山口 正司
1999年 1月 5日 火 晴 航平の言葉1「おかあさんごめんね」昨日、駒沢公園の中にある「うま公園」に、チャコちゃんは航平を連れて遊びに出た。うま公園には平均台のように塀が連なって、塀の上をバランスをとりながら歩くのを航平は楽しみにしている。うま公園にでかければ、航平は必ず、その塀で遊ぶし、先日私と一緒に行った時には、塀の途中にアベックが居て、どいて貰ったこともある。
チャコちゃんはやはり航平に連れられてその平均台のようになっている塀に引っ張られたらしい。高い所をバランスをとって歩くから、航平は一人では遊べない。遊びには、チャコちゃんの助けは必要になる。
途中にドラム缶のような高台があって、航平の背よりも高い場所に一人で立つのも好きだ。高さは1メートル20センチくらいだろう。航平の背は90センチだから、私の体感にすれば、航平は恐らく2メートル程の高さに立った気分なのだろうか。
そのドラム缶は、作りから、航平の手を一瞬離さなければならない。航平も緊張して、必ずじっとしている。ところが、最近は随分慣れて、得意な顔に代わっていた。
チャコちゃんは、ドラム缶に来たとき、ふっと目をやった瞬間に航平の体がまっち棒の頭を逆さにしたように、スローモーションで、こま送りになるように、頭から転落していく航平を見続けてしまった。航平はドラム缶のしたで、逆立ちの形に地面におでこをぶつけて、そのまま、体と頭はえびのように逆に曲がったらしい。
ひどい落ち方だったけれども、今日になって病院にも行って、結果今のところ、なんともなかった。今もはしゃいでお風呂に入ったところだ。
落ちた瞬間に航平はひどい悲鳴で泣いた。チャコちゃんは航平を抱いてじっと体をさすったらしい。そこに友達のみほさんも来てなぐさめられ、しばらくして、やっと航平の泣き声はおさまった。チャコちゃんも落ちつきをとりもどしたらしい。
チャコちゃんは航平に
「痛くない? もう大丈夫になった?」
と尋ねると、航平は、
「おかあさん、ごめんね。」
と言った。
「どうして?悪いことはないよ」
と答えると、
「おかあさん、高いところから落っこっちゃったから、ごめん。」
と話したらしい。
うま公園で。うしろに「どかん」1999年 1月10日 日 晴 風邪1
風邪でチャコちゃんと航平ダウン。休日診療を尋ね、診察後休む。寒波。昨夜は眠れず。私だけは今のところは元気。夕食チゲ鍋作る。航平座薬、抗生物質飲む。チャコちゃん、快方に向かうきざし。航平、薬の効き目あり。転落とは無関係らしい。
1999年 1月11日 月 晴 風邪2
航平の熱は朝方39.5度に。がたがたと震えている。座薬を入れた後、駒沢病院に8時に電話すると、救急車を呼んだ方がいいと言う返事だった。近くなので、直接うかがいたいと、答えると、小児科は扱ってないので、別の病院にとの指示。国立東京第二病院に電話すると、8時半にもう一度電話するように指示される。
電話の後、連れていく。午前9時、診察。既に、熱は38度に下がっていた。風邪だから、熱は四、五日は我慢しなければならない。思えば、新生児6ヶ月健康診断以来の来院になる。入るなり、航平は、立派な病院だね、と言う。外観はまだ工事中だけれど、中に入ると、ホテルのような大きな吹き抜けとポケベルを利用したゴージャスな待合い設備に変わっていた。
帰宅して、航平は薬を飲まない、水も飲まない、食事もとらない。わずか、チーズとジュースをとって、座薬を入れる。午後2時、熱は38.8度。寝ている。
チャコちゃんは大分快方に向かって、平熱に戻る。私は咳が出て、熱っぽい。計ると、37.5度。チャコちゃんは何度まで上がったっけと聞くと、39.4度と答える。熱が出る前に近くの医院に行って薬を貰ってこよう。4時から診察だ。
1999年 1月22日 金 晴 航平の言葉2「もういやあだ」
家族全員を苦しめた風邪の具合はもうほとんどよくて、今はこんこんと咳をしながら、ひどい風邪だったねと話している。
ひどかった時に航平は朝食事をして咳をして吐き、昼食事をして、吐いた。やっとの思いで食べた食事も薬も全部吐いてしまうのだから、吐いた汚物をふき取りながらも、体に入らなかった無念は残る。
夜の食事はもう吐かないように控え気味にして、薬も飲んで、一日に何度となく綺麗にした、シーツの中で休むと、また、こんこんと咳をしている。しばらく辛そうな咳が続いたかと思うと苦しそうにまた吐いてしまった。吐いた音とともにチャコちゃんと駆けつけると、航平は
「もういやあだ。」
と言った。航平はそれまで、食事を吐いたことは運良くほとんどなかった。それが、毎食、毎食食べれば吐いている。思ってみれば、吐いた後は航平もすまなそうに、朝も昼も何にも言わずに、横で立っていた。汚物を見ては、残念だと思っていたものの、何より、そこに吐く航平の気持ちは汚物と共に抜け落ちていた。航平にとってだって、やっとの思いで食事をとって、やっとの思いで飲んだ薬だった。目の前で汚物になっていくのに何とも出来ない自分に、いらだちを覚えたのだろう。
「もういやあだ。」
その言葉の願いを聞いてか、汚物はそれで最後にしてくれた。1999年 3月18日 木 晴 コンセント
ネットワークは大したものだと思う。インターネットだってネットワークの果てだし、家庭の中のLANだって、それぞれの機器が同時にそれぞれを制御したらそれは使いやすくなること請け合いだと思う。
だけれど、価値を産むには苦難と代償があって、ネットワークにかかる仕事を家庭でするのは避けたいと思ってしまう。ネットワークを自分で作るのは、私の言うのは、家庭内のLANのことだけれど、そんなちっぽけなネットワークであっても、得るためには、たいそう苦労を要する。山は高い程登りたいし、向かいたい気持ちで一杯かもしれない。さらに、はるか大きなネットワークの構築作業をしていく仕事は難しいだけに宝の山かもしれない。登り続ける人は羨ましいし、応援したい。
今の自分には、コンセントが出来ただけで、それ相応の価値がある。このコンセントにたどりつくまでには充分な興味を費やしたからだ。
1999年 3月21日 日 雨 彼岸花
腹水が溜まって倒れた母と病院の同室に居た女性は、大抵は卵巣腫瘍だから直ぐに治るよと励ました。卵巣腫瘍には、足の裏に彼岸花の根を摺って湿布してやると治る人は多いらしいと彼女は母と私に話した。母は何も頼まなかったが、私は彼岸花を探した。当時私は大学生だったが、彼岸花がどんな花か、見たことも聞いたこともなかった。東京育ちなんてそんなものだ。何軒かあたってみたが、咲いた彼岸花は知ってるものの、咲いていない彼岸花がどこにあるのかは誰も知らなかった。
父の実家の叔母に電話で尋ねると、叔母は植物の名前は何でも知っていて、直ぐに彼岸花の球根を取って、その足で、東京まで届けに来た。よっぼど苦しいに違いないと思ったのだろう。
彼岸花の湿布はその日から毎日足の裏に続けた。それから二週間程して、実物の彼岸花の咲くのをあちらこちらに見る頃、母の病気が彼岸花では治らないことを知った。余った彼岸花の球根は庭のあちらこちらの土の中に埋めた。彼岸花の咲くのを過去の辛い思いでとして見るのか、一つのある思い出として見るのか、せっかく苦労して持ってきた球根をそのまま捨てる訳にはいかなかった。
球根の湿布は効かず、手術も効かず、四ヶ月後、彼岸花と同じ彼岸に出掛けて行った。彼岸花の咲くこの時期だけは、幾ら忘れようと努力しても、この事実を思い出す。彼岸花を見る心地は、その花の揺らめきのように次第におぼろげになる。
1999年 5月 7日 金 晴 iMacがやってきた
以前からコンピューターを買い換えなければならないと思っていたけれど、その時は急に来た。iMac333が家にやってきた。ところが、このブルーベリーのお嬢様なかなかの気分屋で、時に考え込むタイプ。何を考えているのかはっきりと理解できない。
そもそも、家にやってきて、電源を入れると、10分でインターネットが出来る筈なのに、次第次第に画面がとろけるように、フォントが落ちて無くなってくる。ポロポロ、ポロポロと。エクスプローラのアイコンは段々と左一カ所にかたまって寄ってくる。夜になってあちこちいじっていると何が原因か判然とはしないが、次第次第に自然に治っていった。
CDを挿入すると毎回という訳ではないが、グオーと言う騒音が出る。挿入したCDを認識するのに一分ほどかかる時がある。サポートセンタに問い合わせると、グオーという騒音は正常な動作らしい。どのiMacも同じらしい。そんな噂は聞いたことはなかった。これも出る時と出ない時があって、いつ出るのかは解らない。
ほかに時々出る不具合は
1.キーの先読みのために一分近く考え込んでしまう。
2.Netscape Communicatorの表示フォントが大きくならない時がある。
3.JPEGファイルの読み込みをグラフィックコンバータで行いたいが、File exchange設定が出来ない時がある。
4.ファイルオープンダイアログボックスが前回オープンした場所を覚えない時がある。
5.今これを書いている時に、自動的に段落最初にスペースが入る筈だが、入らない時もある。
6.エディタJEDITでファイルを読み込むと文字化けする時がある。
いつそういった症状になるのか解らない。
新しい機械は何もかも使いやすくなる訳ではない。
マックを使う方はご存じだと思うけれど、ファイルの性格を読みとって、日本語から英語フォントに自動的に変えてしまう。その自動的は大抵間違いで、始終日本語に起動しなおさなければならない。システム7になってからの不都合だろうか。その不都合を直すためにScriptLock Liteと言う名前のフリーソフトが出ていて、便利に使っていた。
ところが、新しくなったATOK12で、ScriptLock Liteを併用すると、キーカスタマイズが全然利かない。それでATOK8に戻すと無事に併用できるものの、今度はマックの画面が四角にそぎ落ちてしまう。ジャストシステムによると、正常で、使う上での不都合はないらしい。確かにしばらく使うと不都合はなくなってしまう。しかし、起動の度に四角にそぎおちた画面を見るのは気持ち悪い。
それで、今は面倒でも、その都度何度となく日本語に設定するけれど、出現頻度はほとんどなかったり、頻繁にあったりと一定しない。
WEB共有という機能があって、インターネットブラウザでファイルを共有できるのだけれど、ウィンドウズ機からは指定したファイルにアクセスできるのに、他のマックからはコントロールパネルにアクセスすることが時々ある。それもいつそうなるのか解らない。
Netscape Communicator4.5ではフォントを日本語に設定出来ない。何度日本語に設定しても英語に戻る。それが原因でか、文字は小さくて見えない。今まで永く愛用したけれど、エクスプローラしか、実際上使用できない。よくディスプレーの映りが貧弱だと言われるのは、これを表現しているのではないかと私は思う。映り自体は鮮明で美しい。
古いマックで綺麗に仕上げた写真は、iMacで見ても綺麗に見えるけれども、iMacで綺麗に仕上げていても、古いマックで見ると、綺麗には出来上がらない時も多い。双方で綺麗に仕上げるためには、古い機械で作製した方が望ましいのだろうか。下の写真はiMacで作成したが、iMacでは綺麗に見えるけれども、古いマックでは綺麗には写らない。新しい機械で、古い機械でも綺麗に見えるように仕上げるためにはどうしたらいいのだろう。無理な話で古い機械は切り捨てるのだろうか。あるいは、写真屋さんの写真機のようにいつまでも古い機械で作り続けるんだろうか。
インターネットエクスプローラや、Netscape Navigatorで釣り上げた写真をダブルクリックした写真をグラフィックコンバータで立ち上げるための設定も出来ない。ダブルクリックするとブラウザが立ち上がってしまう。今までならヘルパーアプリケーション設定で簡単に立ち上がった筈なのに。
こうして書く間にも、コンピューターは考え込んでしまうし、書くという漢字は以前と同じようになかなか出てこない。使い方に悩みは尽きない。
USB接続のPCカードリードライターの転送速度は遅いというのも初めて体験した。手許の16メガを転送するにはおよそ10分程かかった。エラーも出るし、転送速度は一定ではなかった。USB接続のCDライターが今月出荷されるそうだけれど、一体実用になるのだろうか。
iMacは今までシンガポール製だったらしいが、今回のこの箱は韓国製と出ている。ハードディスクはQUANTUM製を使用しているタイプでWestern Digital製と異なりノートンユーティリティは使用できるらしい。お嬢様の欠点ばかりをあげつらっているようだけれど、もちろん良い点は数しれない。圧倒的な早さとほとんどの設定は簡単でユーザーインタフェイスの出来映えはやはり感動するばかりだ。LAN設定は極めて簡易だし転送速度は充分で、フロッピーディスクがなくての不自由は今のところない。
欠点に見えるのは慣れていないだけかもしれない。ソフト同士の相性の不都合もしばらくすると解消される可能性もある。何故こんな良い機械の欠点ばかりを話すのかと言えば、今まで流通が悪く、なかなか店頭で手に入らない場合も多かったからだろうか、良い評判は聞いても、悪い評価はほとんど自分のところに入らなかったからだ。
良い機械であるという全体的な評価は私も同様に感じている。店頭流通は大分改善されているそうだ。
参考
最愛のiMacを創る会
http://www.nakasendo.com/index.shtml
1999年 5月12日 水 晴 MacOSは8.6に
昨日、米国でMacOS8.6が発表されて、今日には日本のサイトでもダウンロードできる。昨日から何度となくダウンロードを試みてみたが、ダウンロードのスピードはフリーズしたように遅い上、何分かするとエラーで落ちてしまう。
90メガもあるファイルをダウンロードしようというのが大体の間違いだ。さっそく朝一番でフルインストールCDをファックスで申し込んだ。いざと言うときのために、たとえダウンロードできたとしても、CDはあれば無駄にはならないし、使わずに無駄になれば、それは幸いだと考えた。
今日になっても、相変わらずダウンロードはできない。世界中からダウンロードしているのだろうから、仕方ない。
ちょっとした試しに、ウィンドウズの機械からダウンロードしてみた。ウィンドウズからマックのファイルをダウンロードするのは、止めた方がいいと言う人も中にはいるけれども、私は今まで、不都合が起きたことは一度もない。
ダウンロードボタンをクリックすると、約20分でダウンロードできた。毎秒約50キロバイトのスピードだった(CATV)。ウィンドウズからはFTP(Fetch3)でおよそ一分、マックのデスクトップに解凍前のファイルは現れた。
試しにもう一度、マックからダウンロードを試みるものの、まだできない。ウィンドウズとマックで、ダウンロードに違いがある。
ファイルをクリックするとMacOS8.6のインストーラーは出てきたものの、心の準備はまだ出来ていないし、バックアップもまだしていない。しかし、購入してから二週間しか経っていないから、バックアップはそれほど多くはない。
メールファイルだけバックアップをウィンドウズ側に取ってから、念のため再起動した上、インストーラーをダブルクリックすると、90メガあるファイルの割には、短時間にインストールが済んで、ボワーンと言う音とともに、マックOS8.6の表示とともにトラブルなく、いつもの見慣れた画面が表示された。
ディスクトップにさっきのインストーラーや残骸が残っていることと、ディスクの容量が変わった以外はどこに変わりがあるのかすぐには分からない。そうしている間にも、日本語変換は勝手に英語になったり、キー入力を受け付けなくなってしまうのも、今までどうりだ。噂にはSherlockが変わったというけれど、画面が下にのびてくる。
私の知らないところできっと良くなっているのだろう。ビタミン剤を飲んだのと似たような気分だ。アップルサイトの改良点を見ても、直接私に関係ありそうなところは無いかもしれない。ダウンロードでは、いままで同様ウィンドウズもマックのために結構尽くしてくれる。
1999年 6月24日 木 曇り後雨 もしよろしかったら乗りませんか
山のすそ野を公園に作りあげたその中心から、肉声の限りをつくせば何万人もの人にも声が届きそうな、豊かな円形劇場にそこは設計されている。見渡す限りの森の中に遊んでいるのは、6,7人の子供しかいない。年の頃は12、3才位だろうか、一番異性を気にするようにも見える年頃の男の子と女の子たちは、広い円形劇場の座面を利用して仲良く芝滑りを楽しんでいる。
すり鉢状だから、公園中のどこに居ても、彼らの声と様子はよく響き渡り、聞き取れる。仲が良さそうで、楽しそうで、美しい風景だったから、しばらく家族で遠くから眺めていた。
ひとしきり、空気の美しさと鳥のさえずり、子供たちの遊ぶ風景を楽しんで、ゆっくりと公園の下まで降りると、遊んでいた女の子が、私達に近付いてきた。
すると、一人の彼女は
「もしよろしかったら、この芝滑りに一緒に乗りませんか?」
たった今、女の子と男の子とで一緒に遊んでいたボードを携えていた。
「まだ、小さいけれど」
と答えると、他の女の子は
「一緒に乗るから大丈夫。」
と言って、誘った。
しばらく見ていたからボードに乗りたかったと彼女は思ったのかもしれない。私達は仲良く遊ぶのを見るのをただ楽しんでいただけだった。航平が誘いにのるかどうかも心配だった。
「じゃ、お姉さん達と一緒に赤いボードに乗せて貰う?」
とうながすと、不安そうにおずおずと好奇心も半ばでボードの方に進んでいった。
「男の子達は遠くで待っているけれど、大丈夫?」
と尋ねると
「少し待たせるくらいで大丈夫よ。」
と彼女は答えた。
男の子達は、はるか遠くから
「おおぃ。何やってんだあ。」
と言うけれど、平気で待たせている。一緒に乗せて貰った航平は思ったより上手に2回か3回丁寧に乗せて貰って、別れ際には男の子にも女の子にもありがとうと言いながら離れた。
広い円形劇場だから、随分遠くに行っても男の子と女の子と航平との、お互いの声は響く。いつまでも「また遊ぼうねえ」と響いた。
1999年 7月12日 月 曇り 一つのホームページ公開します
一年通して友人や知人と自分からすすんで会う機会は最近ほとんどない。酒、カラオケ、ゴルフをしない。人と会うのは好きでも、話すなら二人がいい。三人だと一人を取り合う。かといって二人のどちらかが怠惰なら会話は飽きる。
家族で居るのは好きでも、ずっとくっついてはいられない。時には、誰かと、どんな形でも逢いたい。
気のあった同窓生は格好のストレスの発散場所になるのか、お互いは血の結束とでも言う連帯感があるからか、何でもうち明けられる自由がいいのか、よく出かけて夜のとばりをさまよう。卒業してから何年もたって、今回も23人集まるのだから、居心地のいいのは、私だけではないだろう。
自分にホームページがある縁で、三年前からクラスの同窓会ホームページを作成していた。いつまで続くか分からなかったし、途中で誰も見なくなるかもしれないとも案じて公表しなかった。
最近はインターネットのブームで連絡をとるのに都合がよい。私の作成するクラス会ホームページをここに公開します。私だけでなく、クラスメートの誰にとっても、そこは一つの別の世界かもしれない。
高校時代のクラス会ホームページ
http://www.yamaguti.jp/koishikawa/
上段の写真一番右上、二段目右の写真左側1999年 8月27日 金 晴 浅草サンバカーニバルへのお誘い
明日は浅草サンバカーニバルの日です。サンバのリズムにのって体を動かせば少々の悩みは飛んでいきます。老いも若きも、健やかな者も病める者も、富める者も貧しきものもサンバの下には平等の幸せを与えてくれます。
昨年私が撮ったサンバの様子です。さあ、明日は浅草のサンバミュージックの元で心を温めませんか。
サンバ写真集 写真12枚
1999年 9月 8日 水 晴 World PC Expo 99
思い立って、World PC Expo 99へ。収穫の乏しかった過去、来ることはないだろうと思っていたこのExpo、再び来訪することになりました。
1999年 9月14日 火 晴後雨 各辺の長さが分かる三角形の面積
午後二時頃、思い立って床屋に。9月も半ばとは言うものの、照りつける日差しは強い。そう言えば、昨日間違えて風呂に水を張ってしまった。航平と一緒に入って初めて気付いた。一緒にシャワーで済まそうとすると航平はさっと水の中に入った。水は気持ち良さそうで、
「お父さんも入らなきゃダメダメ。」
足をちょっと入れてみるものの、全くの冷水で膝までも入れられない。航平は肩までつかりながら、お父さんは入らないんだからと不平をつぶやいている。
いつものお風呂は私が先に入って、航平は熱くて入れないと言うのと正反対が妙に可笑しくて、今晩チャコちゃんに話すと「そう言う意味の会話だったのね。」と応えた。
床屋が済んで大井町線に乗る。先週事件があった久品仏をぬけ、尾山台から等々力渓谷を走る。渓谷の涼しげなせせらぎはかわっていない。せせらぎの流れのひとしずくで人なんて幸せになれるのに、かつてはどうして気付かなかったんだろう。学校で教わらなかった?教わったかもしれないけれど、、。昼過ぎ駒沢の交差点で測量をしていた。道路工事の面積を出すのか、各片の長さを計測している。三角測量だから、三角形を作りながら土地の面積って測るんだろう。四角形だったら、細長い菱形と太った菱形では、辺の長さは同じでも面積は違ってしまうから。三角形なら、辺の長さで面積は割り出せる。
はて、各辺の長さが分かる三角形の面積って、学校で習ってない。雨に濡れて家路に着いた。手のひらの暖かさと楽しい一日。
1999年 9月15日 水 雨時々曇 三角形の面積分かりました
昨夜辺の長さを特定した三角形の面積の出し方を皆さんに伺ったところ、たくさんの方から反響をいただきありがとうございました。文法的に不確実な書き方だったから、まぎらわしかった方ごめんなさい。
もう少し正確に書きますね。
各辺の長さa,b,cである三角形の面積はいくらですか?
と言う問題です。
チャコちゃんから「あなた本当に慶応出てるの?」って時々言われる。「知性の泉源」に程遠い行為をしたときだけれど、私学の一方の雄であって、私の恥ずべき行為は所属全体への批判にもつながる。ところが、三角形の面積は出せない。大学でても三角形の面積もわからないの。法律学科だから良いってもんじゃないよね。差し押さえの時に土地を計測できれば便利かもしれない。微分や積分、複素数にベクトルを学ぶより役に立ちそうなことなのに。勿論もっと簡単なことを知らない大人はとっても多いのだけれど。
インターネットに関わる人達は概ねインテリ、つまり教養があって、知的水準が高いかもしれない。それは何故かと言うと、インターネットにつなぐだけでも、結構な難事業だし、こんな無機質にも見えそうなものに興味を抱くなんていう人は他のことだっていろいろと興味を巡らせているんだ、と思う。
だから、反響を寄せてくれた人だって、みんな知的な人だった。それなのに、たくさんの人の中から、公式をいただいた方は一人だった。もしかすると、知性に一番近いところに居る方かもしれない。理系の雄ずくなし日記の玉川さんでした。
メールには、
::
2s=a+b+c
S=√{s(s-a)(s-b)(s-c)}
でしたっけ?
::
ってある。でしたっけ?って言われても私だって分からない。これを見てほっとしたのは、この公式結構難しそうだった。S=(a+b)*H/2みたいに簡単だったら、私は恥ずかしかったと思う。この公式を私は証明できないのだから、サンプルで検証するしかない。一部を調べて全体を推し量る。金融機関の検査みたいなものだ。
プリント用紙の片方を10センチ、もう片方も10センチのところに線を引いて10センチの正方形を半分にした直角三角形を作ってみた。斜辺の長さを測ったら、14センチだった。そうか、a二乗+b二乗=c二乗だったっけ。だから、√(10二乗+10二乗)なんだ。つまり、√200だ。でも、√200ってどうやって出すんだろう。ルートの開閉ってやったよなあ。忘れたなあ。あっ、そうだ、電卓を使えばいいんだ。そう、アメリカでは算数に電卓使っていいって言ってた。そうだよ、電卓使えば簡単だ。200と押して√を押すんだ。ばっちり、14.142135って。そう言えば、ひとよひとよみひとみごろなんて覚えたことあったなあ。なんでそんなことまで覚えて三角形の面積が出せないんだろう。分数の計算が出来ないよりもっと恥ずかしい社会だとしたらどうしよう。NHKのクローズアップ現代で、最近の大学生は三角形の面積も出せません。なんて。
まっ、とりあえず、a=10センチ、b=10センチ、c=14.1センチの三角形の面積が上の公式で50平方センチになっていれば、きっと玉川さんのことだから間違いないんじゃないだろうか。
2s=10+10+14.1だから
s=17.05だ、
なんで、sが大文字になったり小文字になったりするんだろう。sをyなんかにしてくれればいいような気がするのに。数学って言うのはこういった細かいルールがとかく理解できない。
ん、それで、
S=√{17.05(17.05-10)(17.05-10)(17.05-14.1)}
電卓をたたいて
=√(17.05*7.05*7.05*2.95)
また、電卓をたたいて、
=√2499.9114
になった。これに√ボタンを押すと。
=49.999
だ。やった。確かに50になった。多分、この公式あってそうだ。これからは、三角形の面積はばっちり出せる。もちろん、高さを測れば三角形の面積は出せるんだろうけれど、例えば道路の面積だったりすれば、高さを出そうと思っても隣のビルを壊す訳にはいかない。太閤検地はきっと大昔だから、玉川さんみたいに√なんて使わないだろうと思う。小さい四角を積み上げたのかな。まあ、自分が太閤だったら、この公式を知らない限り、そうするに違いないと思う。そして、この公式の証明が自分で理解できるまで、私はまだ分かったとは言えないと思う。
つまり、私が言いたいのは、当たり前のことなのだけれど、大学を出ても、それ程莫大な知識はもちあわせていないってことかもしれない。だから大学出なくてもいいのかって言う訳ではないけれど、大学であっても社会であっても、世の中ずっと学んでなきゃならない。社会に居ても、学ぶことの連続だから、真摯にいつまでもどんな時にも努力はおこたることなく続けなきゃならないって。詰まらないことだけど、時々自分も忘れそうになるからここに書いておきたかったんだ。
皆さんどうもありがとう。
1999年 9月19日 日 晴 進歩の課程1
上まで登れた。一回おっこちてキャッチもしました。
1999年10月13日 水 晴 キンモクセイ満開の日
キンモクセイの花が咲く春と秋。満開の日には体調を崩します(アレルギー)。
窓から見える香りいっぱいのキンモクセイ
1999年11月26日 金 晴 表面フラッシュに注意
大分涼しい季節になってきました。衣類に着火するいわゆる「表面フラッシュ事故」で亡くなる人が年間150人、事故件数は1000件になるそうです。
気づきませんでしたが、今はやりのフリース製品の他、ネル、タオル地で、いずれも綿製品が危険だそうです。いずれも表面に起毛している生地で、起毛によって豊かな空気と合わせて燃え広がる現象を表面フラッシュと言うそうです。
綿は着心地がよく愛用しているので、気をつけなくては。逆に燃えやすそうに見える化学繊維は難燃で安全です。着火してから全身にひろがるまでにわずかに15秒ほどしかかからない速さ。タオル地のバスローブを着てガスコンロの上の棚に手を伸ばす時が危ない。
参考
国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-19991004_1.php3