夜久則彦さんのことで、みんな落ち着いて 日記リンクスの事件もそうだったがこの日記猿人でも インターネットが今までの通信ネットとは異なっている のに気づく。かつての通信ネットは閉じているから主催 者に対する意見は主催者が操作できた。だから利用者は ある一定の恒常的なサービスを安定的に享受した。 インターネットの世界はそのすべての人格こそが安定 的に尊重されていて自由な意見を恒常的に安定的に述べ ることができる。自由な意見が自由に飛び交うインター ネットの世界は息苦しい実社会の中で夢のような世界だ。 そこには飛び交う人と人が自分自身の尊厳を賭けて主 張して語る。日記猿人はボランティア組織でばうわうさ んと池川さんがすすんで多くの人の日記を紹介する場を 確保している。多くの人の日記としての場が確保されて いることに賛同して多くの者が集っている。 二人は神でもないし一人の私人であって自身の楽しみ を日記猿人から求めるために私たちに無償で援助してい る。集う発言者は自由な私人だから自由に発言される。 彼らの口はインターネットの世界で封じることは出来な い。 私たちは互いに封じることも封じられることも出来な い関係に成り立っている。だからこそ、私達は正直に述 べ、正しく判断する。何が正しくて何が正しくないのか を判断するのは私自身だ。 そしてばうわうさんにも池川さんにも私は感謝するし 他の発言者は発言者の意見として一つの見方を尊重する。 そして誰が何処で誤解していくのかを判断していく。 自分が間違っているかもしれないし、主催者も間違う かもしれない。発言者も間違えるかもしれない。出来れ ばその誤解が集まる全員の力で理解に繋がれば良い。 池川さんもばうわうさんもたった一人の私人だから弁 明にすべてを期待することはできない。弁明しなくても いい。私たちがサービスを通常享受するのは金銭的な対 価を支払い、何人もの人が共同体を組織して、社会的な 公正を責務として権利を取得しうる主体だ。 池川さんやばうわうさんに対して私たちは同じような 期待をかぶせることはできない。あくまでも私と同じ一 人の人だ。厭な気持ちにもなるし、くたびれるときもあ る。そんなときにはみんなで助けよう。 私たちはインターネットの世界の中で皆がはじめての 体験をしながら毎日を過ごしている。文章で揶揄される ことがこれほど苦しいと知るのもはじめての体験だった。 ネット病に罹ったのもはじめてだった。ゆっくり行こう。 誰もが人間だ。 コンピューターのプログラムのように完璧を期すこと はできない。夜久さんも稀Jrさんも長谷川誠さんも、も う一度日記猿人に戻って来て貰うことはきっとばうわう さんにとっても池川さんにとっても私にとっても、将来 が楽で気持ちが良い選択だろう。 そしてばうわうさんも過去のことは考えているから文 章で批判するときは気を付けよう。文章ほどきつく相手 を強く突くものはない。ペンは剣よりも強い。ペンの力 は想像以上に相手を傷付ける。