲む不快感
がなかった。引き続き飲んでいるとすっかりと改善され
て全く飲まなくてもいられるようになった。

 今回の発作はその日に限って換気を不十分にして睡眠
をとったことが原因かもしれない。

 チャコちゃんと一緒に生活してからは空気が綺麗になっ
ているようで全体的に実に健康になってきている。おそ
らくもう二三日するとまた健康を取り戻すと期待してい
る。

8月4日 日 晴れ

 まだ喘息の症状はあるけれどうちの中にいるよりも外
に出た方が快適で自動車に乗るのは回復に良いから自分
からも誘って家族でドライブに出た。

 チャコちゃんは作り終えたBABY IN CARのキルティン
グのまるいサインを後ろの窓ガラスに張って出発した。

 何処に行くというあてもなくただ海の方角に向けてスター
トした。環七通りをまっすぐに行くが海というのは東京に
は多くはない。お台場海浜公園の他新しく出来た公園もあ
るけれど銀座に出るかここから高速道路に入らないと行け
ない。海の間近に来てもあるのは工場や倉庫だ。分かって
いるけれど産業が優先だと感じてしまう。自分達が気軽に
楽しめる海がすぐそばに欲しい。

 何処でも良かったが通りがかりの大井スポーツセンター
で昼食を取った。この公園はせせらぎが子供の絶好の遊び
場になっていて近くに行くと涼しい。沢山の家族やスポー
ツを楽しむ若者がいて、のどかな様子だった。航平にとっ
て初めて入ったレストランということになった。

 しばらくバギーを押して一回りしたあと、その前にチャ
コちゃんが行こうと提案した羽田空港に向かった。航平に
飛行機を見せたいと言うわけではない。空港なら設備がしっ
かりしているからバギーを押しても十分に移動が簡易だろ
うと思ったからだ。逆に言えばそこ以外に簡単に移動でき
る場所が思いつかなかった。新しくなったという空港ビル
のビッグバードもまだ見たことはない。

 ゆるゆると羽田のあたりのこまごました通りを抜けて空
港に入ると前の施設はほとんど押しやられて四キロ程海の
方角に別世界のような大施設が建設されていた。

 駐車場から出発ロビーに入ると四階まで吹き抜けの新し
いビルに幾つものストアが軒を連ねていた。待合い客は子
供が多くてChildなんていう名前のカフェもあった。子供
に飛行機なんて意外な気持ちだったが遠くへの旅ほど負担
が少ないかもしれない。

 そのまま空いている座席でどこでも出かけられたらどん
なに幸せだっただろう。それでも下見として楽しんで授乳
室でおっぱいをあげて、展望台を眺めて帰ってきた。

8月5日 月 晴れ夜になって雨

 体調は余り良くない。風邪かもしれない。ドイツの昌
ちゃんから暑中見舞いが来る。スペインに休暇で出かけ
るそうだ。返事にこの日記を印刷して送る。スウェーデ
ンの高宇にも一緒に印刷して送る。薄い紙への印刷は手
間がかかる。

 インターネットの時代というが最も利益がありそうな
二人もまだ利用していない。手紙もそれ程は書かない二
人だし、日本のある程度の情報は十分に手に入れてるだ
ろう。

 航平の風呂は三月の出産後毎日僕が入れていたがチャ
コちゃんがベビーバスで入れることになった。手伝った
がもう大分大きいので入れずらい。泣いて叫んだがなん
とか入れた。チャコちゃん一人でも入れられるように練
習してみよう。

 ところで出産前に子育てに全く自信がなくて、やって
いけるか不安だった。子育てに自信がないからまだ子供
はもうける気持ちにならないという手紙も戴く。

 やってみると誰でも分かるのだが、子供が親に力を与
えてくれる。今の所、運もいいのか途方もなく困ったこ
とはない。その度に自然に体が子供を育てる方向に動い
ていってしまう。

 出産前の不安は未知への不安だろう。持つ前に無理だ
ろうと思ったのは、実は、子供を持たない自分を楽しみ
たいという気持ちだったかもしれない。
8月6日 火 晴れ 人の性格はいろいろあるけれど

 人の性格や個性はいろいろあって、いい人や悪い人、
面白い人や恐い人、冷たい人や、頭のいい人、だまされ
る人、犯罪を犯す人など多種多様で日本の外に出れば外
見もまた随分と違ってくる。

 個性の違いに普段は注目しないように考えている。つ
まりどんな人もほとんど同じだと考えるように努める。
自分と同じ側面を考える方が生きていく上では楽だと思
う。

 個性や性格の違いは外面に現れたわずかな違いで、同
じ個性を互いに持っているだろうと考えるようする。悪
いのは自分に悪い心が芽生えかねないからこそ判断でき
る。

 頭脳明晰な人は知識を得るに幾分かたけた志向の個性
を持ち、面白い人はユーモアのセンスに少したけた志向
をもっている。

 すべての個性は誰でもが多かれ少なかれ持っていて、
ひとつひとつの個性の総和は等しいとなるべく考えるよ
うにしている。

 どこかに障碍があって、手が十分に動かせなければ、
手の力が劣る分、例えば足の器用さとか人に対して思い
やる力など他の力が増してきて同じだけの幸福が得られ
るしくみがあると信じている。衣食住が有れば、平等で
誰もが幸せになれると信じたい。

8月7日 水 晴れ

 人の個性の違いに着目しないように努める方が楽だと
昨日書いた。しかし現実の自分は人の個性やその時の相
手の気持ちや気分、特徴などに対してまるでアレルギー
体質のように過敏に着目してしまう。

 相手の個性に反応して真実の自分よりも相手にとって
の心地よい自分になってしまう。相手の頭で考えるよう
に話してしまう。

 だから大勢で集まって会話をすると右と左で話が違っ
て、自分が何を考えているのかも見失なう。そんな時は
体が震える。

 だから昨日書いたように他人の個性に着目しないほう
が楽だと考えるし考えていることは口にも出てしまう。

 それを聞いて他人の個性に合わせている私を見ると、
言うこととやることが違っているから信用を失う。自分
の希望と現実とが一緒になって誤解されていく。

 他人に対してそうあるべきだと押しつける時にはさら
に事態は悪い。人にはこうだと言いながら自分は反対の
ことをする。他人に押しつけたり自分のそうでありたい
欲求は話さない方が過ちは少ないが、人の口に戸は立て
られない。口は災いの元だろうか。

 チャコちゃんが今来てこれを読んで、結局今体調が悪
いんだよと言っている。こういう時には新沢さんの作っ
たとらや帽子店の「ぼくのアイロン」を歌えばばいいん
だよと横で歌ってる。

♪♪みんなとげとげ怒ってる、アーイロン、アーイロン
しゃっきりすっきりさわやかいいきもち。♪♪

1996年8月8日 木 曇り後晴れ

 航平は順調に成長して4カ月と20日ちゃんだ。3、4日
前から僕は体調が悪いので風呂はチャコちゃんが入れて
いる。航平は僕が入れると長湯で暑苦しいのか、終わり
際に良く泣いた。チャコちゃんに替わってからはご機嫌
だ。

 航平はチャコちゃんを見てはにこにこする。僕があや
しても無視する。僕よりチャコちゃんの方が何倍も好き
だ。

 最近は離乳食で点数を稼ぎたくて僕が食事をやる。そ
れでもチャコちゃんは僕より何倍も航平の方を見て愛情
をかけている。父親は母親と子育てを競うより、子育て
以外の仕事をする方が家族の為になるだろう。世間から
男女の役割を固定化されたくはないが、家の中では向き
不向きで少しずつ分業化している。

 チャコちゃんが今これを見て言うのは最近体調が悪く
て恐い顔してるから航平は分かるんだそうだ。

1996年8月9日 金 晴れ

 床屋に行って秋葉原に行く。これは一つのコースのよ
うになっていて床屋で髪を刈りながらこの間のあった出
来事を思いだして、時間が止まっているように思えてし
まう。

 秋葉原のドトールコーヒーの前でコカコーラで薬を飲
みながらパソコンの値段を掲示している張り紙を眺めて
いた。向こうから杖をついてゆっくりと歩いてくる若者
がいた。

 すれ違うときに聞き取りにくい声で
「東芝テクノは何処ですか。」と尋ねられた。彼が来た
道の方を指して
「石丸電気ととんかつ屋の間を左に曲がって40メートル
位ですよ。」と言うと
「間違えた、40分位かかる。」と言いながら来た道をゆっ
くりと歩いて行った。

 しばらく彼が行ってから、何も手伝えないけれど追い
かけて行った。東芝テクノが営業しているのを確かめて
彼の所に戻ると、
「車の中からコンピューターを取ってきてくれますか。」
と頼まれた。行くと鍵がかかっていない車の中にコンピュー
ターがおいてあってそれを持ってきた。鍵がかかっている
と開ける時に転ぶらしい。

 そう言いながら入り口の石造りの段差でスローモーショ
ンビデオのようにゆっくりと後ろ向きに背中から激しく音
をたてて倒れてしまった。僕は右手に彼のコンピューター
を持って左手に飲みかけのコーラの缶を持っていて倒れる
と分かりながら助けられなかった。

 激しい音がして東芝の中からも何人かの人がでてきた。
幸い彼は怪我をしなかった。ころぶのはなれていると言い
ながら中に入った。中の職員が電話しているのを待つ20分
間ほど彼と話しをした。

 15年前の21の時、合宿に行くのに、危ないから電車で
行ってと恋人から言われたのに、バイクで出かけて、環七
道りでカーブを曲がりきれずに、向かいを走るトラックに
突っ込んだ。

 何日間か意識不明で親は体がミンチになってたと言って
いた。見ると両手と両足と話し言葉と新しい記憶の獲得に
障碍がある。

 彼はC言語のプログラムの内容を問い合わせに来た。
手が不自由だからかOSはDOSを使うらしい。パソコン通
信はしたいが今はしていない。ハンサムな美しい顔立ち
で、かっこいい外車に乗ってコンピューターのプログラ
ムを作り会社に勤務して、優しい様子だからさぞかし女
性にもてると思うがこんな体だから結婚はできないと言っ
た。一瞬の交通事故で彼の人生は変わったが、たどだと
しく話す彼の表情はきらきらと輝いていた。

1996年8月10日 土 晴れ 航平風邪をひく

 三日位前から航平はせきをしていたが、昨日僕が秋葉
原に行っているとき、更に悪くなって、チャコちゃんが
夕方となりの人に聞いてハゼ山耳鼻科医院に連れて行っ
た。診断は風邪だった。

 僕の今の体調が悪いのも風邪だと思うので恐らく僕か
らうつったのだろう。昨晩はせきが苦しそうだった。は
じめての病気でどうしていいか分からない。無性に不安
になってしまう。

 午前中、ハゼ山先生に出かけて、鼻水を吸い出して薬
を噴霧して、ルゴールをのどにつけた。上手に短時間で
終えて泣かなかった。水薬をくれた。

 食欲はあって表情は豊かだ。せきと鼻水とくしゃみが
出る。何時もより泣き方に元気がなくて涙がこぼれずに
目にたまっている。お風呂はいけないのでベビーバスに
お湯を少し溜めてお尻をながした。一日中何処にも出か
けず家にいた。
1996年8月11日 日 晴れ

 航平の風邪は軽いがせきは苦しそうだ。食欲は旺盛で
手足を動かしたり動作は活発だ。水薬を飲んで風呂は控
えて台所のシンクでお尻だけをあらう。

 僕の風邪も相変わらずで体は重い。チャコちゃんは元
気だけれど、一日中何となく心配したり、こうやって抵
抗力がついていくんだと自分を不安から納得させている。

 家族全員一日中家の中にこもっている。夕飯は餃子を
作って食べて、その後戦時中に赤紙が来た村の様子を描
いたNHKのテレビを見る。

1996年8月12日 月 曇り後晴れ

 NTTのダイレクトメールに注意

 NTTからのダイレクトメールの中に入っていたCD、ま
るちねっとあいオンラインマガジンを見てみると、自動
的にフリーダイアルでNTTに接続してISDNに加入するた
めの情報が得られた。

 楽しんだ後、インターネットへの接続ソフトを見事に
壊した。説明書の後ろにそうならないための注意書きが
あって、見なかった自分が悪いのだが、インストールも
操作も簡単なのに表示が小さくすぎる。

 ISDNの接続も10月まで出来ないらしい。しっかりし
てくれNTT。

1996年8月13日 火 曇り時々雨


 航平の風邪は大分良い方向に進んでいる。はぜ山先生
のところで鼻水を取って貰うと沢山出てくる。のどにル
ゴールを塗るのも先生は上手で航平はけろっとしている   
間に処置が終わる。

 お風呂にはまだ入っていない。ベビーバスで少しだけ
体を洗うが2.3分で終える。

 昨日お盆で休みになるので皮膚科医院に行ってあせも
の薬を貰ってきた。僕の薬もなくなってしまうが病院は
今週一杯休みだ。

 あちこちで夏のレジャーの話を聞くがうちのレジャー
は航平とたわむれて遊ぶことだ。

1996年8月14日 水 曇り後雨台風接近

 航平は最近ノンタンの絵本の表紙を見てよく笑う。不
思議なのは何故ノンタンが面白いと分かるのだろう。私
が笑っても微笑むし、怒った顔をすると泣き出すときも
ある。

 テレビの恐いシーンで泣くときもある。ノンタンの絵
が何故彼にとっておかしくて笑ってしまうのだろう。誰
もノンタンが面白いと教えた訳ではないし、おかしいと
学習する能力も今の所全くない。

 それでチャコちゃんはノンタンのぬいぐるみを作って
みた。ノンタン絵本の方がよく笑うけれどノンタンぬい
ぐるみを見てもやはり笑う。

 ぬいぐるみを航平の手の近くに持っていくとちょうど
手や足の所を上手につかむことができる。手に取って笑
いながら眺めた後、瞬時にぬいぐるみの頭は航平の口の
中に入ってペロペロなめている。

 写真はチャコちゃんが作ったのんたんぬいぐるみと何
日か前に作った自動車の後ろに付ける掲示板だ。スキャ
ナーの上にぬいぐるみを載せて特別な設定もなく、出っ
張っているのでふたを半分くらい閉じて取り込んだ画像
だがとても良く写っている。


1996年8月16日 金 晴れ 酷暑

 自分がひいた風邪は航平にうつり、最後はチャコちゃ
んにうつった。チャコちゃんは薬を飲んでいるが元気だ。
航平は薬を飲んで鼻水も出ているが風呂の許可が昨日で
た。私は漢方薬だからしばらく飲むが全快した。

 体を考えてしばらく家の中に閉じこもって気持ちが沈
んだ。盆の休みだから平日だが遊ぼうと言って出た。

 すいている都心に向けて発進した。駒沢通りを何処ま
でも行って麻布に出た。渋滞はないががらがらではない。
チャコちゃんは首相官邸を見たことがないのと言って一
周する。ここで幾度動乱があっただろう。

 銀座を抜けて海に向かう。花粉症だからか、海に引っ
張られる。
 「昨年、広い施設に人がいなくて楽しかった臨海部副
都心に航平のおむつとおっぱいのために立ち寄れたらい
いのになあ。」とチャコちゃんは言うが、ここはその臨
海副都心だ。

 しかし駐車場はほとんど満車で見上げるとゆりかもめ
から降りてくる人が行列している。ホームページの写真
集の中にがらがらと書いたのは誤解を招く。

 去年はひっそりとしてオタワを歩くようだった。今は
レストランの赤いのぼりがにぎやかだ。

 少し走って良い場所ではないが海の近くに止めて車内
で航平の食事と作ったおにぎりを食べる。休息して銀座
にもどり日比谷公園で休んだ。

 久しぶりだった。野外音楽堂の横は見違えるように整
備されて花が植えられている。バギーに乗った航平を写
真に撮った。綺麗な場所でフィルムの残り全部撮った。
 「8枚あったのにもうない。」と怒られる。

 この公園は綺麗だ。整備されている。キャンディを木
陰のベンチで食べて、航平になめさせた。子供用の遊具
にチャコちゃんは航平を載せて遊んだ。

日比谷公園での写真
1996年8月15日 木 晴れ

 かつて私は地方公務員だった。地域の人のために尽くし
たいと思って志望した。しかし実際に仕事をすると多くの
職員は真面目で前向きに努力するのだが、組織自体が硬直
していて地域住民のために努力しようとしてもそれは十分
に出来なかった。改善される方向も見いだせなかった。

 自分は地域の人のために尽くせないことに失望していた。
こんな無意味な人生を送っていて良いのだろうか、辞めた
いと毎日考えていた。

 ある時辞職の申し出をしたのだがそれは地域の人に尽く
せなかったから申し出たのではなかった。向かっている仕
事に疲れたのだった。もともとやる気のない所に仕事が積
み重なってもう逃げたくなったのだ。だからいまだに自分
としてはかっこが悪い。しかしチャコちゃんの好きな、
くどうなおこの言葉の一節だ。

したことはしたかったこと
しなかったことはしたくなかったこと


 今の私は実に幸せだと思う。他人から見るとそして客観
的な様子から見ると辞めなければ良かったのにと思う人も
中にはいるかもしれない。しかし私は心から今の状態を望
んだと感じている。また人はきっと現在の自分を悪くは思
わないからもしも辞めなくても、それで良かったと思うだ
ろう。


 人は真の動機と異なることをその理由とするときがある
かもしれない。私たちは一人の人間で疲れるときもある。
間違うこともある。しかし何とか立ち直れるのは誰かの愛
情があるからだ。



 今ラインを接続してばうわうさんの日記を見てみた。登
録情報を見るとやはりすべてが消えていた。今まで楽しま
せて貰っていた過去のジョークや言い回しが思い出される。
うちの中の会話は最近
「コラコラ」とよく言う。
「また、ばうわうさんの言い方になっちゃった。」と言っ
ては笑った。


 とほほ日記が帰って来てくれれば私は歓迎する。




先に書いた、とほほ日記よ、復帰して欲しいに行く

夜久則彦さんのことで、みんな落ち着いて



 ネット上での気を付ける事柄をネチケットから抜粋し
てみた。こんな悲しいことが再びおこらないで欲しい。



電子メールのガイドライン

◇あなた宛の個人的なメッセージを、あるグループに再投稿する場合には、あらかじ
め発信者に再投稿の許可を求めておかなければなりません。


◇よい経験則:送信する内容には慎重さを、受信する内容には寛大さを心がけましょ
う。たとえ挑発されても、激情的なメッセージ(これを「フレーム(flames;炎)」
と呼びます)を送ってはいけません。一方、もしあなたが火あぶりにあって〔非難さ
れて〕も、驚いてはいけませんし、フレーム・メッセージに対しては応答しないのが
賢明なやり方です。


◇受け取り人は、文化、言語、ユーモアの基準があなた自身とは異なっている人間で
あることを忘れないでください。特に、皮肉〔いやみやあてこすり〕には注意してく
ださい。


◇声の調子を表わすためにはスマイリー(顔マーク)を使いましょう。ただし、控え
目に。ただし、スマイリーをつけておくことで、受け取り人があなたの言うことに満
足するとか、ほかの侮辱的な言葉を拭い去る効果があるなどと仮定してはいけません。


◇メッセージに対して感情的な応答をする時、送信する前に一晩待ってみましょう。
あなたがその問題について本当に強い思いを持つならば、FLAME ON/OFFで囲ってから、
それを表現しましょう。次はその例です:
  FLAME ON:  This type of argument is not worth the bandwidth
             it takes to send it.  It's illogical and poorly
             reasoned.  The rest of the world agrees with me.
  FLAME OFF
 (和訳)
 フレーム始め: この種の抗議を送るのは、バンド幅の無駄遣いだ。非論理的で合
         理性に乏しい。ほかの人は世界中みんな私の味方だ。
 フレーム終わり:


◇そっけなさすぎることがない程度に簡潔な表現を心がけましょう。メッセージに応
答する時には、理解するために十分なだけのオリジナルの文書を含めておき、それ以
上の部分は省略しましょう。ある1つのメッセージに返答するだけのために、前のメ
ッセージの全文を引用して含めるのは、非常に悪いやり方です:無関係な部分はすべ
て削除しましょう。


◇電子メールメッセージを配達するのにかかるコストは、平均すると、その送り主と
その受け取り人(あるいは、彼らの組織)がだいたい等しく負担します。これは、通
常郵便や電話、テレビ、ラジオのような他の媒体とは異なっています。また、誰かに
メールを送ることで、ネットワークバンド幅やディスク容量、CPU処理量のようなそ
の他のコストを相手に負担させているかもしれません。これは、頼んでもいない広告
電子メールが歓迎されない(そして、多くの状況において禁じられている)ことの基
本的経済的な理由です。


◇頼まれてもいない大量の情報を他人に送ってはいけません。




 1対多の通信でのガイドライン



◇システム利用者の行為に関して、そのシステム管理者を非難してはいけません。


◇多くの読者があなたの投稿を読むということを考えましょう。その中には、あなた
の現在の、あるいは将来の上司がいるかもしれません。あなたが書く内容に注意しま
しょう。また、メーリングリストもニュースグループもしばしばアーカイブになり、
あなたの言葉が非常に長い間多くの人々がアクセスできる場所に保管されるかもしれ
ないということを覚えておきましょう。


◇ある人の発言は、その人の個人的な意見であり、(特に明示していない限り)その
所属組織の見解ではないものと考えましょう。


◇メッセージや記事は、簡単で要領を得たものでなければなりません。的外れの話題
をさまようことなく、脱線することのないようにし、単に他人の誤字脱字を指摘する
ためだけのメールや記事を送ったりしてはいけません。これらの行為は、他のどんな
行為よりも明白にあなたが未熟な初心者であることを示してしまいます。


◇偽造やごまかしは、承認された行為ではありません。


◇あるメッセージについて返事を送ったり投稿する時には、必ず先頭にオリジナルの
要約を書くか、状況を伝えるのにちょうど十分な量のオリジナルの文を引用として含
めましょう。これで、あなたの返事がどこから始まるのかを確実に読者に理解させら
れます。特にネットニュースでは、記事があるホストから他のホストに次々と配送さ
れるため、オリジナルが届く前に返事が先に届いてしまうこともあります。状況説明
を与えることは、全員に役立ちます。ただし、オリジナルの全文を含めることはして
はいけません!


◇自分がある1人の人と意見が一致しないことに気付いた時には、メーリングリスト
やニュースグループにメッセージを送り続けるのではなく、個別に電子メールで返答
しましょう。そのグループが何がしかの関心を持つかもしれない点を討論しているな
らば、あなたは彼らのためにあとで要約をしてあげても良いでしょう。


◇フレーム戦争(感情的論争)に巻き込まれてはいけません。火のつきやすい記事は、
投稿してもいけませんし、返答してもいけません。


◇返答に対して、もはや必要のない返答でしかないメッセージや記事を送ることは避
けましょう。


◇さまざまなニュースグループやメーリングリストが、さまざまな趣味や話題を議論
するために用意されています。これらは、生活様式、宗教、文化の多様性を表わして
います。あなたが反対意見を持つグループに対し「あなた方の考えには反対だ」とい
う攻撃的なメッセージや記事を投稿することは受け入れられません。性的、人種的い
やがらせのメッセージは法的な問題になるかもしれません。



 以上です。

1996年8月17日 土 晴れ

 外に出たいので家族揃って東急ハンズに行く。道は空
いているが渋谷は大変な混みようだ。用事は取って付け
たもので、節水器具を買いに来た。

 風呂の給水に一定量を指定して自動的に湯が満たされ
て止まる器具を蛇口に付けていた。便利に使ったが航平
が産まれる前に壊れた。水道料金が航平の産まれて相当
上がった。以前は風呂に水をためる間にこの日記は書い
たが途中でよく忘れた。

 ダイエーにもダイクにもなかった。店員に聞くと製造
中止になったと言う。似たものはあるが使い勝手が悪い。
どの店員も商品に付いて熟知していた。何故あんな便利
なのに製造しないのだろう。後継者難かなと想像する。

 捨てたが修理出来ただろうか。世の中に商品が揃って
いるのに、自分が古いか製造業の不振か、時代の移りを
感じる。結局航平用のタオル地と布を買う。

 航平の二度目の外食はその隣のマックのアイスクリー
ム。

 今までお湯が顔にかからないように細心の注意をして
いたがシャワーを航平に頭の上からかけてやると大喜び
になることを発見した。

 航平のかわいいしぐさは頭をかくこと。手が短いので
横を向かないとかけない。

 航平の友達は「風みつる」君。寝ている横で「風にな
びくカーテン」の名前。顔の上にかかって笑う。


1996年8月18日 日 晴れ

 外出のために赤ちゃん本舗に買い物。ベビーフードと
洗髪ハット、沐浴剤、ベビー洗剤、電動整髪機を購入し
た。

 買い物をすると気持ちが晴れるのは何故だろう。ブロー
カーの語源は購入したい気持ちと販売したい気持ちが盛
り上がるの壊すことだと聞いた。ベビー洗剤で欲求の整
理が付くだろうか。

 赤ちゃん本舗の実体は小売店だが、問屋で子供のいる
人は特約小売店として登録できる。バックマージン(100
円の金券)や、仕入れ、仕切り書、請求伝票の文字がいか
にも安くて誰にも開放しない特別なあなたの店という印
象をかもしだしている。

 購入したナショナルのパックンスキカル(2000円)の
保証書に店の印がないとチャコちゃんは言うが、うちが
小売店だから印鑑はうちで押す必要がある。ベビーの店
チャコちゃん。

 帰りに戸越銀座を散策する。とおり際ここにはまだ来
たことが無いねと言いながら立ち寄る。ゆったりと商店
街を歩いて戸越の住人になる。

 チャコちゃんはしっかりとした作りのティーシャツを
買った。アメリカではなかなか手に入らないMade in USA
で1000円。

 古い商店が多くて誰もが気張らずに買いやすそうな通
りだ。おでん、肉屋のフライ、お茶屋が商店街の匂いだ。
戸越は江戸越しという表示があった。

 コンピューターショップの散策にとても楽しみにして
いるのは秋葉原ホットラインだ。


1996年8月19日 月 晴れ

 母の二十三回忌。妹家族訪問。皆キャンプに行ったの
で真っ黒の顔だった。とも君はまんがが好きで話にユー
モアと機転がある。思いやりがあって優しい。正人氏は
会社帰りできりりとしている。妹はあちらこちらと忙し
そうだ。

 命日の日は親戚が顔を合わせたり互いに無事を話した
りする楽しい時でもある。仏教のしきたりはめんどうな
時もあるし、人の心に合う時もある。今の時代に仏教の
しきたりがどこまで融合されるか新しい感性と仏教がか
み合うのは仏教界の努力も必要だ。

 宗教の時代と言うが仏教が私に果たした役割は私の努
力のなさもあって情けない限りだ。自分が信ずることし
か自分は出来ない。信じることは自分にとって短期的に
得なことになりがちだ。

 自分の信ずることに余りに拘泥すると自分に今、現在、
得なこと以外は出来ない自分になってしまう。仏教の教
えは長期的な視野から短期の利益と長期の利益を考量し
て利益の最大化を計っているだろう。そんなことを寺の
住職から聞く機会も少なくなっている。



1996年8月20日 火 晴れ

 家族三人の夏風邪はやっと収束して皆健康を取り戻し
た。航平は風呂に元気に入れるようになったし頭の上か
らかけられるシャワーの雨に目を開けてコホコホとむせ
ながら楽しんでいる。

 おととい航平ははじめての寝返りをした。きのうは寝
返りが続いてベビーベッドの頭の上の方に縦になって寝
ていた。夜通しエアコンはかかっているがふとんをかけ
ていないことが多い。

 夜7時から12時までの間は私のベッドで寝ているが寝
返りで落ちる不安がある。下に布団を置いて落ちたとき
に備えた。ベッドと壁の間に挟まらないかとも感じる。

 育てられるかどうかの最初の不安は克服したものの事
故から逃れられるか否かの新たな不安が出る。不安は永
遠に続くだろうか。



1996年8月21日 水 晴れ

 夕方家族で野沢へ買い物に行った。チャコちゃんは野
沢の八百屋に時々買い物に行く。その道筋を僕にも教え
たいので一緒に歩いて行ってみることにした。

 野沢は環七通りと246号線の交差点で家から歩いて7分
程のところにある。見ると再開発の表示があって野沢商
店街は23階建てのビルに変わるらしい。お茶屋で話を聞
くと龍雲寺の所有する敷地内に建つ靴屋までの商店が再
開発の範囲で完成は三年後になるようだ。

 ここは環七通りが出来てさびれてしまったが当事者も
近隣も公園が出来るなどで期待されているらしい。地価
の下落が続く時代だが環境が良くなる変化は誰もが期待
している。

 帰りにガストで航平の三度目の外食をとる。客が立っ
たり座ったりして気兼ねなくゆっくり食べられた。自分
達も半年ぶりの気軽な外食で興奮した。

1996年8月22日 木 晴れ

 衣類乾燥機がいつまで運転しても乾燥されない。松下電
器に問い合わせると修理はおよそ一万円以上かかるらしい。
当日修理見積もりの上修理しない場合は3000円かかるそう
だ。

 同時にエアコンから水が漏れている。出口のホース部分
を見てみたが詰まってはいない。本体の中から出ているの
で三菱重工に問い合わせると水漏れの修理はおよそ5000円
かかるらしい。

 昨日双方とも修理を申し込んで松下電器は時間が空いた
からと言って昨日二人で来た。故障個所は電話の段階で分
かっているらしくベルトを30分程の時間をかけて取り替え
た。料金は8000円だった。

 三菱重工のサービスマンが修理に来てエアコンの本体を
開けると水がたまる部分があってそこのほこりをとると直っ
た。修理はカバーを開けるのに5分程かかって全体でも10
分の修理。料金10000円。本体カバーのネジが隠れていた
ので自分で開けられなかった。ネジの位置が分かれば簡単
だった。

 松下では一万円以上と言われて修理にとりかかる直前に
8000円と提示されて依頼した修理で満足した。三菱重工
は5000円と言われて終わったら一万円だった。物の値段は
厳格に比較検討するがサービスの値段となると何も言えない。
修理する人は暑い中無口に直してくれて、自分も有り難いの
で金額の多寡を言えなくなってしまう。言えなかったことが
不満になる。


1996年8月23日 金 晴れ

 チャコちゃんはお義母さんの命日と実家で祭りがある
ので航平を連れて一泊の里帰りに出かけた。朝私がベッ
ドで寝ている頃に支度を済ませて起きた時にはいなかっ
た。

 出産後初めてのことで嬉しそうだ。明日には帰ってく
るが私は独身時代のようにふらふらと一日を過ごした。

 昨日のエアコンの修理の不満について営業所に聞いて
みた。値段は高かったようで昨日の作業員が返金に来た。
自分の思いが通じて満足したがその時申し出れば互いに
余計な手間がなかった点を反省した。


1996年8月24日 土 曇り時々雨 涼しい

 午後四時頃元住吉駅から電話があってチャコちゃんを
自由が丘駅まで迎えに行った。里帰りは楽しかったよう
で航平も好機嫌のまま過ごしたらしい。

 お祭りでビニール製の特大ハンマーを貰ってきた。家
に着くと締め切った空気に驚いて火がついたように泣い
た。近所の林までだっこして連れていくと泣き止んだが、
少しすると再び大声で泣き出した。外で泣くことは余り
ない。とって返したが家で待っているチャコちゃんの所
まで遠くで泣く航平の声は聞こえた。

 チャコちゃんの居ない間コンピューターに向かってい
てトラブルがあった。時々メールを消去したと言うトラ
ブルをあちこちのホームページで見ていたが自分も同じ
経験をした。

 メール受発信用にフリーソフトのEudoraを使用して
いる。送信簿が一杯になったのか、送信するとごみ箱に
自動的に入ってしまう。それでシステムにあるメール箱
を取り出して他のフォルダーに移動した。

 その後Eudoraを稼働すると再び自動的にシステムの中
に新しいメール箱が出来る。その中に古いメール箱から
設定ファイルを取り出して新しいメール箱に入れてやる
とEudoraを使い始めた状態に戻った。

 同様に今までの送信簿と受信簿を入れてみた。入れる
ときに
「同じ名前のファイルがありますが新しいものにいれか
えますか。」
という注意があってリターンキーを押した。

 その瞬間今までのメールは全部消去された。確かに空っ
ぽのメール箱の方が新しい。

 ノートンユーティリティを買いに行こうかと思ったが
バックアップしたフロッピーを丹念に見ていくと、幸い
昨日バックアップした部分に納められていた。百に一つ
の幸運なバックアップだった。

 その後再度作業をしてみると空のメール箱の中の受送
信簿をあらかじめごみ箱に捨てておいてもごみ箱を空に
しないと警告なしで同じように消去されてしまう。シス
テム内だからだろうか。

 現在の状態は送信日付がなくなって同じ状態には戻ら
ない。メール箱はフロッピーディスク二枚だった。
Eudoraをいじる前にはバックアップが必要だ。



1996年8月25日 日 曇り 秋の涼しい風

 チャコちゃんの幼ななじみのみっちゃんの家に家族で
訪問した。夫のかずおさんからどうぞこちらにと誘いを
受けて今日の訪問になった。

 私は外に出て訪問する機会が少なかった。だから家族
でよそのお宅を訪問するのははじめてのことになる。航
平は自分の家に居るように楽しくはしゃいだ。

 遼太くんと映理ちゃんが小さかった頃のアルバムを見
ると幸せが二人の成長と共に刻まれている。二人の楽し
いことがそのまま両親の幸せを表現している。映理ちゃ
んは航平のために前からあたためておいた、タオルをプ
レゼントしてくれた。


タオルの写真

1996年8月26日 月 晴 涼しい

 昨日の夜9時過ぎに玄関のチャイムの音がした。イン
ターフォンをとると訪問者は名前を名乗った。よく宗教
関係者が訪問することがあるから夜遅いのでその場で失
礼しようと思った。

 よく聞くと3月22日に起こした交通事故の相手方の青
年だった。招き入れると玄関先で交通事故の謝罪をして
おわびをいただいた。

 私は保険会社から十分に補償を受けたし、何より青年
が無事で自分自身安心している。彼の謝罪のしるしは思
いがけなかった。

 彼は事故からずっと謝罪したくてこれで気持ちが晴れ
ると言って差し出した。実に恐縮したが私はその後の出
来事をある程度話して受領した。

 若い人が無礼だいう話を時折聞くが、けがれていない
純粋な心に教えられた。

1996年8月27日 火 曇り 涼しい

 秋葉原でPD(東レTD-6010)を購入した。先日メール
ソフトを壊しそうになったので、やはりバックアップは
きちんとしておきたいと思った。

 自分で作ったデータの部分は時々バックアップするが
ハードディスクが壊れたときにもシステム全体をそのま
まの状態で保管しておきたかった。

 今まではフロッピィディスクでバックアップして自分
のデータ部分だけなら十分だった。しかし最近はインター
ネットの通信設定やハードディスクの空きが少ないこと
と大容量の保存装置が出回っていることで、フロッピー
で保管していると無性に寂しい気持ちになっていた。

 PDを購入するために秋葉原に出かけた訳ではないが
帰りまぎわになかば衝動的に購入してしまった。MOかPD
かは今まで随分と迷ったが、他の人と合わせる必要がない
ことと、結局一枚で私のハードディスクは全部が入るの
でPDにした。

 接続するのに困ったのはスカジーケーブルの太さと電
源コードの短さで置きたい場所は置けない。電源スィッチ
は本体の後ろに付いていて操作しにくい。

 使用して最も驚いたのは音だ。台所の換気扇に近い大
きい音がする。扇風機を付けて部屋の換気扇を動かすと
それ程気にはならないが、全部が止まっていると動かし
たい気にならない。

 機器を本体より先に電源を入れないと、途中から電源
を入れても(付属のソフトの操作で認識は可能だが)基本
的には認識されないのも使い勝手が悪い。こんなうるさ
いものを最初からつける気にはなれない。

 ハードディスクのコピーはマウスを移動して重ねるだ
けの操作だ。スピードは遅い。始めは二時間かかっても
コピーが終了しなかった。システム内のネットスケープ
ナビゲーターのキャッシュファイルが細かく切断されて
いてその部分の読みとりに時間がかかっていた。

 一度中断してキャッシュをクリアしてハードディスク
のファイルの整理をして再度作業した。おおよそ一時間
で終了した。

 PDから立ちあげると自分のシステムと同じものが確か
に入っているので一応購入の甲斐があった。フロッピー
で保存しているものも随分たくさんの量が入っていく。

 ファイルが分断されていなければ遅さは気にならない。
通常のCDを読んでいる感じだ。CDドライブは4倍速だが
本体の倍速と比べてほとんど速さは似たように感じた。

 PDはあれば便利で買って良かったとは思うが、やはり
まだ過渡期の商品だ。もっと速く使い勝手が良くて本体
に内装されたら購入するものだろう。

 昔フロッピーディスク装置がないころに外付けの記憶
装置を購入して接続した時代に戻った気分だ。最も気に
なることは本体のハードディスクが動き過ぎて壊れない
だろうかということだ。


航平の写真

1996年8月28日 水 曇り時々雨 肌寒い

 購入したPDにどんどんとデータを入れた。500メガの
ハードディスクとフロッピーディスクでやりくりしてい
たから実に640メガの容量は自分にとって余りある。6畳
一間の生活から田園地帯の屋敷に引っ越したようだ。

 カタログ記載の目的は得られたが現実の使い勝手は大
変に悪い。スカジー番号と終末抵抗の設定はディップス
イッチで行うから設定の変更のたびに説明書を探し出す
必要がある。

 デバイスドライバーと称するPDを操作するB's Crew
と言う付属ソフトも理解しにくい。マウント、ドライバー
の更新、フォーマットが必要な場合とイニシャライズが
必要な場合、転送幅と同期転送幅の設定、ラジオボタン、
フラグメンテーションと、普通の生活をする人は購入し
ないで欲しいと言う単語が続く。

 アンケート葉書に
「コンピューターを知らない人に説明書を書き直して貰っ
て下さい。」と書いた。

 各種ディスクの最適化が可能だが本体ハードディスクの
最適化は出来ない。

 PDはCD再生が出来る。この機械を開発した人は恐らく
CD再生に多大な満足感を得ただろう。現況のCDドライブ
にとって替われる。CDドライブを持っていない人にとっ
てこんな素晴らしい機械はない。しかしCDドライブはあ
る。

 そして、音楽CDを聞くにはスピーカーを付けなければ
ならない。本体スピーカーから音は出ない。結果音楽CD
は使えない。前面に音量つまみはある。コンピューター
CDソフトは動画も音も出る。

 スピードは遅いのでシステム起動ドライブとしてはな
めらかには動かない。ぎくしゃくする。ピンボールゲー
ムは差し支えなく出来る。

 使い勝手が悪いが容量増加の価値を受けてその内に慣
れることを期待している。悪くはないが満足した出来ば
えではない。


1996年8月29日 木 曇り 涼しい

 午後妹が自転車で来る。智君は友達とファミコンで遊
んでいるらしい。静岡への旅行は楽しかったようだ。

 自動車のブレーキの故障が直ったという連絡があって
日産プリンスに家族揃って取りに行った。アルミ缶ももっ
てその後ひもんやのダイエーに行く。

 七階の旅行コーナーのパンフレットを見る。海外への
団体旅行の旅程を見てもとても航平を連れて行くのは不
可能だ。今年の夏は何処にも行っていない。行ったのは
羽田空港と日比谷公園くらいだ。

 だから楽しくないという訳ではない。ただ涼しくなっ
てこおろぎの鳴く声が聞こえてくるともう秋だなあとい
う感じだ。


 
写真 8月4日 羽田空港で
チャコちゃんが作った得意のキルティング製買い物バッグ

1996年8月30日 金 晴

 隣の家のくすのきが朝から夕方までかかって切り倒さ
れた。永いこと育って大きくなり隣のビルや家の屋根に
かかって迷惑になっていた。

 夏のさなかには葉が風にたなびいてベッドの横の窓か
ら見える景色をなごませていた。枝を落とし、上の方か
ら一メートルずつ切って、さいご二メートル位が残され
てビルの壁が白く見える。

 チェーンソーの音に航平はぴくぴく動いていた。そこ
の家のおばあちゃんの姿は見えないけれど、家族が望ん
で切ったのだろうか。

 南側の家は見渡す限りの大木に育ち茂っている。家々
の樹木は地域にとって大きな財産になっている。


 
写真 テーブルに家族三人

1996年8月31日 土 晴

 航平が寝返りを打つようになって寝る場所を替えるた
めに昨日掃除をした。だんだん収拾がつかなくなって二
つの選択をする必要に迫られた。

 一つは物を家のなかからどこかに移動すること。もう
一つは収納用具を家のなかに入れること。結局幾つかの
ものを捨てて家族三人で整理タンスを探索しに出かけた。

 池袋の東武デパートに行った。店舗が大きいので品揃
えを期待したが、今の期間は整理タンスはないそうだ。
西武デパートもなかった。整理タンスはないという情報
が何故自分に今まで入ってこなかったのだろう。

 池袋は幼稚園の頃生活した。立教大学の木々の中とデ
パートの中が遊び場だった。西武デパートにはヘリコプ
ターが発着していた。新しい建物は立ったが面影はその
まま残っている。

 父の仕事の都合で埼玉県に引っ越したとき東京に来る
というのはまず池袋に来ることだった。高校は小石川に
あってはじめて友人とピザを食べに来たのも池袋だった。
「ピザってどんなもの。」と聞いたら
「はじめは美味しいけれどお腹が一杯になると食べられ
なくなるものだ。」と言っていた。

 夜遅くまで遊んだり語ったのもここだった。自分にとっ
て何か寄り添いたくなるような土地かもしれない。航平
の四度目の外食は東武デパート杵屋のうどんだった。




しゅんちゃんが聞いた。

「どうしてまあおじちゃんちは本がたくさんあるの。」
「本をここに置いたからだよ。」

1996年9月1日 日 晴 防災の日

 昨日は池袋のあと上野のはやみず家具センターを見た
が10階建ての建物に見物客は10人位で、古い重い大き
い家具が並んでいた。

 朝新聞の折り込みチラシを見ると臨海副都心に日本最
大の家具の展示場があると書いてあるので出かけてみた。
国際価格と言うのも検証したかった。

 臨海部副都心は行くたびに進化している。ファッショ
ンセンター中にショールームはあって美しい最新の家具
が広々と展示されていた。

 米国製家具も多く展示されて価格は納得できる。私た
ちは地下からすうっと入ってしまったが、普通は入り口
で住所氏名を記入して一人の販売員が接客し続ける点が
気になるけれど、品物の量と質、展示の美しさは日本国
内でかつて一度も見たことはない。

 ビルの地上階は大きな吹き抜けになって竹が植えられ
マクドナルトやレストランがある。米国IBM本社ビルを
模した様にも見えた。

 マックシェークを持って椅子に座ると東京湾の船と海
が続いて見える。高速道路は直結して全国に道路は広が
り埠頭は世界から物資を入れる。湾岸地域は豊かさと繁
栄の最先端に写る。最先端というのはバギーを押しやす
いということだ。
1996年9月2日 月 変な空

 自分は自分の性格を知っているように思うが気がつか
ないことも多い。この文章を読む人はやさしい性格だと
思う人がいるだろうか。自分はやさしいと人から言われ
ることがある。やさしすぎると言われることもある。厳
しいと言われることもある。恐いと言われることもある。

 高校も三年生の最後卒業式をま近に控えた頃それ程親
しくはない男子のクラスメートの一人から電話があって
話したいので池袋に来るようにと誘われた。

 出会って直ぐに近くの喫茶店に入って話すと私が彼を
変な目で見ているような気がして恐いのだと言う。全く
身に覚えがなくてびっくりしてしまった。

 彼は優秀な学業成績だったから私は心から尊敬してい
たし羨ましく見えることはあったけれど嫌うこともねた
ましいこともなかった。
「そんなことないよ。」と言ってしばらく歓談して
「それじゃあ元気でお互い大学入試いい結果を期待しよ
う。」と言って別れてからそれっきりになっている。

 おそらく今も元気で生活しているだろうと想像してい
るし、便りがないことは無事だと思うより仕方がない。
あれからも気になってクラス会の通知を送ったりもする
が届いた様子はあっても返事はない。その後彼と会った
同級生もいないようだ。

 自分が何故彼を傷つけたのかはいまだにわからない。
自分に責任はないと思うが多くのクラスメートの中から
私が選ばれたのは理由があったのだろうかと考えてしま
うことはある。


おとうさんとにっこにこの写真
1996年9月3日 火 晴

 二階の南西の角に出窓がある部屋がある。出窓の前は
隣の窓になっている。互いに窓と窓がぴったりと向き合っ
ているからその部屋は納戸になっている。

 何年も納戸のままでいて床がふかふかになっていた。
昨日大工に連絡すると朝方来た。雨漏りもあるがさっそ
く材料を買いに行って一日がかりで部屋の全部がフロー
リング作りに仕上がった。

 この大工は仕事が早い。すっかり部屋は新しくなった。
本来この部屋は旅館の次の間のように考えられている。
しかし東京での寸分許さぬ生活の中では次の間のゆとり
はない。納戸となって収納されていた物は今まだ出てい
るが大工も
「こんなにたくさんここに入っていたんですか。」
という位大量だ。次の間を捨てて納戸を選択している自
分は精神より物質を優先しているのだろうか。

 この大工はずっと前から随分と年をとっていた。
「コンピューターの仕事はどうですか。」と問われて
「大工さんは技術が古くならないのが羨ましいですよ。」
と答えた。


お気に入りのぶた公園の写真


1996年9月4日 水 晴

 自動車のブレーキ警告ランプが点灯している。先週木
曜日に直して同じ症状が再び起きた。ブレーキ動作に異
常はない。ブレーキマスターシリンダーの交換をして既
に4万円を支払っている。交換修理は正しかったのだろう
か。

 自動車が古くなると修理箇所が出る。面倒なことだ。
私の車の減価償却費はおよそ年間20万円以上であって
償却は既に済んでいる。修理費と心理的負担と後進性と
安全性コストがそれを越えれば古い車は非経済的でひと
りよがりの自己満足になる。修理はいやな思いをする。
しかし減価償却費を下回る金額は自分への贈り物と思っ
て仕方なく出来るだけ早く修理した方がいい。

 いやな思いは損失だ。修理したあとは何処が壊れてど
んな部品を換えたのかを尋ねる。午前中に修理工場に自
動車を再び持っていった。新しい部品の取り付けネジが
閉まってなかったそうだ。気持ちよいエンジン音で快適
な状態に戻った。


写真 航平泣かないで、おかあさんも泣かないで


1996年9月5日 木 晴

 天気がいい。九月の空だ。学校も始まって秋の風情だ。
一太郎のバージョンアップの知らせが来た。サポートは
有料になる。巨大なソフトだ。絶滅する恐竜を思ってし
まう。

 午後から秋葉原に出かける。新玉川線から表参道で銀
座線に乗り換える。神田駅で降りる。ステップのマック
館は確かになくなっていた。必ず立ち寄る店だった。ス
テップ本館も展示商品が少ない。

 万世橋から見える川の水は綺麗だ。鯉も泳ぐが台風の
大雨で巻き上がる汚泥が天敵だ。警察の前から信号を渡っ
てソフマップマック館に着く。良い店だが音楽がうるさ
い。無料の雑誌は帰りに読むのに感謝している。

 中央線のガード下の信号を渡って九十九電気に入る。
そのまま地下に降りる。先週PDを購入した。1ギガのハー
ドディスクが安い。聞くと製造元のウィンシステムは倒
産したらしい。美しいデザインの周辺機器は一体的で高
級感があったがメーカー名はマジックで消されていた。
他の店は高く販売しているから九十九電気は良心的だ。

 北の階段を上がるとラオックスマック館でフルーツ
ジュースを買う。店内を見てラオックスコンピューター
館に入る。一太郎の音楽は金太郎が出て来そうだ。
ラオックスアウトレット館、最近は余り目を引かない。

 チラシを貰いながら小さい店をのぞいてT-zoneに入
る。最上階のアウトレットは見逃せない。スキャナーは
ここで手に入れた。ウィンドウズのページプリンターは
格安だった。

 再度小さい店に戻って32メガバイトのメモリーを購入
した。ガムでも入れる袋につめて並んで大人が買う軽い
小さい商品が他に有るだろうか。昨年の八分の一近くま
で値下がりした(17767円)。

 何時もこんな風に歩くのは目を休めたいのと歩きなが
ら考えたいのも一つの理由だ。末広町から電話をして戻
ると駅で航平とチャコちゃんが待っていた。



写真 夏の思い出 メモリー


1996年9月6日 金 晴

 昨日秋葉原でPC  EXPOの券を貰ったので幕張に行って
みた。日経パソコンに入場券は付いていたが昨年行って
収穫がなかったのでどこかにいっていた。

 アジア最大というが結果収穫はなかった。エンドユー
ザー向けの展示会であって大企業は元気であるというこ
とと人の背中しかわからない。

 大体大企業はエンドユーザーに対して宣伝力を持って
いるから大むねの展示は日経パソコンの広告と大差ない。
松下のDVDを見てもダイエーのコルチナのテレビと写り
に変わりはない。昨年そう思ったからもう来るのはよそ
うと思ったのにまた来てしまった。

 展示会で面白いと思ったのは三年程前に見たTooとい
う会社が主催した印刷の展示会だった。その頃何とか自
分で印刷が出来ないかと思っていたので展示会情報を調
べて主催者に問い合わせて行った。

 Tooの顧客だけが大半案内されていて私のように門外
漢は珍しがられた。小さいスペースだったが見る物が目
新しくて客は少なくてゆっくり事情を聞けた。

 コンピューターに携わっていると印刷も出来そうな気
がする。しかしそこではパソコンはおもちゃのようだっ
た。印刷機は安い物で1000万以上したし、スキャナー
だって4000DPIなどと表示されていた。

 印刷物は異なる大きさの文字が整然と並んでいるから
美しいと知ったのもそこだった。ビルの壁ほどの大きさ
の垂れ幕を印刷するプリンターもあった。展示されてい
るものは内輪だけが知りうる情報だった。知らないこと
を知るために出かけてはじめて知ったので感動した。


1996年9月7日 土 晴

 出産祝いに木のおもちゃを前にいただいた。その店か
らダイレクトメールが届いて家族で出かけた。大田区西
糀谷に店はある。日本の工業を支える中小加工メーカー
が軒を連ねる場所だ。近所の人に場所を聞いてもその人
は知らなかったし外からは見ても目立たない。

 店は美しくて数名の店員と何人かの客が忙しく動いて
いた。ただの木で作った子供のおもちゃが並んでいる。
古い商品がバーゲンセールで販売されている。はがため
用のかちゃかちゃ、指先大のひばちと茶釜、くるくる回
すプロペラ、ママのおっぱいの感触のスポンジ風ボール
三個を手に入れた。

 近くにチャコちゃんが習ったお茶の先生の家があるか
らと訪ねた。何年ぶりかで会ったようだったが部屋にう
かがってひとしきり昔の話しや最近の消息など聞いた。
私は初対面でチャコちゃんから聞いたり年賀状を拝見す
るだけだったが実際会うと喜寿に見えない。

 毎週1000メートル泳ぎ高校茶道部の指導に行って逆
に若い人から話しを聞くのが楽しいらしい。
「子育ての中で子供からは随分教えて貰うからこれから
楽しみですよ。」と言われた。


写真 はがため用(むずむずするので噛む)のかちゃかちゃおもちゃ


1996年9月8日 日 晴

 とうもろこし相場が高騰しているという特別番組が放
送されていた。日本は言うまでもなく穀物輸入国である。
コメの輸入規制が厳格になされているから穀物管理全体
が厳格に統制されているような錯覚に自分自身は陥って
しまう。

 しかしコメ以外の穀物について日本以上に輸入に頼っ
ている国が他にあるのを知らない。米国はもちろん食料
輸出大国だが英国、フランス、ドイツ、イタリア、スペ
イン、中国、韓国、タイの穀物自給率はおおむね日本程
低くない。

 コメを大事にするのを隠れ蓑にして国民の安心は逆に
忘れられている気持ちになる。


食料自給率  1992 日本国勢図会

	日本 デンマーク英国 フランス	ドイツ	スイス	伊国スウェーデン米国
穀物   30	119	105	221	106	47	80	124	109
いも	93	134	90	101	95	100	86	93	95			
豆	8	224	106	136	27	14	57	87	11
野菜	91	69	88	86	40	58	122	69	97
果実	63		11	63	41		113	121	96
肉	70	355	79	104	93	90	69	121	96
卵	98		97	96	71		95		102
乳製品	78	194	99	103	105	109	85	107	100





写真 僕はおしゃぶりがだいじ




1996年9月9日 月 雨

 久しぶりの雨で利根川の取水制限が一部解除されたよ
うだ。日本は水と安全はただだと言われたがこのところ
水不足がよくおきる。

 成田を降りるときに空から眺める千葉は一面のゴルフ
場だ。スキー場は開発すると森林を伐採するので不幸な
ことに降雪量が少なくなってしまう。エルニーニョによ
る異常気象の影響もあるかもしれない。

 日本は石油を産出しない国だから至る所に輸出用の工
場を作らなければ食べていけないと良く聞いた。

 日本が貿易大国であることは事実だ。貿易総額は米国、
ドイツに次いで世界第三位に位置する。しかし私たちは
一人当たり平均して470万円程を作り上げるが輸出額は
25万円程、輸入額は20万円程だ。

 批判を受ける貿易黒字は5万円だ。その5万円が増えた
か減ったかは実によく耳にする。かつて中曽根氏が解消
のために一人2万円外国製品を買って下さいと言っていた。

 確かに25万円輸出したら25万円輸入すれば豊かだ。
20万円輸入するなら輸出は20万円にすると楽が出来る。
豊かさは生産した470万円で何が手にはいるかを意味す
る。

 貿易総量は大きいが一人当たりの金額すなわち貿易依
存度となるとそれ程多くないことが分かる。私たちは意
外なほど内需で生計を営んでいる。




    貿易依存度と一人当たり貿易額

               日本国勢図会1992

		貿易依存度%	一人当たり貿易額ドル

		輸出	輸入	輸出	輸入

日本		9.7	7.9	2323	1901
韓国		27.3	29.3	1519	1632
シンガポール	49.6	172.4	17576	20262
スウェーデン	26.1	24.8	6708	6376
イギリス	18.8	22.8	3239	3918
ドイツ		28.7	22.6	5523	4354
オランダ	47.2	45.1	8825	8447
ベルギー	60.6	61.5	11575	11748
フランス	17.7	19.6	3724	4132
カナダ		22.9	21.0	4789	4391
米国		7.2	9.5	1575	2068
オーストラリア	14.8	13.8	2319	2270






 写真 ここで定点撮影を続けています。三月から一人増えてます。 

           駒沢公園で



1996年9月10日 火 晴

 夕方家族でダイクに行って散水栓の接続部品を手に入
れる。小さい部品だが決まるまでダイクをもう既に三回
車で往復している。店員は丁寧に指導してくれた。

 その後ダイエーに行く。帰りまぎわにフードパークで
食事をとった。かつてここで食事をとることは二人とも
軽蔑していた。こんな所で夕食を済ませるなんて許せな
かった。

 食べたカツ丼は美味しかった。
「どんなにかっこわるくても楽しんだほうが勝ちさ。」
などと言いながらも心底美味しいと思った。

 人間て幸せと不幸せが誰にも等しく与えられているよう
な気がする。そんなカツ丼が旨いと思うのは不幸かもしれ
ないし、そんなカツ丼でも旨いと思えるのは幸福かもしれ
ない。物がなんであれ旨いと感じる脳と刺激は同じだ。

 帰宅して航平を風呂に入れるが最近何故かよく泣く。頭
も洗わせてくれない。ぐずぐずしている。



  


 写真 箸が転げてもおかしかった頃の昔のチャコちゃん

      出会ったころの思い出



1996年9月11日 水 晴

 航平は午前中隣の家のりさこちゃん親子と一緒に野沢
児童館に行った。ベビーの集いが毎月あるらしい。ただ
そこに集うだけらしいが気分転換には役だったようだ。

 近くに深沢児童館というのもある。地図を見ると野沢
児童館の方が近い。気持ちの上では遠いと思っていたの
で意外だった。地図上で東方向は全体に遠くて不案内に
感じる。西方向にはよく出かけるし近いように感じてる。
世界の都市は西方向に開けていくと聞くが私自身も西の
方向がテリトリーになっている。

1996年9月12日 木 晴

 最近スキャナーで採った画像をここに置いている。今
までスキャナーで画像を取り込むこむ良い方法が分から
なかった。

 理由ははじめに読んだ本が悪かった。ホームページ上
に載せる為には画像をgif形式かjpeg形式で保存する必
要がある。私は「ホームページを作ろう」という本を見
ながら作った。この本は大体良くできているが、画像の
処理については悪い方向に導いた。gif画像を用いて色
数を減らすことの重要性が書かれている。

 指示に従って私の写真集1と2は作られた。軽くするた
めにモノトーンになっている。色の数を減らして軽いファ
イルにすることを幾ら試みても良い物は出来なかった。
写真はgif画像ではだめだった。

 しかしjpeg画像でも軽い小さいファイルは出来なかっ
た。ある時ファイルの大きさにとらわれず作ると軽く綺
麗に出来ている。

 理由はjpeg形式で保存した後でファイルが小さくなっ
ていた。圧縮形式とは知っていたが取り込む前のファイル
の大きさに勘違いしていた。

 今作られている画像は72dpiで16万色の無修正でスキャ
ンされている。ファイルの大きさをおよそ180キロバイト
位に設定する。pict形式で取り込んだ後jpeg形式で保存す
ると180キロバイトは25キロバイト位になる。300キロバ
イトなら35キロバイトくらいだろう。元の写真に近くでき
ている。






写真 おかあさんと反対の方向も向いてみたい

1996年9月13日 金 曇り後雨

 チャコちゃんは敬老の日が近いので航平とお義父さん
の所に里帰りした。朝早くに出かけた。自由が丘までバ
スで行って東横線に乗り元住吉駅で降りてからバスで30
分程行ったところに実家はある。

 私は昔学生の頃渋谷発8時37分急行元住吉行きという
電車に泣かされた。この電車に乗ると遅刻する。この電
車を知らない人は私の同窓生にはいないはずだ。

 学校は日吉にあって9時に授業が始まるがこの電車が
日吉に行けば間に合う。無情にも一つ手前の元住吉駅止
まりだから全員下車しなければならない。

 元住吉駅のホームには遅刻が決まった学生が集う。社
会に出て知り合う人が慶應大学の出身者ならこの電車の
話しをすると必ず笑顔が返るはずだ。

 チャコちゃんにとっては元住吉行き急行というのは座っ
て行けるので願ってもない電車だ。元住吉は恨めしい土
地だったが知るにつけなかなか住み易そうな所だ。物価
は安いし、商店が多い。静かで比較的環境がいい。交通
の便がいい。学校が多く大病院がある。夕方電話があっ
て自由が丘まで迎えに行った。

 自由が丘にチャコちゃんを迎えに出たが時間に遅れて
しまった。
 チャコちゃんに
「ばうわうさんが戻ってきてるんだよ。」
戻ってきたページを見ていて時間がたつのを忘れたのだ。

 はじめばうわうさんのページを見たときには
「ああまたいたずらだ。」と思った。
しかしキャビネットのメールアドレスとばうわうさんの
IIJのページにはかつての同じ内容が同じトーンで刻まれ
ている。

 ばうわうさんがいなくなって実に一ヶ月ぶりだった。
チャコちゃんは
「ふーん、よかったじゃない。これでまた楽しくなるじゃ
ない。」確かにばうわうさんには随分楽しませて貰ってき
た。

 良かれ悪しかれ仲が悪くて喧嘩別れなら互いに傷を負っ
たままだが再会すればかつての喧嘩が互いを知るよすがに
なる。

 さらに希望するなら去った他の人も再び戻ってきて欲し
い。そして上質のユーモアで私達を楽しませて欲しい。
何故ならあなたを見るために日記猿人は便利なのだから。

1996年9月14日 土 雨

 一日雨だ。チャコちゃんは歯医者に行く。マルエツの
二階まで一緒に出かけて私は航平をだっこひもでだっこ
して治療が終わるまで前の本屋で待っていた。

 だっこしながら本屋で立ち読みなんてもう恥ずかしく
はない。終わって地下で紙おむつを買って雨の中を三人
で帰った。

 8月27日に購入したPDについての使用追記。PDはファ
ンの音がうるさい上に本体のアクセスの時にもアクセス
しに行くときがあって、平常は使用していない。

 バックアップの目的は十分に果たしている。購入した
ディスクは二枚でシステムの全部が日付けをはなして二
種類保存されている。

 マックのハードディスクの全部を一枚に納めていて故
障に対する不安は少なくなった。MOかPDかの選択に迷っ
たが今の所PDに対する不満はない。

 ばうわうさんが8月14日にいなくなってがっかりして
投票ボタンをはずしてしまった。戻って来て、歓迎の心
をこめて再び投票ボタンを作った。

 日記猿人上のアクセスは日記猿人参加者について書く
と増えるかもしれない。しかし、英語の動詞は三人称単
数現在形にSを付けなければならない。Sの付く動詞を表
現するにはよほどの注意が必要だ。

1996年9月15日 日 敬老の日

 敬老の日でひいおばあちゃんの所に電話してみる。元
気そうで月末に法事で会うので今日はご無沙汰する旨を
伝えた。

 敬老の日だけではなく毎日が敬老の日であって欲しい
と言う声を聞く。大家族社会から核家族社会に移行して
いるのでかつての大家族の中での暖かみを離れて得るこ
とは難しい。

 気持ちや愛情は距離と関わり無く伝わるが、遠い親戚
より近い他人というように離れていると自然気持ちが伝
わらないときもある。しかし何時の時代でも弱者や少数
者が気持ち良く生きられる社会は大多数の者にとっても
必ず居心地がいいはずだ。


1996年9月16日 月 晴 振り替え休日

 三連休の最後の日だ。天気もいい。昼過ぎ家族で出た。
芝公園で、コンビニおにぎりを持ってシートをひいて航
平を寝かせながら昼食をとった。

 考えてみると子供の頃は公園でお弁当を食べる習慣は
なかった。外にでれば繁華街の食事をとる場所で、相席
になると声をひそひそさせたりしながら食べた。子供だ
けでは入れない所では大人の様子をかいまみた。

 チャコちゃんは公園で食べることがよくあったそうだ。
都会でも確かに外で食べる食事は事の外美味しい。

 航平に食事をやっていると年配の二人の女性から話し
かけられた。しばらく世間話をして笑ったりした。一期
一会の会話で互いの心が洗われる。

 銀座通りに出た。気が付かなかったが銀座は格好の子
連れの場所だ。店が小さく道路は整備されて人もそれ程
多くない。本を買ってマックシェークやハンバーガーを
食べながらもうすっかりと秋の日差しだ。



  日記猿人参加者様向け追記

 今朝のほほんさんが辞めると聞いてびっくりした。何
でえ、と思いながらよく読んで、再び読み直してもやは
り間違いはなかった。言われてみれば実にその通りで、
のほほんさんの主張のどこにも間違いはない。

 実に残念なのは今まで得られた楽しさが思い出になっ
てしまうことだ。のほほんさんの日記はランキング上で
人からの反応も含めて楽しく拝見してきた。

 ランキングプログラムはのほほんさんが何時更新され
たかもすぐに分かった。遠い所にいってしまうような寂
しい気持ちだ。もし気が替わって何時でも戻って来てい
てただければきっと誰もが嬉しいだろう。

1996年9月17日 火 晴後夜になって小雨

 航平とチャコちゃんは隣のりさ子ちゃん家族と一緒に
深沢児童館に出かけた。子育てトークとかで40人位の
赤ちゃんが集まったようだ。航平はりさ子ちゃんから
ちょっとさわられるとえーんと言って泣き出してしまう。
二人で髪の毛をつかんでは舐めあっているらしい。

 午後チャコちゃんは歯医者に行く。その後私は秋葉原
に行く。

 一太郎の新製品が出ていた。以下店員から聞いた話で
確かではないが値段が不思議だ。

一太郎の不思議

マック版ATOK8               6500円
マック版ATOK8+クラリス社ワープロソフト 6500円


ウィンドウズ版
一太郎マニュアル    3000円
ホームページビルダー  11000円

一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎Ver7アップグレード版6500円
一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎乗り換え版      9500円
一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎新規購入版     17000円
乗り換え版と新規購入版は同一で証明はいらないらしい。
一太郎VER4.3                          30000円

無償アップグレードにマニュアルとホームページビルダー
はないらしい。無償アップグレードを受けてホームページ
ビルダーを購入する場合一太郎乗り換え版9500円を購入
する方が安いそうだ。

 昨年から一太郎無償バージョンアップとうたって来たが
ホームページビルダーを希望するなら有償バージョンアッ
プだった方が有利になる。

 この話しをチャコちゃんにしたら
「アップグレード版安いから一つ買っておきなさい。」
と言うが
「でも機械がないよ。」と言うと
「いつか買った時の為にとっておくのよ。」
一太郎が株式ならそれでもよい。

1996年9月18日 水 晴

 航平は寝返りをするようになってもうベッドでは寝ら
れなくなった。それで散らかっていた和室をかたずけて
そこに布団を敷いて寝るようになった。

 今までは12時頃にベッドから抱きかかえて移動して
いたが、かたずけた和室で夜7時半頃から朝まで寝るよ
うになった。

 4畳半と狭くて夜はチャコちゃんだけ一緒に寝ている。
私は別にベッドで寝ている。出産前には三人で一緒に寝
ると観念的に決めていた。

 実際には休める時に休める人がゆっくり休む体制になっ
た。ある意味では臨戦態勢で子育ては戦争のようでもある。


1996年9月19日 木 晴

 航平はチャコちゃんとはるなちゃんの家に午前中から
遊びに行った。4時頃帰ってきた時の航平の顔ははれぼっ
たくふくれあがっていた。

 はるなちゃんの家にいるあいだずっと泣いていたそう
だ。航平が訪ねるので近所の女の子の赤ちゃん二人も一
緒にいて最初はにこにこして写真を撮った。

 その内はるなちゃんが「うううー。」と低い声を出し
たとたん航平は泣きだしてそのまま帰るまで泣き止まな
かったそうだ。

 チャコちゃんも落ち着かなくて昼食ものどを通らなく
て泣きそうだった。おかあさんのりかちゃんは気をもん
でいたそうだ。神経質に育っていると思われたかもしれ
ない。家に帰るとすっかり元気になった。

 夜になってお義父さんが訪問。明朝粗大ごみを取りに
来るのでこれから冷蔵庫、テレビ、扇風機、椅子、パネ
ルヒーターを建物の前に出さなければならない。

 全部故障なく動くがリサイクルに出すゆとりがない。
清掃局で再利用してくれれば嬉しいが気がひけてならな
い。

1996年9月20日 金 曇り後雨

 午前中銀行に出かけた後マルエツの前で糸ちゃんと出
会う。店は閉めて下馬に越したそうだ。ひいおばあちゃ
んの弟が亡くなったので23日にお通夜に行くらしい。

 糸ちゃんの夫は昨日膀胱結石で手術したが大分時間が
かかったそうだ。糸ちゃん自身は元気だった。

 粗大ごみをチャコちゃんと出すのに大変な思いをした。
しかし何故玄関前まで自分で出すのだろう。タンスや冷
蔵庫は重くて大変だ。家は二人いるが単身者や老人、障
碍を持つ人は出せない。

 都庁に聞いてみた。出せない人は民間業者に依頼する
そうだ。理由は効率が上がるかららしい。80万人の世田
谷区全体で二台の軽トラックが月に二日しか回っていな
い。

 効率を考えないと収集出来ないそうだ。都庁にはたく
さん人がいるが、二台が二日とは少ない。

 夜テレビで石井めぐみの「ゆっぴーのばんそうこう」
を見た。優斗君の将来は困難が多いが優斗君が私達を導く
ことは限りなく多い。優斗君が平和に暮らせますように。

1996年9月21日 土 曇り後雨 台風接近

 午後深沢児童館に家族で出かけた。職員から
「今日はお父さんも一緒ですね。」と挨拶された。
子供達はレーシングカー、卓球、将棋、料理、ダイアモ
ンドゲーム、サッカーをして遊んでいた。

 活気があって、チャコちゃんがかつて研修で訪問した
所だけに模範館だと感心していた。図書館でCDを借りた。
航平の図書利用カードを作ってくれた。

 ところで最近携帯電話の無料贈呈というのが多い。も
らった後で加入契約金を支払うのだから無料と言うのは
正しくない。

 秋葉原で「携帯電話安くしときますよ。」と言われる
が値札は10円とか30円とか100円と書いてある。

ガソリン30リットル以上入れた人はプレゼント。
米を10キロ以上買った人はプレゼント。
ボーリング3ゲーム以上の方プレゼント。
ホームページにプレゼントのリンクをしてくれた人にプレ
ゼント。

 新聞チラシに「クイズに答えて携帯電話をもらおう。」
と書いてあるがこすって見ると巧妙に、はずれはない。

 さっきは知らない会社からアンケートに答えて携帯もら
おうのダイレクトファックス。人の紙使うな。

 一台引き渡すごとに13000円程のバックマージンが目的
らしいが商品価格表示が正確でないことへの不快感は大きい。

1996年9月22日 日 台風 暴風雨

 台風17号で大変な暴風雨。妹家族は尾瀬の山小屋で
自炊すると言っていたが大丈夫なのだろうか。台風とい
うとキャンプに行っているような気がする。

 家にこもってテレビを見ていると窓枠下から雨漏り。
こんな所からも雨が漏る。砂壁が落ちてしまうし、カビ
のもとになる。

 夕方天井の方向でドッカーンという大きな音がした。
外に出てみるとベランダに置いてあるうちの物置が倒れ
ている。隣の人も出てきた。暴風雨の中を直そうとした
が中に入っている物が外に出てくるのと、重いのとでび
くともしない。外れかけたドアから中のものが出れば隣
の犬を飼っている庭に落ちてしまう。

 部屋に戻って隣の家に電話をかけて謝って明日以降に
直すことにした。びしょびしょになってズボンとシャツ
はペンキがついて青くなった。

1996年9月23日 月 台風一過

 台風で倒れた物置を見ると、外れた扉の下から品物が
出ている。隣の人は窓から
「手伝いましょうか。」と声をかけた。
「一応やってみて出来ないときはお願いします。」
とベランダ越しに答えた。危険なのでベランダの下に置
いてある車の移動を依頼した。

 扉の下から出ている物を少しずつ出して物置を軽くし
た。持ってみるが角が引っかかって動かない。チャコちゃ
んも手伝うが動かない。反対側に回って手すりに足をか
けて一、二の三でやっと元通りになった。

 扉が外れて中の物が丸見えになる。捨てていいような
物しか入っていない。その瞬間察したのか隣の人は窓か
ら奥に戻った。扉を付けて最後にコンクリート釘で物置
を固定した。物置もベランダの手すりも破損しなかった。
隣の家に電話をして詫びた。

 午後恵比寿ガーデンプレースに行った。サッポロビー
ルがオーナーだがサッポロビルと社名変更してもいい。
人の出も落ち着いてゆとりがある。

 いたる所に座る所があるのが心地いい。ただいたる所
に人が座っているので座る所はなかった。

 展望レストラン脇の窓から眺めると下を通る山手線が
長くてゆっくりと走っている。東京は大きい都市だ。びっ
しりと小さい家が詰まっている。遥か遠くには環状に十
カ所程のゴミ焼却場の煙突が点滅している。

 東京はタンスの中身をぶちまいたような都市に見える。
癌細胞のように強く増殖している。不規則で強くそこに
住む人の住みかも失いかねない程に発展している。

 三越デパートに入るがベビーカーではエスカレーター
を利用出来ない。エレベーターはなかなか来ない。帰る
途中碑文谷のダイエーで買い物をした。航平は途中何人
かの人にあやされた。

1996年9月24日 火 晴

 どんなに平和そうに見える家族にも陰の部分や人に知
らせたくないプライベートがある。

 しかし最も悲しいことは自分の思いや感情が相手に伝
わらなかったり、相手を信じられなくなるときだ。

 明日は調停事件の当事者として東京簡易裁判所に呼出
を受けている。共有財産を私は所有しているが、共有者
の過半数は共有の分割を求めた。私は共有物の分割は非
経済的だと考えるので反対した。その結果相手方は弁護
士を通じて調停を請求した。

 共有物の分割請求は形成権と呼ばれ請求と同時に認め
られる。従って分割は確定的に可能だ。

 しかし、共有物は相続財産である。相続を受けた者は
正しくその財産を所有利用し、再び被相続者から相続人
に継承されるものだと私は信じている。

 しかし現在の民法は米国の個人主義思想を背景として
改訂されて系統をもって所有する思想はない。従って現
行法のもとで厳格に個人の権利を尊重すれば相続財産を
継承し続けることは私だけの意思では出来ない。

 現行法規を遵守するなら家督としての承継は出来ない。
少しの財産に皆が目をむく場合には平等に財産が分けら
れると言う結果が待っている。

1996年9月25日 水 晴時々雨

 午前中簡易裁判所での調停協議だった。弁護士という
職業は依頼者の代理人として依頼者の意思を正しく代弁
しているのだろうか。

 もっぱら取得する報酬によって行動しているように見
える。そんなことを率直に述べたら
「そのくらいで止めておかないと言い過ぎるにも限度が
ある。」
と調停委員からもたしなめられた。調停委員も弁護士だ
そうだ。

 しかし日本は弁護士が少なすぎる。日本中に15000人
程の弁護士がいるそうだがおおよそ1万人に一人しか弁護
士はいない。

 実際私たちは気軽に安価で弁護士に弁護を依頼するこ
とはできない。そしてさっきの回答でも「言い過ぎるに
も限度がある。」といった漠然とした回答しか得られな
い。

 漠然とした反応はその場を一時静めるが調停の互いの
納得という目的からは反して行く。やはり鍛えられた弁
護士なら具体的に納得される言葉を選ぶ能力があってよ
いだろう。

 次回までに答弁書を作成して送付するそうだが書式に
ついて細かく指示された。提出書式に関して指示を受け
るより私が話した内容を文書にまとめてもらえないのだ
ろうか。次回の調停は11月13日水曜午前11時だそうだ。
今日依頼者は一人も出席しなかった。

1996年9月27日 金 曇り時々雨

 裁判所から書面を提出して下さいと言われたが提出書
面は縦書きでなければならないそうだ。

 私はマックを使っているがワープロソフトは付属のク
ラリスワークスを使っていて縦書きは出来ない。添付の
もので縦書きが出来ないこと自体はマックは遅れている
かもしれない。

 しかし今まで不自由したことは一度もなかった。横書
きで十分だった。年賀状もグラフィックと横書きだった。
宛先住所はドローソフトで縦に書いた。マックの操作は
心地よくて縦書きが出来ないことさえ忘れていた。

 安いワープロソフトを購入すれば縦書きは出来る。し
かし納得がいかないのは横書きを許さない理由が不明な
点だ。司法は形式を大事にする側面は強いが文章の堅さ
も外国語のようであって嫌悪感さえ抱く。その上横書き
を許さなければ今でこそ不自由は少ないがワープロ発祥
の頃の利便はほとんど無視されていたことになる。

 受け取った書面は和文タイプで打たれている。和文タ
イプの格調は高いがそのコストは私たち国民の全員が負っ
ている。

 追記
 「MacWORDのお便り」というワープロソフトが標準
で装備されていてそこで縦書きが出来ました。アップル
社様ごめんなさい。

1996年9月26日 水 曇り時々雨

 仙台から多美ちゃんが来た。多美ちゃんは里帰りで実
家の鴻巣に二週間いるそうだ。二月に生まれた可奈子ちゃ
んは航平より一ヶ月上のお姉さんだ。

 昨年仙台に訪問した日は多美ちゃんの懐妊がわかった
当日だった。その喜びに私たちも後から追いかけて一緒
になった。

 多美ちゃんは
「どうですか。授かった気持ちは。」と尋ねるが、お互
い言葉で言い表せずに喜びが笑顔に代わるだけだった。


1996年9月28日 土 秋晴

 午前中かずおじちゃんの三回忌で出かける。お経の後、
市ヶ谷で供養。食事は美味しかった。チャコちゃんと航
平が家で待っていると思うと心苦しかった。

 夕方ダイエーに出かけて買い物もせず、帰りに家族三
人ガストで外食。航平が寝ている横で食べるのも気がひ
ける。最近現実の人間と会う機会が少なくて、少し出か
けても疲れてしまう。かずおじちゃんが亡くなったのが
まだ信じられないのかもしれない。

 日記猿人関係者様向け追記

 今日のちょっとした、私にとって嬉しい、良いページ
「エプロンはずして」
内藤由美ホームページ

 木場えりささんの朝日新聞の
今日の記事は良かったですよ。

1996年9月29日 日 晴

 昼深沢児童館のボランティアグループのフリーマーケッ
トを見た後、馬事公園の環境まつりに行った。昨年もらっ
た苗木や種で今年一年随分楽しませてもらってきた。

 今日の収穫は花の種3袋30円、チューリップの球根12
個200円、肥料たくさん100円、貰った物ウェットティ
シュとポストイット、風車だった。

 人がいない馬の競技場の椅子に腰掛けてチャコちゃん
と航平に離乳食を食べさせた。終わって帰ろうとすると
後ろからはだしの男の子が歩いてくる。

「こんにちは。」と言うとにこにこしているが、他に誰
もいない。
「お父さんは何処。」と聞いても
「三才。」と言うばかりで名前も分からない。
「あっち、あっち。」と言うので行くが誰もいない。

「これは迷子だ。」抱っこして警察本部にいくと
「ああやっと見つかった。」と言いながら警察官が手を
差し伸べた。途端男の子は大きな声で泣いてまま離れな
くなった。

 そのまま引き渡すのが忍びなくて、抱っこして少し待っ
た。5分程して年配の女性が血相を変えて走ってきた。
抱っこしている僕の手から良かったと言いながら、ほっ
とした様子で有り難うございますと言いながらすぐに去っ
て行った。

 家に帰ろうとしたが車の中で航平は寝てしまった。まだ
少し早いしそのまま寝かせたいので夕方の買い物に川崎の
溝の口に出かけた。

 途中「花工場」に立ち寄って切り花とアロエを手に入れ
た。溝の口は活気があった。人が沢山いて混雑していた。
新しい駅ビルが建設中だった。街を少し歩いてイトーヨー
カドーのファミールで夕食をとって航平にも食べさせた。
幾つかベビーフードも買った。遠い商店街で買い物をする
とそこに住んでいる気持ちになる。
1996年9月30日 月 雨台風接近

 9月も今日で終わる。一日雨でうっとうしい。9月の
降雨量は6月より多いというが、じめじめしていない。

 インターネットのブームと言うがこの一年の歩みは
早かった。一太郎の発売が延期を重ねたのもインター
ネットの進歩が遠因にあったのだろうかと想像してし
まう。

 私自身もインターネットから得られたこととインター
ネットに没頭しすぎた面とが双幅する。

 経済的な面での私自身の披露をしよう。アウトレット
もあってすぐには参考にはならないかもしれない。

本体機器
 マックのPerforma588 74000円  95.11
ウィンドウズ95の発売キャンペーンで安かった。とても
よい機械とサービスで不満に思うことは特別ない。
サポートはPerformaフリーダイアルで良くつながる。

プロバイダー接続費用
 年額12000円 入会金3000円 96.3
BNNインターネット 幾ら利用しても定額で早く話し中
も少なくサービスは良い。12時から1時位は話し中がある。

ホームページ掲載費用
 アキウエブ  年額5000円  96.3
サービスは良い。会社の住所は分からない。最初の半年無料。

メモリー
 8メガ 22000円 95.11
 32メガ 17000円 96.6
 随分下がった。最近少し上がっている。

スキャナー
 ヒューレットパッカート 海外製アウトレット
 スキャンジェット3c 600dpi 20000円 96.6
 安くて何かの間違いかもしれない。
 サポートは良い。

モデム
 つなぐ 18000円 96.3
 良くつながる

書籍
 「ホームページを作ろう」 2800円
 作れました
 ソフトウェアはモデムとここに入っている物を使用。

バックアップ
 PD 東レ 45000円  96.9
 データのバックアップに簡単でとても良い。遅くてうるさい。
 データの保存場所を宇宙空間に置いたような気持ち。

ネットスケープナビゲーター2 3000円
 時々落ちる。何となく不穏な動きが時々ある。
 キャッシュを少なく(4メガ)すると良いような感じ。


 合計  221800円


 電話料金は月10000円位。月40時間程利用している。
テレホーダイは使っていない。

 以上参考になりましたでしょうか。


1996年10月1日 火 雨後曇り

 航平のしぐさで面白いもの。


短い手で頭の後ろをひっかく。

くつしたをひっぱってなめる。

横を向いて寝るとき手が短くて顔の前にしか来ない。

みかんを食べるときに手の中に房があって手ばかりを
なめている。

食べる手が口の中に来ないで顔の前で考える。

紙をくしゃくしゃにするが紙の角が自分にぶつかって
かんしゃくをおこす。

私がだっこするとおかあさんの方ばかりを見る。

おかあさんがだっこすると私と反対の方向を見る。

寂しくしている所にだっこの手を差し出すと両手と両足を
ばたばたする。

恐い声を出すと泣く。

笑うと笑う。

タオルの中で遊んでいる内にタオルにからまる。

知らない人に笑む。

朝の子供向けのテレビを見て足をぱたぱたする後ろ姿。

寝ながら両手で両足をつかむ。

のけぞってその後泣く。

だっこして外を歩くとあっちこっちを見るために右に左に
振り返る。

バギーカーに足をのせる。


 そんな光景が好きだ。

1996年10月2日 水 晴


山本K&M様

 いつも楽しく拝見しています。今回のCDのお話参加さ
せてください。

 先ほどうちのチャコちゃんに
「山本さんがCD作り募集してるんだよ。」と言いました
ところ、
「面白い、面白い、うちなんか今、何処にも出かけると
ころがないのだから、そんな楽しい企画は参加しようよ。」

と言うことで意見が一致しました。


 カード番号のセキュリティの問題は心配してません。経常的
に番号の交信をしている訳ではないし、そのための保険でしょ
う。山本さんを信頼します。

 チャコちゃんは出来れば
「Tシャツ私の分も欲しいなあ。」といっています。

それではお元気で。


1996年10月3日 木 晴後雨

 チャコちゃんは離乳食の講習会に世田谷保健所に行っ
た。航平は人一倍良く食べて後ろの人に食事を配り終え
ないうちに全部食べ終わって足りなくて泣いたらしい。

 今の頃はお腹が一杯になるのが少し遅くて食べる量が
多くなるそうだ。しばらくすると食べる量が少なくなる
のが正常な変化だそうだ。

 最近お風呂に入れるのに自信がなくなってきた。泣い
て頭を洗わせない。この前まで頭の上からシャワーをか
けていたが随分と水を飲んだり本人にとって辛かったか
もしれない。

 少し湿疹が出ているので皮膚科に昨日行った。冬用の
軟膏を処方された。アトピーではないらしい。

 午後渋谷の旭屋書店に大修館書店の月刊「言語」10月
号を買いに行った。興味深かったのはインターネットの
時代だから英語が万能になるという大方の予想に反して
マイナーな言語にも有利性があるという。

 大修館書店はそんな辞書を出版しているからかもしれ
ない。しかし確かにノルウェー語やフィンランド語を学
ぶにも役立てることは可能だ。日本語のホームページも
海外の日本語学習者にとって大きな価値になる。

1996年10月4日 金 晴

 何か気持ちが不調な時というのはあるものだ。何とな
くやる気がしない。疲れている。その理由というのも特
にはない。あるのかも知れないが分からない。

 こんな時には体が休養を求めているのかもしれない。
しかし体を休めても頭は休まらない。

 こんな時の休養はどうするのだろう。明日は休みだが
仕事を残した自分を罰しているのだろうか。

 何か見えない力で自分が強制されていることに体が反
発しているのかもしれない。無念の境地になりたい。

1996年10月5日 土 晴

 午後家族で新宿高島屋に行く。混んでいて中には入れ
ない。外からしか分からないが大きいビルだ。大変な混
雑で、デパートの中に入れなかった経験は生まれてはじ
めてだ。

 新宿は新しいものと古いものとが混然一体としていて
都市の中の都市の感がある。渋谷はターミナルステーショ
ンで何処に行くにもよく通過する。高島屋出店で新宿に
対抗したいと商店街は言うが、新宿を実際に見るとスケー
ルの違いは渋谷の比ではないと感じる。競争するのは間
違いだ。

 Times Squareというネーミングは高島屋がどう説明
しても違和感がある。ベトナム、サイゴンで新しいデパー
トが朝日新聞築地交差点だったらニュースだろう。恥ず
かしくてたまらない。「ちょっとこっちにミロード」が
恥ずかしい域を越えている(まあそれもおかしいけれど)。

 仕方がないので西口の栄寿司で寿司を食べた。夕食前
で客は4人だった。航平はファミリーレストランとスーパー
の食堂から脱皮した。

 寿司屋のカウンターにバギーカーで座っちゃって、サー
ビスしてくれた茶碗蒸しをほとんど全部食べた。ここは昔
から良心的でチャコちゃんと二人合わせて1200円だった。
この金額はニューヨーク、タイムズスクエアに誇れる。

1996年10月6日 日 晴

 秋の心地良い風が吹く。お弁当をもって次大夫堀公園
に出かけた。次大夫堀公園は世田谷区の二子玉川と成城
学園の間の多摩川沿いにある。

 そこには江戸時代の民家があって中でお茶をいただい
て持ってきたお弁当を食べた。いろりには火がくべられ
てそばにはお手玉が置いてある。人は少なくて縁側で見
る景色は稲穂が頭をたれている。

 民家の二階に上がるとそこは暗くて下女中の住まいの
ようだった。テーブルが三つ置いてあって二組の高校生
のカップルが抱き合っていた。

 航平を見て「かわいいー。」と女の子が言って
「ねえ、テーブル一つ空けてあげなよ。」
と譲ってくれた。

 そこの小さい窓から明るい外の景色が広がって見える。
戴いたお茶とお弁当を広げると落ち着いたたたずまいで
女中部屋も豊かな気持ちになる。

 高校生達は男の子はそうでもないけれど、女の子は航
平が気になるらしくて
「良く食べる。」とか
「あ、寝ちやった。」とか聞こえるでもなく話している。

 いつか若者が「このくそばばあ。」と同じ近所の田園
都市線で話した事件が天声人語に出ていたが、ここに居
る高校生達は暖かい。

 若いときは一つの人格がその時々で暴走したり正義を
走る。だから若いことは良いと見るのか、だから悪いと
見るのか。やはり一つの羨ましい特性に見える。


1996年10月7日 月 晴

 月曜日の朝は何となく気が重い。一週間のスタートだ
が皆そうだろうか。ブルーマンデーと言うが、時には仕
事の始まる月曜日を爽快な気持ちで迎える人も居るだろ
うか。

 連休明けに職場で
「あーあ家に居て疲れちゃった。」と言う人が居たが、
家も職場も楽しい状態にするにはどうするのだろう。
規則正しい生活ということだろうか。

 人の生活リズムは24時間30分刻みだそうだ。だから
自然休日には寝坊になり夜更かしになる。それを元に
戻すからいわゆる時差ボケの状態だ。だから体が重いの
は仕方がなくて、重いことを受け入れる方が正しいかも
しれない。


1996年10月8日 火 雨

 航平はポリオのワクチンを飲むために深沢区民センター
に行った。雨が降っていたので私がチャコちゃんと隣の
りさこちゃん親子を自動車に乗せて送った。

 他の国のすべてを知る訳ではないが幼児の医療に関し
ては実に良く徹底的に面倒を見てくれる。ほとんどのワ
クチンや予防接種は無料だし連絡も間違いなくある。検
診も近所の医院で丁寧に診てくれる。

 今回ははじめてのワクチンだったから少しの不安があっ
た。ワクチンが原因で事故があることをよく耳にするか
らだ。実際ポリオに感染する人はほとんど居ないがワク
チンでの事故はあるかもしれない。

 ただ、ワクチンを接種していない人が多数にのぼると
大規模な感染を引き起こす危険性が増す。しかしO-157
でもそうだが世の中には危険は必ずある。だから危険を
回避すべきか否かは本人の意思で決定した方が良いと以
前は考えていた。

 しかし現実には毎日の忙しい生活の中で、国の費用と
国の判断でワクチンを接種できることは有り難いと感じ
ている。そこに沿って行けばある一定水準の健康と文化
的生活が約束されると言うのが日本的な長所だろうか。

1996年10月10日 木 晴 体育の日

 昨日は秋葉原で松本さんと偶然会って家に呼んだ。夜
まで楽しく話した。朝方松本さんから電話があった。昨
夜帰宅途中で自動車の接触事故にあったらしい。環八瀬
田交差点を左折したところ対向の右折車両の後ろドアに
ぶつけたそうだ。

 松本さんは自分に責任があるので修理費の全額を支払
うと約束したらしい。両者とも怪我はなくて何よりだっ
たが私もびっくりした。

 お弁当をもって家族三人外に出る。その足で渋谷に夕
方行くと沢山の人が出ていた。東横のれん街でできあい
のお弁当を買って帰る。


 衆議院選挙の政見放送の様相が随分替わったのでびっ
くりする。


もし私が党首ならこんな感じで日本を立て直そう。


第一段階

 党名 国会議員100人党。

 衆議院議員を50人参議院議員を50人と変更する議案を
提出してすぐに解散します。

 公約はそれだけ。


第二段階

 解散総選挙後に新党結成。

 新党名 公務員10人に一人党。

 公務員の10人に9人は失業補償で給料を三年間支払いま
すがその間仕事は自分で自由に作って探していただきます。

 三年後公務員は10分の一になりますという議案提出。

 それで解散。


 空想ですので突っ込まないで下さい。公務員の方は三年
間給料貰って遊びましょう。


1996年10月11日 金 曇り

 遅ればせながらshockwaveをダウンロードしてみた。
自分の名前を書いてダウンロードボタンを押してみる。
ソフトをクリックすると自動的に解凍される。

 インストーラーをクリックすると自動的にネットス
ケープナビゲーターにプラグインされた。

 私はその後再起動してソフマップのページを見ると
店の音楽が流れてくる。ゲームをしてみる。

 ああこれでみんな騒いでいるのだなあという感じ。
確かに面白い。今後の進歩を待つというところだろう
か。

 これを書いて文章をチャコちゃんに見せた。
「この文章分かる。」と聞いたら
「分からない。分かりたくもない。久しぶりに湯船に
入って湯あたりしちゃった。熱い、ふーふー。」
と言っている。


1996年10月12日 土 晴

 天気予報がはずれて晴れた。駒留八幡神社の祭りの日
で航平にはっぴを着せて家族で出かけた。はっぴは赤色
で「はろうきてい」と書いてある。はちまきをしめて鈴
を付けた。

 以前このあたりに祭りはなかったように思うが、最近
人口が増えたか、ここ二、三年は随分盛大になっている。

 二時から山車と御輿が出るが時間が過ぎてしまった。
神社の方向に歩くと山車が来るのが見える。セブンイレ
ブンの前で合流した。

 大勢の人から急に注目される。なんといっても赤の
「はろうきてい」は目立つ。
「かわいい。」「なみだ目だね。」と子供やおばさんに
声をかけられる。

 国道246号を信号赤でお巡りさんが車を制止させて
マルエツの前から家の方に逆に戻る。家の前に行くと近
所の人に見られてしまう。

 恥ずかしくてそこから離れて駒留八幡神社に向かった。
祭りの時の神社ははじめて出かけた。随分店が出て人も多
い。

 境内で離乳食を与えて私たちは焼き鳥を食べた。
「焼き鳥、はつ、もつ、つくね、かしら」と書いてあって
チャコちゃんは焼き鳥ははつ、もつ、つくね、かしらから
選ぶと思って焼き鳥を買わずに間違えてかしらを買ってき
た。

 帰りはデニーズによった。今日一日で何回航平は人から
あやされたか分からない。子供にとって祭りは天国だ。

1996年10月14日 月 雨

 昼過ぎから雨。本降りになる。夕方チャコちゃんに頼
まれてマルエツまで買い物に行く。買った物はラップ、
ニラ、餃子の皮、ひき肉、ゴミ袋、卵6個、グレープフ
ルーツジュース、コンソメ、コーラだった。雨が降って
いるせいか客は少ない。

 帰ってから航平を風呂に入れる。最近は目にシャンプー
が入ったりあばれたりする。昨日から新しいアヒルのお
もちゃがあるが効き目は今一つだ。

 よく私は秋葉原に出かけるが世の中には出かけたこと
を私たちの為に役立ててくれる人が居る。

1996年10月15日 火 晴

 航平とチャコちゃんは隣のりさ子ちゃん母子と午前中
深沢児童館のクッキング講習会に行った。離乳食の幾つ
かを教えて貰ったらしい。

 航平はおもちゃ入れの箱でずっと遊んでいたらしくて、
家に帰ってからおもちゃを籐の箱に入れてやった。おも
ちゃ一つで遊ぶのも楽しいが、出したり入れたりという
のがいいらしい。沢山出しておもちゃにうもれて遊んだ。

 私は午後外出したがその後六ヶ月検診に清水小児科医
院に行ったらしい。先生は優しくて航平を裸にして診察
した。ちり紙を顔にかけて手でよけて合格。

 身長は少し高い方で71センチ、体重は標準で8100グ
ラム、頭位は45センチだった。全体に標準的で健康らし
い。母乳は薄くなっているのでもし夜泣くなら粉ミルク
を100cc位与えると良いらしい。

 テレビや新聞、雑誌によくインターネットの記事が出
るがそれが何処にあるのかあとになると容易に分からな
い。
URL-TODAYはそんな場所が書かれていて有り難い。

1996年10月16日 水 晴

 昼にチャコちゃんは美容院で髪を切って貰った。短く
揃えてあちらこちらで見る幼児のお母さん風の洗って簡
単、すぐにお手入れできる。なかなか似合って若返るよ
うにも見える。

 コンビのバギーのストッパーが折れた。部品を問い合
わせたら無料で送ってくれた。7年前に購入されたもの
だが最近のサービス向上は有り難い。

 夕方家族で買い物に出た。国道246に面して野村さち
よ選挙事務所が出ていた。花が沢山飾られて正面に莫大
なポスターが張ってある。入り口のドアには小沢一郎の
笑った顔のポスターがある。

 「野村監督が見ればお前、葬式やっとんのか。と必ず
言うよ。」と私はチャコちゃんに言った。

 今まで選挙公報に書いてあった住まいの場所が今回は
書いてない。私の住む世田谷区駒沢が目黒区との合併区
だからだろうか。

 橋本龍太郎が三軒茶屋と桜新町で応援演説をしていた
がSPの数が40人位いて見ている人より多かったと地下鉄
で見知らぬ人が話していた。自民党からは小杉隆という
人が出ている。

 しかし選挙と言うが投票したい人が居ない。もう全く
政治家には絶望的な思いだ。政治家は私たちの代表には
とても見えない。

 投票に行きたくないという気持ちが自然にわいてくる。
「投票は国民の義務」と言うが、それは政府の民を治める
「仕打ちの言葉」に聞こえてしまう。

 何か行政に落ち度があっても、
「それは法律がそうですから。」と答え、そして
「法律を作ったのはあなたが投票した代議士ですから。」
と国民に答えるための仕打ちに見えてしまう。

 もし自然な気持ちで皆が投票しなければ、政治に関わる
人はとてつもない不安感にかられるだろう。
「革命の兆し」だからだ。

 平和は繁栄の基礎だ。私達に投票させて下さい。

1996年10月17日 木 晴

 夕方チャコちゃんが近所の皮膚科に行ってとこちゃん
と偶然会って連れてきた。とこちゃんは昔からチャコちゃ
んが知っている子で今は高校一年生だ。

 吉祥寺の学校からの帰りに通院している。家は川崎市
にある。夕食を食べながらとこちゃんの話を聞いて随分
と勉強になった。

 体育の授業を新体操の川本ゆかりに直接教えてもらっ
ていると聞いてうらやましかった。女子高校に通う実際
はマスコミ報道の過激さに相当に翻弄されていて、実態
と異なる部分と真実とが複雑に入り交じっているらしい。

 ポケベルは30パーセント位の人が持っているそうだ。
最近はやっている噂は
「変造テレカを使うとドアにロックがかかり警官が駆け
つける公衆電話ボックスが新宿などの繁華街にあるので
必ず街頭の電話を使うこと。」
というのが真実とされているらしい。

 真偽は分からないが変造テレカを認識出来るなら使え
ないように出来ると思うのだが。

 将来の夢を聞いたり今の悩みや楽しみを聞くと真摯な
気持ちには従う頃かなとも思ってしまう。政治や経済の
一部も若い人に任せられる可能性はないのだろうか。真
面目で一途な行動力を十分に還元して貰える社会であっ
て欲しい。
 
1996年10月18日 金

 週末で仕事残り残業。日記を書く間もなく夜になる。


1996年10月19日 土 晴れ

 チャコちゃんの独身時代の職場の児童館でわいわいフェ
スティバルという祭りをするので家族三人で出かけた。
子供たちが集まって踊りやゲーム、おばけ屋敷やサッカー
のシュート合戦などが出来る。それぞれ賞品がでる。

 航平はバギーに乗って見ていたが、子供達が集まって
あやしてくれる。みどりちゃんという子が航平をひいき
にして、あちこちからおもちゃを調達しては航平にプレ
ゼントしてくれる。

 他の子もあれやこれやと指示してくれて、こちらは右
に行ったり左に行ったりだ。子供達は善意と親切で教え
てくれるのでNOとは言えない。

 大人の世界は互いに縄張りとセイフティゾーンがあっ
てそれを越えては親切にはしない。子供達はとことん親
切だからちょっと動いても何かしてくれる。遠い昔に日
本を訪れた外国人になったようだが、心地よい疲れで日
記も書かずに良く眠った。


1996年10月20日 日 晴れ時々雨

 衆議院選挙の日だ。家族三人で投票所に行くが私は誰
に投票したいか分からない。投票所前のポスターを見る
が投票したいと思える人は誰もいない。

 投票用紙を前にしてふわふわっと書いてきた。私のよ
うな者は無党派層と言うのだろう。東京に住む無党派層
の投票動向分析をNHKニュースで流していた。民主党に
票が流れたようだ。

 まさに読まれている。特段応援したい訳でもないし、
候補者は当選しそうでもない。理由もないのに同様に行
動した流れの中に自分もいたのかと思えば、やはり自分
は何かに繰られているような気もする。

 午後内山家へ購入したパソコンを家族で見に行った。
随分と複雑で分かりにくそうだったが、智君は、ぱしゃ
ぱしゃとあやつっていた。ハワイに行くのとパソコン買
うのとどっちが得かは分からないが、こうして利用され
れば納得もいくし感動も与えてくれる商品だ。

1996年10月21日 月 晴

 選挙も済んで晴れた月曜日だ。昨日までの騒音もなく
静かで平和な時間が訪れる。

 秋の日差しは長くなってコンピューターの画面近くま
で光りが反射してきて見にくくなっている。カーテンを
閉じてドアを閉めて蛍光灯を点けた暗い中で昼間にコン
ピューター作業をした。落ち着く気持ちと不安な気持ち
が交差する。不安な気持ちは客観的にこの姿は望ましく
ないぞという恐れ。落ち着く気持ちはしたくてしている
ことで事実の気持ちだ。

 光が安定していると気持ちも安定する。太陽光を得な
いでいるのはもったいないと思う気持ちもある。強い光
線に体をさらすと植物がしっかりするように奇妙に力が
沸いてくる。そんな自然と反している後ろめたさがある。
そうそう毎週月曜日は気が乗らないのだった。

 航平とチャコちゃんは深沢図書館に行って帰りにぶた
公園でブランコに乗ったらしい。ブランコのはじめての
日。

1996年10月22日 火 晴

 私のホームページが置いてあるアキウエブエージェン
シーとやりとりをした。このプロバイダーは三月に無料
で6カ月間のホームページを解放した。はじめの約束では
その後満足するなら6カ月後の9月に年額5000円で更新
できるし不満なら料金はとらないし勧誘もしないという
ことだった。

 ところが会員のランキングリストをご覧になると分か
るが不穏な様子のページばかりが並んでいる。これで6カ
月後に更新する人がいるだろうか。

 随分多くの人はお金を払わずに止めていった。私自身
もどうしようか悩んだが、転居するのも面倒だし6カ月間
は有り難かったので9月に5000円を振り込んだ。

 そして10月の昨日の夜、私のホームページのすべての
ページにアキウエブエージェンシーのリンク表示が掲載
された。削除してアップロードしても必ず表示される。

 他の会員のホームページを見ると全会員の全ページに
アキウエブエージェンシーのリンク表示が掲載されてい
る。このプロバイダーは住所と会社名、責任者氏名、連
絡先電話のすべてが分からない。

  JPニックに電話で問い合わせて連絡先電話番号
を調べた。電話をするとそこは札幌で責任者の妻が電話
にでた。折り返して電話を受けて話しをすると責任者は
経営が苦しいのでリンクを願いたいと言う。

 ホームページ運営上の技術になんら劣る点はないのだ
から利用者が心地よい経営をすることが唯一会員の増加
の手だてだという旨を話した。その直後全ページからリ
ンク表示は消えたがはじめから気づいていなければ幸せ
だった。ちなみに責任者は誠実な様子だった。


1996年10月23日 水 晴

 航平は深沢児童館でパネルシアターを見てきた。午前
中にはぶた公園ですべり台に初挑戦したらしい。

 夕方風呂に入れる。このところ私が入れると泣くので
チャコちゃんがバトンタッチする日もある。鏡が好きな
のでおもちゃのために風呂用の鏡も買ってきた。

 原因を基本に立ち戻って考えてみる。

1.シャワーを頭からかけたりシャンプーが目にはいって
 風呂が嫌になっている。

2.入浴時間が長い時に泣く。

3.湯温が高いときに泣く。

4.室内の温度が高いときに泣く。

5.機嫌が悪い時に泣く。

6.喉が乾いて泣く。

7.眠くて泣く。

 対策

1.泣いてもこれは人生の試練だと思ってかまわない。

 しかし泣く子と地頭には勝てない。

2.原因を極力除去する。

 いろいろと考えていると天の神から声が伝わってきた。
この日記を読んだ方が教えてくれた。人生というのは困っ
たときには誰からか救ってくれるものだ。

 入っている間ずっと話し続けると良いらしい。考えて
見れば泣きだすと自然に私は恐い顔になって黙っている。

 万端整えて意味は不明だがおまじないのように話しな
がら入れてみると何かやはり手応えがある。完璧には行
かないがやはり何時でも何処でも話しかけてやると良い
かもしれない。

 確かに無言で自分が扱われたら不安だ。三日程だが話
すことは確かに効果がある。言葉をしゃべれないと思っ
てみくびっていた。今日は楽しい入浴が得られた。

 ところで私は独身時代に、子供というのは大人が恐い
顔をしたり笑ったりしてもその表情を理解するのは一才
位からで、赤ん坊は理解出来ないと思っていた。

 航平は7カ月で、子育てをしている人にとっては当た
り前のことだが人の表情は分かる。恐い声を出すと泣い
てしまう。

 赤ん坊は恐らく2カ月位からほとんど分かるだろう。
電車で赤ん坊と顔があったらほとんど自分の気持ちは読
みとられている。そんな常識的なことに今まで自分が気
づかなかったことが不思議でならない。

 だからあやすときは自分も心から笑わないとだめだ。
その図は親ばかだなと思ってしまう。

 三月からの日記を少し整理してみた。

1996年10月24日 木 晴

 最近私の接続先プロバイダーのBNN-NETでネットニュー
スの配信が始まった。BNN-NETというのはMACLIFEを発行
している出版社のBNN社がはじめ母体となって開設された。

 1995年10月当時としては破格の価格だったが、接続し
てウェブ閲覧とメール配信以外のサービスは何もなかった。
それでも会員が一度に増えて当初は夜は遅くて繋がらない
ことも多かった。

 朝日新聞にトラブル続出で記事にまでされた。それから
回線は増強され、話し中は少なくなり速度も出て快適になっ
ている。つい最近までリムネットとtamaネットなどがなか
なか繋がらなかったが今は大半のネットが瞬時に繋がる。

 ネットニュースは掲示板の大規模なものでフォーラムの
ように話題ごとに熱烈に論議されている。

 今「fj」というニュースグループの初心者向けの
「fj.beginners」では

『私は 氏名@**会社or**大学 です。』と書くのは組織
を代表している訳ではないから違和感がある。

 という話題で騒然としている。

 学歴差別と企業間格差差別が根底にあるかもしれない。
そもそも所属がない人もいるが、ほとんどの人はそんな
形式で自分を表示している。インターネット黎明期には
必要だった表示の名残りだろう。

 人というのはけんかをすると実に性格や体験が良く表
現される。けんかするのが好きな人もいるがプロレスを
見るようにけんかを見るのが好きな人もいる。対岸の火
事のようで見ているだけなら何ともないが自分も加わり
たくなるようでもある。

 先ほどニュースをダウンロードして見るソフトeNWS
FATを入手 して使ってみた。簡単にインストールできて
なかなか良く出来ている。接続を切ってからゆっくりと
読める。

 私が購読しているニュースは以下の通り。

fj.education
fj.life.children
fj.beginners
fj.rec.autos
tnn.forsale
fj.net.isdn
fj.net.providers

 最近の遅ればせながらの楽しみだ。


1996年10月25日 金 曇り時々雨

 昼頃チャコちゃんのお父さんが来た。こちらではチャー
ハンを作って待っていたが途中で寿司を買って来てくれ
た。今年は夏の間寿司を食べることが少なくて、マルエ
ツの寿司やさんも実に元気がない。

 日本人で良かったと思うのは寿司を口に入れる瞬間だ。
まぐろは絶滅品種に指定されたらしい。西洋のハムソー
セージは世界中何処でも手にはいるが刺身は勿論、魚の
干物は輸出しない。

 生産量が少ないからだろうが私たちは実に旨い物は人
にあげずにたいらげてしまう。世界のくろマグロの漁獲
高の大半を日本で食べるらしい。もっとも私の口には余
りはいらない。

 ダイエーの広告を見ると10万円でパソコンが出ている。
WIN95.100.16.850.15インチディスプレー、モデムなし
(ValuestarV10)だ。

 電話して少し聞いたが店員もよく分からなくて、
「新品だが五台しかないから日曜日朝早く来ないとなくな
ります。」というだけだ。

 やっと買える価格になったがウィンドウズって17インチ
のディスプレーでないと見にくいのではないだろうか。

 三年前にアメリカでディスプレーに映る文字がぼんやりと、
ぼやけて見えた。ディスプレー技術は日本が進んでいるんだ
なあとその時思った。

 最近秋葉原の店頭で21インチディスプレーが置いてある。
見ると字が同じようにぼんやりと映っている。なんだ画面
が大きいからだったんだと思った。そういえばアメリカで
見た時は21インチだった。

 表示ドット数はグラフィックアクセラレーターで高解像
度になる。ディスプレーの大きさでは変わらないから同じ
解像度のなら一文字を近くで見ればどうしても多少うすぼ
んやりする。

 しかし大画面の高解像度でくっきりと映して情報量を多
大にすれば実に扱い易いだろう。コンピューター画面は、
虫眼鏡で新聞を読んでいるようなもので、目に一時に入る
情報量が少ないのが最大の難点だ。ニュースは新聞に限る。

 15インチが扱い易いかどうか今一つ分からない。

 マックは14インチで私にとって不足はない。

 予算レベルが低いけどまあいいや。

1996年10月26日 土 強い風で寒い 札幌で雪

 三宿(みしゅく)の世田谷公園に家族で行った。正門の
しばらく手前でちょっと綺麗な焼肉屋があったので入っ
た。実は私たちは焼肉が好きだ。チャコちゃんは子供の
頃から焼き肉を食べたことが無くて概念的に嫌っていた
がその旨さを学んでしまった。

 出産後焼き肉食べたいと思うが航平は食べるものが無
い。煙の中で落ち着いているのは難しい。おそるおそる
入った。

 韓国人というのは一般に子供が好きな気がする。さか
んにかまってくれる。安いのが理由で大韓空港を利用し
たことがかつて二回ある。搭乗する際ファーストクラス
からどうぞとなったりもするが、その時は
「ご年輩の方からお先にどうぞ。その後お子さまと女性
の方どうぞ。」とアナウンスされて驚いた。

 さすがに儒教国だ。日本でもそれに近いところは感じ
る。子供はかわいがられるし、シルバーシートはちょっ
とかわいい。

 香花苑という焼き肉屋だったが久しぶりなのもあって
美味しくて室内が美しかったので写真も撮った。土曜の
昼過ぎ1時半ランチタイムの条件で十分に堪能した。

 三宿は雑誌やテレビで紹介されてからおしゃれなレス
トランが幾つかできている。インド料理、テラスになっ
ているカフェやレストラン、和風料理店が知らない間に
建っていた。

 三宿から池尻までは戦前からの練兵場で官舎や自衛隊
病院、三菱など軍と関わりがあった施設が広大な範囲に
広がっている。

 世田谷公園で航平と私はミニSLに乗って、チャコちゃ
んは持ってきたシャボン玉を楽しんだ。

 他には焚き火や木登りなど禁止されがちな遊びができ
るプレイパークがある。

1996年10月27日 日 晴

 朝一番でダイエーにパソコンを見に行った。検討して
いた物は行列が出来て見ることも出来ず帰ってきた。

 家族で府中市の芸術の森公園に出かけた。ここはそれ
程に大きくはないが公園の西に小高い芝生の丘がある。
夕陽が丘から沈む風景は遠い昔のあかとんぼが飛んで行
く景色だ。近くの子供達はここで毎日を過ごして大人に
なるのだろう。この丘の美しさはきっと人生の宝だ。

 夜になって調布市文化会館の駐車場を利用した。「た
づくり」という名前のこの施設は12階建ての近代建築で
エントランスは広大な吹き抜けになっている。夜10時ま
で利用できる。

 電光掲示板には利用団体名が飛行機の発着時刻のよう
に示されている。最上階はスカイラウンジになっていて
展望レストランは調布市の夜景が一望出来る。すいてい
るようだったので入ってみた。

 航平はアベックが夜景を見ながら食事をしている横で
お腹がすいてうーうーうーと唸っている。赤ちゃんせん
べいや出てきたかぼちゃやうどんやにんじん、とうふを
食べさせたらやっと満足した。

 ゴージャスな作りでロマンチックでとても役所のレス
トランには見えない。値段もまあ普通だ。ウェイトレス
からはたびたびかまってもらった。庁舎が立派になるの
は気にも入らないが文化施設は立派なら誰も自分が豊か
になった気がする。

 調布の夜を三人で少し歩いてみた。バス停があって大
蔵病院から家のそばを通って三軒茶屋経由で渋谷まで行
くようだ。随分遠くまで来たつもりだったがバスで来ら
れるところだった。

1996年10月28日 月 晴時々雨

 朝方のどが痛い。家族揃って幾分風邪の兆候がある。
一昨日の夜強い風の中ダイエーにパソコンを見に立ち寄っ
た時こがらし一号で寒かった。今の処さほどひどくない。

 航平は隣のりさ子ちゃんとぶた公園に出かけた。お風
呂は最高のご機嫌が続いている。入ってから出るまで話
しているのが気に入っている。はしゃぎすぎで遊んでい
るばかりで十分洗ってない。

 何でもなめる。タオルから洗面器、おもちゃ、かがみ、
バスタブのはじからはじまでなめていく。風呂嫌いから一
転してきた。

1996年10月29日 火 晴

 良く晴れた秋の空だ。ニュースでは円安を報じている。
最近金利が低くて定期預金に預けがいがない。金利が低
いことより円安はもっと深刻に不安な気持ちになる。自
分の持ち物すべてを世界標準通貨で換算すると一日で相
当の金額が目べりしていく。私たちが自由にインターネッ
トを楽しむのも円の価値は貢献している。

 一時円高になっていく局面では何もしないのに自分の
所有する物すべての価値が高くなっていくことにわくわ
くとした。高くなればなるほどに世界は近くなって欲し
いものが手に入る気がした。

 しかしその頃のニュースは
「急速な円高は困る。日本経済はどうなるのだろう。」
という悲観的な意見が多かった。なんでみんな会社のこ
とばかり思いやるのだろうと思った。円が高くなれば立
ちゆかなくなる業種は出るかもしれない。それは確かに
困るが円がとても強くて困る社会と円が弱くて困る社会
とでは困窮の度合いは異なる。余り強くて困る社会は、
ほおっておけば自然に弱くなるが、弱くて困る社会は、
ほおっておくとさらに弱くなる。




 アスキーインターネットフリーウエイのHot Cafeを無
料提供されたCDからインストールしてためしてみた。私
はプロバイダーが定額料金なので特別に必要はない。

 現行のプロバイダーと併用出来るのでダウンなどで使
えなくなった時に利用価値はあるかもしれない。コマー
シャルによるスピードの落ちは余りない。

 定量制の人で東京に住んでいる人はためす価値はある。
Ftpとメールは現在のプロバイダーへのものがそのまま使
える。無料だがクレジットカードが必要だ。


1996年10月30日 水 晴

 夕方家族三人で外に出た。切手を買って出来上がった
写真を受け取る。よく現像を頼むからたばこ屋のおやじ
さんは顔を覚えている。住宅街を通り抜けて駒沢公園に
着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 チャコちゃんがここに連れてきたかったのは航平がブ
ランコに乗れるのを私に見せたかったからだ。ゆらゆら
乗ってにこにこ笑っている。

 公園の正門から出て八百屋に行くと棚は秋の収穫の季
節で品物がふんだんに並んでいる。人参、里芋、ほうれ
ん草、りんご、だいこん、にら、あぶら揚げとブロッコ
リーを手に入れた。

 重いけれどバギーに積んで帰る。家に着くとチャコちゃ
んは二階に上がって玄関を開けて荷物を置く。私はバギー
車から野菜を出す。

 チャコちゃんは戻って航平を抱き、私は野菜を持って
行く。戻ってバギー車を持ってくる。互いに二度ずつの
上がり下りだ。

 航平は靴下をなめる。靴下を履いていないと思うとな
めている。それを見ると昔の漫画だが、おそ松君の中に
出てくる「いやみ」を思い出す。

 笑いの対象になるものは赤ん坊のしぐさから多く得て
いるように思う。

 漫才で相方のめがねを取り上げる。
 漫才で相方のひたいをぴしゃりとはたく。
 チャップリンのこちらをじっと見つめる目。
 体をよじるしぐさ。
 頭をかくしぐさ。
 漫画での大きな頭。
 うぐうぐ、ちゅぱちゅぱ、ぐうぐう、などの擬態語。

 落語や漫才は子供から学んでいるかもしれない。


1996年10月31日 木 曇り

 はるのお兄さんが苦境に立っている。苦しい時に人は
どんな風に助けることが出来るだろう。

 私が思うのは少しだけ手を貸したらどうだろう。自分
が彼を助けることで自分が救われる範囲で助ける。私だ
けの力は少ないけれど、数が増えれば大きくなる。みん
なが少しだけ助ける。

 助けられることが具体的にあれば救われる。苦境に立
つ時は助けて貰いたいことさえ解らなくなってしまう。

 ニューヨークの中心地から地下鉄で10分程行った所に
ルーズベルト島という小島がある。そこは普通の住宅街
だ。歩いているとキャスターベッドを横にして日向ぼっ
こをしている老婦人がいた。

 体が全く動かないように見えた。そばを通った時彼女
は私とチャコちゃんに声を掛けた。突然で驚いたが聞い
て見ると私たちが来た方向100メートル程先の店に連れ
て行って欲しいと言う。

 引き返すことになるが急いでいる訳ではない。店まで
連れて行くと
「有難う助かった。」と言われて店の主人からは
「ご苦労様。」と言われて同じ道を戻った。たったそれ
だけの寄り道は実に私たちを豊かにしてくれた。

 彼女は一人で買い物が出来る。そう解っただけで幸せ
になれる。私たちは自分と境遇や経験が異なる時には、
経験や体験を教わり、自分を発見できる。そんな実りを
少しの支えから得られたら互いに幸せな世界に生きられ
る。

 はるのお義姉さんが健康を取り戻されることを心から
祈ります。

1996年11月1日 金 雨

 こんにちは。今日はAdobeのPageMill Ver.2.0βで書いています。このソフトはダウンロードに15分程かかりました。ダウンロードしたソフトをスタフィトエクスパンダーにくっつけると解凍されて使用できました。使用期限は来年の1月までです。

 皆さんはHome Page Millに興味はありますか。私はあります。なぜならAdobeの作るソフトはCoolだからです。

 Toolが変わると文章がかわります。変わらなきゃも変わらなきゃ。私は今まで幾つかのホームページエディターを使いましたが(β版です)今まで使った中では一番使って面白いです。理由は色彩が綺麗だからです。このソフトを使うとエディターで書くよりリンクが楽です。欠点は遅くなることです。日記猿人のうわさ話を書くには必要なソフトです。ばうわうさん、ホームページ直ったかな。直ったら使ってみてくれとかって書けちゃいます。私の場合エディターだとくだらんことでフォントの設定なぞしていられません。ちなみにこの背景はチャコちゃんが書きました。背景は見にくいし遅くなるから普通は使いません。航平はマウスをなめます。人間道具を使うと中身が欠けます。

 しかし、明日以降、このソフトを使うかどうかは分かりません。理由は何だかごちゃごちゃしてどうなっていくか不安だからです。しかし面白いのは確かです。皆さんも試してみてください。買って使っているって。あっそうですか。

1996年11月2日 土 雨

 週末というのに雨が降っている。家の中でごろごろと しているといえ中だんだん不機嫌になってくる。

 雨の降った日は外出しにくい。バギー車が使えない。 航平は相当に重くなってだっこは短時間しかできない。 だから外出先は雨に濡れないで到達できる場所を考える が、それが結構どこにもない。

 高島屋かダイクを思いつくくらいだ。ところでデパー トというのはバギー車をエスカレーターに載せることが できない。高島屋は混んでいるとエレベーターになかな か乗れない。ダイエーは近所で唯一エスカレーターにバ ギー車を載せることができる。

 結局B型バギー車を出してダイクとダイエーに出かけた。 雨が降っている間はバギー車を持って中に入れば自由だ。 着いた頃はちょうど雨は上がった。

 今日のはっとした言葉と出来事

 さんまの会見。(某フランス人の言葉)

  結婚するのは判断力の欠如

  離婚するのは忍耐力の欠如

  再婚するのは記憶力の欠如

 斉藤投手が投げ、ピアッザが打ったライトフライをイチ ロウがキャッチしてチェンジになった瞬間にスタンドに投 げ入れられたボール(昨日)。

1996年11月3日 日

 康子ちゃんが訪問する。明日はみえちゃんの結婚式だ。

 このところ歯が少しむずがゆい。チャコちゃんが下に行って 上がってくると、歯医者に電話して

「日曜は診察するが今日は祝日で休み。たまたま報酬事務で 今いるのでいらっしゃい。」と言われて出来るらしい。今日は祝日だ。 私は三週間前から痛いのだから特に今行きたくはない。是非行ったらと 言われて康子ちゃんを家に置いて行って来た。

 名医だったが痛かった。歯科医療というよりは外科手術だった。 今年一月に治療したのは別の歯科医だが、直らないが一応治療するけれど 半年以内に再発するでしょうという言葉どおりに再発した。 今度再発したら抜きますよ。と言われていたから抜かれてしまうと 思いつつ三週間がまんした。今日の歯科医は必ず直るから長くかか るが通いなさいと言う。必ず通うので直してほしい。

 義弟がポケベルを持ったらしい。調べてみると ポケベルソフトがあるらしい(マック用)。ダウンロードした。 使ってみたい。

1996年11月4日 月 晴れ 振り替え休日

 ロシア大使館で複製画展覧会をやっている。複製画に 興味はないがロシア大使館を訪ねて見たかったので家族 で出かけた。駒沢通りを抜けて麻布から六本木を行くと 飯倉に出た。大使館を見ると300メートル程行列してい た。

 複製画展を見る人がこんなに居るのに驚いたが、やは りロシアという国は異国情緒がある。混んでいるので立 ちよらずに通り過ぎた。

 私が生まれてはじめておりた外国は19才の時のソ連だっ た。欧州に行くのにシベリア鉄道を利用するためにウラ ジオストックに船で着いた。地平線まで見える広い大地 にレールが一つ敷かれて、その端は切れていた。その向 こうに30両程もある長い列車が沈む夕陽に高く立ってい た。

 屋根もホームもなかった。強いロシアの景色だった。 列車に乗り込むと豪華なディナーが運ばれた。客の大半 は貧乏な日本人学生で合理的なフランス人の家族が唯一 の異国人だった。その旅行に行くのにビザを取った大使 館だ。

 そのまま、東京タワーを過ぎるとダイエーの本社ビル が見えた。コンピューターショップがオープンしたらし いので立ちよった。中はラオックスとほとんど同じ作り だった。ラオックスの元店長が引き抜かれたらしい。 値段は碑文谷のダイエーとほぼ同じだ。町田にラオック スの三倍のスペースの新店が今月オープンしたらやはり 行くのだろうか。

 お弁当を買ってウエンディズのテラスで航平に食事を やりながら休憩した。見るとダイエーの社員はかなり出 勤している。確かに店がオープンしていれば本社も休み という訳にはいかない。事務職で休日に休まないのは気 が付かなかった。

 浜離宮公園に行くが玉じゃりにバギー車が埋まるので、 戻り竹芝桟橋に出た。ディナー船ヴァンティアン号が停 泊して横のレストランでは結婚式が港の景色をバックに 催されていた。

 東京も海の景色はまんざらでもない。浜離宮の堀には 小魚が群を作って見えた。クリスマスツリーが飾られて もう冬だ。

1996年11月5日 火 曇り後雨 

 朝方航平の爪を切ろうとするととげがささっている。 爪と指の間にささって爪の下に6ミリ位とげが見える。 とげの頭は無くて爪の下で取りようがない。

 近所の外科医に電話をしてチャコちゃんが連れていっ た。相当に年配で治療は後ろで指図をしながらほとんど 看護婦がしたらしい。

 子供の手当と駆逐艦での手術は揺れるから大変だ。と 言いながら、まず爪を短く切り、縦方向に爪に切り込み を入れて無事にとげは出た。航平は押さえられて大泣き した。

 帰ってきた時はしょんぼりチャコちゃんに抱きついた ままで直ぐ寝てしまってしばらく起きて来なかった。夜 にはすっかり直って何時も通り元気になった。明日消毒 に通院する。

 午後秋葉原に出かけた。夕方頃各社の新型パソコンが ラオックスに搬入された。東芝、IBM、コンパックの新 製品は驚くばかりのデザインで、ガウディ風だ。エイサー にも似ている。そして多機能だ。

 画面近くに見なれぬボタンが幾つも付いている。ショッ プブランドやセルフメイドに対しての差別化が図られてい る。

 NEC製品は値崩れしているように見えた。販売員は盛ん にNECを奨めていた。相当に割安感がある。ウィンドウズ 95のカスタマイズに多数の人員をアメリカに送ったと聞い たが、この先もカスタマイズしていくのだろうか。NECの サポートは最近格段に良くなった。

 クラリスワークスVer.4のウィンドウズ版が辞典まで付い て5000円なのは実に買い得の商品だ。私はマックで随分世 話になっている。

 マックの良さはグループ全般のサポートの良さにある。ク ラリス社は一時混乱したが今のサポートは実に素晴らしい。 使い方にもよるだろうが、私自身は何から何までこのソフト で大体用を足してきた。ウィンドウズ版の廉価販売での本格 デビューでその良さが失われないか実に懸念だ。

1996年11月6日 水 晴 

 航平は昨日のとげで外科医に行ったが、見ただけで治 療はなかった。何事もなかったそうだ。

 その後三種混合ワクチン接種でチャコちゃんは近所の 児科医院に連れて行ったが臨時休診だった。この先生は 信頼出来るが休みが多いと聞いている。チャコちゃんは 風邪気味でワクチン接種を明日した方がいいのか決めか ねている。ワクチン事故に関する不安感は漠然とだが大 きい。

 夜、子供に絵本を読むのがいいというテレビ番組を見 る。抑揚を付けることがこつで効果は高いそうだ。

1996年11月9日 土 曇り後晴

 最近掲示板やゲストブック、チャットルームなどcgiを使ったページが増えてきた。私は 自分のプロバイダーがcgi、ssiを扱っていないので その内機会があれば位に思っていた。 しかし川島さんのページに書き込んだり とんちゃんのページに書いている内に、作り方だけでも知りたい気持ちになった。

  そこでcup.comにcgiの申し込みをしてみた。 申し込むと30分後に使えるようになった。 ただ、cgiについては書籍も手元にないし、 資料がない。秋葉原に専門書があることは 知っていたが7日に渋谷の書店に 行っても詳しく書いてあるものはなかった。

 そういえば日記猿人のことが何かの本にでていたなと 思って幾つか本を見てみた。あまり硬い本では ないだろうなと思いながらXファイル禁断のインターネット (確かな題名ではない。オークラ出版)を見てみると 日記を見るにはここだ。という章もあって 日記リンクス630事件について 大森さんが書いている。

  津田さんの名前はでているが、良く読むと名前こそ出ていないがばうわうさんの ことが書いてある。挿し絵のカットもかつてのアサヒネットだ。興味深く読んだが、 私の思いとは多少違った。 そんな見方もあるだろう がそれではばうわうさんの立場がないとも思った。

 津田さんの名誉は確かに回復されてもしかるべきだ。 反乱者に対して意気投合する者というのは誰のことだろうとも思った。 もしばうわうさんがその文章を読んだとしても 取り立てて騒ぐ必要はない。それはばうわうさんの良かれ悪しかれ力のあかしだ。

  それからJ&Pのソフトのコーナーには森川さんの 作ったグラフィックソフトが平積みで一番良いところに並んでいた。

 インターネットの世界と現実の世界との間でそれぞれを 身近に感じた。NHKの仮想現実の番組を実体験したようだ。 それで掲示板だが結局適当な本が無くて買わずに帰った。

  作った方のページを参考にして少し書いてみた。 ところがcgiというのはUNIXの知識がないと なかなか出来ない。幾つかエラーを 冒しながら使いなれないTelnetを使って テスト用のボードが出来たが こんなものでも 苦労して成功した時は嬉しいものだ。

1996年11月11日 月 曇り後雨

 風邪をひいて体調が悪い。渋谷の漢方医へ行っ て薬を貰ってくる。月曜日だというのに人が多い。道玄 坂ではクリスマス用の点滅灯を街路樹につけていた。

 街行く人の姿はコート着る人と薄いシャツの人 とが混在する季節だ。駅で盲導犬の姿を見た。混んだ駅 頭で、あるじを誘導する顔はのんびりとしている。盲導 犬というのは賢いのだか賢くないのかが顔や姿では判然 とは見えない。

 しばらく見ていると真の賢さがふっと出てく る。動物としての本能を捨てている所に人間と共感する 様を与えるのだろうか。夕方だから会社員も多く帰路に 着く。会社員の少し疲れたうつろな目は目立ちはしない が盲導犬と似た美しさもある。


家族のスナップ写真
> 東京湾 竹芝桟橋で バックは佃島方向 大島連絡航路、東京湾ディナークルーズ、ホテルがある。

1996年11月15日 月 曇り後雨

 風邪の具合は大分良くなってきた。薬はまだ飲み続け ている。少しぼおっとした感じがする。航平の風邪も大 分いい。鼻水はまだ止まらないが食欲はある。入浴は控 えている。

 私も航平も抗生物質と風邪薬を処方されている。きち んと飲んでいるが風邪位なら飲まずに直す方が良いらし い。医師の家族は薬を飲まないと聞くこともある。

 しかし、病気が風邪かどうか不安で、医師の元に行く と薬は処方される。飲みませんとも言えない。医院に出 かけた時点で医師の判断に委ねることになる。

 健康保険制度の過剰医療の弊害の可能性はあるかもし れない。苦労なく薬が手に入り苦労なく医師の診察が受 けられることは幸せかもしれない。

1996年11月16日 土 晴

 今年一番の秋晴れだ。まだ風邪の症状は残っていて結 局休息日になった。

 午前中歯科医に行った。別の奥の歯が根の所で折れて いて歯を切断した。80才まで20本というが、保つかが 不安になる。航平の綺麗な歯を見ると実にうらやましい。

 あけん氏の日記を見て私も インターネットフォンをダウンロード してみた。ダウンロードボタンを押すと10分程でインス トーラーが出て、押して再起動すると何の設定もいらず、 そのまま使えた。β版で11月30日まで使えるが表示にあ るような一分間の制限はなかった。私の機械でもやはり 電話のようにはいかず、トランシーバーで話すようにと ぎれとぎれになった。

 サンディエゴ、キューバ、静岡、台湾の人と話してみ た。ほとんど聞き取りにくいが北米からは綺麗に声が聞 こえてきた。キューバの人とは十分会話になった。通じ た瞬間は嬉しいものだ。

 聞き取りにくいから簡単な会話で、道行く人と話した ようなものだが、新しい手段でこれからが楽しみだ。

参考

インターネットで電話をしよう

「インターネットで長距離電話」

1996年11月17日 日 晴

 この一週間ほとんどこもりっきりだったので体調を整 えるために外出する。家族三人で用賀のマクドナルドに 寄って昼食。マックの子供用の椅子は使いやすい。

 チャコちゃんはトイストーリーのカレンダー欲しさに 子供セットを注文してフランス製コーラよりもっと小さ いコーラとSサイズのコーラの二つが割当たった。航平 はスープポットに入った離乳食を食べる。

 その後長津田の緑地公園に行った。ここは整備されて いないので山の中にいるようだが子供にとってはかえっ て自由に遊べる。落ち葉も掃いていないからさくさくと 靴が沈む。

 青葉台は「Folling Love 恋に落ちて」の舞台になる ような新興の美しい住宅地が立ち並ぶ。坂が多くてバギー を押すのは随分苦労する。長津田駅近くのマルエツで買 い物をして帰りは「さと」で夕食を取った。

1996年11月18日 月 晴

 最近マッキントッシュのコマーシャルをテレビと新聞 で見かける。マックのCMは少ないので久しぶりで新鮮だっ た。

 私も含めてマックがいいか、ウィンドウズがいいかを よく議論する。私自身はマックに対して利害関係はない のにマックは良いよとつい話してしまう。心からそう思っ ているから口に出てしまう。マスメディアの表現がマッ クにとって公平に見えないことも原因かもしれない。

 しかしマックとウィンドウズではその規模の相違は 余りに違う。アップルジャパンは 総勢260名の会社だ。

 富士通は5万人、NECは4万人、松下は4万人、日立は8万 人、東芝は7万人の社員をかかえる。もちろんそのすべてが パソコンを作っている訳ではないが、その取引先企業数もま た多い。

 マックの売場にパンフレットが無かったり機械がフリーズ したままになっていてもそれは機械が悪いからではない。

 会社や仕事でウィンドウズを使っても家庭でのマッ クは楽しい。いろんな種類があるがどれでも喜ばせてくれるだろう。

1996年11月19日 火 晴

  かやすがさんの日記 を読んで私も 性格分析をしてみた。 ほとんど考えずに直感で回答していったら 思わぬ結果になった。

 冷たく意気込む無分別タイプ

 「非難、中傷お手のもの」という感じで、あまり評判の 良くないタイプです。他人の長所は見逃したり、見ない ふりをしておきながら、人の粗探しが始まると、目が燗 々と輝いてくるタイプです。まともな思慮分別らしきも のは、探すのに骨が折れるくらい乏しくて、常に悪意を 含んだドギツイ意志に振り回されてしまっているタイプ なのです。それでも裏へ回って独りになると、言い過ぎ たことや、やり過ぎたことの公開を時々はするのですが 、また違う問題で誰かと向き合うと、前の失敗はケロリ と忘れて、悪口雑言を吐き散らすようなことを繰り返し ます。これではだんだんと誰も寄りつかなくなって、行 く末は住所不定無職などという芳しくないことが、待ち 受けていそうな気もします。思いやりの精神と理性をみ がいて、そういう哀れな結末になることを防ぐ努力が必 要です。

 もしかすると妹は私とけんかをすると私をこんな風だと言うような 気がする。こんな風に見えるかも知れない。 深層にこんな嫌な自分があるのかもしれない。しかし余りにも 考えずに答えたのでもう一度考えながらやってみた。 二回占いの禁じ手だ。 すると次のような結果だった。

 昔のお袋さんタイプ

 現在の母親の多くは、とてもこんなシオラシイ生き方を していませんが、何十年か前までの日本の母親像として は、こういうタイプをごく普通に見かけることができた はずです。日本も戦後50数年、今では激しい様変わり で、若い男性の一部が「ミツグ君」とか呼ばれて、これ に非常に良く似たライフスタイルをしていることは、皆 さんもよくご存じの通りです。優しくて世話好きだが、 物事にルーズで自分にも他人にも甘く、どちらかという とネクラなほうで、とかくウジウジしたところの多いタ イプなのです。万事にこれというほどの自己主張を持た ず、優しさだけが唯一の取りえで、趣味や娯楽に感情を わき立たせることもないという、社会の脇役に徹したラ イフスタイルということができます。

 うん、確かに私はこんな性格かもしれない。しかし、考えると 上は私から見えた一つの父親の悪い所で下は母親の一つの面だ。結局私は 上の二つの合間を行っているのかもしれない。 あるいは、上は世界中の都会に住む人の共通の欠点かもしれない。

 良く面接試験で性格について述べなさいと問われると 自分の性格についてはなかなか把握していない。 人の性格は量れるが自分のことは結構気が付かない。 人はその時その時で違ってもくる。

1996年11月21日 木

 朝食卓テーブルの子供用の椅子に座っていた航平が頭 から転落した。しばらくわんわん泣いていたが幸いに何 事もなかった。おでこの左上が赤くなってたんこぶがふ くれてきた。薬局で熱さまシートを買ってはりつけた。

 椅子といっても手すりがあって、落ちる場所から床ま では1メートル位ある。頭から転落して何もなかったのは 良かったと思いたい。昨日椅子から盛んに頭を出してい たのでシートベルトを用意しなければと言っていた。 一日中しくしく泣いているようにも見えて、今日ばかり は最高に甘やかされている。

1996年11月20日 水 曇り後雨

 けいこばちゃんから電話があってひいおばあちゃんが 入院するらしい。少し疲れたので休養が目的だ。とんこ ばちゃんは一時体調を崩したが今は随分良くなったらし い。

  のほほん日記の石橋さん が久しぶりに書いている。思わず吹き出してしまう相変 わらずの楽しい文章だ。

 航平は手を突いて座れるようになった。私がその手を 支えるとつま先で立ち上がる。まだはいはいは出来ない がつかまり立ちは出来そうだ。母子手帳を見るとはいは いとつかまり立ちはほとんど同時期だ。

 三軒茶屋のキャロットタワーと言う高層ビルが今日オー プンしたのでりさこちゃんたちは見に行ったと言ってお みやげにヘリウムガスが入ったふーせんを航平にくれた。

 航平は糸とふうせんがつながっていることが分からな い。ふうせんに目が行くが糸を差し出してもしらんぷり だ。さわって貰いたくないマウスや箸や新聞は必死に 追い求めるのにつかませたいものはつかまない。彼のお 気に入りは大人の道具だ。

1996年11月22日 金 晴

 このところ公務員の不祥事が相次いでいる。公務員の モラルが低下している感があるが、バブル全盛時代の事 柄もある。

 自分はかつて公務員だったから公務員の頃の思いを書 いてみよう。公務員は大半の人が真面目で私的には好感 のもてる人が多い。職場の雰囲気も穏やかで精神的には 潔白で業者から驕って貰おうという空気は無い。

 新人研修の時に50人のクラスでこの中で定年までに懲 戒解雇される人は一人だがその人は恐らく収賄だと言わ れた。収賄には必ず気を付けるようにと諭された。

 初めは喫茶店でも昼を一緒にとれば夜も会ったりする。 業者は必要以上に接近するので気を許せば懲戒解雇の行 く末が来る、という授業だった。

 収賄罪で解雇される人は実に可哀想に見えた。誰も自 分から業者に金を迫る人は居ないと思った。

 から出張はよくあった。今でもあるだろうと思う。全 国の多くであるだろうと想像する。から出張を止めた所 で研修と言う名の慰安旅行もある。から出張は労働組合 の闘争の結果だった。

 私自身はから出張をするのは嫌だったが拒否すること は退職することだ。むら社会に近い日本の組織の中でか ら出張の拒否は出来ない。誰かが新聞に投書すれば大き く出るだろうとも思っていた。

 から出張をするのは役所に報償のしくみがないからだ。 国家の予算規模は60兆円になるが、その内人件費のしめ る割合は高い。公務員の生産性は誰も分かっているが実 に低い。公務員自身も民間企業に比べて低い生産性にう んざりしている。

 から出張は際だって高い生産をした職場への報償だっ た。だから私はから出張をすることで市民に申し訳ない とは思わなかった。研修やから出張は低い予算で生産性 を向上させることだった。

 これをモラルが低いと言うのだが、定年まで多くの人が 40年間勤める間の実に一年に一度、二年に一度あるかない かの一回1000円足らずのびくびくしながらのご褒美だっ た。

 申し訳なかったのは大した仕事もせずに給料、ボーナ スを手にするときだ。だからから出張をしない普通の公 務員の普通の仕事風景が市民に対して申し訳ないことだっ た。

 真面目にも見える毎日を改革することは出来ない。組 合は強いし変える役人に変える動機がおきない。

 もし公務員を志望するあなたの理由が安定ならそれは 間違いだ。現状のままで継続が難しいことは誰も気づい ている。

 私たち市民は公務員の生産性の低さを追求するべきだ。 公務員も市民の応援は強い味方になる。具体的に仕事を して貰うことだ。

1996年11月23日 土 晴

 午後は駒沢公園に行く。ぶた公園は沢山の人がいる。 駒沢公園でのひそかな楽しみは体育館での試合を見るこ とだ。全国高校バトミントン決勝が行われていた。アマ チュアの高いレベルの試合が目の前で息づかいまでもが 届いてくる。

 バトミントンはかつて女子の服装をスコートに変更す る案が出て結局否決された。確かに全員が着用している 短パンは情けない。

 バトミントンのスピードは高校生でも、早くて目にも 止まらぬ様子に見える。試合が終わると高校三年間の成 果が涙になっていくようだ。

 よく野球やサッカーに目がいきがちだがどんなスポー ツもドラマだ。ユニフォームの短パンはスコートに変更 するより、自由にはできないのだろうか。

 神戸屋でショートケーキを二つ買って夜誕生パーティ をした。11月21日は私、26日はチャコちゃんの誕生日だ。 23日に一緒に祝うことが多い。缶ビール一つを二人で半 分ずつ分けて

 Happy birthday to us.

1996年11月24日 日 晴

 横浜市営地下鉄中川駅近くに出かけた。ここは港北 ニュータウンと言われている。前に一度この地下鉄に 乗った時はうっそうと繁る林が続く山だった。

 久しぶりに通ると駅ビルが出来て中層コンドミニアム が立ち並んでいる。駅の回りはすっかりと変わって新し い住宅と新しい店舗が所々に出来ている。駅から歩く石 畳の坂はケベックやスイスの街を歩くようだ。大通りの 一ブロックは広くて歩きがいがある。

 山崎公園で年賀状用に通りすがりの親子に家族の写真を 撮って貰った。航平がなかなかカメラの方を向かない。こ うちゃんと言ったら頼んだ人の7才位の娘が一緒にこうちゃ んとあやした。その子が何度もこうちゃんと言う度に私も チャコちゃんもおかしくて笑った。

 帰り道に三軒茶屋の高層ビルキャロットタワーに立ち 寄った。この建物は三軒茶屋の街としては悲願の建物だ。 三軒茶屋は自由が丘、下北沢と比較して似た地理環境だ が人気がない。世田谷区は三軒茶屋を商圏としての中心 に育てたい。その注目の建物だ。私もこの建物の計画の 折りに市民として三軒茶屋の本つくりを楽しんだことも あって期待していた。

 出かけてみてあぜんとした。ひどすぎるのだ。批判に なってしまうがこの建物は東急と世田谷 区と地域住民が施工主だ。東急は田園調布や田園都市線 の街作りでも分かるが実に美しい都市開発が出来る会社 だ。その東急がこんなひどい建物を作るはずはない。

 入り口は狭い。エスカレーターを上がるとつたやがあっ て商品は密集して置かれ、狭い。下りる時にエレベータ を利用したが4人乗れば一杯になる程に小さい。地下の 東急ストアに行くのに急勾配の階段。 エスカレーターはバギーも入らない程に狭い。駅までの 通路は途中20メートル程だけ雨の日傘を 指す。東急ストアから出るとき急階段6段程バギーを持ち 上げる。高層ビルのエントランスの中央には昔あった三 畳程の広さのタバコ屋が同じようにある。

 歩けば歩くほど迷路のようで障害が多い。すべてに良い 顔は作ったが一番大切なものがない。ビルを訪れる人の心地 よさだ。

 建物は竣工が第二のスタートだ。使う人の芽まで を摘み取らないで欲しい。

1996年11月25日 月 晴

 午後から秋葉原に行った。いつものようにラオックス からT-zoneミナミに行く。T-zoneの三階のNECコーナー にはパッカードベルの新製品が並んでいる。

 ついにNECも日本でDOS-V製品を店頭に並べた。パッカー ドベルはコンシューマーレポートで二度目に買いたくな いパソコンの一位にアメリカでランクされたこともあっ てサポートが悪いと聞く。合弁によるNECブランドはパッ カードにとっても価値があるかもしれない。

 そしてその横を見るとNEC製品の安い値札があった。 ペンティアム120,16,850,28.8モデム,15インチディスプ レーとで10万円だった(Value Star V12 S5 RC)。

 96年5月から11月までの製品で、新品らしい。ワードモ デルもあったが、一太郎モデルを選んで購入した。昨年11月 23日発売から一年遅れでやっとウィンドウズ95が手に入った。

 7月の七夕の願いごとがかなった。今時NEC製品は時代 遅れの感もある。選んだ理由は最近のサポートが良くなっ ていること。インターネットを通じて開発者向けに一部 サポートが出来たこと。それと私のような未成熟な開発 者にも技術資料を毎月送ってくれること。

 私は日本語コーパスといって日本語の古典文学のデー タベースを作成するのが仕事だ。NEC98アプリケーション情報 にはそのソフトも掲載されていて、今もそれを見て購入 される人がいる。未成熟な私に対してNECが与えてくれた 恩恵は計りしれない。

 アプリケーション情報には私のソフトがウインドウズ 95対応となって掲載されている。エンドユーザーのお客 様が購入された後私がはじめて購入できる有り難いパソ コンだ。

1996年11月26日 火 晴

 午後妹がチャコちゃんの誕生祝いに訪問。相変わらず だったが、ホームページ上には家のことを書かないでく れという注文を受けて一部を削除した。

 ホームページの作成については、はじめ技術上の事柄 に対して難しいか否かを考える。しかし、少し書き始め てみると技術面についてはさほど困難はない。

 難しいのは何を書くかだ。文章は書き慣れている人な らともかく普段書いていないと少し書いても自分の思い が忠実に表現されない。

 会話や私信では許される内容も公開される場合は厳格 に解釈される。だれも自分のプライバシーに関しては保 護されるから勝手に書かれれば不快だ。

 書いている途中でチャコちゃんからクレームが付くこ ともあって書かないこともある。自分の思いや出来事が 表現出来ない。

 販売されている週刊誌や新聞も最近は見方が少し変わっ た。前は読んで面白いか、ためになるか、つまらないかだっ た。今は自分だったらここまでは書けない。よくここまで 書けるものだと感嘆してしまう。

 人や店も固有名詞で良いかどうかを考えてしまう。そ して自信をもって書いても反発や反論、不快感の表明を 受けることもある。

 ペンは強いからこそ反発されるのかもしれない。書い て良いことが何かを学ぶことが大切だ。最後は頭を空っ ぽにして書きたいことを書くのが今の楽しみだ。

1996年11月27日 水 雨

 ホームページを開設している人はどれくらいのメール を貰うだろうか。メールの返事がなかなか出せないが悪 しからずといった内容が記されているページも多い。

 人気があるページは相当にメールが来るのだろうか。 私自身メールのやり取りは時々あるが、このページを読 んでの感想、批判、助言を知らない方からメールをいた だいた事は今年三月から三通だ。

 その三通は嬉しいことだ。返事の方が喜んでいる。下 の読んだよ投票のボタンは人気投票に一票が投下される 他に私の所に空のメールが届く。空のメールが届くのは 煩わしいかと思ったが設けてみるととても嬉しいこと だ。バックアップを取って保管される。

 よく押す方もいる。そんな方は親のよう に大切に感じる。意見が一致するにつけ相違する につけ自分の思いが伝わったと空のメールが言う。

 ホームページをもつ前は訪問ボタンを余り 押さなかった。未知の事柄で漠然と不安だった。 自分の情報は外に出したくなかった。自分は情報と価値 を得ればよいのであって対価はプロバイダーに支払う料 金だと考えていた。

 情報の発信は自発的なもので読んだだけでも感謝され るべきだと思っていた。実に私は横柄だった。

1996年11月28日 木 晴

 月曜日に購入したウィンドウズマシーンがお昼頃到着 した。セットアップの後インターネットにつないで見る と、私のホームページは哀れな姿だ。

 時折他の機械も見るので知ってはいたし、多くの人 も言うがやはり恥ずかしい。私が作っているのはそれで はない。

 しかしいろいろと見るとほとんど同じように作ってい る人もいるし、もっと違う人もいる。ウィンドウズとマッ クの関係というのは異人種間の関係や国籍の違いにも似 かよる。

 人種間でどちらが優れているかを大雑把に主張するこ とは出来ない。互いの違いを知って良いところを具体的 に見つめてよりよいコンピューターが出来ればと思う。

導入の感想を幾つか

 マックを買ってきた日は楽しくて興奮したのになあと思い出した。 いらいらすることは多い。

 一太郎6.3で保存して出来るバックアップファイルが同 じ一太郎で読めない。毎回の起動の時に画面に閃光が二度 走る。CDのアクセスランプが度々点灯する。問い合わせる と異常ではないらしい。

 NECのサポートはとても良くなった。ハードディスクの かりかり音が大きい。私が作ったウィンドウズ3.1用ソフ トはウィンドウズ95では誤りが出る。

1996年11月29-30日 金 土 晴

 ウィンドウズマシンはインターネット接続からファッ クス送信テストを無事に終えた。インターネットのメー ル送信が出来ないので問い合わせるとコントロールパネ ルからプログラムを削除して再設定するように指示され たがやはり出来ない。

 問い合わせるとコントロールパネルから通信設定を削 除した場合、復活するにはシステムの全部を再インストー ルするそうだ。噂に聞く再インストールというのもやっ てみたいなと思いながらとりかかった。

 私のマックの再インストールはボタン一つで10分程で 完了する(7.5.1)。ウィンドウズの苦労が体験できるぞと 思った。再インストールは順調に進んだ。ほとんど無事 に経過した。終わって時計を見ると6時間かかった。大 変な作業だ。

 マニュアル90ページにわたって細かい設定のタイプ入 力と再起動が続く。途中の記述は専門的だ。無事に終了 してインターネット接続、ファックス送信、インターネッ トメールの設定をして幾つか試してみると無事全部出来 るようになった。

 エクスチェンジと言うソフトで全部が起動するように なっている。テストも終了してやれやれと思ってゲーム を見ると入っていない。スクリーンセイバーもない。

 再びゲームとスクリーンセーバーだけをインストール した。インストール後ゲームをして、インターネットに 接続するとつながらない。ファックスもだめだ。再びは じめからやり直しだ。

 私も人並みに苦労を共に出来る。この時代に生きた8割 シェアの一体感を得たと思うより仕方がない。

 一太郎7が届いてそのままインストールした。印刷イメー ジ画面に設定して編集すると気分はマックだ。

1996年12月1日 日 晴

 家族で町田にオープンしたダイエーメディアバレーに 出かけた。店舗面積がラオックスの三倍というが品揃え は三倍ではない。

 ゆったりとしているからバギーを押して座る所もある。 おむつを変える場所もある。コーヒーをサービスしていて 使う水はダイエーのセービング商品だった。

 秋葉原と比較して何処の店でも全般に感じるのはパソコ ンやプリンターなど高価な物の値段はそれ程変わらないが 売れ筋でないサプライ商品が高い。ちょっとしたものを買 うのにわざわざ秋葉原には行かない。パソコンなら出かけ る。そのあたりの心理が上手に読まれている。

 楽しかったが再びこの店に来ることはもう無いだろう。 本格的な秋葉原価格の店舗が郊外に出来たら相当に集客す るだろう。

 帰りに向かいの東急百貨店の中の銀座はげ天で食事を した。航平もだんだんに外食が進歩している。ところが この店混んでいて後ろで客が怒りだしてしまった。

 そして再び怒っている客が出た。てんぷらを揚げては もってくる方式だから一度もってきて待たされれば客は 怒って当然だ。

 チャコちゃんは「ねえ怒らないでよね。」と言いながら 航平と遊びながら食べた。大体、家の家族は持ってきてく れるだけで十分有り難い。

 しばらくするとあちこちで謝っていた優しそうな店長 がアルバイトを大声で怒鳴りつけた。 「何で俺が三つも仕事をするんだあ。」 その後、しーんとなって誰も客は怒らなかった。てんぷ らの量は間違えて二つ多かった。

1996年12月2日 月 晴

 ウィンドウズマシンの設定は大体終わった。インター ネットに接続してエクスプローラーもネットスケープナ ビゲーターも無事に作動する。ファックスも動作する。

 PDにバックアップを取ろうと思ったが聞いてみるとシ ステム全体のバックアップ媒体はフロッピーディスクか テープストリーマーだけらしい。

 マニュアルには必ずフロッピーディスクを使用しなさ いと書いてある。フリーソフトか市販のソフトにあるら しいが今の所分からない。

 違う機械を使うのは何時までにしなければと思えば煩 わしいが、楽しむ分には面白い。違う度にひゃあひゃあ 言いながらチャコちゃんにも見せる。

 こっちを動かすとそっちが動くかなと思いながらあー だこーだとやってみる。

 そんな作業は大人のおもちゃだ。航平が新聞広告をな めては破るのと親子で大差が無いかもしれない。

1996年12月3日 火 晴

 機械と対話を続けると日記を書いたり読んだりする気 持ちが乏しくもなる。設定や何かでゆったりとした気持 ちが侵される。

 マックが心地よいと言うのはユーザーインターフェイ スが統一されていて分からないことが少ないという意味 だ。

 スカジーボードが標準で装備されているから後から付 属品を買っても設定することは少ない。ネットワークも 二台なら細いケーブルを一本つなぐだけだ。

 グラフィックが得意というのは動きがなめらかだとい うことだ。置きたい所に点を打ち引きたい所に線が引け る。ゆったりとしっかりと動いてくれる。

 日記を読むのもスクロールがはっきりと下りるので文 字が流れずじっくりと読める。動きが落ち着いている。

 習字の時に良い筆は穂先がすっきりとするが悪い筆を 使うと線が震えて描きたい線が書けない。

 マックの不得意は並べることだ。大きい順に並べたり 日付順に並ばせたり分類するのは全体に苦手だ。商品を フロッピーに納める時に一つくらいはなくてもいいやと 思ってしまう。

1996年12月4日 水 晴

 下のフロアに住んでいた女性が五月に転居した。その時 お母さんの具合が悪いからと言っていた。女子の就職が思 うにまかせない時期で就職間近の実家への帰省だからびっ くりした。少し前に会ったときのお母さんは元気だった。 大体お母さんと言ったって私とそんなに変わらない年だ。 具合が悪いなんてなかなか理解出来なかった。

 今日郵便物の中に彼女から年賀欠礼の挨拶状が届いた。 誰がとは書かれていないが、お母さん以外の家族の氏名が 結びに記されている。そんな書状が何通か舞い込む季節だ。

1996年12月5日 木 冬の嵐

 冬の嵐だ。雨が横なぐりに吹きつけている。 何事もない一日。外出もしないし、毎日おちあっ てぶた公園に出かける航平とチャコちゃんも電話 を受けてキャンセルになる。この天気では出かけ られない。

 頼んでいた掃除機のブラシが届いた件、連絡を 以前にしたのですと言って再び電話が来た。私が 受けてすっかり忘れていた。嵐のなかチャコちゃ んが電気屋に取りに行った。

 歯科医の予約日を忘れて二回すっぽかしたばか りだった。歯科医から年ですよと言われた。

 航平が生まれてから良きに付け忘れる。航平は どうかというと、今遊んだおもちゃも忘れて次の おもちゃを求める。今悔しい思いをしたのにすっ かり忘れて笑ったりする。

 大人になると忘れたいことがふっと頭に浮かぶ が新しい記憶が取得しにくい。頭を抱えたくなる 程、記憶からいじめられることもある。

1996年12月6日 金 曇り後晴後小雨

 ウィンドウズのアップデートファイルがあるこ とを 川島さんのページ から教えて貰った。

 一昨日秋葉原に行ってソフトを見たが、システ ムをPDでバックアップするシァイアンという名前 のソフトはDOSV用だけで、ラオックスの公衆電話 で会社に問い合わせると98のシステムをPDでバッ クアップすることは出来ないそうだ。

 アップデートファイルの数からみても相当にリ ビジョンアップが繰り返されているので、PDや MOが対応されるのを待つか、テープストリーマー を購入しなければ、安心して使い始められない。

 自分が作ったファイルだけをバックアップして 後の設定はあきらめて時々再インストールするの が通常の使い方なのだろうか。

 10個程あるウィンドウズのアップデートファイル もその度にインストールするのだろうか。使う前か ら気持ちがしぼんでしまう。

 結局再インストールするならじゃんじゃん使おう と思い、書店でFreeBSD(UNIXのシステムフリーソ フト)入門キットという本を購入してUNIXを体験し てみた。

 UNIXはさわった事はあるが使った事はない。マッ クがいいのウィンドウズがというが世の中にOSは数 限りなくある。

 UNIXは大学で学生にコンピューターを使わせるに はもってこいという雰囲気だ。マックなら幼稚園、 ウィンドウズなら中学生だろうか。

 インストールするにも随分かかったが、無事にLOGIN と出たときにはマルチタスクだなあと感慨があった。 新しいソフトを使う以上に新しいOSは奥が深い。

 友人が入社した先でUNIXを使わせられてと聞くと それは大変だねと話したが今のインターネットがUNIX に与えた衝撃は大きかっただろう。

 マルエツの二階の書店でさえもこの本が置いてある 位だ。ラオックスの書籍売場もUNIXの本が相当増えた。 今からUNIXを学んで何が出来るかとも思うが分からな いことは知りたいのが人間だ。

FreeBSDのダウンロード先

1996年12月7日 土 晴

 昨日から航平がはいはいをするようになった。 はいはいする体勢は映画の怪獣の動きに似てい る。何かの目標を見つけるとゆっくり、じわり と近づいて手に取って口に入れては出す。

 ごみ箱の中身など口に入れて欲しくないもの に近づいた時にそれをどけると目標を失って茫然 とするが、また別の触れて欲しくない物を見つけ てゆったりと向かって行く。

 代わりにおもちゃを置いても目もくれずに大人 の道具に向かう。はいはい出来て真っ先のお気に 入りは電話台の引き出しだ。

 開けると中には、はさみ、ドライバー、虫ピン 、かなずち、ラジオペンチ、ボンドが入っている。 引っ張り続けると引き出しが落ちる。

 近づいては引き離すが振り向いてはゆったりと 引き出しに向かって進む。五段ある引き出しの取っ 手に物差しを上から通して簡単に開けられない ようにした。

 しばらくがたがたゆらしたがそれであきらめた。 何かにつかまって立とうとする姿勢には感動する。 近づくと手を出すが、こちらで手を差し出すと つかまってなんとか立とうとする。

 立とうとする運動を一日中何回もする。 「天はみずから助くる者を助く」を感じる。

1996年12月8日 日 晴

 ツカサキッズという子供向けの大型店が横浜市に 出来たというので行ってみた。途中港北ニュータウン を通った。

 年賀状に使う家族の写真を撮って貰いたくて公園 で通りすがりの年配の男性に頼んでみた。直ぐに撮っ てくれたが私たちがポーズする間もなくシャッター を切って、歩いて行った。

「せっかちな人だね。」チャコちゃんと二人でびっ くりした。その後犬を連れている中年の夫婦に頼ん だ。するとほとんど話しをせずに直ぐにシャッター を切ってカメラを返して二人は無言で立ち去った。 年末だから皆気がせいてるのかな。と思った。

 またしばらくしてよちよちと歩く子供を連れた夫 婦に頼んだ。男性はここを押すのですかと尋ねた後、 シャッターを切って何も話さなかった。

 近くに子供用のログハウスがあって立ち寄った。 中は忍者屋敷のように複雑に遊具が配置してあって 駆けめぐるように子供が遊んでいる。付き添いの大人 が三人そこにいたが、目の焦点があっていない。

 11月24日にこの近くの公園に立ち寄ったときは 何人の人に明るく声をかけられたかしれない。その時 立ち寄ったところは中川駅近くでほとんど最近出来た ニュータウンだ。そしてこの鴨池公園は横浜ニュータ ウンと言っても初期に開発された地域で既に15年程の 歳月を経ている。

 ニュータウンに転居してきたばかりの人たちと15年 を過ぎて落ち着いた人たちの違いなのだろうか。五六人 と接しただけではっきりとは分からない。思い過ごしか と思ったが漠然と不安な気持ちになった。

1996年12月9日 月 晴

 文章の中に半角のスペースが混在していると教えて 貰った。ネットスケープ3.0とエクスプローラ3.0で 所々に入るそうだ。

 それで、雑誌の付録からエクスプローラ3.0をイン ストールすると確かにここ-> に半角のスペースが入っている。

 それぞれ2.0では正常に表示される。ソース上の改行 マークの場所が半角スペースになる。私は今まで通り なのにバージョンアップされて、正常に表示されなく なってしまった。

 大したことではないが商品になる場合にはややこ しいと思う人もいるだろう。そんなケースを避けたい とは誰でも思う。

 従って出来る範囲にしか出来ない。いろいろと試 すが現在のタグを使う以上、この半角スペース-> <-を回避するのは面倒だ。

 結局面倒が原因だが面倒だと言えないので 企業なら何か理由を考えるだろう。パソコンは過 渡期の商品だと思う一瞬だ。

1996年12月10日 火 晴

 夕方、航平に熱があって、医者に行くと風邪の診断を 受けて薬を貰ってきた。38度熱がある。こんな熱が出た ことは幸い今までにはなかった。

 薬を飲んで一眠りして再び熱をはかると、薬が効いて 36度5分に下がっていた。なんとなく神妙な顔つきで 元気がない。食欲はある。

 航平の具合が悪いので家の中の会話が熱のことにな る。チャコちゃんの頭から熱が離れない。

 私自身は歯科医での治療からの痛みが続いて、なんと なく不自由している。不幸な気持ちはありふれたことから もやってくる。打ち勝つ対象でもなくてなんとなくさえな い。

1996年12月11日 水 晴

 航平の熱は38度9分になった。食欲はあるがくったり としている。笑うのも力がない。抱くと熱気が伝わって くる。便は三回あって最後はゆるくなっている。

 顔色はそれ程悪くない。明日は小児科医に再診に出かけ る日だ。薬を飲むと直ぐに寝てしまう。熱が上がるに連れ て私は心配になるがチャコちゃんは昨日に比べて落ち着い ている。

「知恵熱や突発性湿疹で誰もが経験することだから大丈夫。」 と昨日とはうって変わって太っ腹だ。私は子供の頃、体が弱かっ たから、親は苦労しただろうなと思う。「子を持って知る親の恩」 だ。

写真 ぶた公園のぶらんこ 

1996年12月12日 木 晴

 航平の熱は下がらないが元気は戻っている。小児科医 では明日には下がるという診断だった。食欲もあってよ く笑うようになった。

 年末でコンピューターを置いている部屋の掃除をした。 しかしコンピューター導入でペーパーレス社会の到来とい う話しには、私もその頃はまんまとだまされてしまった。

 部屋の中の物をすっかり外に出してみるとコンピューター だけになる。外に出たのはほとんどがコンピューターあれ ばこその品々だ。コンピューターがなければノートと住所録と 電卓くらいで大体の用は足りる。

 一体どれだけの資源をコンピューターは食い尽くしたかし れない。その分の楽しみも貰ったけれど。

1996年12月13日 金 晴

 夕方小児科医の元にチャコちゃんが航平を連れて行っ た。突発性発疹だと医師は話したそうだ。気がつかなかっ たが夜になって体に点々と赤いうっすらとした斑点がでている。

 突発性発疹は子供が出来るまでは知らなかったが多くの 子がこの時期かかるそうだ。風邪の症状で熱が下がると 発疹が出る。

 心配のない病気で直ぐに直るそうだ。一度かかると免疫が 出来て再びかかることはないらしい。熱冷ましの薬は飲んで いるがだいぶ元気をとり戻している。

 医師からは 「これでお役目一つ果たしましたね。」と言われてきた。

1996年12月14日 土 晴

 航平の具合はほとんどいつもと変わらない位に良くなっ た。薬はまだ飲んでいる。風呂はまだ入っていない。発疹 はうっすらとわずかに見える。元気と笑顔は戻った。

 午前中年賀状の印刷を依頼した。三人揃っての写真入り。 ホームページのアドレスを入れた。21日の土曜日に出来上 がる。

 予定通り午後歯科医院で手術を受けた。糸切り歯の歯根の 一部と腫瘍を切除した。手術中は麻酔で痛みはないが やすりとはさみでぎいぎいと頭に響く音と出血でのストレス が大きい。術後は激しい痛みが出た。夕食時には痛みはない。 口の中に何針かの糸が出ている。来週土曜日に抜糸。

 夕食時NHKテレビで一時間半の忠臣蔵の検証番組。よく 出来ている。

何故47人で150人の吉良勢を破れたか。

  討ち入り志士はキャタピラで装備。
  吉良勢は寝起きで雪の中裸同然。
  120人は長屋から外に出なかった。

吉良屋敷の模型、2700坪の敷地の大屋敷。

外塀の高さは三階建ての建物位に高い。

実際に吉良氏が隠れた場所は寝室の近く台所横の 炭置き場。外ではない。

志士たちの準備が何故発覚しなかったか。

  本所は江戸時代のニュータウンで他人に干渉しない土地柄。

忠臣蔵が用意した武器、やりが多い。年寄りが多いから。

 NHKが製作した吉良邸の実物模型を元にバーチャル リアリティでの忠臣蔵討ち入りのソフトは歴史的に 価値があるかもしれない。

1996年12月15日 日 晴

 午後から外気浴のために家族で外に出た。今日は世田谷区 ぼろ市の日だ。江戸時代から続くリサイクル、フリーマーケット だが毎年規模が大きくなっている。

 立ち寄りたかったが航平はまだ本調子ではないし、 歩けない程の混雑になっている。近くをとおり、砧(きぬた)公園 に行った。

 ここはかつてゴルフ場だったので全体に芝が敷かれて いる。よちよち歩きの子供に最適で砧ファミリーパーク という別名のとおり子供が多い。

 区営世田谷美術館と結婚式もできる区営のフランス風 レストランは美しい造りだ。その横には清掃工場の煙突が 大きくそびえている。

 しばらく振りに来たが規模は大きくて遠く世田谷総合運動場 まで広がっている。横に東名自動車道から下りる車列が見えたり トランペットを吹く音色が聞こえるのはいかにも都会の公園だ。

 夜NHK番組を見る。幸せな気持ちになれたり、社会性が増したり、 子供の集中力を得る薬品が米国で多くの人に服用されているそうだ。 日本では認可申請中らしい。

 ストレスは脳の働きに大きく影響していて、薬品が影響を補う そうだ。新しい薬品の出現で医療が変わることが予想される。

1996年12月16日 月 晴

 長野県の知人からりんごを頂いた。自宅で採れたもので 袋を掛けていないから赤くなくて見栄えが悪いと言う。

 市場に出すのは袋を掛けて綺麗に作るそうだ。袋を掛けずに 太陽に良くあたったりんごは見栄えが悪くても味は良い。 食べると確かに美味しい。どうしても人は見栄えに弱い。 袋を掛ける苦労は大きい。

1996年12月17日 火 晴後雨

 部屋の掃除が終わらず、先週からちらかったままになっ ている。昔のPC98のゲームを新しい機械で試すとかつてと 同じ音が出て来た。

 たまったフロッピーディスクのラベルを見るとバック アップの連続だ。コンピューターが脆弱でどれほど自分 が苦しんだか分かる。

 名簿は今も手書きだ。見えない所に大事なものがある ことが信じられない。コンピューターを何に使うか決めて 購入しようと言うが今も使い道はよく分かっていない。 遊び道具としてなら、未完成だから、一級品だ。

1996年12月18日 水 雨時々曇り

 掃除や片づけはやり始めると勢いづく。成果が目に見 えて来る。今まで大事にとって置いたものに自然に見切り が付けられる。

 何かに結論が出ない時つまり捨てるかどうか迷うとき、 放って時間がたつと自然に結論が出る。分からない時には 考えずにほっぽらかすのも人の知恵だ。

 午後は晴れるという天気予報がはずれて一日雨が降り続く。 テレビはペルー日本大使館でのゲリラ事件を報じている。 年の瀬でチャコちゃんは障子を張り替えようかと言うが 年が明けてからゆっくりやればいいよと答える。 床の間はぶんぶく茶釜が押しのけられて、 まだ古いコンピューターが飾られたままだ。

 雨の中チャコちゃんは航平をだっこして傘をさして お茶屋と八百屋に買い物に行く。航平に雨を見せたいのも 一つの理由らしい。半分に切られた冬至のかぼちゃを買って来た。

1996年12月19日 木 晴

 チャコちゃんは病院で同時期に出産した人たちと 一緒に自由が丘銀鮨に航平と一緒に会食に行った。

 三四日前に電話で誘いがあってはじめは断っていた が、私が勧めて、あらためて電話して、参加した。 勧めた理由はメンバーの一人の夫がその銀鮨の板前で、 それが鮨で、全員が子供連れだからだ。

 私は酒を飲まないのでゆっくりチャコちゃんと 航平と三人で鮨屋になかなか行けない。カウンターに 座ってとろだ、いくらだと言って食べられない。

 さらに航平が生まれてからは鮨を食べる機会は もっと少ない。全員が子供連れで9組揃っての食事は 子供の手に届かないように座卓の真ん中に皿が集まって いたそうだ。

 自由が丘まで送ってそこで私は帰ってきた。 私が勧めたから来たんだということと、私が自由が丘まで 送ったということを必ずみんなに話してと言って、 ロータリーで降ろした。話してねの所も話したかも しれない。

1996年12月20日 金 晴

 一日中ニュースはペルーでの人質立てこもり事件の 報道を流している。事件は偶発的な出来事ではなくて 主義主張のぶつかり合いとしての戦争に見える。

 延々とニュースが流れるとこの事件について自分の 頭の中でも何かをまとめたい衝動に駆られる。漠然とした 不安があるのだろうか。

 そんなときに頼りになるのはCNNとBBCのニュースだ。 CNNもBBCも毎正時トップニュースで語られるし、特別番組も 組まれて大事件として扱っている。

 しかし、それは他国での出来事であって、いつものトップ ニュースと大きくは変わらない。地球市民としてみると この事件はチェチェン紛争と同じように懸案事件であって 人間の世界である以上しばしば起きる出来事の一つにも 見える。

 私たちはどうしても自分の身の回りのことには感受性が 高くなる。この事件が小さい事件だと言うのではない。 もっと目を向けるべき事件が世界には山積している。

 ところでBBCは地下鉄サリン事件の犯行団体をオー ム真理教だと事件直後に特定した。その時どの新聞各社も、 他のテレビも犯行団体の報道はなかった。その頃は興味 本位で報道した事件でオー ム真理教は裁判闘争をしていた。各報道機関は真実を報道 するに躊躇したかもしれない。

 特ダネとしてでなく、BBCだけが犯行団体を特定して 放送し続けることに事件直後は全く理解できなかった。 日本の報道はどこも横並びの傾向が強い。 これはBBCが特別に素晴らしい報道力を有していると 言うのではない。見方や観点が違えば正しい ことを見極める力も高くなるだろうということだ。 正しい ことを正しいと述べる勇気に人は注目している。

1996年12月21日 土 晴

 午前中歯科医で抜糸をした。ひきつった痛みが 続いていて、不安だったが抜糸後は痛みが薄らいだ。 歯科での抜糸は外科手術での抜糸に比較して痛みが 少ないそうだ。

 軽くひっぱるとするりと抜けていくようだった。 昨日まで航平に笑いかけると痛いので恐い顔ばかり だったが今は心地よく笑える。

 四時に出来上がるはずの年賀状を六時に取りに行くと 写真店には届いていなかった。帰ってから航平と冬至の ユズ湯に入って、髪の毛が濡れたまま再び取りに行った。

 出来上がりの写真年賀状は暗くて思ったとおりではない。 色見本で写真を添えているのに暗い仕上がりになっている。 字の配置も不自然にちらばっている。そしてホームページ アドレスを入れる手数料が必要以上に加算されている。 いきさつを話すと必要以上の料金は差し引かれた。

 昨年は写真年賀状をジャンボーというディスカウンターに 依頼して今思えば格安でしかも美しい仕上がりだった。 E-Mailアドレス掲載費用もFax番号掲載費用もなかった。

 今年は富士写真フィルムに依頼して私から見れば 二流の仕上がりで料金は高かった。名の通る大手だから 出来上がりが良いだろうと信じた気持ちは間違いだった。 請負仕事だからやり直しは利かない。不出来になっている 点は我慢しなければならない。

1996年12月22日 日 晴

 チャコちゃんは航平と一緒に川崎にいるお父さんの 所に誕生日のお祝いに出かけていった。70才になる そうだ。楽しく過ごしたらしい。

 私は家で年賀状を書こうと思ったが気がのらず、 秋葉原に行った。今年一番の人手で、人が多くて 商品が見えない。ボーナスも出て、冬休みもすぐで、 クリスマスも正月も来る最高の日曜日だ。

 一人で歩いていると人の話し声が耳に入ってくる。 母親が子供に
「誕生日に買ってあげるから。」
「誕生日は何にもいらない。」
なんて聞こえてきて微笑んでしまう。

 マッキントッシュ用に使ったアドテックの8メガの メモリーが一枚余っているのでウィンドウズ用にもう一枚 8メガメモリーを購入したかった。

 見ると一枚が3600円だった。聞いてみるとペンティアム には二枚単位で増設するが二枚が同じ会社のものでないと 動作しない可能性があると言われた。

 それでアドテックを見ると一枚が10800円だ。 それならここで二枚買った方が安い。コンピューター商品の 値段は何時でも不可解がつきまとう。

 秋葉原は1980年代の家電不況の時には人が少なくて 電気製品は量販店で購入するようになっていた。その頃は 広瀬無線が労働争議から倒産に、サテライトスタジオだった シントムエコーも倒産して表通りの店が次々と閉鎖された。

 パソコンはうっすらとしたそこはかのない、おもちゃの ような商品だった。それが私自身も今年は何度秋葉原に足を 運んだか解らない。秋葉原もよく立ち直ったなあと思わず 感慨にふけってしまう。

 ところで神田川が先月からの捜査のどぶさらいで随分綺麗に なったような気がする。橋から見ると50センチほどもある錦鯉が 100匹程も泳いでいる。

1996年12月23日 月 晴

 印刷はされたもののまだ何も手を付けていない 年賀状にとりかかった。名簿は手書きで書いたものを 使っているが年賀状の宛名書きはコンピューターを 使っている。

 清書機として使っている。年賀状作成が終わると 自動的に住所録は出来上がるが一年を通して使うのは 手書きの住所録だ。能率が悪くて不可解に見えるが 自分にとっては最も能率が高くてやりやすい方法だ。

 クラリスワークスのデータベースを使うがこのソフトは 使いやすくて素晴らしい。ウィンドウズ用も最近 買ったが基本的には同じ造りなのに多少あちらこちらが どうしてもマックのようにいかない。それぞれ完全にファイル の互換はとれていない。

 データベースに郵便番号は一文字ずつ入れて毛筆フォント で釣り合いを取りながら住所を記入していく。 クラリスワークスのデータベースは自在に印刷場所を 設定出来るからどんな形の封筒も葉書も簡単に位置調整が 出来る。

 見たままが印刷されるから相手の住所もバランスが とれていて美しい。キーが次々と自分が行きたい所に 運ばれていくのも頭がよいなと感心する。

 昨年の分があるのでほとんどはそのままだ。チャコちゃんは そもそも手書きで書くが、私が昨年仏こころで宛名を入力した ので今年も全部の宛名を仕上げた。年賀状に関して昨年と今年の チャコちゃんは幸せだったと思う。

 ところでホームページアドレスを印刷で入れたが 結構プライバシーもこのホームページには多い。 よく私のことを知っている人とほとんど知らない人には ここに出ている私のプライバシーの価値は無い。

 しかし隣近所の人でよく挨拶もし、プライベートな面での つきあいのない人でコンピューターを使う人にはどうしようかと 悩んでしまった。

 結局貰ったら出そうと思うが、何も当たり前のことが 書かれているのだから気にすることは無いと思おう。 はじめてホームページを出したときも似たような恥ずかしさは あったから、そのうち慣れるだろう。

1996年12月24日 火 晴 クリスマスイブ

 航平にとってはじめてのクリスマスイブだから、 と言ってチャコちゃんは書店で絵本を買って クリスマスプレゼント用の包装にしてもらっている。

 ケーキ用のホィップはなかなか泡だたなくて 雪印に問い合わせたら、もう一度ボールごと 冷蔵庫に入れて泡だたなかったら、何とかしましょう と言われた。そのとおり冷蔵庫に入れると 見事に泡だった。聞くと植物性脂肪のタイプで、 プロもしばしば失敗しますと言い訳していた。 しかし、何とかしましょうと 言ってどうするつもりだったのだろう。

 出来上がったチャコちゃんケーキに一度使って貰ってきたサンタの ローソクをたてて、鳥の唐揚げや、スープに、イメージビデオを セットしてビデオと写真を撮った。 シャンパンは忍玉乱太郎シャンパンで飲むとサイダーだったが、 音は本物と同じだった。

 航平にとっては何も解らなくて普段と同じ日だが 寝る前にあやすと妙に長い間笑い続けて幾らでも 笑うのがおかしかった。

1996年12月25日 水 晴

 三週間程前のことだ。秋葉原に行くときに地下鉄銀座線 の銀座駅で年配の老婦人が乗車した。座っている私の前で 見送りの人に笑顔で挨拶して電車は走り始めた。立ち姿は健康そ うでデパートの買い物袋を持っている。しかし年配の方なので、 私は中腰に立って、
「もし、宜しければお掛けになりますか。」と、尋ねた。 すると老婦人は
「いいえ、すぐに下りますのでご心配なく。」と答えた。

私自身は席を譲るつもりでいたから したいことが出来ないようで直後は少し気まずかった。 二駅ほど先で老婦人は降り際に、
「有り難うございました。」とにこやかに言って降りた。

 席を譲ろうとして旨く 譲れなかったり、譲ったがその後何となく気まずかったりすること はよくあることだ。若者が席を譲らないというが、若者たちも 一度はそんな気まずい経験をしてきただろうなと思った。

 シルバーシートに若者が座ったままでいると批判する人も 多い。私自身は大学に通う頃新宿から渋谷への5分の間 不健康で立っていられなかった。 今は幸い健康だからいくらでも立っていられるし、 席を譲れることは幸せだと思う。だから批判する人は 健康だと思うこともある。

 ところで、もっとも批判されるべきなのは 電車の中で座れないという状態だと私自身は思っている。 電車は座れて当たり前で、年配者が乗るのに席がない 状態をむしろ恥ずべきだと思っている。

 私たちはよく道具や回りに責任を転嫁しないで、 工夫と思いやりでなんとかしなさいと 子供の頃から教育された。

 だから誰もこの国で電車をなんとかしろなどと 言う人はいない。そんなことを言っても 誰も取り合わないことは確実だ。

 しかし私たちは座れる電車に乗ることを 主張するべきだと思う。公共交通機関に 座って移動することは当然のことだ。

 しかし、どうすれば達成できる のだろうか。それは、東京から権限を 各地域に移譲して、東京に伺いをたてなくとも 十分に発展出来る仕組みに変えることだ。

何でも東京に来なければ話しが進まない という状況を改めることだ。 具体的には霞ヶ関の力を地域に移譲することだ。

1996年12月26日 木 晴

 正月用品の買い物に家族で出かけた。駒沢交差点の 角の八百屋でかぼちゃと白菜、やつがしら、いちごに、 ごぼう、どろねぎ、ほうれん草などを買った。

 年末になると野菜の値段が上がるが、今年は全体に 出荷量が豊富で品物が良い。やつがしらって一年通して この時くらいしか買わないが、これが無いとしまらない。 今日は風が強くて航平はバギーの中で埋もれている。

 その後碑文谷のダイエーに行った。ダイエーは 一月一日から営業するらしい。まだ本格的に正月用品は 並んでいない。田作りが無くて探したが見つからなかった。

 パソコン売場で富士通のタッチおじさんのバッジを貰った。 なかなか手に入らないという噂のバッジだそうだ。かわいいので 二個貰った。

 テレビ売場ではニュースが自由主義史観研究会の 特集を流している。慰安婦の記述を教科書に入れるべきでは ないと主張する団体だ。

 横の書店を見ると平積みでその「教科書に書かれていない日本史」 の書籍が並んでいる。ぱらぱらと見ると戦前の修身の教科書のようだ。

 自由に何でも述べることが出来る今の時代は平和だが、 言動が他者を傷つけることは誰も欲していない。 どんなディベートも謙虚と豊かな愛情が根底に必要だ。

 慰安婦問題は事実である以上正しく事柄を知っておくべき だろう。教科書に取り上げなくとも知る必要はあるし、 教科書に取り上げられる価値も有るだろう。

 むしろ検定済み以外の教科書を採用できない事実が不適切だと 信じている。学問は初等教育のレベルから多様な 立場や方法から成り立っていることを学ぶことが出来る。 多様な思想の集積だからこそ一致した内容については 習熟も大切なことだと解る。子供も複雑な事象を 理解出来る。教科書の選定は学校にまかせ、学校の 選定は子供に任せればそれで十分だ。

1996年12月27日 金 晴

 仕事納めの日だ。世の中はこれから正月休みに 入る。独身の頃は正月が嫌いだった。年賀状に書くことは なかったし、出してもまだ独り身かと思われそうだし、 おせち料理は一人では美味しくない。

 同じテレビを見ても正月だけは寂しかった。今年は にぎやかだから楽しいかと言っても、そんなに急には 楽しくはならない。

 正月の楽しさは日本人の多数派、マジョリティに 属さないと永遠に楽しめないような気がする。クリスマスは 愛し合う二人がたとえ世間から孤立しても何ともなく 楽しめそうだが、正月だけは親戚、家族、従業員など共々が 大勢で家長を祝う風情が楽しそうに見えてしまう。

 そんな見えないものと反発する気持ちがどうしても 正月を楽しめない理由なのかもしれない。

 家の近所のマルエツもダイエーにならって元旦の営業を 行うとちらしに出ていた。元旦の営業は従業員には恐らく 不評だろうが元旦営業で私は心が安まる。

 世間のすべてが静まり返ったあの元旦の様子は少数派を 受け入れない風情と大多数派の押し寄せるような強さが 自分を痛め苦しめるようなのだ。

1996年12月28日 土 晴

 年末のあわただしさが一日中流れている。 朝から黒豆が弱火でことことと音をたてている。 土井勝式とか言って誰もが失敗しないで煮えるらしい。 たまたまチャコちゃんの持っている本のやり方通りに しているので朝からずっと音がしている。

 昼頃チャコちゃんは航平を連れてぶた公園に行ったが 今日は男性が多かったそうだ。そういえば夕方スーパーに 行くとレジの係りも男性が多かった。女性は正月にかけての 知識が豊富で家庭でひっぱりだこになっているのだろうか。

 チャコちゃんは私と違って日程に従ってこつこつと 仕事をこなすタイプで年末のスケジュールがきちんと既に 決まっている。それによると今日が一番の山場になっている。

 おそなえもちは直径が7センチくらいのものを 買ってきたが、おととい葉付きの蜜柑をチャコちゃんは
「かわいいから買おうよ。」と言いながら、一緒に私が居て
「いらないんじゃないか。」と言って買わなかった。

 葉付きの蜜柑を載せても落ちてしまう位におそなえが 小さいからだ。そしたら、チャコちゃんの目に 涙がたまっている。
「なんでそんな詰まらないことで泣いてるの。」と言ったら 直ぐに笑顔が戻った。チャコちゃんはきっと優雅な独身時代を 思い出したのかもしれない。

 蜜柑一つで泣かせてしまったと思いつつ、夕方、私が一人で買い物の時に その葉付きの蜜柑を一個買った。玄関にその蜜柑をだまって置いた。 後からチャコちゃんが見つけて忙しい合間に航平も一緒に ひと息つけた。

1996年12月29日 日 晴

 あれ、しおりんのToday's Nicky終わっちゃってるけど、 See You Again のSoonに?がついてる。嘘でしょ<私信

何だこんなところに居た。



 昼前航平と二人で散歩に出た。二人での散歩は 初めての体験だ。チャコちゃんがジュースとビスケットの袋を バギーに付けた。道路は車の数も少ない。

 駒沢公園に行くと普段に比べて人の数は少ないが それでもランニングする人やスケートボードを する人などが師走の中も楽しんでいる。

 ぶた公園に行くと二三十人程の人が居たが 半数程の人は外国語を話している。クリスマスを 楽しむ人かも知れないしそうで無いかも知れないが それでも日本の正月を祝う習慣は世界の中では 少数派なのだろうか。

 航平は年の割にはいつも赤ちゃんぽくない服装だが、 それでも公園では少しの月齢の違いも 大人と子供程に違う。他の子と比較しない方が良いと 言うのは誰でもがついつい他の子と比較しがちなのだろう。 自分も自然に他の子と比較している。

 比較や競争というのは今まで気が付かなかったが 自分はとても好きだ。だが、この日記猿人の競争もそうだが 競争の中に居るだけで満足している。その中ではいつも 最良の成績は取れない。競争の中に居るだけで 心地いいのかも知れない。

 競争は自然に力が沸いてくるし人から得ることも 多い。競争に弊害がでるのは過当競争であって 自分は自然に弊害から身を逃れてきたのだろうか。 かつての競争ではなんの成果も上げられなくて 苦しかったが自分は競争の魅力に引きつけられていた。

1996年12月30日 月 晴

 航平は、はいはいが得意になっている。 はいはいして出かけていく場所の中でテーブルの 下は最も好きな所の一つだ。テーブルの下に 入ると椅子の下の方向にも進むがその度に 頭をこつこつと角にぶつける。

 ぶつからないように その度に手でよけてやるが その手を振り払っては頭をぶつけに行く。 航平にとって今は危難の連続だが 遭遇する度に助けられている。

 本人は助けられていることを知らない。むしろ じゃま位にしか思っていない。だまって 言いなりにしていれば楽なのに。私がするのは航平の為なのに そんなことは知らない。彼は 親を越えて自分の限界にチャレンジしている。

1996年12月31日 火 晴

 今年ももう今日で終わり。航平の誕生で随分と 楽しい思いをさせて貰った。来年もまた楽しませて くれるだろう。  航平には盆も正月もない。この押し詰まった今年最後の 一日も彼にとっては今の食事と今のおしめと睡魔とおもちゃが 昨日と変わらず大切だ。きっと明日もそうだろう。 私も彼から今幸せになる方法を分けて貰おう。